94 私の方から婚約を解消したいと申し出たんですよ
前野さんの想い人への愚痴はとめどなく続いた。彼がヤケ食いに至った理由は、その想い人の方が気分が悪い友人を心配して別室に付き添ったからだったようだ。
つまり、パートナーの前野さんは置いてけぼり。
友達想いなのは彼女の長所であるしとても好きだけれど、今日くらいは自分を優先して欲しかったと、惚気なのか愚痴なのかわからない内容を吐露していた。
「あーースッキリした」
話し切った彼は、本当に気分が晴れたように見えた。
「聞いてもらってよかったよ。なんていうかカウンセリングみたいにさ、第三者に話すことで少し気持ち整理できたって感じするしな」
「なら、良かったです」
私に聞いてもらったからスッキリしたように言ってくれたけど、それだけじゃない気がする。
さっきも私の見ている前で、彼はあっという間に新たに持ってきたひと皿も平らげていたし。単に好物のスイーツをたくさん摂取して元気がでただけな気がする。
それでも、話を聞けてよかったなって思った。なんていうか、新鮮だった。これにつきる。
「そんで、篠原は?」
「え?」
「話あるなら聞くけど?」
「………………」
「……え、俺そこまで覚悟のいるようなこと、要求してないような気がするんだけど」
思わず、言葉に詰まってしまった。
普通の女の子ならば、こういった話に耐性があるだろう。しかし私はあまり耐性がないのだ。
以前クラスメイト何人かとそういった話になった時に、皆の話を黙って聞いていたら、「しのちゃんはこういう話あんまり興味ないんだ」と勘違いされてしまった。イツキとのことを聞かれた時も照れくさくて何も言えなかったことが、より拍車をかけたようだ。
本当はこういう話を聞くのまったく苦手ではないというのに! むしろ好きだし!
しかし、世の中ギブアンドテイク。大して提供する内容のない私は、再びその輪に入ることを諦めたのだけれど。
でも、そうか……。まさか自分が前野さんに話すことになるとは想定していなかった。前野さん、他人の恋愛話なんて退屈だって言ってたし。ただ聞いて欲しいだけなのかと思ってたから。
「あー……迷惑だったか? だから黙ってる?」
「あ……そ……そんなつもりじゃ……」
「悪い、別に君を困らせるつもりはなかったんだ。俺が君に話してスッキリしたように、君も俺に話せば少しは楽になるかなと思っただけで……話したくないなら無理に聞かないさ」
「すみません、わからないんです……こんなこと、人に話したことなくて、ですね……」
イツキとのことを話すのが恥ずかしいのも本当だ。けれど、
こんなこと、誰かに言ってどうなるんだって、言わない事がいつの間にか当たり前になっていた。だから、急にその機会に恵まれても上手く言葉が出てこない。
「……話してもしょうがないことなんです」
「そんな寂しいこと言うなよ。どうしてそんなこと言うんだ?」
「だって、私が何を言ったところで、……この状況が変わるわけでも、……相手の気持ちが変わるわけでも、ないじゃないですか。……だから、そういうのを別にいちいち言わないだけです」
話しているうちに、視線がどんどん下がってしまう。本心のはずなのに、どこか後ろめたさを感じてしまうのはどうしてだろう? 前野さんには、全て見透かされているように感じるからだろうか?
「今まで誰にも話したことないくせに、話す前から意味ないって決めつけるのは、ちょっと早急すぎねえか? わかんないだろ、そんなの」
「それは……」
「俺もさ、去年まではそうだった。だから君の気持ちも何となくわかるんだ。誰にも言わず、自分の気持ちと向き合うこともしなかった。でも、それじゃあいつまでも前に進めないんだ……」
……前に、進めない。ずっとこの気持ちを抱えて生きていくのか。それは、嫌だなと思った。だって、私は、辛くて苦しくて、進みたかったからこの道を選択したのに。
「話しても、理解して貰えるかどうか……」
「その判断はこっちがする。上手く話せなくてもいいさ。君が今思っていることを、そのまま俺に聞かせてくれ」
こんな風に、求められると、応じたくなる。
誰も分かってくれない。ずっとそう思っていた。そうやって独り嘆きながら、膝を抱えて、悲劇のヒロインぶっていた。──分かって貰おうとしたことなんて、1度もないくせに。
1度くらい、誰かに分かってもらう努力をしたって、いいんじゃないだろうか。そして、もしそうするのなら、相手はこの人が良いと思った。
「あらかじめ誤解のないように言っておきますが、そもそもこれは……私の蒔いた種なんです」
私は何でもないことのように言って、彼に笑いかけ、なんとか言葉を絞り出した。
***
「私は、初めて彼と引き合わされた時から、将来彼と結婚するのだと教えられました。両家のためにも、そうする必要があると。私は幼かったですし、思慮も浅かったので、そうなのかとすぐに納得してしまったんです、──愚かにも」
そう、とても愚かだったから。深く考えることもせず受容した。けれども、とても幸福だった。無知だからこそ、純粋に彼との時間を楽しく過ごせたのだと、今なら思える。
「彼は私にとても優しくしてくれましたし、私もそんな彼に懐きました。そして、いずれ添う相手だと、幼いながら信じていました」
初めて『彼』を両親から紹介された時、どんな人だろうってわくわくしたけど、意地悪な人だったらどうしようという不安も同じくらいあった。
だけど、実際『彼』に会ってみたら、とても優しくて、私はすぐに『彼』のことが大好きになった。
私がどんなワガママを言っても、『彼』は笑顔でそれを叶えてくれた。『彼』に私の全部が許されているような気がして──私はその優しい時間が好きだった。
「彼も同様に私のことを想ってくれているというのが、……3年前までの私の見立てでした」
「……でも、それは違った?」
「ええ……そう、仰る通り、違ったんです」
お世辞にも上手いとは言えない私の説明でも、前野さんはすぐに察してくださった。きっと読解力が高いのだろう。
「この学園に入学してすぐに、『家柄』というものを知りました。そしてこの学園では、その『家柄』というものの良さが重視されているとも」
彼は前野さんほどではないけれど家柄の良い方で、私の家はお世辞にも良いとは言えなかった。この学園に入学するまで、そんなことも、私は知らなかった。
「先程のご令嬢に絡まれるのは、実はあれが初めてではないんです。3年前、初めて声をかけられた日に言われたんです、私とイツキは釣り合ってないって」
「……それは、かなりひどいな」
「はい、初めは私もそう思いました。なんてひどいことを言うんだろうって。とても腹が立ちました。そして、腹が立った私は、その話をつい両親にしてしまったんです。──それが事の始まりです」
思えば、それがよくなかったのかもしれない。あの時感情に任せて両親にそんな話をしなければ、今も何も知らず幸せだったかもしれないのに。
「両親はなんて……?」
「丁寧に私と彼の家柄の違いについて教えてくれました。……うちは、所謂『成金』だったんですよ。そして、彼は名家のご長男。本来なら釣り合わない関係なんだって言われました。この婚約は、私の家が毎年一定の金額を彼の家に支援していたから成り立っていたんです」
前野さんは目を見開いて、驚いていた。そしてそのまま何も言わず、私を凝視していた。
「……つまり、あのご令嬢の言っていたことは、あながち外れていなかったんです。そう、……間違っていなかったんです。確かに私とイツキでは釣り合わない」
「……でも、そんなの本人達さえ良ければ関係ねえだろ」
「……ええ、初めは私もそう思いました。彼が私を想っていてくれるのなら、そんなこと気にしないって」
イツキも私を想っていてくれるのなら、と私はけっこう頑張った。『成金』だからってバカにされないように勉強だって手を抜かなかったし、ただでさえ『成金』というディスアドバンテージがある分、他に何か少しでも弱みを見せないように常に気を張っていた。今思えば涙ぐるしい努力だ。
──そんな時だった。あいりと出会ったのは。
「あそこにいる2人組の男女、わかります?」
「あのグレーのスーツとピンク色のドレスのカップルか?」
「……あれが私の『元』婚約者のイツキと彼の幼なじみのあいりです。あいりも彼と並ぶくらいの名家のご令嬢で……初めて2人が一緒にいるところを見た時、ああ、これが本来あるべき姿だったのだろうと、確信めいたものを感じてしまったんです」
……あれ、あれ? 私、本当にこのままイツキの隣にいていいの? そこにいるべきは、彼女ではないの?
自覚してしまったら、止まらなかった。
そんな違和感は、ゆっくりと、しかし確実に形になっていった。
彼の隣で微笑む彼女はとても自然で、無理をしてまで彼の隣に居座る私はとても不自然だった。
「気づいたんです。彼はとても私に優しかったけれど……それは、私を想っていてくれているからではなく、私が資金援助をしてくれる家の娘だったからなんだって。それなのに、私は勝手に彼も自分と同じ気持ちだと思い込んで……恥ずかしいです、穴があったら入りたいくらい」
ああ、資金援助をしてくれる家の娘であれば、相手は誰でも構わなかったのだろう、イツキは。そう、私じゃなくても。そのことに気づけなかった、自分がすごく恥ずかしかった。
「だからといって、蔑ろにされた事はありませんし、婚約者として大切にされているのも感じてました。……でも、それでも、私は、ずっと怖かったんです」
私は手が震えているのを感じ、それを隠すようにギュッとを強く握りしめ、胸元に両手をおいた。
「君は……何がそんなに怖かったんだ?」
「……婚約者として利用価値のある内は、大切にしてくれるでしょう。でも、いつか私の家が没落して資金不足になったら、どうなるんだろうって……私はそれが、本当に、本当に、恐ろしくて、不安で眠れない夜もあったくらいで……」
そんな時、元々家同士も交流があったあいりとイツキは、私との婚約がなければ、将来一緒になれる可能性は決して低くなかったと知ってしまった。
──それでも、今は自分が婚約者なのだから、と、私が気にしない人間ならば良かったのかもしれないけれど。残念ながら、私は真実を知ってしまっても平気でいられるほど、強い人間ではなかった。
……知ってしまったら、もう頑張れなくなってしまった。
だって、こんな素敵な女の子から彼を奪ってしまったのだから、もっと頑張らなくちゃいけないわ。……でも、頑張るって、どうやって? 今だって私なりに精一杯頑張っているのに、私は……これ以上頑張らなくてはいけないの?
……まるで、先の見えない階段を全力で駆け上がっているみたいだ。上っても上っても最上階にたどり着くことがない、果てしない階段。
こんな風に、彼の隣にいるためには、これから先もずっと一生懸命頑張り続けなければいけないんだ……でも、いったい、それはいつまで続くのだろうか。
「早くこんな苦しみから解放してほしいって、いっそ彼との婚約を解消したいって、神様にお願いしました。そうしたら、家の事業が失敗してお金がなくなってしまって、本当に彼との婚約が危うくなりました」
「……
「……いいえ、むしろその逆です。彼の両親は、婚約はこのままでいいと言ってくれました。そして、そんな優しさを突っぱねたのが、この私です」
神様がくださったこんな幸運、きっともう2度とない。それに、彼のためにもこの選択をする以外私には考えられなかった。
解消したいとイツキに言った時、彼はしばらく黙り込んでから、ただ一言、『わかった』と言った。それが彼と交わした最後の会話だった。
別に引き止めて欲しかったわけじゃなかったけれど、そんなあっさりとした返事が欲しかったわけでもなかった。
やっぱり資金援助もできないただの女の子になっちゃった私はもうイツキには必要ないのだと、まざまざと思い知らされたような気がして、胸がギュッと締め付けられた。
「
──私は、そうすることでしか、自分を守れなかったから。
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