最終話 フジのせい
~ 五月三十一日(金)
万事、解決 ~
フジの花言葉 佳客
春の金曜日という一日はどこか浮ついて。
土日では足りない行楽を。
娘の目を盗んでこっそりフライング。
目に青葉。
薫る風。
日差しは既に。
チリチリと肌にしみ込んで。
五月、春。
その最終日。
呑気な午後を急ぐのは。
ほうと幸せな息をつくたびに減っていく湯飲みだけ。
台所と店先とを行ったり来たり。
もう何度目の往復なのやら。
そんな浮つく金曜日。
日向に黒いシルエット。
「あら、暑い中いらっしゃい」
「ああ。……また、顔を見に来た」
「顔なんか見れないでしょうに。……話ならできるけどね?」
「……まあ、な」
スーツの男が店先の女性に渡した菓子包み。
センスも気配りもない、駅前でいつも見かける菓子屋の紙袋。
そして男は。
もう五度、六度となる敷居を越えて。
いや。
かつて幾度となく歩いた廊下を渡り。
勝手に家の奥へと入っていった。
――高く澄んだ音色が一つ。
ふわり漂う線香の香りに乗って。
真っ青に抜けた空の先へ届けられると。
まるで、返事をするように。
早起きしたヒメハルゼミが。
ぎいおぎいおと鳴きだした。
……夏が来る。
最後になるかもしれない。
あの子とのひととせ。
たったの四ページ。
桜色の一枚目を破ると。
青い、二枚目のページが顔を出す。
……夏が。
来る。
~🌹~🌹~🌹~
「……バカな男だ」
エプロンで、目元を押さえていた女性に。
敷居に腰かけて、革靴に足を通す男がつぶやいた。
いつもの言葉。
いつもなら、否定する言葉。
でも今日は。
浮ついた午後だから。
女性はため息に乗せて。
胸に溜まった砂埃を吐き出した。
「そうね。私を一人ぼっちにさせるなんて」
「……そうだな」
「よし! 飲むか!」
「いや。私は酒を飲まんのだが」
「つまんない男ね。……さすが、あの人の友達だわ」
この女性が苦手なのか。
はたまた。
この女性の前に立つと素直になるのか。
男は申し訳なさそうに。
少し照れくさそうにこめかみを掻くと。
店内に並んだ花に目を向けた。
銘柄など分からない。
自分が綺麗と思う品が、妻や娘の趣味と合うとも思えない。
貰っても迷惑。
あげる機会も頭が痛い。
男にとって、意味もなく。
かえって苦痛でしかない品々。
「……花の香りは、嫌いではないのだが。こう混ざっては頭が痛い」
「あら、いい鼻を持ってるのね。花屋に向いてるかもよ?」
「冗談ではない。仮に仕事で触れる機会があったとしても部下に任せる」
「学校の先生なのに部下?」
「……教師とて、ビジネスだ」
「やめなさいよそんな考え方。子供を預けたくないわ?」
さすが、あいつが選んだ女性だ。
同じことを言う。
一昨日訪れた母校。
夢を語ったのは、屋上だったか。
かつては下らないと一蹴した言葉を。
時を越えて、再び耳にしたことを。
男は喜び。
そして疎ましく感じていた。
反論するのもバカバカしい正論。
現実を見ない、緩み切った意見。
「……そんなことを言ったあいつも私の忠告を聞かずに、成功が約束された道を捨てて、無謀な道を選んだのだ。……バカな男だ」
「まあね。でも、そんな人だから。私もあなたも、いつまでたっても好きなんじゃないかしら」
女性は屈託のない笑顔を浮かべながら空を見上げると。
両手で湯吞を柔らかく包み。
それを薬指で、かちりと鳴らした。
返事に窮した男性は。
いとまを告げる手立てを辺りに探すことしかできず、店のなかを見渡す。
すると。
かつて、夜通し好みの女性について熱く語った勉強部屋に。
間違いなくあった、ひょっとこの木目を見つけて。
常に固く結んだ口元を。
珍しくほころばせた。
「……唯一、褒めてやるところがあるとするなら。あいつの女性を見る目は間違っていなかったというところか」
「あら。お褒めの言葉、ありがとね?」
「……あなたに言ったのではない」
「なに言ってるのよ。だからありがとって言ったんじゃない」
やはり、この人はどうにも苦手だ。
胸に仕舞って、後は捨てるばかりだったおもちゃ箱を。
再び手に取るような心地にさせられる。
そんな人に。
寂しい思いをさせるなんて。
「……バカな男だ」
男はつぶやくと。
いつものように、銘柄も知らぬ花を一つ手に取り。
その香りを、古い記憶の中で探すのだった。
~🌹~🌹~🌹~
「だから、晩御飯は! かつ丼なの!」
「そこまでなのです!」
「バターカレー!」
「ええい、しつこいのです!」
「バーニャカウダ!」
春の金曜日という一日はどこか浮ついて。
幼馴染の口喧嘩も、近所迷惑を気にせず響き渡る。
「あら、帰ってきたみたい」
それを耳にしたエプロンの女性はいつものように。
満面に笑みを浮かべて。
店先へ顔を出すために立ち上がった。
「……たしか、勝手口から裏路地へ出ることができたな」
「さすが、このぼろ屋が新築の時代から知ってる人ね。……会ってかないの?」
女性が振り返ると。
男は既に高い敷居に上り。
先ほど買った花と共に。
革靴を手に提げていた。
「大学の教え子から聞いたのだが、彼は私に頭を下げさせようとしているらしいのだよ」
「いいじゃない。道久君が言うなら、あなたが悪いことしたんでしょ?」
「バカを言うな。……娘に頭を下げるなど、情けないことができるか」
「自分を尊敬してもらいたいなら、間違っていることは謝らなきゃいけないものよ?」
……やはり、この女性は苦手だ。
あいつと同じことばかり言う。
その都度、自分の小ささを目の当たりにすることになって。
こうして背筋が丸くなるのだ。
男は観念したようにかぶりを振ると。
反論されることが分かっているのに。
諭されることが分かっているのに。
いや、まるで。
そうしてもらいたいかのように呟いた。
「私は……、娘の幸せな将来を望んでそうしただけだ」
「いやいや、お嬢さんにかまいたいだけなんでしょ? 寂しがりやなのね、男のくせに」
「…………それの、何が悪い」
ああ、高校時代。
俺の、いつもの逃げ口上。
これを口にする度。
あいつは、いつも。
……そう、あなたと同じように。
困った奴だと言わんばかりの。
苦笑いを浮かべたものだ。
~🌹~🌹~🌹~
「ただいまなの! あ! 駅前の羊羹!」
「ふっふっふ! これを食べたくば、ママにすりすりしなさい!」
まったく、この人は。
「べたべたしたいなら、羊羮なんかで釣らなくても、そう言えばいいのです」
「恥ずかしがり屋だからね! 女子だから!」
「そもそも、年中べたべたし過ぎです」
「寂しがり屋だからね、女子だから!」
なにが女子ですか。
まあ、言動だけは子供みたいですけどね。
そして穂咲とドッキングすると。
ずっと放したくないとばかりに。
べたべたすりすりごーろごろ。
このパターンは、またあれですか。
「……母ちゃんに、牛丼は五人前だと伝えてきます」
「助かるの」
「ご馳走様!」
まったく。
ご飯も作らずに甘えたままとか。
とんだ子供です。
ため息を連れて、店先から空を仰げば。
セミの声が耳に届く。
時は流れているのですから。
いい加減、成長しなさいな。
「セミです。春も、もう終わりですね」
「そうよ~! だからべたべたするのよ~!」
「……呆れた理屈ですが許しましょう。夏になったら暑っ苦しくて、そんなにべたべたできませんし」
セミに負けない、仲良し親子のはしゃぎ声。
ぎーおぎーお。
まままままま。
ほっちゃんほっちゃん。
俺はなんとも騒がしい三重奏に呆れながら。
再び、抜けるような青空を見上げました。
いよいよ来ますね。
最後の夏が。
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 21冊目🏀
おしまい♪
……
…………
………………
さて、大きなイベントも終わり。
いよいよ本格的に、将来の事を考えないと。
でも、悩んで悩んで。
結局、それっぽい仕事に妥協しそうな気がします。
それなら別に、スタイリストでもいいわけですし。
お花屋さんでも、お花農家でも。
あるいはワンコ・バーガーの店員でも構いません。
そう考えると。
結局どんな仕事でも構わなくて。
……そしてどんな仕事でも構わないと考えると。
どんな仕事も。
結局、なりたいものではなさそうで。
ごはん前にお風呂に入って。
下だけパジャマ姿で汗を拭きながら。
ぼけっと、いつもの堂々巡りに陥っていたら。
玄関を力いっぱい開けながら。
驚くほどの剣幕で穂咲が飛び込んできました。
「大変なの! すぐ来るの!」
「え? どこに?」
「グズグズ言わないの!」
「ちょっ……、ま、待って! 俺の格好見てから腕を引いて!」
「問答無用なの!」
……そして俺は。
下はパジャマ。
上はシャネルの五番という格好のまま。
おばさんのバンに投げ込まれたのでした。
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 22冊目は
2019年6月3日(月)より開始予定。
はたして、何が大変なのか!?
作者は、一番大変なのは道久の格好だと思うぞ!
どうぞお楽しみに!
「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 21冊目🏀 如月 仁成 @hitomi_aki
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