2-6 「気になってることがあったんだけど」

エルンストから送られてきた騎兵達は、軽装の革鎧を身につけ、草原を駆けた。朝の、まだ夜露が湿る土手の上に立ち、最初の標的を発見した。


馬は二頭。馬上にある、立派な鎧の男達が貴族だろう。荷袋を抱えた従者を引き連れ、ゆっくりと歩みを進めている。率いられている農民達のほとんどは革の鎧も身につけず、普段着に農具という出で立ちだ。手にしているのはスキやクワ、カマなど。棍棒を持つ者もいれば、剣を手にする者もいないではない。


隊列と呼べるものはなく、貴族を中心に、無秩序に広がっているだけだった。それだけに人数を数えるのは難しく、ざっと千数百人というところか。


土手の上で部隊を整列させると、騎兵隊長達が三騎だけ、反乱部隊へと近づいていった。相手も気づいたようで、武器を構えて警戒態勢を取る。


弓を持つ農民もいるようなので、矢の射程外から大声で呼びかける。


「こちらは! エルンスト閣下の騎兵部隊である! 反逆者を討伐しに参った!」


農民達はいきり立ち、武器を高く掲げて怒鳴り返す。


「やれるもんならやってみろ! おめえらなんかこわかねえ!」


どうやら、士気は高いようだ。騎兵が最初に彼らを発見したということは、それだけ深く入り込み、最前線に立っている部隊ということでもある。よく言えば勇敢な、悪く言えば調子に乗った者達が集まっているのは道理だろう。


「我々は! 平民を殺すことは望まない! 貴族がいるだろう! 一騎打ちを所望する! 私と戦い! そちらが勝てば! 見逃してやる!」


騎兵隊長の呼びかけに、貴族の表情がこわばった。農民達もこれには罵倒で答えず、リーダーの顔色を窺った。貴族は内心の焦りを隠し、馬を進めて先頭に立つと、怒鳴り返す。


「一騎打で勝負を決するは、同等の戦力の時に行うものぞ! 半分にも満たぬ戦力で、不利を隠すための方便などには乗らんわ!」

「聞こえぬ! 応じるのか! 応じないのか! はっきりせよ!」

「おまえ達の卑怯な計略などお見通しだと言っておるのだ!」

「話が通じぬ! 臆病者め!」


それだけ答え、騎兵は引き返した。


隊列を横一線に並べ、槍を立てた。歩調を合わせ、馬を歩かせる。まだまだ敵とは距離がある。農民達は依然として気勢を上げ、自分たちの置かれた状況を理解していない。貴族は農民の後ろに下がり、馬上で指揮を執る体制を取っている。


だが、さすがの田舎貴族も、自分たちに勝ち目がないことくらいは理解できていた。どこの世界の騎兵隊が、農具しか手にしていない農民部隊に後れを取るのだろうか。戦いの訓練も経験もない。あるのは一方的な略奪だけ。騎兵なんて馬を殴れば終わりだろ、という程度の認識だ。球打ちよろしく、突っ込んできた頭を横にかわしながらがつんと殴ればはい終わり。ちょろいもんよ、と言うつもりでいる。


六百騎が整然と一列に並び、農民達の戦闘幅を覆い尽くそうとしている。戦意がないかのように、本当は恐怖に足をすくませているのではないかと期待させるほど静かに、馬たちは一歩ずつ足を進めていく。


その隊列が遠くに見えるうちはよかった。平原に黒い線が引かれていても、人は平静を保てる。だがそれが、うごめく黒い壁のように見え始めると、背筋に冷たいものを感じずにはいられなくなる。


距離を詰めた騎兵隊は、速度を一段階上げた。早足で近づいてくる壁に、射手が矢を放つ。もちろん、届きもしない。


農民達の怒声が静まりかえる。これはおかしい、と気づき始めた。かわして殴るって、どこにかわせばいいのだろうか。一直線につながっているのに?


さらにもう一段階速度が上がると、堪えきれなくなった荒くれ者が雄叫びを上げて走り出す。戦士達の表情も見て取れるようになり、自分たちのリーダーに収まっているぼんくらとは、覚悟の違いははっきりしていた。


最後。騎兵隊長の一声で全力疾走を始めた時には、もはや農民達には戦意がなかった。無謀に立ち向かって胴を串刺しにされる者と、逃げ惑い、背中を貫かれる者しかいない。津波のような第一波が駆け抜けたあと、戦場は姿を消し、あとはただの虐殺会場だった。


貴族はといえば、もうだいぶ遠くに逃げ去っている。最初の犠牲者が出るより前に馬を走らせていた。


「どうしますか」


副官が確認を取ると、隊長はあと二百人ほどを殺せと命じた。できるだけ逃がしてやれとは指示されたが、あまり露骨すぎても、こちらの意図を見抜かれてしまうだろう。


騎兵隊は馬を休ませると、次の獲物を求めて南下した。彼らは命令を着実にこなし、農民部隊を追い込んでいった。逃げてきた農民を収容した本隊では、貴族への不満が爆発した。


反抗しようとした農民が手打ちにされたことで暴動は決定的となり、部隊は内部抗争で瓦解。行動を停止した。


アルステイルの作戦の半ばは成功した。だが、もう半分が残されている。


昼頃、エリスとアルステイルは、第二親衛隊の兵舎で会議中だった。都に残っている三人の中隊長と、一人の衛兵長がテーブルを囲んでいる。


昨日の間に、都内に立て札を掲げ、商店にも声をかけ、間近に迫った反乱軍と戦う義勇兵を募った。各地で商人達が帝国を支持しているように、帝都でも平民の助力は期待できた。集まった義勇兵は二千五百人。


その多くは商人の次男三男、あるいは徒弟達だった。農民の参加者もいるし、神官もいる。ありがたいことに、自前の装備を引っさげている者が多い。今は住人がいなくなっている兵舎から装備をかき集めるにしても、二千五百人分を揃えられる予備はなかった。


修理に出すべき鎧。どこかの金具がとれているとか、へこみがあるとか、そういうものもお構いなしに引っ張りだし、市内の鍛冶屋の商品、予備まで買い集めて、どうにか人数分を揃えた。槍は五百本。クロスボウが百に、ロングボウも百ほど。


前線が大量の物資を必要としている時期だ。安全な後方と見られていた都では、これが限界だった。幸い剣の余りは多く、刃こぼれや錆などに目をつぶればロングソードの数は揃えられた。


これでなんとか、義勇兵達には重装歩兵としての武装を身につけさせることができる。だが、それだけで一人前の兵士になるわけではない。死を目の前にして、本当に持ち場を維持できるかどうか。それが問題だった。


有利な条件で、一方的に攻撃をするだけなら誰でもできる。ろくに装備も与えられていない農民でも、反撃されないという安心感さえあれば強気になれる。が、彼らは圧倒的に条件が不利だった。最悪の場合、三千人で一万五千程度を相手にしなければならない。城の防御力を当てにできるとは言え、新兵は本当に戦えるのか。


これから訓練を行うことになっている。訓練と言っても、たった一日だ。やってもやらなくても、それほど違いはない。しかも、余り厳しくしごいてしまっては、明日の戦いに支障が出る。わずかばかりに剣と盾の使い方を教え、命令に従い、持ち場を守り、常に味方を信じ、助け合いながら戦う心構えを説くくらいだ。


エリス達の予想以上に多くの兵士が集まったのはいいが、これで本当に籠城戦を戦い抜けるのかと言えば、楽観はできない状況だった。


「援軍が明日の昼頃には到着する予定です。それまで町の外壁で持ちこたえられれば、内と外から挟撃できることになりますが、いかがお考えでしょうか」


第一中隊の中隊長が、会議を進めた。アルステイルが私見を述べる。


「アルフォンソ本隊の進軍速度から、攻撃開始は夜明けとともに、と考えられます。本隊四千に、別動隊五千。計九千の攻撃を、昼まで外壁で支えられる見込みは、現在のところはありません」

「援軍到着前に、都が陥落すると?」

「いえ。外壁が破られた後は、王宮に籠もって戦うことになります。こちらの城門が破られる前には、援軍が到着するでしょう。しかし、それで直ちに敵を追い返せるかと言えばその保証もなく、都を二分して対陣し、戦いが長引くことが考えられます」

「皇帝をお守りすることはできそうと」


日頃宮殿に勤務している親衛隊員としては、それだけでも心が楽になるようだった。政治的な意味合いとしても、皇帝を守り通すことは重要だ。もし都が落ち、皇帝が連れ去られるようなことになれば、アルベルトが朝敵となる。これまでアルベルトに屈し、帝国に従っていた勢力は、どちらに加勢するかで迷うことになるだろう。


だが、都が戦場になること自体が避けるべきことだった。敵が帝都の奪取をあきらめたとしても、一度入り込まれてしまった以上は、引き上げるときには焼き払っていくだろう。人口十三万人の大都市として、それでどれほどの被害が出るか。


「別動隊の到着が遅れれば、攻撃開始も遅らせることができるかもしれません。その場合には、援軍到着まで外壁で支えられる可能性が出てきます。そのための工作を準備中ではありますが、あまり期待しないでください」


アルフォンソ達の伝令は日の暮れる頃に出されると報告が入っている。その日の野営地を決め、まだ日のあるうちに休息の準備をとり、夜中にまた出発するのだとか。この会議が終わり次第、エリス達はアルフォンソの本隊と別動隊の中間地に向かうことになっていた。


「では、明日の戦いでは、外壁で可能な限り時間を稼ぎ、破られるときには王宮に籠城。援軍を待つ、という方針でよろしいでしょうか」


隊長達は、仕方がないという感じで頷いた。王の前のエリスであればよそ見でもしていただろうが、今はただ目を閉じてうつむいている。この場では最高位の将軍であり、指揮権を持つ人物が、まだはっきりと作戦を承認していない。参謀がエリスの発言を促した。


「気になってることがあったんだけど」


と、エリスは話を変えた。


「義勇兵の武器、基本的にロングソードを持たせるみたいだけど、メイスとかハンマーとか、もっと扱いの簡単な武器はないの?」


なるほど、と、皆が考え始めた。ロングソードは切れ味に依存する武器ではないが、あくまでも剣だ。切ったり突いたり、用法は多く、それだけに扱いは難しい。昨日初めて剣を持たされたような人間が、敵の鎧をよけて、攻撃を差し込むようなことが可能だろうか。敵の攻撃を払うこともできるが、そこまで使いこなせるはずもない。


「鈍器なら、とりあえずどこでもいいから、殴れそうなタイミングでぶん殴ればすむでしょ? 新兵に使わせるならそっちの方がいいと思うけど」

「分かりました。揃えられるだけ揃えてみます。いくつかの神殿ではメイスを使っていますので、借り受けて参ります」

「隊長殿、ほかには何か」


話がすり替わったまま、本題を忘れてくれるような参謀ではなかった。エリスもうなずき、作戦方針を承認した。


「分かった。それが一番都を守りやすいなら、仕方ない。防衛計画はその方針で」


会議は終わり、エリスは出発の準備をする。正式にアルステイルを第三親衛隊の副将に任命し、自分不在の間の指揮系統を確立しておいた。帰還が遅れたり、工作部隊にもしものことがあっても、あとはうまくやってくれるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る