5 よし、今日から表情筋をマッサージしますか



 ミニケーキをお兄様が丁寧に半分に切り分けて行く。お兄様、器用だなあ。私がやったら、スポンジがぐにゅってなったり、タルト生地が粉々になっただろう。良かった、切り分けはお兄様に任せて。


 でも今後切り分ける機会がいつなん時あるかわからないしな。深窓の令嬢である『立花雅』が食べ物も上手く切れないなんて、……ダメだ、カッコ悪すぎる。……うん、綺麗な切り分けが出来るように密かに練習しておこう。




「つまり雅はその将来的に絶対に関わりたくない人が困ってるのを見過ごせないと……」

「そうなんです!」


 相談といっても、さすがにお兄様に全てを話せる訳もなく、私はざっとい摘んで話した。一応相手が『有栖川赤也』であることは伝えていない。



 『有栖川赤也』は母からも父からも愛されなかったと思っているが、それは真実とは異なる。


 元々身体の弱かった彼の母は、赤也を産んですぐに亡くなってしまう。


 そのことを使用人達が話しているのを聞いた赤也は、父が自分に冷たいのは自分を憎んでいるからではと思い込んでしまう。


 そうしている内に、母親さえも自分を産んだことを後悔していたのではと考えるようになる。


 ──そんな時出会った『立花雅』は自分が家族になると言い、彼を優しく包み込み、たくさんたくさん愛情を注ぐのだ。


 しかし、実際は彼の母は心から赤也を愛していたし、愛していたからこそ自らの生命をかけて出産したのだ。そうして産まれた赤ちゃんを、2人の愛の結晶を、父親が憎むはずがなかった。



 そう、全ては勘違いだったのだ。



 赤也がそのことに気がつくのはヒロインである『結城桃子』に出会うことによってなんだけど、とりあえず今は置いておこう。



 今問題にすべきなのは『立花雅』についてだ。



『有栖川くんの言っていた“好きになってはいけない人”って、もしかして雅様ですか?』

『…………あぁ、そうだ。僕は姉さんのことが、ずっとずっと好きなんだ。例え婚約者がいたとしても』

『……雅様、すっごくお綺麗ですもんね』

『姉さんは確かに綺麗だけど、見た目は関係ないよ。母を亡くして父も冷たくて、独りぼっちで1番辛かった時に傍にいてくれたんだ……姉さんほど優しい人見たことないよ』



 苦しむ幼馴染を優しさで救うなんて、彼女の行動は一見聖母のようであるけれど、私からすればただの対症療法にすぎない。


 慰めて傍にいるだけ。根本的な解決にはならない。


 出会って1年に満たない『結城桃子』が気づいたんだ。それなのに、彼女が本当のことに気づかないはずがない。


 だから、私は『立花雅』は何らかの理由で、全てをわかっているのにあえて黙っていたのではないかと思ってる。いや、確信さえしている。


 ……もっと早く修復出来たんだ、あの2人は。それをあえてしなかった。そんな『立花雅』に激しく苛立ちを覚えるけれど、現状私だって見て見ぬ振りをしているだけで、彼女よりタチが悪いのかもしれない。


 だって、私には優しくするだけして放っておくことも、最後まで優しくし続けることもできないもの。そんな無責任なこと、できないわ。


 私は本当の意味で『立花雅』になんかなれないのよ。



 そんなことを独り考えていちごのタルトを頬張る。いちごの甘酸っぱい酸味と弾ける果汁が生クリームとカスタードクリームによくマッチしている。うん、美味しい。


「……別に放っておけばいいんじゃない?」


 雅に害がある訳じゃないんでしょとお兄様は続ける。確かに、そう、私に利も害もない。そもそも有栖川親子の問題で、私は部外者だ。

 

「解決できるかもしれない問題を見て見ぬ振りをするのは……正しいことなのでしょうか?」


 だって、私は知ってるんだ、その正解を。ゲーム当初では絡みに絡まった2人の糸を、今ならまだ解き直せるかもしれないんだ。


「……本当、我が妹はおせっかいであらせられる」

「……わたくしが? おせっかい?」


 思わず目をパチパチさせる。……私がおせっかい? そんな言葉、常に自分のことしか考えない利己的な私にはほど遠い言葉すぎて、一瞬理解が追いつかなかった。


「だってそうだろ? 自分の将来のためにも関わりたくない人間なんかのために、自ら危険をおかそうとしている。これをおせっかいと言わずしてなんと言うんだ?」


 そのままお兄様はショートケーキを一口詰め込む。よっぽど美味しいのか、美味しいから雅も食べてみてと笑顔で促される。



 いや、今私めちゃくちゃシリアスな話をしていたのに、お兄様呑気すぎます! そしてとってもマイペース!



「……あ、本当だ。美味しい、です」

「だろ?」


 先程のいちごタルトとは異なる品種のいちごを使っているのか、今度のはめちゃくちゃ甘い。下手したら砂糖よりも甘いよ、このいちごちゃん。


「雅はさ、悩んでるふりしてるだけで、本当はもう自分の中で答えが出てるんだよ。本当は助けたいんでしょ? ならそうすればいいよ。それにこのいちごと同じでさ、こうだと思った物と全く違う味の可能性があるだろ? 食べてみないと答えはわからない。世の中には絶対なんてないんだからな」

「……いいんでしょうか? わたくしがそうすることによって、お兄様達家族にもご迷惑がかかるかもしれないんですよ?」


 エンディングによっては立花家は『立花雅』のせいで没落する。私のせいで、家族が大変な思いをするかもしれないのだ。


「え! 雅、本当何する気だよ。言いたくないなら無理に聞かないけど、そこまで言われると気になるな」


 ごめんなさい、お兄様。本当のことは誰にも言えないの。無理に聞かないお兄様に少しホッとする。今回しつこく聞かれなかったのは、お兄様なりに察してくれているのかな。本当に聞かれたくないこととそうでないこと。


 あからさまにホッとした私にお兄様はクスクス笑う。……もしかして顔に出てたかしら? なんて、そんなことないか。だって『立花雅』は元々感情表現が豊かな子じゃないものね。私としてはもう少し感情表現をしていいと思うの。よし、今日から表情筋をマッサージしますか。


「それにさ、今これだけうじうじ悩んでるんだから、今やらなかったら結局後で後悔するのは雅だよ? これは『かもしれない』じゃない、絶対だって言いきれる。だったらとりあえずやってみればいいし、まだ5歳の雅に出来ることなんて高が知れているんだから、独りで解決出来るとも限らないしね」

「……っ!」

「初めから独りで抱え込んでやろうとしないで、ちゃんと僕を頼るんだよ?」



 お、お兄様ぁぁぁ〜~!!



 本日何度お兄様にときめいたかわからない。よく出来たお兄様すぎるよ、私のお兄様は! 私のことをおせっかいって言うけど、お兄様のがおせっかいだと思うわ。ありがとうお兄様!


 大事なことを忘れていた。ここは確かにあの乙女ゲームの世界だけど、そのままな訳なかったんだ。


 現に、『立花雅』は家族とは親しくなかったけれど、私は違うもの。だからそもそも『有栖川赤也』だって抱えている物は異なるかもしれないんだ。ああ、解決出来るとか、答えを知ってるとか、息巻いていた自分が恥ずかしい。


「……わたくし恥ずかしいです、おごりたかぶっていましたわ」

「雅、いつそんな難しい言葉覚えたの?」

「…………この前お父様が言ってましたわ」


 た、確かに、驕り高ぶるは5歳児の使う言葉ではないかもしれないぃぃ〜〜! 私ったらそういう配慮に欠けてたわ! 今度から気を付けよう……。


「お兄様、お話聞いて下さりありがとうございます! なんだかすっきりしましたわ!」

「ははは、解決したみたいで良かったよ」

「お兄様のおかげです! また、一緒にどこか行きましょうね」

「……うん、そうだね」


 ちょっ、お兄様! そんなに髪をわしゃわしゃしないで下さい! 髪がくしゃくしゃに……! ……あれ、デジャブ?




***




「おかえりなさいませ、雅様、優様」

「ただいま」


 お兄様と一緒に帰宅したら、いつものドライバーさんがいそいそとやってきた。いつも一緒に帰宅するからなんだか新鮮だ。


「あなたでしょう? お兄様にあの店を教えたのは」


 静かに驚いてから、ドライバーさんはお兄様を見る。お兄様は僕は何も言ってないよと笑顔でかわす。


 ええ、そうですね。お兄様は何も告げ口なんてしてないわ。この様子だとどうやら口止めされていたようね。


 さっき思い出したのだけど、私がまだ記憶を思い出す前に、あのお店から出てくる人達を見て、いいなぁ……と零したことがある。


 本当に無意識に呟かれたそれは、小さすぎて空気にとけて消えた。きっとドライバーさんにも聞こえてないんだろうなって思ってた。だけど違ったみたい。


「……申し訳ございません」

「どうして謝るの? あなたのおかげでわたくしとっても楽しい時間を過ごせたわ」

「そうですか」


 あの頃は今よりもドライバーさんと親しくなかった。今よりもずっと『立花雅』らしくて、送迎中はただただ窓の外を眺めてた。


 時々仲の良さそうな恋人や家族を見ては羨んで落ち込んでたっけ。


 そうだ、あの時も本当はあそこから出てきた家族がすごく幸せそうで、私もあそこへ行ったら同じように幸せになれるんじゃないかと思ったんだ。


 実際今日はとっても楽しかった。多忙な両親は余り遊びには連れて行ってはくれないし、あんなふうにお兄様と2人っきりで外食したのは初めてだった。お父様達の仕事がひと段落したら、今度は2人も誘うかな?



「……でもそうね、1つだけ不満があったわ」

「……何か不備がございましたか?」

「だって、あなたがいないじゃない。わたくしのドライバーさんはあなたでしょ? お兄様のドライバーさんもお話がお上手で楽しかったけれど、やっぱりわたくしはあなたがいいわ」

「雅お嬢様……」

「だから明日は今日の分もたっくさんお話を聞いてちょうだいね?」

「……ええ、かしこまりました」


 そんな私達の会話を聞いて、お兄様のドライバーさんは振られちゃいましたとおどけていた。そんな彼をドライバーさんは軽く小突いてたけど、少しだけ頬が赤かったのは私の気のせいじゃないと信じたいなあ。



 後でしった話だけど、ドライバーさん達兄弟だったらしい。仲良いなあとは思ったけれど、まさかの兄弟か!



 私が言うのもなんだけど、全く似てない兄弟だ!



 ドライバーさんに安心するのってやっぱり兄気質だからかな。うん、すっごく納得。お兄様と同じで、こう、頼りになる感じが。


 そうすると、やっぱり下の子って甘えたりおしゃべりな人が多いのかしら。……ん? ということは私もおしゃべりってこと?


 いやいやいや! お兄様のドライバーさんほどではないでしょ! 以前の私ほど寡黙ではないけれど、おしゃべりでもないわよね?



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