41 わたくし、失恋したんですわっ!



 書き途中の申請用紙片手に、私はいつものテラスへ向かう。いつもと違うのは、メンバーが私と黄泉と前野くんと桜子ちゃんってこと。後は木村先生から託されたこのプリントの山。


 初めての男の子の友人──前野くんが、すぐに持ってくれようとしたんだけど、私と1番親しい男の子の友人が是非にと立候補してくれたので、ここまでは彼が私の代わりにプリントを運んでくれた。



「それで? どうして教えてくれなかったの? 2人が婚約してたなんて、わたくし初めて知ったわ」



 テラスでいつもの席を確保してから早速本題に入り、私の正面に座る桜子ちゃんに問い詰める。教えて欲しかったと思うのは私のわがままだろうか?


 だって、知っていたら、全力で応援したし、キューピットになったのに。……悲しいことに、葵ちゃん曰く、それは余計なことらしいけど。


 いつも親友って言ってくれていた桜子ちゃんが、今までずっと前野くんとのことを隠してたなんて……。そんなに私は信用ないのかなぁ?



「……違うのよ、雅ちゃんっ。わたくし達は婚約はしてないの。ただの『許嫁』なのよ」

「さっきからなんなの~? 『婚約者』も、『許嫁』も、同じじゃない~?」

「俺もそう思う。桜子がこだわり過ぎなんだよ」

「シローまで! 全然違いますわっ!」



 うん、さすが黄泉。そこは私も気になっていた。


 さっきから何度も桜子ちゃんは『婚約者』と『許嫁』の意味を分けて考えているように見える。だけど、正直私にもその違いがわからない。


 ……親同士が勝手に結婚の約束をした相手ってことなら、どちらでも同じじゃない?



「……では、黄泉様。婚約していながら他の方を好きになることは許されると思いますか?」

「当然、許されないでしょ、そんなこと」



 黄泉の言葉を聞き、少しだけ、ゲーム内の『一条青葉』と『立花雅』のことを思い出す。


 ……彼はルートによってはヒロインを好きになるけれど、きっとそこには誰にも想像出来ない、ううん、彼にしかわかり得ない葛藤があったと思うの。


 少なくとも、ゲーム内の『一条青葉』は合理的で、理性的で、倫理に反したことは決してしない優しい王子様だったから。


 だけど、婚約していながら他の方を好きになるなんて、そんなこと。……通常あってはならないことで、当然許されないことだ。たとえどんな理由があったとしても。


 だからその点においては、私も全面的に黄泉に同意だ。



「その通りですわ。ですが『許嫁』は親同士が勝手に決めた結婚相手なだけですので、婚約をしていないわたくしとシローは、お互い誰に責められるでもなく、自由に、どなたとでも、お付き合いすることが出来るんですわ」



 なるほどね、そういうことか。黄泉はまだ分からなそうに戸惑っているけれど、私は少しだけ理解した。


 婚約は民法に全く規定が設けられていないけれど、男女間の将来的な婚姻についての契約だ。もちろん、そこに法的効力は発生する。


 もし正当な理由なく破棄した場合には、相手方は債務不履行あるいは不法行為として損害賠償を負わなければならなくなる。けれども、『許嫁』の場合はそんなことにはならない。


 『許嫁』は契約を行っているわけではないから、破棄なんて言わないしね。婚約は破棄って言うけれど。



「……なるほどね。許嫁と婚約者の違いはわかったわ。それで、前野くんの『許嫁・・』の桜子ちゃん。あなたはどうしてそれをわたくし達に秘密にしていたんですか?」

「……たんですわ」

「え?」

「わたくし、失恋したんですわっ!」

「……はあ?」



 よ、黄泉! その言葉遣いと顔! せっかくの美人さんがそんな顔しては台無しよ! 気持ちはわかるけど……。


 私達に隠してた理由が、失恋って……どういうこと?



「……わたくし、初めて好きになった人に、許嫁がいるから無理だって、そう言われたんです」



 瞳をうるうるさせながら、桜子ちゃんは語り始める。



「当時4歳だったわたくしは、お母様からシローと許嫁になるということは、ただ家族になることだと教えられました」



 なんかはじまったってボソリとつぶやくの止めてくれないかな、黄泉。こっちは真剣に桜子ちゃんの話を聞きたいのに笑いそうになるじゃないか!



「シローは昔から家族のようなものでしたから、『許嫁』になる──そのこと自体は別に構わなかったんです。ですがそのせいでわたくしは振られた」

「……前野くんと『許嫁』だったから?」

「ええ、そうです! わたくしは……そんなこと、耐えられなかったっ! わたくし自身がダメならまだ納得出来ます。けれど、ただ『許嫁』がいるというだけで、好きな人に振り向いて貰えないなんて……そんなことっ」



 涙が零れる前に、彼女の許嫁がサッとハンカチを差し出す。息ぴったりの2人の連携プレイに、思わずおぉっと感嘆の声を漏らしてしまう。さすが許嫁コンビ。やっぱりお似合いだよ。


 前野くんにお礼を言い、そのハンカチで涙を拭ってから、再び彼女の語りは再会される。



「だからそれからはシローとのことは秘密にしてきたんです。雅ちゃんにも、もちろん葵ちゃんにも。……ごめんなさい、隠してたことは謝りますわ」

「……そうだったんだ。ううん、わたくしこそごめんなさい、責めるような言い方して」



 そっかそっか、そんなことがあったのね。今度こそ誤解されずに好きな人と結ばれるといいね。でも、それこそ前野くんを好きになればいいのに。そうしたら全てが上手く……。そこまで考えてあることに気がつく。



「……ん? でも、それって……もし他の人を好きになって、その人に好きになって貰って、そしたらその後は? 前野くんはどうするの?」

「俺は別に桜子が良いならそいつと婚約すればいいと思ってる。俺のことは気にせず好きに生きて欲しい」

「もし綾小路さんに、そんな人が現れなかったら? 前野はどうするつもり~?」

「そしたら桜子と婚約するよ」



 桜子もそれでいいって言ってくれてるしね、とそれはまるで他人事のように、ごくごくあっさりとした口調で、告げられた。



「……えっと、前野くんは、自分の許嫁が、……桜子ちゃんが、他の人を好きになるのは平気なんですか? 嫌じゃないんですか?」

「別に? むしろ嬉しいよ。将来俺達が婚約したら両親はすごく喜んでくれると思うけどさ、無理強いはしたくないよね」



 なんてことだ。葵ちゃんの言うとおり、どうやら本当に私には見る目がないらしい。

 私は本当に前野くんと桜子ちゃんはすごくお似合いだと思った。ううん、厳密には今だってそう思ってる。だけど2人の話を聞く限り、桜子ちゃんは他の殿方との恋愛、しいては婚約を望み、前野くんに至っては今までの桜子ちゃんの恋愛相談を全て聞き、協力までする始末だ。もちろん、そこに嫉妬なんて一欠片も感じられなかった。



「それに今わたくしとっても気になっている方がいてねっ」



 自分の見る目のなさにしょんぼりしている私を他所に、彼女は頬を上気させながら、目をキラキラさせて、今度はその人のことを話し出す。残念ながら、実行委員だから当日は忙しいとダンスのペアは断られてしまったらしいけれど、桜子ちゃんはまだ彼とのダンスを諦めていないらしい。


 そんな桜子ちゃんの話す殿方にほんの少しでもやきもちを焼いたりしていないかなぁ、なんて、淡い期待を抱きながら私は前野くんの方を横目でちらりと見たけれど、案の定彼は平気そうな顔して笑いながら相槌を打ってた。そんな彼を黄泉だけは疑わしげに見つめていたけれど、この時の私はそれに気づくことはなかった。




***




 結局、昼休みギリギリまで桜子ちゃんの恋バナを聞いていた。そろそろ互いの教室に戻ろうと席を立った時、机の上に置かれていた紙が1枚私の足元に落ちた。



「悪い、立花。それ俺たちのペア申請書だ」

「大切な書類なんですから、なくさないようにしてくださいよ」



 私は椅子から立ち上がり、地面に落ちた用紙を拾い上げる。前野くんに渡す前に軽く砂ぼこりをはたいたら、予期せぬ文字がそこに。



「……白い、狼? 『白』?」

「そうそう。それが俺の名前。変わってるだろ? 白い狼って書いて『白狼しろう』って読むんだよ」

「…………嘘でしょ」

「ん? 立花? おーい! 聞こえてるかあ?」

「……前野くんが、『白』?」



 待って待って。落ち着いてもう1度そこに記載された文字を確認する。見間違いであってほしかったけれど、変わらずそこには『前野白狼』の文字が。


 だって、シローって普通『史郎』とか『四郎』とか『士郎』とかじゃない?


 まさか『白狼』だなんて誰が思う?


 突然現れた2人目の『白』に、私はその場で暫くフリーズしていた。

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