しきメール3

 当てもなく、ぶらぶらと。

 夜の町をさ迷っていた僕は……いつしか、人気のない公園に辿りついていた。

 お気に入りのはずの、あの公園だった。

 薄明るい街灯に照らされる公園は、ひどく不気味で。


 この上もなく、さびしくて。

 この前、水無瀬さんと出会った公園と同じ場所とはとても思えなかった。

 外灯の照明は、切れかかっていた。長く伸びた僕の影法師が、不愉快に揺れ動く。

 周囲の木々さえ、お化けに見えた。風に揺られてざわざわ鳴るのも、より一層に不気味だった。

 

 ……彼女が、迎えに来るのだとしたら。

 とても、似合いに思えてならなかった。

 

 力なく、ベンチに腰を下ろす。

 すぐとなりにカバンを置いて、だらしなく両足を投げ出した。


(……ああ、そう言えば)


 ほんの数日前の日曜日。

 確か、ここで水無瀬さんにデートに誘われたんだっけ。

 いい気になって、思い上がってしまった。

 思い返すと、ひどく滑稽だった。


 あはは……僕は、何て笑える道化だったのだろう。

 好意を持っている女の子に、自分もまた好意を持たれている。……なんて、自惚れてしまった。勘違いも、はなはだしい。

 きっと、ただの気まぐれに。少し見知ったクラスメートを誘っただけなんだろう。



 つい先ほど、偶然見かけた光景からそのことを思い知っていた。



 塾の講習で遅くなった僕は、駅前でその光景を見た。 

 見てしまったんだ。 

 コンビニや書店の立ち並ぶ道路を挟んだ先に、たたずむ水無瀬さん。僕は、少し先の横断歩道を渡って声をかけようとして――

 まるで、それを邪魔するみたいに一台の車が、彼女の前に止まった。車に詳しくない簿僕には、高そうな車としかわからなかった。


 嫌な予感がした。

 車の助手席が、彼女の前で開けられる。

 嫌な予感はふくれあがって、確信となった。

 彼女は、笑顔になってその車に乗り込む。走り去っていく車の、運転席の姿はやけにはっきりと僕の目に映った。

 僕なんかよりずっとかっこよくて、年上の男の人だった。そのとなりの、楽しそうな彼女は僕には気付かない。


 それで、僕は理解した。

 理解して。

 思い知って。

 気が付いたら、この公園にいたんだ。

 

     ◇

 

(……母さん、怒っているかな)


 そんなことを思う。

 だけど、別にもうどうでもいい。

 何もかもが、馬鹿らしくなってきていた。

 そう、何もかも。


 親友だと思っていた相手には、今は皮肉と嫌味をぶつけられる。

 両親と担任は、やりたくもない受験勉強を押し付けてくる。

 そして――


(……水無瀬さん)


 勝手に勘違いして思い上がってしまった相手に、自分自身が情けない。


「……もう、どうでもいいや」


 僕は携帯電話を取り出した。

 何だか、無性に喉が渇いていた。けれど、それすらも、どうでもよかった。

 青いはずの携帯電話。照明のせいか、今は真っ黒に見えた。


 電源を、入れる。

 時間は、一時半を示している。

 深夜の、一時半。二時まで、あと三十分。

 ふと見上げた夜空には、瞬く星々。とても綺麗だった。皮肉なほどに。でも、それはそれで構わない。


 画面に目を落とす。着信の履歴が、何度もあった。

 全部、同じ電話番号。あまりにも見慣れた、いい加減に見飽きた、自宅の電話番号だった。

 きっと、遅くまで帰らない僕に怒り狂った母さんが、何度も何度も僕の携帯にかけたのだろう。

 そう言えば、ひっきりなしに携帯が鳴っていた。そして、ほとんど無意識に携帯の電源を切ったのを思い出した。

 履歴を削除していくと、


(……あ?)


 その最中、自宅以外からの履歴もいくつかあった。

 城阪藤二。

 水無瀬なつみ。

 ふたりを思い出して、ますます気分が滅入る。それが、後押しになった。

 受信メールを呼び出す。

 送信者『死姫』のメール。

 

『わたしに、逢いたいの?』


『逢いたいです』

 


『本当に?』


『本当です』

 


『本当の、本当に?』

 


 ぼんやりと、そのやりとりを眺める。

 この場所から、どこかへ連れて行ってくれる少女。

 あと一回で、四回目。

 これが、最期の一歩。この一歩を、踏み出せば――


(……ああ)


 それは、とても素晴らしいことに思えた。

 みんな、僕を傷付けるだけ。

 誰もが、僕を追い込むだけ。

 だったら、これ以上。


 こんな場所に、いたくない。

 もう、たくさんだ。

 もう、うんざりだ。

 ……嫌だ。

 何もかもが、嫌なんだ。

 

「もう、嫌だよ」


 僕は静かに、つぶやいて。

 

 ――時間は、ちょうど午前二時。

 

『本当の、本当に?』


『本当に、本当です』


 

『今から――』


 僕は、最期の一歩を踏み出した。


『――向かえに、逝きます』

 


 メールを、送信。

 その瞬間。

 世界が、変わった。

 

「…………!」


 轟、と風が吹き抜けた。

 吹きすぎた風が、周囲の光景を塗り替えた。

 夜の公園が、一転した。

 見上げる夜空から、星々が消えた。

 足元の大地は、砂利の敷き詰められた地面へと。

 街灯もベンチも、立ち並ぶ木々も消えて、ただ一面何もなくなった灰色の世界へと。


「ああ……」


 僕の世界が、壊れる。

 壊れていく。

 振り返る。

 僕の背後には、彼女が立っていた。

 僕を――連れて行ってくれるはずの、その少女が。


 

「君が……死姫さん?」


 僕は、その少女に呼びかける。

 小柄で、ほっそりとした女の子。僕の肩くらいまでしかないんじゃないだろうか。

 長く伸ばした黒髪。薄く紫がかった、セーラー服姿。

 僕と同い年くらい……それとも、少し上なのかもしれない。年齢なんて、どうでもいいのかもしれないけれど。


 大きな黒い瞳が、じっと僕を見ている。

 まるで吸い込まれそうだった。

 不気味で不吉な、幽霊やお化けに近い存在のはずなのに――何でだろう。それほど、怖くはない。


 彼女は、ひとりじゃなかった。

 傍らには、背の高い男の人。僕よりずっと年上だ。

 長い黒髪を、後ろで縛っている。時代劇で見るような、サムライみたいな格好。

 その色は、女の子よりも更に深い紫色。その腰に刀がなくて丸腰なのが、逆におかしかった。


 もうひとりは、小柄な少女より更に小柄な男の子だった。小学生くらいに見える、パーカー姿の可愛らしい少年。

 もしかしたら、中性的な女の子かもしれなかった。

 目にかかる少し長めの髪は、少し白みがかって見える。


「僕を、迎えに来てくれたんだね……」


 携帯電話をズボンのポケットにしまって、彼女達に近付いていく。


「あなたは、死にたいの?」


 彼女が口を開いた。

 透き通った、とても綺麗な声。浮世離れした……それは、当然か。彼女にとても似合っていた。

 その声で、尋ねられて。


「……そう、だよ」


 僕は、少しだけ躊躇してから答えた。……躊躇、どうしてだろう。まだ、迷いがあるのだろうか。彼女に連れて行ってもらうことに、少しだけのためらいが。


「どうして?」


「……どうして、って」


 彼女の続けられる問いかけに、よみがえる思い。それが、ためらいを振り払った。


「もう、たくさんなんだ。たくさんなんだよ!」


 気が付けば、僕は叫んでいる。

 ……ああ、何だかとても久しぶりだと思った。

 嫌なこと、辛いこと、哀しいこと、全部何もかも押し殺していたのに。かみ殺してきたのに。今……その感情を、大声で荒げているんだから。


「みんな、僕を傷付けるだけなんだ!」


 母さんと先生は、やりたくもない受験勉強を押し付けてくる。


「誰も、僕をわかってくれないんだよ!」


 父さんは、仕事にかかりきりで僕のことなんてほうりっ放しだ。


「誰も、誰も……僕を助けてくれないんだよ!」


 親友だったあいつも。

 好意を持っていたあの子も。

 みんな、僕を傷つける。

 全部、僕を追い詰める。

 だから。

 だから……


「死にたいの?」


「そうだよ……!」

 そう叫んだ、次の瞬間。


「え?」


 頬に、熱いものが走った。

 

「……え?」


 振り切られた、彼女のほっそりとした手。

 その手に見惚れてしまったせいで、理解が遅れた。

 それでも、呆然と立ち尽くす僕は状況を理解していく。

 いきなり近付いてきた彼女が――

 僕の頬を、張ったんだ。

 

「どう、して……?」


 怒るよりも、予想もしない彼女の行動に困惑してしまうだけだった。頬を押さえて、後退る僕を、彼女はじっと見上げてくる。

 その無表情から、彼女の感情はわからない。


「少し、苛立ったから」


 静かに、口を開く。

 その声には言葉の通り、ほんの少しだけ棘があった。


「はん、だったら放っておけばいいのにさ」


 割って入る声。少女の背後に立つ青年だった。

 殊更に肩を竦めて、彼女に言葉を投げる。


「なあ、主殿?」


「そうもいかない」


 主殿と呼ばれた少女は振り返らずに、僕を……いや、僕の背後に視線を向ける。その瞳が、きっ、と吊り上がった。

 背後から、何か冷たい空気を感じる。

 今度こそ、背筋がそそけ立った。


 振り返ると、少し離れた場所にも、また人影があった。こちらはブレザー服に身を包んだ少女。真っ黒いブレザーは、薄暗い中でも、尚一層に色濃い、

 長い黒髪の、ほっそりとした身体つきで、彼女は少しだけ年上なんだろうか。

 浮世離れした空気は、先に現れた少女にも似ている。

 似ている――けれども、決定的に違う。

 僕を見る瞳は、まるで血の様に真っ赤だった。その口元に、薄く浮かぶ笑みも不気味すぎる。


「……!」


 その少女を前に、僕は腰が砕けそうになった。足がすくんで、身体中が凍りつく。怖い。とてつもなく、怖い。身体が強張って、息すらできなくなる。

 心臓をわしづかみにされたとしたら、こんな感じになるのだろうか。


「……あ、う」


 そんな僕をかばうように、彼女が立つ。

 それだけで、少し呼吸が楽になった。

 


「呼んでしまったから」

 

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