アオハル・アイスクリーム!

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

やっと追いついた、さあ走りだそう

「前時代的だが、おまえには許嫁がいる」


 その言葉を聞いたのは、確か子どもの頃。

 年号が変わる、ずっと前のことだった。


§§


 命令オーダーは単純。

 毎朝ガッコーに行く前、同じ時間にコンビニでお茶を買うこと。


 コンビニってのは飲食物が、だいたい店の左右か奥にある。なんでかってーと、客をできるだけ奥まで歩かせた方が、いろんな商品をアピールできるからだ。

 逆に言うと、お茶が陳列されている冷蔵庫からは、コンビニの入り口がよく見える。


 〝わ~い、お茶!〟と書かれたタンニン味の緑茶を引っ張り出しつつ、自分は入り口の方へそれとない視線を向ける。

 そろそろだ。

 そろそろのはずだ。


 来た。


 スポーツウェアの女の子だった。

 ポニーテールを結って、サンバイザーをかぶった、自分と同じぐらいの年の女の子。

 彼女はハミングしながら、コンビニに入ってくる。

 わかってる、まっすぐだ。

 ゴーストレート。

 いつだって彼女はまっすぐに、自分の隣までやってくる。


 息づかいが聞こえるぐらいの距離。

 彼女の額にふつふつと浮かぶ汗が見えるぐらいの距離。

 目の前に、彼女がいて。

 そして──


「あ」


 と声を上げるまもなく、離れていく。

 彼女の手には、一本のスポーツドリンク。


 それだけ。

 それだけだ。

 彼女の目的は、たったそれだけ。


 軽やかな足取りで、レジへと向かう彼女を横目に、自分は小さく息をつく。止めていたんだ、気がついたら。

 お会計を済ませた彼女と入れ違いに、お茶をレジへと乗せて。

 朝の忙しい時間、苛立ったように仕事をこなす店員さんへ代金を払い、お茶を受け取り。

 コンビニを出て、ガッコーに向かう。


 それがいつも通り。

 普段の通りで、日常の限り。


 けれどその日は、なにかが違った。


「ちょっと」


 声、かけられる。

 振り返る。

 スポーツウェアの彼女が、そこにいて。


 両目を見開く、心臓が跳ね上がる。

 なんで?

 どうして?

 わからない。

 わからないけど、彼女が目の前にいる。


 心臓が早鐘を打つ、うるさい、拍動がうるさい。黙れ、黙って、お願いだから。彼女の声が、聞こえないから。


「これ、あなたの落とし物でしょ?」


 差し出されたのは、お守りだった。

 ずいぶん昔、誰かに貰ってそれからずっと、ずっとずっと身につけてきた、そういうお守り。

 なんで。

 どうして彼女が、持っているのか。


「さっき、入り口で拾ったのよ。いつも見てたから、見慣れてたから、きっとおっちょこちょいなあなたが落としたんだろうなと思って。まったく、大事なものでしょ? 大切にしてちょうだい」


 疑問はすぐに氷解する。簡単なことだ。

 けれど、ここで新たな疑問がわいてくる。

 自分が毎日彼女を見ていたのだから、同じように彼女だって、自分のことを見知っているというのもあり得るだろう。

 けれど、自分は特別な思いで彼女を見ていたから覚えているのだ。

 なぜ、このひとは、自分などという端役を、記憶にとどめて──


「同じだからよ」


 なにが。


「……? ひょっとして知らないの? 気がついていないの? 私とあなた、同じガッコーに通ってるのよ?」


§§


 彼女は──彼女は言ったのだ。

 いともたやすく、これ以上なく明快に。

 明朗快活、誰よりも鮮やかに。


「ねえ、一緒に走らない?」


 その日から──正確には翌日から、自分は彼女と、毎朝走ることになった。

 まるで約束を果たすかのように、誘われるまま、自分は走った。


 朝に弱い自分が、低血圧に苦しみながら、いつもより90分も早起きして。

 寝間着から、彼女に選んで貰ったスポーツウェアに着替えて、荷物を抱えて家を出る。

 待ち合わせの場所は毎日違う。

 走るコースも、彼女任せ。


「おはよー」


 気安く気軽に手を上げ挨拶されて、自分もそれにぶきっちょに応じる。

 笑顔が硬いだとか、距離感があるだとか、丁寧語は傷つくとかよそよそしいと何考えてるのかわからないとか理解できるように話せとか……まあ、たくさん文句を言われて。

 ──そんなことがどうでもよくなるぐらい、毎日走った。


 早朝の町並み、朝日を照り返し、黄金に輝く海。

 高台へ駆け上がって、荒い息のまま丘の上、波打つ草原に寝転がって。

 他愛のないことで笑い。

 箸が転がるぐらいの些細さで喧嘩をして。


 それが、自分にはひどく眩しく、鮮やかで。

 恐ろしいほどの、健全な日常で。


 毎日が、死ぬほど平和で楽しくて、楽しくて、楽しくて仕方がなかったんだ。


 そうして。

 走り終えるといつだって、自分と彼女はコンビニに向かうのだ。

 まるで事前に取り決めたように、お茶とスポーツドリンク、それだけを買いに。


 だけれどその日は、彼女が違った。

 少しだけ、普段と違うことをしていた。


「新作、食べてみたかったのよね」


 アイスクリーム。

 甘くて冷たい氷菓をひとすくい。

 彼女はパクリと、その桜色の口唇へと運んで。


「ん~! あっまーい! つめたーい!」


 走り終えたあとの甘味は格別よね、なんて彼女は笑って。


「なによ」


 なにも。


「だから、なによ」


 本当に、なにも。


「……一口だけなら、わけたげる。あーん」


 差し出される、さじの上のアイス。

 そんなのは。

 そういうのは、反則だと思う。


「あーん、よ。早くしなさい」


 ……観念するしかない。自分はそっと、アイスを口にした。


「忘れてないわよ。ちゃんと、覚えてる。もう、冷たいものぐらいで、具合は悪くならないでしょ?」


 優しい顔で、そう言ったんだ。

 彼女の言葉は、運動のあとのアイスと同じぐらい、心身へと柔らかくしみこんで。


 自分は、意を決して問いかける。

 明日も、一緒に走ってもいいだろうかと。これかも、一緒でかまわないかと。


 彼女は面食らったように、一瞬目を丸くして。


「──ええ、末永く、幾久しく。一緒に走ってちょうだい」


 いたずらっぽい表情で。

 けれど心の底から楽しそうに、頬笑んでくれたのだ。

 

 だから、自分と彼女は、今日も一緒にガッコーへといく。走って、笑って、喧嘩をして。

 いつも通りに、何も変わらず。

 なにが起きて、何も変わらず。


 光のように時が過ぎ、齢をかさね、たとえ年号が変わったとしても。

 ただ純粋に、色鮮やかに。

 自分たちは、自分たちの青春を謳歌し、走り続ける。


 いつまでも、いつまでも。

 隣り合って、手を取り合って。


§§


「前時代的だが、おまえには許嫁がいる」


 その言葉を聞いたのは、確か子どもの頃。

 年号が変わる、ずっと前のことだった。


 実際に顔を合わせたのは、同い年の幼女。

 自分と彼女の前には、アイスクリーム。

 それを食べて、病弱な自分は気分が悪くなって。

 彼女と遊ぶ約束を、反故にしてしまって。


 それで、彼女は何を思ったのだろう。

 怒ったように、こう言ったのだ。


「いっしょにアイスも食べれない、かけっこもできない、そんななんてまっぴらごめんよ! せいぜいケンコーになってから、出直すのね!」


 そうして思いっきり、お守りを投げつけてきたのだ。

 健康祈願のお守りを。


 ……自分は、そのお守りをいまもずっと身につけている。


 二度も彼女と間を取り持ってくれた、この体を健康にしてくれた、大切なお守りを。

 一緒に走り続ける限り、身につけている。

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