第150話 言葉にした思い

今度もまた、状況を変えたのは師匠だった。

「おやめ。」

が、その声はあの渋みのある老賢者ラト師匠のそれではなく、より耳に馴染んだミリア師匠の声だった。

見れば、師匠が私の横に立って肩に手を置いている。

ここに来て、私は師匠が姿を変えていることも、横に立っていることにも気付いていなかったことを自覚する。

そしてこの言葉。

何を止めるというのか。

「ルーク、まずは落ち着きな。」

幾度となく聞いた師匠の声。

その言葉に、私は自分が冷静でなかったことを認め、魔力を操作する。

間をおかずに修業の成果が現れた。

顔に集まる魔力を外に出ない物に揃えることに成功する。


すると、ゼルバギウス家当主の表情に変化が現れた。

苦しそうな顔が緩む。吐き気が止まったのだろう。

急いで砂の器を作ろうとするが、すかさず当主は口の中のものを飲み込んだ。

嘔吐物といえば言葉は悪いが、胃液とはそれなりに強力な酸性の液体だ。

それを吐き出すことなく飲み込んだのは、罪滅ぼしのつもりだろうかと考えるのは、飛躍してしまっているだろうか。


それにしても、と。

私は自分自身を振り返る。

もし師匠に止められていなければ。

つまり、あのままであれば私はきっと目の前の男性を殺していただろう。

そう思う程度には、私は冷静さを欠いていたようだ。

それを止めてくれたのは他ならぬ師匠。

その師匠が口を開く。

「まあ、なんだい。落ち着いて話をするとしようか。」

その師匠の言葉に、当主は初めてその存在に気づいたかのように目を見開いた。

「あ、貴女はいったい?」

その言葉に師匠が答える。

「儂の名はミリア。ワドール帝国にて、皇帝陛下のお手伝いをしている物じゃよ。お主に見せていたラトの姿も別に嘘というわけじゃないがね。ミリアラトテプル。改めてお見知り置きを。ゼルバギウス辺境伯閣下。」

そして、自分の説明を終えたあと、私に視線を向けながら続ける。

「でだ、改めていうがこの男はルーク。儂の弟子じゃ。」

私の名前が出たことで、気を取り直したのか、当主は私の顔へと目線を向ける。

しかし、もう吐き出すことはなく、その目に映るのは。

後悔、なのだろうか。

「ラト殿。いや、ミリア殿と言うべきだろうか。先程も言った通り、その男は私の息子かもしれない。いや、その顔を見て確信した。ルークよ。」

そう言って、頭を下げる。

「私たちが悪かった。どうか戻ってきてはくれないだろうか」

それを見て、しかし私に言える言葉はない。

ないのだが、しかしいつも師匠の助け舟に甘えるわけにはいかないだろうと、私の口を開くのだった。

「どうか落ち着いてくださいませ。私がこの家のご子息だなと、ご冗談でも言うべきではございません。」

そしてこれをはっきりさせておくべきだろう。

「そして、そのお話が本当であれ嘘であれ。私には既に私の人生がございます。どうか、その方のことはお忘れになるのがよろしいかと。」


思えばこれは、私にとってゼルバギウス家との離別を宣言した初めての言葉かもしれない。

もとより捨てられた身。繋がりなどなく、私の心にも未練さえ残ってはいなかったが。

改めてそれを口にした時に感じた胸の痛みから、私は目を逸らすのだった。

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