4-5 「早く卒業しようね」
神聖帝国はガーラ教国の一地方が独立した国家だ。ガーラは聖職者が治める国で、皇帝を始め国家の要職は皆、神に仕える者で占められていた。絶対的存在を崇める一神教で、異なる宗派、異教、異文化に対しては過度に攻撃的だった。
その支配を不服とし、世俗権力の王達が立ち上がった。急激な拡張で内部に空洞を抱えていたガーラは、独立を防ぐことが出来なかった。仕方なく、東国の支配権を容認する代わりに、宗主国として振る舞うことにした。
独立した地方も、ガーラを相手に全面決戦は望んでいない。東部では強大なロムリア帝国と接し、内乱の隙に乗じてファルティウスを奪取されていた。二大国に挟まれた彼らは、ガーラからの完全独立は目指さず、自治権を認められた属領としての地位に甘んじるつもりでいた。
しかし時代が下るにつれ、両者の戦いが激しくなっていく。ことあるごとに宗主権を振りかざす教皇に、反発が強まっていく。時が経つほどにガーラは疲弊し、自治領は勢力を拡大していったにもかかわらず、ガーラの態度は硬化するばかりだった。
あるいはだからこそ、ガーラ教皇は焦り、征服を望んだのかも知れない。敵を増やし続ける政策の限界に目を向けるより、かつての栄光を取り戻すことを望んだ。神授王権を盾に取り、自治領の支配者に王冠を授けることを拒んだ。
自治領といえども、国教はガーラ教だった。国内にも、教皇の意思を重んじる者は無数にいた。ガーラ教に従えば、教皇は神の言葉を伝える者。神の代弁者。そして、人界の王は神から与えられる職務だった。
これは教皇からの最後通告だ。王としての職務を与えないということは、自治領を解体し、再び支配下に戻すことを意味する。それに背けばガーラ教の信徒達の統制は取りづらくなるだろう。
時の王は、公式には王の後継者は、そのときを以て独立を宣言した。ロムリア帝国の力も衰えてきた今ならば、二大国の狭間でも生き残れる。ここで誕生したのが神聖帝国だった。
教皇と対等の格付けを欲した王は、皇帝を名乗った。そして国号を神聖帝国とすることで、教皇からの干渉を拒絶した。我が国は神聖である。それはこの帝国が、神の祝福を受けているが故にである。ならばどうして、この上さらに教皇から聖別され、教皇から冠を受け取る必要があるのだろうか。
教皇が振りかざした神授王権説に泥を投げつけて黙らせるための方便が、神聖帝国という名前だった。
このあたりの歴史的事情は、ロムリアの学者、為政者は当然のように把握している。魔王アルベルトももちろんだ。エリスですら、本で読んだことがあった。
だから、ガーラの工作員達が語った物語は、真実のように思われた。だとすれば、イルルスで行われていた謀略は、まさしく国家の命運を左右しうるものだった。
ガーラ人達は戦争での勝利を望んでいた。神聖帝国との戦いで優位に立つために、その戦力の分散を画策した。それが、神聖帝国とロムリア帝国の戦争だ。両者が戦えば、それだけガーラ方面の軍勢が手薄になる。
そのために目をつけたのがベネディットだった。神官でもあり、才知に富み、魔王に対する恨みも抱えている。資金供与を行い、徐々に仲間を増やさせた。第二王子の側近にまで出世させ、イルルスの神殿勢力を掌握させた。後はいつでも事が起き次第、まずはイルルス、次いで各地で神官を動かせば、内乱はより大規模なものとなる。
ランカプールがアルフレッドを擁して謀反の準備に入っていることは察知していた。数年のうちに時は来る。準備を進めながら待った。事は予定通りに運んでいた。
だが、重大な誤算があった。戦士の誇りという概念を持たないガーラ人には、アルフレッドの愛国心が見抜けなかった。謀反の失敗を悟ったからと言って、自ら進んで死を選ぶことは想定になかった。
ガーラの工作員にとっても、ベネディットにとっても、ヴィルヘルムにとっても、予想外の急展開で内乱が終結に向かってしまった。ヴィルヘルムは臆病風に吹かれて内乱の中止を主張した。
そうはいかない。工作員の使命は、ロムリアで大規模な内乱を発生させることで、軍事的空白を生み出し、そこを神聖帝国に攻め込ませること。すでに神聖帝国内部でも、主戦派が開戦を主張している。もっと内乱を続けてもらわなければならない。
ベネディットを脅し、ヴィルヘルムを始末させた。ベネディットの配下達も、もはや後戻りできないことを分からせる。今更背くなら、家族も含め、だれも楽には死ねないのだと。
工作員達も必死だ。これだけの期間と費用をかけ、失態を晒したとなれば、神の贄にされるのは間違いない。祖国にも帰れず、始末人に追われる人生は嫌だ。必死に大神官達に鞭を打ち、最後のあがきを試みた。
「そのあがきが・・・これ?」
拷問によって得た情報を知らされたエリスは、隣にいるカイルを指さした。
「どうも、そういうことらしいぜ」
「そいつら、ちゃんと落としたの? まだなにか誤魔化そうとしてるんじゃないの?」
隊員は首を振る。
「いやぁ、あいつらはもう、聞かれたら何でも素直に答えるよ。何歳までおねしょしてた? って聞いても、嘘なんかつかねえって」
カイルの顔を見る。本人は状況が飲み込めていない。
「まぁ、この子の力は本物だし、そういうことがあっても不思議はない。一応半分くらいは信じてみましょ。十人、そのベネディットが籠もってるという洞窟の探索を。残りは私と一緒に調べ物に行くよ」
さらに、密偵を一人魔王への報告に出した。一通の簡単な手紙も持たせる。
果たして、現実主義者の魔王がこんな話を信じるだろうか。カイルの力に気づいたガーラ人が、その力の研究を始めた。戦争を引き起こす計画が失敗した穴埋めに、力の秘密を暴いて功績にしようとしている。
調べたら誰でも使えるようになるとか、そういう代物ではない気がするが、彼らは本気でそれに命をかけているようだった。
工作員が語った神殿には、確かに大魔導師シャーロックの伝承が収められていた。ここ数年、ベネディットが何度も訪れ、長い間研究していたらしい。大神官に頼み、ベネディットが特に興味を引かれていただろう書物を集めてもらった。
様々な術式。儀式。記号に呪文。エリスはそれらも全部覚えられるが、普通の人間にはちんぷんかんぷんもいいところだろう。こんなものをいい歳したおっさんが、大まじめに読みふけっている姿を想像すると、噴き出してしまいそうになる。
ここで集まった情報を元にすると、確かにベネディットの行き先はイルルス王国の西北端になりそうだ。古の時代、ロムリアに征服されかけたこの地の王族が、最後に立て籠もった洞窟。そこが魔術的に特別な土地であり、魔神を降臨させる儀式を行うのに適切ということになっている。
「魔導師君さぁ、これどう思う?」
何が書いてあるかは読めるが、理解は出来ないエリスが専門家の意見を求めた。
「僕、儀式とかしたことないから」
「ないの?」
「それっぽいのならよくやるけど、あれ全部適当だし・・・」
カイルの力は、儀式や呪文など、何かしらの手続きを必要とはしなかった。満月の夜にだけわき上がる、不思議な感覚によるもの。息をすることや、手足を動かすのと同じだった。
「そういうの、早く卒業しようね」
「え・・・ここの本で勉強しようと思ってたんだけど」
「早く卒業しようね」
ベネディット達はカイルにもいろいろと質問をしたらしい。どういう力なのか。なぜそんなことが出来るのか。だが、カイル自身さっぱり分かっていない。そこからなぜ、自分にも出来ると思えたのか、それが不思議でならなかった。
あるいは、出来る出来ないは関係ないのかも知れない。出来る可能性さえ見つけ出せれば、本国に帰ってからも研究の任務を与えられる可能性がある。生き残るための芝居だとしても不思議はない。
だが、事態はもっと深刻であることが告げられた。都から魔王の使者が送られてきた。しかも現れたのはアルベルトの腹心だ。平民から出世した者としては、最高級官位を授けられている。
「大臣、どうしたの?」
久しぶりに見かけた顔に、エリスは驚いた。帝国で一番忙しいはずの男が、こんなところまで伝令をしに来るとは思えない。
「エリス殿、まずは陛下からのご伝言です。故あって書状ではなく、言づてを頼まれました。よろしいですか?」
エリスは首をかしげてみせる。何を言い出すのだろうかと身構えるが、魔王のことだから何があってもおかしくない。
「陛下はこの件にまつわる全ての情報、物品の抹消をお望みです」
「どういうこと?」
「カイルは後日、帝都に無事に連れてくること。カイルの力に触れている者、見聞きした者、殺しはしないがその情報の拡散は全力で阻止するべし、とのことです」
「おーさまもあの力が広まると思ってるの?」
「可能性は考えておられます。それに、その力が実在するかしないか、誰でも使えるかどうかではなく、実在し、利用できると考える者が出現することに大きな弊害があります」
「つまり、カイルの力をなかったことにしたい? 誰にも知られず、誰も調べようとしない状態にしたい、って事?」
「左様です」
エリスとしても、それに異議はない。本当に、完全になかったことにしていいのなら、言われなくてもやるつもりだった。
「カイルを都で預かりたいなら、連れて帰れば?」
「いえ、私は今さほどの手勢を引き連れておりません。お忍びで参りましたから」
「何で?」
「それがですね、エリス殿は、すでに神聖帝国との婚姻の儀は知らせを受けてますか」
「知ってるよ。私が第二皇子と結婚させられるってやつでしょ?」
「いま、お待たせしております」
「何を?」
「神聖帝国の第二皇子、アレクシアネス様をです」
「どこに」
「この神殿の一室に。すぐにそちらに向かって頂かねばなりませんが、先に我々の状況をお伝えしておきたく」
魔王からの連絡は、ややこしいものだった。
おそらくはアルステイルの報告により、神聖帝国の上層部もカイルの不思議な力の存在を掴んでいた。しかも、ガーラの工作員がイルルスに潜入していることも、エリス達より先に察知した様子がある。
そこで友好国となるロムリア帝国に対して、協力が申し出られた。皇子が率いる一軍を差し向け、ベネディットの討伐に加勢すると。帝国軍すらイルルスに近づきがたい現状、外国軍の立ち入りを許可するわけにはいかない。心遣いだけありがたく頂く、という形で断ったが、それでは折れなかった。
魔王も事態を理解した。魔術が本当に存在するかどうかはともかく、ガーラと神聖帝国がそれを求めているのは間違いない。ガーラがその力を欲するのと同じく、神聖帝国もまた後れをとるまいとしている。彼らにしてみれば、ガーラもロムリアも、力を秘匿して自分たちだけで使おうとしているに違いない、そう疑っているようだ。
婚姻同盟の交渉にまで影響が現れ始めた以上、神聖帝国の介入を全て拒絶するわけにはいかない。そこで第二皇子達を受け入れ、第三親衛隊と共にベネディット討伐に同行させ、魔術に関する情報の抹消を監査させることにした。名目上は、これから二国の共同作戦によって、ガーラへの情報流出を防ぎに行くことになる。
エリスが案内された一室には、隊員と、見慣れない男達がいた。七人の神聖帝国人。それぞれ頭に布を巻き、ゆったりとした豪華な衣装に身を包んでいる。ロムリア人よりも服装の見栄えに執着するのが、彼らの風習だった。
大臣が彼らをエリスに紹介する。一番若い男が、あなたの夫となるアレクシアネス様です、と。残りの六名は、護衛を務める戦士達。
このように紹介するからには、相手側もエリスが皇子の妃予定者だということを知っている。第三親衛隊の隊長であり、魔女という異名を持つ危ない女だということも承知の上で、結婚の予定を進めているらしい。
初めて顔を合わせた婚約者同士だったが、挨拶は素っ気ないものだった。
「ああ、私が通称キ印部隊の隊長です。シュミは人殺しだけど、他の妃をご希望なら、うちのおーさまに言ってね」
大臣が慌てて止める。「嘘はついてないでしょ」と、無視して勝手に席に着く。皇子は笑顔で向かいに座る。
「ロムリア語分かる? 神聖帝国の言葉で、もう一度言い直しましょうか?」
と、エリスは神聖帝国語で話しかけた。一種の脅しだ。外国語で密談したからと言って、聞き取れないとは限らないぞと。
「いいえ、大丈夫です。我々も、少しくらいはロムリアの言葉を話せます」
品のよい声色だった。
「少し話せるくらいじゃ、さっきのは分からないと思うけどね」
王子は楽しそうに頷いた。
「聞いていたより、頭の回りそうな方ですね」
アレクシアネスの言葉遣いは丁寧そのものだったが、皮肉にしか聞こえない。エリスは机に肘をつき、うんざりした顔で言った。
「私は馬鹿なんだけどさぁ、周りに腹黒い連中ばっかりいると、いつの間にか自分のおなかも汚れちゃうんだよねぇ」
「分かります。私も武芸しか学ばずにいたんですが、いつの間にかめんどくさい政治に巻き込まれておりました」
「ほんっと、悪巧みしてないと死んじゃう人種、絶滅すればいいのにって思う」
「同感です」
二人はそれぞれ、思い当たる人物を頭に浮かべた。
「じゃあそういうわけだから、ロムリアにいる間は、悪巧みするのやめてもらえるかな?」
「分かりました。やめましょう。お約束いたします」
二人はじっと目を合わせた。いくつもの思いを重ねながら、相手を見定める。結婚相手としてどうなのか。政略結婚とは言え、夫婦となればそれなりに一緒にいなければならない。どのくらい我慢することを覚悟しなければならなそうか。
どのような信条を持っているのか。わずかばかりの言葉のやりとりからでも、その人となりが分かることもある。エリスのぶっきらぼうな言葉遣いは、エリスが行儀の悪い人間であることを表すと共に、自分を実際以上に真面目な人間であると思わせようとしていないことも意味する。つまり、ある意味では誠実な正直な人間とも受け取れる。
わざと無礼に振る舞っても、アレクシアネスは取り乱すこともなく、皇族としてしつけられた態度を崩さない。自身の流儀は貫くが、相手の流儀には口を挟まない。寛大と見るべきか、怒りを表に出さないだけと見るべきか。
武芸が本分だという言葉は、魔王の言葉とも合致する。嘘ではないのだろう。とすれば、陰謀が嫌いというのは本当のことかも知れない。その場合、この皇子も相当な正直者ということになるが、果たして。
「ありがとう。素直にやめると宣言してくれて助かるんだけど、何? ほんとは何か企んでたって事?」
「アルベルト殿からご連絡があったのでは?」
「あったけど」
「ならば、我らの任務はご理解頂いているものと存じますが」
エリスと皇子は似ていた。知者ではなかったが、馬鹿でもない。自分たちの本音をはぐらかすくらいはお手の物だ。そして、立場上はっきり答えることは出来ないが、暗に本心を告げるようなレトリックも身につけている。
ひとまず信用していいだろう。エリスはそう判断した。結論は、ベネディットとの戦いが終わってから下す必要があるが、当面は変な動きは見せないはずだ。見立て以上に謀略好きだったとしても、最終局面を迎えるまではおとなしくしているほうが得だろう。
会見は終了し、大臣が皇子達を部屋に案内する。お付きの戦士、最も威厳のある老戦士がまくし立てた。
「若様に向かってなんたる無礼か! あのような
「い、いえ、陛下は何も企んでなどは」
「ではあの物言いはどういうことだ! 女子のくせに生意気であろう!」
ロムリアの女の地位がそれほど高いわけではない。エリスやヒルダなど、ごくわずかな人間を除けば、政治の表舞台に女が立つことは少ない。それでも女王や女公など、女性統治者を認める分、ロムリアの方が女性の地位が高いと言える。
神聖帝国では、もっと性差別が激しかった。特に貴族など、地位の高い者ほど女性を見下しやすい傾向があった。アレクシアネスといえども、その文化から無縁ではいられない。だからこそ、婚姻交渉が長引いている。
父が決めた政略結婚だから受け入れる。皇子にとってはそれだけの事でしかなかった。妃など誰でもいい。どれも、女なぞに違いはないだろう。ところが、ロムリア側では執拗に魔女エリスを推薦してくる。別に嫌だとは言っていないが、どうしてもエリスを妃にしたいと言い張るので、重臣達が不安に駆られている。
神聖帝国内部でも、魔女が妃に相応しいと主張する者と、断固反対を訴える者がいて、なかなか決着がついていない。
アレクシアネスが抱いた第一印象としては、確かに彼女は普通ではない、というものだった。いいか悪いかはともかく、誰とでも替えのきく、どこにでもいる女、ではないことは明らかだ。
「ゼリシオス、そんなに不満なら本人の前で言えばいい」
皇子は老戦士に言ってやった。
「そのような。
「なら黙っておれ。ロムリアの御使者の前だ」
老戦士は黙り込み、口を固く結んだ。
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