しきメール2

「それじゃあ、行ってくるよ」


 次の休み。

 僕は、参考書を買いに行くと言って家を出た。

 人通りの多い表道ではなく、あえて静かな小道を通っていく。

 駅前の喧騒から少し離れた、行きつけの本屋。目当ての参考書を購入して、外に出てから、溜め息をついた。


 ……このところ、溜め息をつくことが多くなっている気がする。

 溜め息を一回つくごとに、幸せがひとつ逃げていく。そんな言葉、どこかで聞いたっけ。 それじゃあ僕は、どれだけの幸せを逃がしたのだろう。


「は~あ」 


 それでも、もう一回溜め息をついて。

 真っ直ぐ帰りたい気分でもなかった。家に戻れば、また母親の監視のもとやりたくもない受験勉強をさせられる。

 空を見上げる。

 いい天気だった。

 過ぎ行く風が、頬を撫でる。

 澄み渡った青空が、とても綺麗だった。

 今日は、少し温かった。ジャンパーの胸元を、少し開ける。


(……ちょっと、寄り道していこうかな)


 そのくらいはいいだろう、と思って。

 僕は、角を曲った。

 


 向かった場所は、公園。

 周りは、閑静な住宅街。車の行きかう表通りから、少し外れた場所にそこはあった。

 決して新しくなく、遊具の塗装なんかは剥がれているのも多いけれど、僕はここが結構好きだった。

 なんとなく、味わいがある。きっと日本人の好むわびさびという奴だ。……多分。


 手近な自動販売機で缶コーヒーを買って、僕はベンチに座る。

 古臭い木のベンチは、少し湿っぽかった気がするけれど、気にしない。

 遠目に、散歩している男の人の姿が見えた。視界の端の砂場では、小さな子供が何人かで遊んでいた。


 なんとも、のどかな光景だった。


「ふう~」


 思い切り、背伸びをする。胸いっぱいに息を吸い込む。

 こんなのんびりするのは、本当にひさしぶりな気がした。

 学校でも、自宅でも、僕の心は安らがない。

 受験が終わるまでの一ヶ月。

 それまでこんな日々が続くかと思うと、暗澹たる気分になる。

 いや、そもそも。


(その先だって、わからないよな……)


 合格したとしても、別にそれほど志望する学校じゃない。それに、それは仲のよかった友人を蹴落としてしまうことを意味する。


(そう思う僕は、甘いのかな……)


 かつての友人の、嫌味と皮肉が脳裏によぎった。

 だからって不合格でも、それはそれで何が解決するわけでもない。

 城阪には勝ち誇られるだろうし、勝手に期待している母さんや先生に何て言われるか。


「……はあ」


 色々と考えていたら、また気が沈んできた。あーあ、これじゃあ、気晴らしにならないじゃないか。

 そう思った瞬間。


「え? わっ!」


 急に、目の前が真っ暗になった。


「だーれだ?」


 続いて、聞き覚えのある声が耳に届く。


「いきなり、何するんだよ!」


 僕は振り返って、文句を言う。


「あはは、ごめんごめん」


 後ろに立っていたクラスメートの少女が、悪びれた風もなくけらけらと笑っていた。


「いやー、何かこー君、ぼうーっとしてたからさあ」


 更に文句を言おうとして、僕は言葉を失ってしまった。

 いつも見慣れた学生服ではなく、可愛らしい私服姿の水無瀬さん。薄水色のパーカーに、紺のプリーツスカート。

 その姿に、少しだけ見惚れてしまったからだ。

 やっつけジャンパーな、自分の私服に少し恥ずかしくなった。


「……ん?」


 呆然とする僕を、きょとんと見返してくる。

 やがてその顔が、にや~っと笑う。


「なあに? もしかして、あたしのかっこに見惚れてたりするの?」


「あ……べ、別に」


 声が上ずっているのが自分でもわかる。

 多分、顔も赤くなっているんじゃないだろうか。 

 今更ながらに、まじまじと見つめてしまった水無瀬さんの可愛い顔とか、僕の顔を触った細い指先とか、そういったものが、思い出されてくる。


(あ~っ、落ち着け! 落ち着くんだ僕!)


 なんていうか、これじゃあムチャクチャかっこ悪い。


「こー君?」


「うえっ!」


 すぐ真横から声が聞こえて、僕は思わず飛び退った。

 何時の間にか回り込んでいた水無瀬さんが、ベンチに座っていたのだ。


「んー、何かそういう態度傷つくんですけど」


 不満そうな顔をする水無瀬さん。


「こー君、あたしのこと嫌いなの」


「……い、いや、そんなことはないけど」


 むしろ、その逆ですけど。

 あまり女の子に免疫のない僕は、こうやってあけっぴろげに接してこられると、どう反応すればいいか困ってしまうんだ。……我ながら、情けない。


「ふーん」


 水無瀬さんは、僕を冷ややかに見つめてから、『まあ、いっか』と肩をすくめた。


「でもさ、珍しいね。こー君が、休日に公園でぼーっとしてるなんてさ」


「……まあね」


 僕は、何となく水無瀬さんと並んで座るのも気が引けたので。立ったまま、頬をかく


「たまには、気分転換しようかなと思ってさ……」


 まあ、その意図に反して。あまり、気分転換にもなっていないのだろうけど。


「ふうん」


 今度は、さっきとは違った意味ありげな視線で僕をまじまじと見てくる。


「……な、何?」


 そういったことに慣れていない僕は、またうろたえる。


「じゃあ、気分転換付き合ったげようか」


 と、財布を取り出す水無瀬さん。


「これ」


 財布の中から、折りたたまれた紙片を手に取った。それを、僕に見せてくる。


「それは?」


 どこかの喫茶店のサービス券みたいだった。いったい、それがどうしたと言うのだろうか?

 僕の疑問が伝わったのか、水無瀬さんは眉をひそめた。


「鈍いねえ。こー君は。一緒にお茶でもしませんか、って言ってるの」


「……え? えーっ!」


 一瞬遅れて、彼女の言葉の意味を理解した僕は大声を上げていた。


「ちょっと、声大きいよ」


 しーっ、と自分の口元に人差し指を立てて、水無瀬さんは周囲を気にした。

 とりあえず、それほど注目を集めたわけではないと知って、安心したようだ。


「で、どうなの?」


 僕に視線を戻して、尋ねてくる。

 つまり、それは……そういうことなのだろうか。

 少し顔をしかめて、上目使いに僕を見上げてくる水無瀬さん。ちょっとだけ、その頬に赤味が差しているのは……気のせいじゃないのだろうか。

 僕の、勝手な自惚れじゃないのだろうか。


「こー君、あたしのお誘い受けてくれるの?」

 


 もちろん、断るわけがなかった。

 

       ◇

 

 その日、僕は生まれて初めて女の子とデートをした。

 いや……ちょっと喫茶店で二時間ほど話をしただけだけどね。

 それでも、僕にとっては充分過ぎた。

 通学路で、あるいは学校で話すのとは全然違う。


 喫茶店と言うのも初めてだった。

 時々横目に通り過ぎるくらい。何だか、今は逆に外を通り過ぎていく人影が、無性に気になった。どうせなら、奥の席の方が落ち着いたかもしれない。

 出されたコーヒーは、さっき飲んだ缶コーヒーの三倍以上の価格。無駄に……いや、価格の分、高く見えた。味は、よくわからなかった。 


 笑顔で水無瀬さんが進めてくる、何かおしゃれな感じのケーキも、きっちりと味わえなかった。もったいなかった。

 胸がどきどきして、舞い上がってしまい、話した内容の半分も頭に残っていなかった。

 それでも、帰り際。


『じゃあ、今度はこー君から誘ってね』


 受験終わってからでいいから。そう、付け加えて、言葉を残していってくれたのだから、それほどポカしなかったのだと思う。

 いやいや、それどころか……。


(いい感じじゃないか)


 少なからず好意を持っていた女の子からデートに誘われて、遠回しにだけど次の約束も交わしたんだ。

 さっきまでの憂鬱は、まだ完全ではないけれど、大分なくなっていた。


(よし、もう少しなんだ!)


 まだ割り切れない気持ちもあるけれど、自分のできる範囲で勉強を頑張ろう。 

 そう、思えるくらいにはなっていたから。

 腕時計に目を落とす。

 時間は、三時を過ぎていた。

 まだまだ明るい。


 空を見上げると、青空の快晴はまだ継続中だった。

 気が付くと、小走りになっている。

 道脇の鏡に映り、すれ違った僕の横顔は、何だか元気だった。


(……少し、遅くなったかな)


 もしかしたら、母さんが怒っているかもしれない。

 そんな不安もあったけれど、それでもいい気分転換になったんだ。母さんも許してくれるさ。

 そうだ、遅くなった時間以上に頑張ればいい。

 そう、思っていた。

   


 けれど、甘かった。



「どこに行ってたの?」


 玄関前で待ち構えていた母さんは、僕の予想以上に怒っていた。


「……その、ちょっと友達と」

 剣幕に圧されて、そう口走ってしまったのが、更に火に油を注いでしまったらしい。


「耕介! あなた、今がどれだけ大切な時期かわかっているの!? そんなことだから、成績が伸びないのよ! 城阪君を、見なさい! あなたは恥ずかしくないの!」 


 僕の言葉なんて、聞く耳持たない。 

 僕の気持ちなんて、考えてくれない。


「……ごめんなさい」


 そんな不満も、やっぱり押し殺して僕は謝った。

 一方的にがなりたてる母さんの言葉を、視線を落として、ただ一方的に受け止める。 

 その間、玄関隅に片付けられた古い靴を眺めていた。


「さあ! 今からすぐに勉強するの! 晩御飯まで、その後もみっちりとね!」


「……うん、わかったよ」

 


 そうして。 

 

『本当に?』

 

『本当です』

 

『本当の、本当に?』

 

 その夜。

 机に向かって、閉じたままの参考書に肘を置きながら。

 


 ――僕は、三度目のメールをした。

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