42 マナー、教養、そしてダンスよ
せっかくの習い事のない休日に、何故か私は自宅で黄泉とダンスの猛特訓を行っていた。
「ほら~、またズレた~! どうして途中でワンテンポズレるのかなあ~?」
無茶言わないで欲しい。自慢じゃないがダンスは前世からずっと苦手なんだ。ダンスパーティーの前に少し練習したくらいでどうにかなるレベルじゃないのだ。
「……雅、姿勢はいいんだからさ~。あとは動きなんだよねぇ~」
「昔に比べたら、これでもよくなった方よ……」
昔というのは私の前世のこと。高校の文化祭で、みんなで踊るダンスが、どれだけ苦痛だったか黄泉にわかるか?
本気で踊っているのに「ちゃんと踊ってよ」とか、「練習してこなかったの?」とか言われるんだよ?
したわ! 毎日、必死で、大勢の人の前で恥をかかないように!
しまいには「……なんか、盆踊りみたいだね」って言われる始末。ポップでキュートなアイドルグループの曲で1人盆踊りって。それ以来、ダンスというものへの苦手意識が高まった。
「これじゃあ前野といい勝負だよ」
「あそこは桜子ちゃんが上手だから前野くんも安心ね」
この前、前野くんの名前が白狼だと知った時は、「白川くんの他にも白候補が!?」なんて驚いたけれど。常識的に考えてそれはありえないという結論に私の中でいたった。
…………だって、あの前野くんだよ?
確かに誰とでも別け隔てないし、優しいし、男女問わずクラスの人気者だし。人間的魅力で溢れてるとは思う。
でもさ、青葉、黄泉、赤也と、他の攻略キャラと比べてさ、圧倒的に華がないんだよね。ごめんなさい、私が言うなって感じだよね。
誤解しないで頂きたいのは彼らがものすごく華がありすぎるだけで、前野くんにないわけじゃないのだ。むしろ一般的にある方だと思う。それこそ、私なんかよりもずっと。
確か、あの乙女ゲームのパッケージは、攻略キャラ4人が横並びになっていたけれど、みんな同じくらいキラキラして、遜色なかったはずだ。……白の顔は思い出せないけれど。
そう考えると前野くんが白にしては少々見劣り(またしても失礼な言い方)してしまう気がしてならないのだ。
……ん? 待って。その原理でいくと白川くんだってそうだ。
うーん、だとしたら白は一体?
少し考えてから、今考えても結論は出ないと思いすぐに切り替えた。
白のことよりも、今は何より……休みたい!
「黄泉、そろそろ休憩にしませんか」
「え、もう? 少しだけだからね~?」
黄泉はまだまだやれそうだが、そろそろ私が限界だった。
私の家の中庭でダンスの練習をしてからもう2時間は経っている。
一昔前の部活じゃないんだから、水分補給や休憩はこまめに入れて欲しい。
ちょうど中庭の近くに屋根の付いたテラスがある。
私は黄泉にアフタヌーンの準備をしてくることを告げ、足早に中庭を去った。
もちろん、ほとんどの支度は使用人がやってくれるが、茶葉とそれに合うケーキだけはいつも自分で選んでいた。
今日は何にしよう。さっき黄泉が来たことを喜んだお父様がシェフに何か作らせてたし、それを見てから茶葉を選ぼうかしら?
「あら、雅さん。お久しぶりね」
考え事をしながら歩く私は,近くに人がいることに、声をかけられるまで気づかなかった。
「お、伯母様。……いらしてたんですね」
「あら、私が来ると貴方に何か不都合でも?」
「いえ、そんな、まさか」
チラリと伯母の隣りで小さくなっているお父様を見る。
伯母様が来るなら先に言って欲しいと目で訴えると、僕も知らなかったんだと訴え返された。
昔からお父様は姉である伯母様に敵わない。毎度のことながら、来る前には連絡してくれと言っただろうと、お父様もおそらく注意はしただろうが、この女王様がそれを素直に聞きいれるわけがない。
きっと次回もアポなしでいらっしゃるのだろうと、伯母様の横暴な態度に少しだけ呆れる。
「近々麗氷でダンスパーティーが行われるそうね」
「ええ、でもどうしてそれを?」
「やだわ、私も麗氷の卒業生よ? 2年連続ベストカップルもとったんだから」
ベストカップルというのは、原則申請していたカップルの中から選ばれる、その日最も注目を集めたペアのことをいう。
例外として、ペアを当日に申請したり、独り身同士で踊っていた人達も選ばれることがあるが、あくまで例外。
受賞したカップルのほとんどは学園公認の婚約者同士。
伯母様も今の旦那様、つまりは当時の婚約者とダンスパーティーに参加し賞をとったということだろう。伯母様は昔からダンスがお上手だったから、うん、納得だ。
「さっき少し見たけれど、雅さん……貴方ダンスは相変わらずなのね」
2時間ずっと練習していたんだ。その間、伯母様が中庭にいる私を目撃していても、何らおかしいことはない。
「……姉さんっ」
「いいから、貴方は黙ってなさい。私は雅さんと話しているの」
ここで何か一言でも余計なことを言えば、火に油を注ぐことになると、私もお父様も経験上知っていた。
「覚えてる? 私が貴方に教えた、立花家の令嬢として身につけるべきもの3つを」
もちろん覚えています。昔から耳に胼胝ができるくらい伯母様から聞いたもの。
あの頃は、今よりも伯母様のことが苦手じゃなかったし、仲も良かった。
それに、娘がいない伯母様は私のことを実の娘のように可愛がってくれたし、私もそんな伯母様のことが大好きだった。
「マナー、教養、そしてダンスよ」
ダンス、を強調するように伯母様は述べる。そう、ダンスだ。あの頃から伯母様の態度が一変した。
「マナーと教養はまだしも、ダンスがこのザマじゃ、立花家の令嬢としては未熟で半端すぎるわ」
立花家の令嬢としては半端な出来損ない。
それが伯母様が下した私の評価だった。
前世の記憶が戻ってから、令嬢として様々なマナーや教養を私はすぐに覚えたし、それを苦に思ったことはなかった。
そんな私に誰もが期待していた。中でも伯母様は特に。
この子は自分以上の素晴らしい令嬢になるって。そう、疑いもせず、伯母様は期待していた。
だからまさか、そんな私がダンスがこんなにも出来ないだなんて、思いもしなかったのだろう。
冷静に考えれば、マナーや教養が出来るからってダンスも出来るだなんて、そこに因果関係はない。
それでも伯母様は何度も何度も根気よく私のダンスレッスンに付き合ってくれた。雅さんなら出来るわって。
けれども、私のダンススキルはそう簡単には上達なんてせず。厳しいレッスンと伯母様からの過度な期待が辛くって。出来ない自分自身が不甲斐なくて。つい衝動的に両親やお兄様に辛いと泣きついて弱音を吐いてしまった。
そして、幼い子どもが泣くほど厳しいレッスンを行う伯母様のことを、この時ばかりはお父様も強く非難した。また、もうこのレッスンは、娘には必要ないものだと両親は判断した。
翌日、泣いてスッキリとした頭で、私が伯母様の元へ向かおうとすると、もう無理してダンスレッスンはしなくていいと両親に言われた。
まさか、自分の発言がこんな結果をもたらすなんて思っても見なかった私は、直接伯母様の元へ会いに行った。
伯母様から両親に説得して貰おうと思ったからだ。けれども、伯母様からの返事は否。
『貴方には無理よ』
『わ、わたくし、できますわっ!』
『私とのレッスンは泣くほど苦しかったんでしょう? ごめんなさいね、気づいてあげられなくて』
『そ、それは……』
『貴方には──』
あの日と同じ、すごく辛そうな顔をして、再び伯母様は言う。
「久しぶりに会って少しは成長しているかと期待したけれど、残念だわ。私の期待外れだったみたい」
『貴方には、がっかりしたわ。期待外れね』
あの日の伯母様と今の伯母様の姿が重なる。
つい最近も、こんなことを、誰かに言われた気がする。そう少し考えてから、すぐさま思いつく。
そうだ、『一条青葉』だ。あの日の青葉は、大好きだった伯母様と重なった。だから胸がズキズキと痛んだのだ。
『正直がっかりしたよ』
ああ、いつもなら、伯母様に何を言われても気にならないのに、どうして今日はこんなにも心がざわつくのだろう。ましてや、どうして今彼の顔を思い出すのだろう。
「せいぜい恥をかかない程度に頑張ることね」
おへその少し上の当たりがキュッとして、嫌なものが溜まるみたいに気持ち悪くなる。
私が俯いて黙っている間に、興味が私から他のものに移ったらしく、伯母様はそのままお父様と一緒にリビングへ去って行った。
「雅? 遅かったけど、どうかしたの?」
「…………黄泉」
結局私はお菓子も茶葉も選ぶことなく手ぶらで黄泉も元へ戻った。
待たせてしまった上に手ぶらだなんて、黄泉には申し訳ないことをしたと罪悪感でいっぱいになる。
いつもならこんなことしないんだけど、またいつ伯母様と遭遇するかわからないこの家をウロウロする気にはなれなくて。使用人に適当に選んで持ってきて貰うことにした。
「大丈夫?」
「どうして? わたくしは平気よ」
本当は平気じゃない。だけど、それを認めてしまえば、私はきっと動けなくなるから。だから気づかないふりをする。
「だって雅、あの時と同じ顔してる」
「……あの時?」
「オレが車の中で、青葉と会った日のことを聞いた時と、同じ顔。今、あの時と同じ顔してるだもん」
まるで私の考えていることがわかるかのように、妙に鋭い黄泉に思わず目を見張る。
「……それは、どんな顔?」
「平気じゃない顔。それから、すごく傷ついている顔」
くしゃくしゃと撫でた割に、彼の手付きはとても優しかった。迷子でひとりぼっちの子どもをあやす様に、彼は私に触れる。
「誰かに何か言われたの?」
話すつもりなんてなかったのに、その手付きに私は少しだけ素直になってしまう。
「伯母様がいらしてたの。つまり、お父様のお姉様ね? それで、わたくしのダンスをご覧になって、相変わらず上達していなくて、……がっかりさせちゃったみたい。わたくしは未熟で半端で、期待外れですって」
「何それ」
今度は眉をひそめて不機嫌に。コロコロと表情を変えていく彼が面白くて、失礼だとは思ったけれどクスリと笑ってしまう。
慌てて謝ろうとしたけれど、「やっと笑った」と微笑まれてしまっては、完全に謝るタイミングを逃してしまう。
それからすぐに伯母様に対しての怒りがふつふつと込み上げて来たのか、再び許せないと黄泉はカンカンに。
「でもね、伯母様も、率直な物言いで誤解されやすいけど、決して悪い人ではないのよ。言ってることだって間違っていないし」
そう、伯母様の言っていることは間違っていない。
伯母様は未熟な私を熱心に指導してくれたのに、私は彼女の期待に応えられなかった。
彼女は私にすごくすごく期待してくれたから、その分落胆が大きかった。ただそれだけのこと。どっちが悪いとかじゃない。
「本当にわたくしは平気なのよ」
「平気なわけないでしょ」
いつものヘラヘラした顔ではなく、真剣な眼差しの黄泉にドキリとしてしまう。
「勝手に期待されて、勝手にがっかりされて。それで平気な人間なんている? 傷ついて当たり前でしょ」
涙が流れるのは何とか我慢したけれど、鼻の奥がツンとして、目の奥が熱くなる感覚はきっと幻じゃない。
そうよ、私、本当は全然平気なんかじゃなかったの。
だけど、言えなかった。
たとえ傷ついたとしても、そんなこと、誰にも言えなかったのよ。
自分は平気だ、大丈夫。そう思い込んで、言い聞かせては、自分を騙してきた。
だって、私が辛いって弱音を吐いたから。だから伯母様は、自分のレッスンのせいで私を苦しめたと傷ついた。
瑠璃ちゃんだって、あの日泣いていた。自分のせいで私が傷ついたって、だから自分が悪いって自身を責めてた。
そんな彼女に私は何て言えば良かった?
そうね、確かに私は深く傷ついたけれど、あなたは自分を責めないで、って?
そんなこと言ったら、瑠璃ちゃんはきっともっと自分を責める。
そうして、涙を流し続けるのだろう。
それは嫌だ。
彼女のそんな姿は見たくない。
言わなかったのは、もう誰の傷つく顔も見たくなかったから。
誰かが私のせいで傷ついたり心を痛めたり、辛い思いをするのは嫌なの。それが大切な人なら尚更。
大好きな人達が悲しむ姿も見たくない。
だから気づかれないようにしてきたし、平気なフリをしていたのに、黄泉に見透かされて少しだけ嬉しいと思ってしまう自分がいることは事実で。ああ、自分の心が難解すぎる。
「それに、ダンスの上達は今からでも間に合うと思わない?」
「……今から?」
「そ、勉強は出来ないけど、ダンスだけは得意なんだよね~、オレ」
知ってる? ダンス上達の近道はね、上手い人とたくさん踊ることなんだ。
目の前の美少年は、イタズラを思いついた子どものように、ニヤニヤしながらとても楽しそうにそう言った。
オレがリードを頑張るから、キミはそのままでいいんだよ、といつもみたいにヘラヘラ笑った彼の言葉は優しさで満ちていた。
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