しきメール5

「もっと、本気でやりなさいって言っているの。彼を、連れて行きたいんでしょ?」

 彼、と。

 死姫が言った途端、彼女が僕を見た。その赤い目に見つめられて、また背筋が凍りつく

 ふと、その視界を遮るものがあった。

 白い翼。シロの背中から、また生える翼が、彼女の姿を隠してくれたんだ。震えが、僕の身体から消える。


「あの……」


「不用意に、彼女の目を見ない方がいいよ? 邪視だからね」


「……じゃ、し?」


「呪いのこもった視線だね。耐性のない人間は、それだけで生命力を削るよ」


 何となくだけど、わかった。そうして、彼が僕を守ってくれたこともわかったから。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


 シロは、にこやかに微笑む。また翼が消える。僕は、彼女の紅い瞳を見ないように注意しながら、ふたりを見守った。

 彼女は、もう僕には注意を払わなかった。


「いいわ」


 紡がれる声が、周囲を振るわせる。


「本気で、やってあげる」

 明らかな敵意と、憎しみをこめた声。まるで、それそのものが形になったような声。

 応えるように、トランプが彼女の周囲を回り始まる。青い色だったトランプが、色を変えていく。


 毒々しい真っ赤色。

 まるで、血のような色へと、変わっていく。

 トランプは、彼女がかざす右手に集まっていく。収束する、真っ赤な刃の渦。まるで燃え盛る炎にも見えた。


「後悔するといいわ!」


 彼女は、それを死姫に向かって投げつける。放たれた五十三枚の刃が、一直線に死姫に向かっていく。


「……!」


 思わず声を上げかける僕に、青年が肩越しに振り返った。その瞳が、心配するな、と言っている。

 


 けれども。

 

 カードが、死姫の小さな身体に次から次へと突き刺さる。彼女は、それでもたたずむだけ。

 後から後から突き立ってくる刃を、まるで受け止めるみたいに。

 ザク、ザク、ザク、ザク……と突き刺さっていく。


「あ……ああ」


 声を上げない彼女の変わりに、僕が声を漏らす。見ているだけで、耐えれらない。どうして、

死姫も、他のふたりも―

「ねえっ!」

 思わず叫んで、何か言葉を続けようとした―時だった。

 

 五十二枚目のトランプが突き立って、今まさに、五十三枚目が死姫の身体に届こうといった瞬間に、 

 


「――シデン!」

 

 彼女が、その名前を叫んだ。


「おうさ!」


 応えて、彼が吼える。飛び上がる青年―シデンの、はるか宙に舞った長身が、突風を巻き起こして弾け飛ぶ。

 その身体が、細かなかけら―まるで無数の花びらみたいになって、渦巻いた。

 薄紫の、花吹雪。それは、死姫へと向かっていく。

 死姫に襲いかかっていたカードを吹き散らして、その身体を覆い尽くした。そのつま先から頭まで、全身を覆い隠す。

 花びらが、形を変えていく。彼女の身体に張り付いて、その姿が変わっていく。

 


 そうして。

 服装を変えた死姫――いや、紫姫(しき)が、そこにいた。

 紫色の袴姿。

 その手には、抜き身の日本刀。

 つややかな黒髪を、なびかせて。

 威風堂々、悠然と。

 たたずんでいた。

 

「それでは」


 紫姫は、自分の背丈くらいはある長さの刀を軽々と片手で持ち上げ、その切っ先を少女に突きつけた。


「――終わりに、しましょうか」

 


「く……」


 一瞬、呆然としていた少女が我に返る。その手を動かすと、周囲に散らばっていたトランプが浮き上がり、また手元に戻っていく。


「かっこつけないでよ!」


 今再び、トランプを投げつける。さっきまでは無防備の紫姫を切り裂いて、薙ぎ払った刃の群れ。けれども、今度は。

 紫姫が刀を振るうだけで、あっさりと消え去ってしまった。五十三枚全部が、まるでただの幻みたいに。


「もう、無駄……」


 刀を下げて、


「――」


 その唇が、何かをつぶやいた。僕の耳には意味を持って届かなかったけれども、少女にはわかったみたいで――息を飲む様子がはっきりとわかった。


「……何?」


 初めて、その少女に動揺が走った。紫姫が一歩進み出ると、おびえたように後退る。


「思い出さない?」


 紫姫が、そっと口を開く。


「あなたの名前……あなたが、人間だった頃の名前だよ」


 彼女を、いたわるように。

 僕には、そう聞こえた。


「そんなの、知らないわ!」


 叫ぶ少女、その手に再び生まれる凶器札。


「消えなさいよおっ!」


 投げつけるものの、またもあっさりと振り払われる。


「……そ、んな」


「彼を連れて行ったところで、あなたは満たされない。もう現世をさ迷うのはやめなさい。自分の名前を思い出して『――』として、黄泉路の旅へと、発ちなさい……」


「う……うるさい! うるさい! うるさい!」


 髪を振り乱して、名前の知らない少女は絶叫した。


「うるさい! ウルサイ、 ウルサイ……!」その顔を、くしゃくしゃにゆがめて――


「消えろ! 消えろ! 消えろーっ!」


 のけぞって、声を振り絞る。長い黒髪が真っ赤に染まって、まるで生きているみたいに蠢き始めた。

 その瞳がますます赤く染まり、口が耳まで裂けていく。腕が、ぐううっと伸びて、細かった肩が盛り上がって、二倍以上に膨れ上がる。


「……!」


 少女は、人間の姿を捨てていく。より化け物じみていくその姿に、思わず息を飲む僕。けれども、紫姫も、シロも平然としていて――いや、紫姫は、


「…………」

 

 多分、ほんの小さな溜め息をついた。

 哀れむように、きっと。とても哀しそうに。


「ぐあああああああああ!」


 変貌を遂げた少女が、その姿に相応しい絶叫を上げた。もはや少女のものではなく、けだものじみた叫び声。

 そのつりあがった瞳で憎々しげに、紫姫を睨みつける。

 対照的に。


「孕(はら)んだ泥を、吐き出して……」


 紫姫は、詠うように言葉を紡ぎ始める。


「……纏(まと)った衣を、脱ぎ捨てて」


 両手に握った刀で、静かに弧を描きながら。


「黒く染まった諸手(もろて)を漱(すす)ぎて」 


 ゆっくりと、歩み出す。

 


「ああああっ!」


 少女が、紫姫に飛びかかった。

 その両手には、鋭い鉤爪が生えそろっている。紫姫の細い身体なんて、あっさりと切り裂かれてしまいそうだった。

 けれども、紫姫は歩みを止めようとはしない。

 今度は、僕も黙って見守っていた。彼女のあまりにも落ち着き払った様子と、その不可思議な光景が、僕から不安の全てを奪い去っていたから―

 


「骸は、土に還りなさい」


 紫姫の周囲に、再び無数の花びらが現れて、静かに舞い始める。


「御霊(みたま)は、天に昇りなさい」


 花びらは、その刀身に絡み付いて、その刃を薄紫色に染めていく。


「そうして、流転の水中(みななか)に」


 その鉤爪が届く刹那に、紫姫は刀を振り下ろした。

 


 花びらが舞った。

 一面に、舞い踊る花びらが、少女の異形を覆い隠す。まるで、優しく包み込むみたいに――

 


「その名を抱いて、発ちなさい……」


 振り下ろした刀を、振り切った。

 

       ◇

 

 世界が、色を取り戻す。

 先ほどまでの夜の公園に、僕は立ち尽くしていた。

 こちらに背を向けていた、彼女が振り返る。その姿はセーラー服に戻っていた。

 その肩に止まる、白い一匹の小鳥。時代がかった袴姿だったシデンは、今はスーツ姿で彼女のとなりに立っている。

 僕のそばにいたシロの姿も、化け物となった少女の姿はどこにもなかった。


「……あ、あの」


 何か言おうとして、けれどもなんて口にすればいいかわからなかった。何せ、状況は僕を置き去りにして進んでいって、結局何ひとつわからないままだったのだから。


「君は……いったい、何者なの?」


「シキ、と呼ばれるわ」


 彼女が答える。


「メールがつながったのは、君……なんだよね?」


「ええ」


「だったら、僕を迎えに来てくれたんじゃないの?」


 そう、僕はそのためにメールを送った。そのはずだったんだ。


「違う」


 僕の言葉を、彼女――紫姫は否定する。


「だったら、どうして……何で、君につながったのさ?」


 わけがわからない。

 僕は死にたかったから、だから、彼女につながったんじゃないのだろうか。でも、だったら、さっきの赤い目をした少女は、


「多分、あなたの心がわたしに共感したんでしょうね」


 彼女はスカートのポケットに手を入れる。

 取り出したのは、薄紫色の携帯電話だった。


「あなたの聞いた話の真偽とか、詳しいことはわからない」


 それは、シキメールと呼ばれる噂話。


「…………」


「ただ、わたしという存在とつながって道ができた。そこに、先ほどのような存在も呼び寄せてしまった」


「さっき……」


 先ほどの少女の姿を思い出して、少しだけ恐怖がよみがえった。


「多分、あなたに近い思いで命を絶ったヒト。その無念のせいで成仏できず現世をさ迷って、同じ気持ちを持つあなたを引きずりこもうとしたのね」


 何となく、わかってきた。だけど、僕にとって一番大事なことはまだ確認できていない。


「……君は、君は、僕を連れて行ってくれないの?」


 この場所から、遠い世界へ連れて行ってはくれないのだろうか。


「連れて行って欲しいの?」


 問い返してくる。


「そうだよ!」


「どうして?」


「嫌なんだよ! もう、こんな世界にはいたくないんだよ!」


 落ち着き払った彼女の声が苛立たしかった。僕は、さっきも言った言葉を、悲鳴のような声で繰り返す。


「だって、みんな優しくないんだ! みんな、僕を傷付けるんだよ! だから、連れて行ってよ! ここから……こんな場所から、お願い……!」


 そこで、僕は言葉を切った。

 何時の間にか、すぐ間近に彼女の顔があったからだ。鼻先と鼻先が触れ合う距離で、その大きな瞳が僕を覗き込んでいる。 

 吐息と吐息が、交じり合うほどに近い。

 


 ――ほんのかすかに、甘い香りがした。

 


「え? ……あ」


 不意をつかれて、僕はうろたえる。整った顔立ち。透けるような白い肌。つややかな黒い髪。まるで、精巧な人形のような紫姫の姿に――

 くらくらと眩暈がする。

 気が付くと、彼女は僕の胸にそっと片手を当てていた。多分、心臓の位置に。 

 力が、抜けていく。

 強烈な睡魔にも似た感覚。意識が、真っ白に塗りつぶされていく。

 


「……おやすみなさい」


 彼女の声が、僕の耳元で囁いた……。

 

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