しきメール1

其の参 織本耕介


 


 一年前、僕は彼女に出会った。


 当時のことは、あまり思い出したくはない。


 自分がどれだけ情けなく、みっともなかったか、否がおうにも思い出してしまうから。



 それでも、仕方がない。


 時折、ふと思い出してしまうのだ。


 それだけ、僕にとっては印象的で、特別なことだったから。


        ◇


 『ねえねえ、シキメールって知ってる?』


 いつかの昼休み。

 クラスの女の子達が話しているのを、小耳に挟んだ。

 自分の机で予習をしていた僕は、となりの机に集まっていた女子のお喋りに、耳を傾けた。


 当時、流行っていた噂話らしい。その手の話に疎かった僕は、遅ればせながら、その話題を聞きとめたのだ。

 息苦しい受験期の、ほんの気まぐれ。

 その程度の、軽い気持ちで。

 インターネットで検索してみた。

 シキメール。

 

 方法。

 深夜の二時から三時の間に、誰もいない場所で。

 自分の携帯電話から、送信先を自身のアドレスに指定してメールを送る。

 件名『シキ』として、文面の全くない空メールを送る。

 普通だったら、当たり前のように、自分のアドレスから空メールが届くはず。

 

 けれど、特定の人間に対しては……

 

 送信者が『死姫』となり、件名は『四期』となり、『わたしに、逢いたいの?』という文面が書かれます。

 自殺志願者。

 そういった人間には、『死姫』からのメールが届きます。そうして、その一度目を含めて全部で四回メールのやりとりを繰り返すと、『死姫』が現れて、苦しまずに、あの世に連れて行ってくれます。

 

 他愛もない都市伝説だ。

 決して、信じていたわけじゃないんだ。

 

 あれは確か、学校で模擬試験を返された日だった。

 散々な点数だった。

 同じ推薦高校を競うライバルには思い切り差をつけられて、勝ち誇ったように笑われた。その結果を母さんにこってりと絞られた。

 

 だから、その日の真夜中。

 なかなか寝付けなかった僕は、ふとその噂話を思い出して、試してみたのだった。

 枕元に置いてあった青い携帯電話に、手を伸ばす。

 暗い自分の部屋。

 ベッドに腰掛けて、携帯の画面の明りだけで、操作した。

 

 送信者『死姫』

 件名『四期』


『わたしに、逢いたいの?』

 

 

      ◇ 

 

 次の日、通学路を歩く僕は奇妙な気分だった。

 昨晩メールを受け取った僕は、思わず悲鳴を上げてしまった。

 両親が部屋のドアを叩いたけど、僕は『ゴキブリが出たんだ……』と、ベタな言い訳で誤魔化した。


 それでも両親が納得して、僕の部屋から離れていく気配をドア越しに確認してから。

 僕は、部屋の電気をつけてから。

 もう一度、携帯電話の画面を見直した。

 間違い、なかった。


 僕は、携帯電話を机の上に放り出して、ベッドに潜り込んだ。頭まで布団をひっかぶって、がたがた震えていた。

 それこそ、今すぐ『死姫』が迎えに来るんじゃないか。そんな、恐怖に駆られて。

 それでも、そのまま眠ってしまったらしく、何時の間にか朝になっていた。

 もやのかかる重い頭で、ベッドから這い出ると……昨日のことは、夢だったんじゃないか、と思えてくる。

 カーテンから差し込む朝の日差しとか、遠くに聞こえる小鳥のさえずりとかが、あまりにも日常過ぎて――そう、考えてしまった。

 それでも、恐る恐る携帯電話を確認した僕は、それが夢でも幻でもないことを思い知った。

 


 そうして、今。

 僕は、何時ものように通学路を歩いている。

 入り込んできた非日常を抱えて、日常を歩む自分に抱く奇妙な感情。

 真っ先に浮かんだ恐怖が薄れるに従って、そんな感覚が浮かび上がってくる。


 携帯の画面を見ながら、僕は少しだけ笑った。

 他の誰も決して持っていないような何かを、自分だけが知っている。そんな、優越感。  

 誰かに知らせたいけど、独り占めしたいとも思う、そんな矛盾だった。

 そんな思いに、とらわれていたせいで。


「うっす、こー君」


「え?」


 不意に肩を叩かれた僕は、反応が遅れてしまった。


「なーに、見てんのよ?」


 彼女に、携帯電話を覗き込まれてしまった。

 


「……あ?」


 声を上げるけれど、もう遅い。

 彼女は、僕の見ていたメールを映す画面をまじまじと見ていた。

 どちらかと言うと小柄な僕よりも、少し低いくらい。長い黒髪を、白いリボンで束ねたクラスメートの少女だった。


 名前は、水無瀬なつみ。

 水無瀬さんは、動揺する僕に向かって、眉をひそめた。


(……見られた!)


 恐怖にも似た混乱だった。理屈よりも、感情で、そう思った。知られては、いけないのだと。彼女から、『死姫』からメールが届いたその事実は、絶対に。


「あのさあ」


 背筋が凍りつく僕に、水無瀬さんは軽い調子で小さな溜め息をついた。


「こういうの、あまりよくないと思うな」


「……あ、その」


 小さな違和感を覚えるけれど、困惑する僕は、はっきりと認識できない。乱れた思考で、言い訳となる言葉を探す。


「面白半分でするのはどうかと思うよ。本当に、死姫からのメールがあったらどうするの?」



「……え?」



 構わず続ける彼女の言葉に、僕は耳を疑った。


「まあ、そんなことはないと思うけどさ……」


 彼女の言葉を思い出す。本当に、来たら? 確かに、水無瀬さんはそう言った。


「どうしたの?」


 呆然と立ち尽くす僕をどう思ったのか、水無瀬さんが怪訝そうな顔をする。


「……あ、いや」


 僕は、慌てて携帯電話の画面を見直す。

 送信者、『死姫』。

 件名、『四期』


 文面、『わたしに、逢いたいの?』


 確かに、そうなっている。


「あ、あのさ……」


 僕は恐る恐るといった感じで、その画面を彼女に見せた。


「何て、書いてあるかな?」


「は?」


「だからさ……このメールの送信者」


「え? 織本耕介ってなってるじゃない? 例のメール、やったんでしょ?」


「文面は?」


「……何も書いてないじゃない」


 ますます不可解そうな顔をする水無瀬さん。

 それとは逆に、僕はわかってきていた。

 

(水無瀬さんには、見えていない?)

 

 水無瀬さんには、送信者『織本耕介』となっていて、その文面も見えていないんだ。

『死姫』からのメールは、僕にしか見えないのだ。


「どうしたの?」


「え? ああ……ごめん。何でもないよ」


 僕はあいまいに笑って、携帯を胸ポケットにしまう。

 彼女の不審の目が、心配の色に変わった。


「勉強のしすぎなんじゃないの?」


「……うん、そうかもね」


 歩き出しながら、適当にあいづちを打っておく。


「あんまり、無理しないほうがいーよ」


 となりに並びながら、水無瀬さんが言ってきた。


「うん、そうだね……」


 それから、他愛のない話で盛り上がる。

 と、言うよりは。


「あ、でさー知ってる? こー君」


 ほとんど一方的に水無瀬さんが話していて、あいづちを打っているだけだったけれども。

 元気で明るい彼女に、僕は好意を持っているから。

 少しだけ、嬉しかった。

 


 昨日メールを送ったことを、少なからず後悔していた。

 でも、まだ一回だけなのだから。

 大丈夫だと、自分に言い聞かせていた。

 

       ◇

  

 空が、高くなる。

 夏の暑さが、掻き消えて、冬の寒さが少しずつ近付いてくる。

 十月も下旬を迎えるこの時期。

 受験生は、息苦しいほどの緊張に包まれる。乱暴に言えば、いくつもの教室は、全部が全部、小さな牢獄だ。


 無駄に大きいこの学校には、きっとたくさんの牢獄があるはずだ。

 そんなどうでもいいことを、ふと考える。

 それでも、本試験が来年になる一般の受験生はまだましじゃないかな、と思ってしまう。 そう。

 それこそ、来月に推薦の特別試験を受ける僕に比べれば。


「はあ……」


 気が重い。

 指導室を出た僕は、大きな溜め息をついた。

 教室まで、いつも通りの廊下が、やたらと長く感じられる。

 視線はほとんど、床に落ちていた。

 がっくりと項垂れているからだ。


 そりゃ、そうだ。

 うんざりするほど、昨晩も母親から聞かされた言葉を、またたっぷりと聞かされた。

 錯覚ではなく、頭が重い。のしかかる言葉が、きっとそうさせているに違いない。

 やれ、この時期にこんな点数などたるんでいる証拠だの。もっと気合を入れろ、だの。

 それから、

 

「D組の城阪に負けてもいいのかだと」

 

 一番聞きたくない言葉を、もう一度聞かされた。

 

 僕の気が重い理由のひとつが、これだった。

 城阪藤二。

 小学時代からの友達で、中学に入ってからも仲のよかった友人。

 そんな彼と、僕は今、ひとつの席をかけて争っている。いや、争わされている、といった方が正しいと思う。


 県下でも有数の進学校である望崎学園。その特別推薦候補として挙げられたのが、僕こと織本耕介と、その城阪藤二だったのだ。

 正直、僕は乗り気じゃなかった。

 気ままな校風の学校がよかったし、何よりも、友人と争うようなことはしたくなかった。

 ただ、そう思うのは僕だけだったらしくて。

 担任も。

 両親も。

 そして……


「よう、織本」


 その、友人さえも。

 乗り気になっていたらしい。

 僕ひとりを、置き去りにして。

 僕だけを、取り残して。

 


「やあ、城阪」


 立ち止まって片手を上げる僕に、城阪は意地悪そうに笑う。

 こいつは、こんな顔をする奴だったかな? そう思うと、哀しくなる。

 僕と城阪のとなりを、ひとりの男子生徒が素通りしていった。無関心に。

 それも、当然だろう。 

 僕の心中なんて、そんな程度だろうから。


「何だよ、絞られたのか?」


 わかっていて、全部わかっていながら、そんなことを言ってくる。込み上げてくる不快感をかみ殺して、僕は誤魔化すように笑った。


「あはは、まあね」


「まったく、しっかりしろよな。そんなんじゃ、張り合いねーぜ?」


 皮肉のたっぷりこもった言葉を残して、去っていく城阪。

 その背中に言い返せれば、少しは気が晴れるのだろうか。

 この鬱屈した胸のもやもやを、吐き出せるのだろうか。

 けれど、僕にそんなことはできなくて、


「頑張るよ」


 あいまいに笑いながら、そんな言葉を返すだけだった。そうして、城阪を背中に感じながら、重い足取りで歩き出した。

 苛立ちも、哀しみも、ただ押し殺す。

 どうして自分は、こんな場所にいるのだろうか、そんなことを考えながら。

 自分の中で、噛み殺す。

 


 その日……日付を超えた深夜。

 僕は、二度目のメールを送ってしまった。

 

『わたしに、逢いたいの?』

 

『逢いたいです』

 

『本当に?』

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