95 私、……あなたみたいに人の気持ちに鈍感な人嫌いなんです




 ウィンターパーティーでのことを思い返していると、「篠原さん?」と心配そうに私の名前を呼ぶ声がして、ハッとする。



「……あなた、突然固まってしまったけれど、大丈夫? 気分が優れないの?」



 彼女──『綾小路桜子』さんの声で我に返り、私は顔をあげた。



「平気です。……少し、考え事をしていただけなので」

「そう? とにかく、無理はしないでね。本当に体調が悪かったら言ってちょうだい」



 心配して頂いているにもかかわらず、相手が彼女だからか、余計なお世話だとイラッとしてしまう。


 やはり気に入らない相手というものは、なにをしても気に入らないものだからだろうか。私の体の深い所に、彼女へのどうしようもない嫌悪感があるのがわかる。


 だって、結局この人は、恵まれてるから余裕なんだ。だからこんなふうに他人に優しくできる。



「さっき、あなたは言ったわよね? あなたやあなたの『元』婚約者の方に関して、様々な憶測や噂が飛び交っているけれど、それらはどれも間違っている、と。それは、本当?」

「はい、本当です。……詳細は言いたくないので飛ばしますが、実は私の方からこの婚約を解消したいと申し出たんですよ」

「……えっ!? わたくし、てっきり……」

「イツキの方から申し出たと?」



 私が振られたと思ったのだろうか。



「……えっと、その……ごめんなさい」



 どうやら図星のようだ。



「別に謝って頂かなくて結構ですよ。綾小路さんだけではありません。大半の人達はそう思っているでしょうから」



 事業が失敗した家の娘が婚約を解消したら、誰だってそのことが原因で相手から解消を言い渡されたのだと思うだろう。


 その思い込みのせいで、振られたのは私の方だと決めつけ私を腫れ物みたいに扱う人が多いけれど、今回の事だって、周りが思うよりもずっと傷付いていない。だって、自分の意思でそうしたのだから。



「ですから、余計な気を回していただかなくても平気です。私は彼に振られたショックで体調が悪いわけでも、落ち込んでいるわけでもありませんから」

「……てっきりわたくしは、あなたが『元』婚約者の方に振られたショックで自暴自棄になって、お金のために好きでもなんでもないシローに迫っているのかと……」

「いや、それこそもっとオブラートに包んでくださいよ。なんでさっきのは躊躇して、これははっきりストレートに言っちゃうんですか!」

「ご、ごめんなさい! ついポロッと……あなたが急にあまりにもズケズケ物を言うから、わたくしにも移ってしまったのかもしれないわね、あはは」



 いや、あははじゃありませんよ。その言い訳の方が酷いこと言っているって自覚あります?


 もしも相手が私でなく繊細なご令嬢だったら、きっと傷ついて泣き出すなり大変なことになっていたことだろう。


 これが意図的に行っているのなら、綾小路さんはあの名前も知らないご令嬢よりも皮肉がとてもお上手な方ということになるな。意図せずにやっていても、それはそれでタチが悪いけれど。



「じゃあ本当に……シローのことが好きってこと? そういうことに、なるわよね……? つまりは」



 まだ疑っているのか、前野さんへの気持ちを確認してくる。



「婚約者を失って傷心している時に優しくしてもらったんですよ? そんなお相手に、少しくらい好意を持っても、おかしいことではないと思いませんか?」



 これは全てが本当ではないけれど、嘘でもない。前半は本当だ。ウィンターパーティーでイツキとのことでご令嬢達に絡まれているところを助けてもらったし、相談にものってもらった。


 けれど、別に私は前野さんをそういう意味で好きというわけではない。だって、あれだけ他の人を一途に想っている人を次に好きになるなんて御免だ。不毛すぎる。私はもう、片想いはこりごりなのだ。



「……確かに、そうね! 邪推してごめんなさい!」



 一応カマをかけたつもりだったんだけど、またしても空振りだ。これで2度目。1度目は初めて彼女と話した時。


 2人が本当は婚約していないのは、前野さんから聞いて知っていた。つまり、わざわざ呼び出したのはそれを聞きたかったからではない。


 前野さんのこと本当はどう思っているのか、異性として意識しているのかを探りたかったからだ。


 あの時、一瞬頬を染めていた気がしたけれど、私に対して一切嫉妬している様子がなかったので、手応えとしては微妙だった。今回もそうだ。


 彼女が前野さんを嫌っていないのはわかる。それは断言できる。けれど、異性として意識しているか、と問われると、その答えはやはり微妙だった。



『……意識くらいはしてもらいたいけどな』



 そう言った前野さんに力になると申し出たのは自分だ。誰に強要されたわけでもない。こんなに素敵な人に、こんなに想われて、異性として意識しない人がいるわけない。そう思ったから。


 だって、もしその相手が私だったら……──私だったらどんなに嬉しいことか。



「……人って、ここまで鈍感になれるものなんですかね……」

「え、何が?」

「いいえ、気にしないでください。独り言です」

「あらそうだったの? わかったわ、気にしないわね」



 いや、あなたは少しは気にした方がいいと思いますよ? と喉元まででかかったが、一応家柄も年齢も上の方なので、必死に止めた。



 問題は、彼女が、私の想像よりも鈍感だったこと。


 そもそもこの人、前野さんの好意に全く気づいていない。


 ……多分、よっぽど幸福に暮らしてきたんだと思う。色んな人から大切にされてきたから、前野さんに大切にされても何も感じないんだ。むしろ当たり前のように感じてしまうんだ。私とは全く違う。育ってきた環境も、──家柄も。



「わたくし、その……あなたの『元』婚約者の方──って言い方はあまり良くないわね。確か、イツキくん……? 彼は、あなたのことまだ好きなように見えたんだけど……篠原さんがシローのこと好きなら、一方通行ね」



 彼女から発せられる見当違いな話に、自分の表情がどんどん険しくなっていくのを感じた。



「それはあり得ません」



 眉をひそめながら、私はきっぱりと言い切った。



「あれだけわかりやすく、他人から好意を寄せられても、全く気づかない綾小路さんにはわからないかもしれませんが……」



 私どうしたんだろう、こんな意地悪言って。さっきのは綾小路さんにとっては、きっと何気ない言葉だったはず。深い意味はない。


 それなのに、彼女に悪気がないのはわかっているはずなのに、かなり意地の悪いことを言ってしまう。



「イツキは別に、私のことをそういう意味で好きじゃなかったと思いますよ」

「直接彼の口から聞いたの?」

「いいえ、でもわかるんです」



 ──彼と私の想いが等しくないということは。



「直接聞いてないのなら不確かだわ。あなたが勝手にそう思ってしまっただけ、という可能性も……」

「……私が思い込みの激しい女だとでも言いたいんですか?」

「え!? ち、違うの! そんなつもりじゃなくて……わたくしは、誤解があるかもしれないのなら、きちんとイツキくんと話すべきだと……そう思って……」



 彼女の言葉を素直に受け止められるほど、私は愚かではない。現実を知ってしまっている。


 でも、もしそうだったら、どんなに良かっただろう。これは私の思い込みで、うちはイツキの家に資金援助なんかしてなくて──そんな家柄も対等な関係だったら、どんなに良かったことか。


 けれど、現実はおとぎ話のように美しいだけではないから。


 だからそんな希望を、無闇に持たせないで欲しい。期待させないでほしい。だって彼は、もう私とは関係のない人になってしまったのだから。



「さっきのご令嬢と親しげだったのも、別に心変わりしたんじゃないと思うのよ。だから──」

「──もう結構です。……何もわかっていないあなたに、わかったようなことを言われるのは耐えられません」



 そんな優しさはいらない、と私は首を横に振った。何も知らないくせに勝手なこと言うな、と言外に込めながら。



「というか……ハッキリ言って、あなたには関係ありませんよね? イツキが私をどう思っていようと、私が前野さんとどんな関係になろうと」

「そ、それは……!」

「もし私が前野さんのことを利用しようと、それも別にあなたには関係ありませんよね? だってあなたは別に前野さんの婚約者でもなんでもないんですし」

「なっ……! 確かにわたくしはシローの婚約者ではないけれど……」



 ないけれど、何なのだろう。可愛らしいそのお顔で憤慨されても何も怖くない。



「よくわかってるじゃありませんか。そうですよ、婚約者でもないあなたには関係ないんですよ。……そう、──あなたと同じ様に、婚約を解消した今、彼がどこへ行っても、誰を好きになっても、とやかく言って繋ぎ止める権利なんて、私にはないんです」



 もう彼は私のものじゃない。というか、元々私のものではなかったのよね。だから、彼がどこへ行っても、誰を好きになっても、繋ぎ止める権利なんて、私には元々なかったんだ。


 きちんと話せばどうにかなるとでも? それこそ、不確かじゃないか。だって、彼と私はもう既に別の人生を歩んでいるのだから。世の中にはどうしようもないこともあるって、このお姫様にはわからないのかしら? でも現実はそう簡単にいかないから、みんな悩んでるんだ。少なくとも私は。



「……あなた、やっぱりまだ……」

「私のことより、ご自分のことはどうなんですか? 前野さんが元気がないのあなたが原因ですよね? 私の心配なんかよりも、そちらをどうにかした方がいいんじゃないですか?」

「いや、そうしたいけれど、シローがわたくしのことを避けているから……」

「前野さんのせいにするおつもりですか? 信じられない……」

「誤解よ! シローのせいだなんて、そんなつもりは……!」

「では一体どういうおつもりで? ウィンターパーティーの時は雅様を、今は私を。あなたっていつも前野さんのことは後回しなんですね。前野さんなら蔑ろにしても構わないと?」

「蔑ろだなんて……」

「実際そうじゃないですか。あなた……前野さんのことなんだと思っているんですか?」



 人の気持ちを何だと思ってるのだろうか。相手に好かれているからって、何を言っても、何をしても許される訳じゃないわ。


 前野さんなら、傷つかないとでも、思っているのだろうか。学校主催のパーティーで、パートナーにほったらかしにされて、平気だったとでも思っているのだろうか。独りで心細くなかったと、思っているのだろうか。



『あ〜あ……。今年は、去年とは何かが違う気がしてたんだけどな〜……。少しは男として見てもらえてるのかも、なんて期待もしてた。でも実際は、そんなこと全くなくて。俺ばっかり好きで、意識なんて全然して貰えなくて……どうしたらもっとこっち向いてもらえるのか、いつも考えてる』



 彼にあんな顔をさせたのは、あなただというのに……! それに気がつきもせず、他人の心配ばかりして……本当お目出度い人!



「鈍感なあなたに対して、言葉を選んでたらいつまでもわかって頂けないようなのでハッキリ申し上げますが、私、……あなたみたいに人の気持ちに鈍感な人嫌いなんです。大切にされていることを当然だと思って、それは決して当たり前じゃないって気付けない人も」



 さすがに、鈍感なこの人でもここまでハッキリ嫌いと言われれば傷付いただろうか。だけど、これが私の本音。



「……わたくしの言ったことが、なにかあなたの気に障ったなら……ごめんなさい。でもね、篠原さん。彼の気持ちを決めつけるのは早すぎるわ。まずはイツキくんから話を聞きましょう。それからあなたの思っていることを彼に──」

「……そういう考え方も、あるでしょうね」

「……え、ええ!」



 綾小路さんは、私が彼女の提案に賛同したと思ったのか、嬉しそうに頷く。



「貴重なご意見とご提案、ありがとうございます。せっかくですが、カウンセリングは結構です、間に合ってますので」

「……でも、」

「初めて会った日に言いましたよね? 忘れてしまったのなら、もう一度言って差し上げましょうか。私の考えを理解出来ずとも、せめて私の邪魔だけはしないでくださいね」



 意識せずとも、冷たい声が出た。正直死ぬほど余計なお世話だ。



 彼女と私とでは生き方も価値観も違う。お互い決して分かり合うことはできないのだ。このままこの話を続けても、きっと議論は平行線だろう。



 私は席から立ち上がり、「あなたと私は違いますから。失礼」とだけ言い、サロンの一室から立ち去った。


 決して彼女の方を振り向かないようにしていたから、彼女がどんな顔をして私を見送っていたのかはわからない。


 ──ああ、言いたい事を言った筈なのに、全くスッキリしない。


 前野さんに話を聞いてもらってからは、イツキとのことを根掘り葉掘り聞かれても、いくら嫌味を言われても、どこか平気で受け流せていた。それなのに、私は何をこんなムキに……。


 

 サロンの廊下を歩きながら、これからのことを考える。



 心の中には、小さなしこりが確実に残っている。それでも、日々は変わらず過ぎていくのだ。


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