2-4 「賽は投げられた」

アルベルトの命令を受けてから十七日後。アルフォンソの脱獄作戦は完了した。


レオン家残党の少数部隊が行商を装って牢獄に近づき、王子の警備が緩く、練兵場で兵士に混ざっていたところを襲撃。兵士を人質にとって時間を稼いでいるうちにアルフォンソを馬車に乗せ、そのまま離脱。


騎兵を向かわせるが弓で迎え撃たれ、追撃を断念。市内の詰め所に応援を頼むも、その日はたまたま閲兵のために庁舎に招集されており、初動の遅れが響いて取り逃すこととなった。


新任の牢獄所長は責任を問われ、軍法に基づいて処刑された。猿ぐつわをかまされ、弁明する余地すら与えられず、最後まで何かを必死に訴えるように涙しながら、歴史から姿を消した。


そしてやっと、アルベルトが望んでいた通りの内乱となる。


現在の状況を把握したアルフォンソは、直ちに手勢を率いて兵を挙げ、手はじめに残党達が根城としていた町の領主を滅ぼし、ペンロッド王国の王位を請求した。


ペンロッド王国は現王ジョアンの統治下で安定していたが、不満をため込んでいた貴族達がついに離反し始める。その多くはアルフォンソを盟主として戴き、ペンロッド各地で正規軍と交戦を開始した。


ジョアンはアルベルトの信任厚く、だからこそ王位を譲られた人物だった。魔王に認められるほどの人物だけに、無能とはほど遠く、アルフォンソを向こうに回しても引けを取ることはない。支持基盤の強さから見ても優位は動かず、王国が引き裂かれるほどの動乱になるとは思われなかった。


しかし、一度着いた火は、燃え広がらずにはいられない。ペンロッドが内乱に突入したことを受け、ほかの地方の貴族達も静観をやめた。今を逃せば権力の再復はないと、近隣領主と手を取り合って、打倒フリードリヒを旗印に結集した。


反乱を起こした貴族達は、二つのグループに分かれた。アルフォンソの指揮下に入った、帝国南東部に拠点を構える者達と、アルフレッドを盟主に迎えた西側の勢力だ。


ブランデルン王国内部では反乱が起きることはなかったが、北部の蛮族達が停戦条約を破って国境を越え始めた。すでに北方蛮族達とは三年間の停戦が合意されていたが、主導的部族の統制をはねのけ、勝手に暴れ回る部族が出るのはよくあることだった。


歴史上、同時に帝国全土で反乱が起きれば、新時代を迎えることになる。そのような規模の反乱を抑えられる体力があるならば、そもそもそんな反乱は起きるはずがないからだ。しかしこれは作られた内乱だった。アルベルトは、歴史を変えようとしていた。


各地の王は魔王との約束を守り、悪くても中立を維持した。ただじっと、諸侯の動きを静観したのはロンダリア王だけであり、ほかの三国は積極的に内乱の鎮圧に尽力した。


ロンダリアだけは、最有力の貴族であるランカプール公がアルフレッドの後見人になってしまっている。ロンダリア王国の力だけでは、帝国西部軍を擁したランカプールを抑えることはできなかった。できることなら、荒れ果てていく国内を眺めるだけでなく、波を押しとどめたいと思っていた。


この内乱は、無謀とも思える賭けではあったが、首尾よく収まれば王達にも多大な利益が待っている。フリードリヒにどれだけの力があるかは分からないが、帝国が健全なままに存続するのなら、王権は飛躍的に強化されるだろう。


いかに帝国が治安を回復させたとは言え、すでに領主に収まっている貴族を排除するのは簡単ではない。別な誰かを封じることはできても、王国の直轄領とするには抵抗が強かった。しかし、反乱を起こした地方ならば、すべて接収して直轄領とすることに異議を唱える者はいない。功労者への恩賞が必要なため、すべては言い過ぎだが、多くの所領は王の下に没収できるだろう。


貴族達の顔色を窺い、有力者連合としての力しか持たなかった王位が、いよいよ地方を統べるにふさわしい存在になる。


しかし、本当に帝国がこれまでの姿を支えきれるのか。アルベルト亡き今、フリードリヒにそれだけの力があるかどうか、誰もが不安を覚えていた。


内乱鎮圧のため、帝都から一軍が差し向けられる準備が整いつつあったある日、王子アルフレッドの軍師を務めるアンリが、百の共を引き連れて都に参上した。帝国の治安回復のため、宰相と会談したいと。


正式な使者であるアンリは丁重にもてなされ、翌朝、皇帝臨席の下、会議を行うことが決定された。


第三親衛隊も、にわかに慌ただしくなる。部隊の半数は出払っている。まだ反乱を起こしていない領地の動向を探ったり、商人や農民達がどちら側を支持しているのかを調べたり。これから先の展開を予測するための情報収集で忙しかった。


まだ手元に残してある半数は、臨時の任務を与えられた。アンリとその配下の護衛と監視、フリードリヒとアルベルトの安全確保だ。


アンリは敵方の軍師だが、使者である。外交官を傷つけることは、野蛮な国として名声を失うのが世の習わしだった。先走った家臣達が襲撃するような事態は防がなければならない。また、交渉のために敵陣を訪れ、その間に情報を入手し、作戦立案につなげるのも常套手段である。勝手な行動は制限しなければならない。


当然、百もの手勢を連れている以上、突然の暴動にも警戒が必要となる。フリードリヒと、すでに居を都に移して身を潜めているアルベルトの身辺警護も必要だ。直接の護衛は第一親衛隊が担当するが、飲み水や食べ物、毒針、近習の買収など警戒することは多い。諜報部員としての経験が必要だった。


しかし、二十人程度の人員では、その全てをこなせそうになかった。そこで、エリスに第二親衛隊への指揮権が与えられた。第二親衛隊は、首都防衛用の部隊だった。構成人数は千人程度。十個の中隊からなり、所属するのは有力氏族の子弟だけ。帝国全土から魔王に従順な貴族の青年を集め、士官候補生として訓練を受けている。貴族がほとんどいなくなったブランデルンからは、市長や大商人の家柄の者が多い。


兵力千人の部隊として運用されることが想定されていないため、第二親衛隊全体を統括する将軍が選任されていない。名目上は第一中隊の中隊長が代表を務めるが、指揮系統の上ではほかの中隊長と同格でしかなかった。直属の上司はブランデルン王であり、通常はヒルダの命令に服していた。


急遽、この部隊を使って王宮の平安を保てというのが、エリスに与えられた命令だった。当然ながら、実際に一つ一つの担当を考えるのは参謀の役目となる。アルベルトとしてはエリスに部隊統率の経験を積ませたいのだが、まずは教師から答えを教えてもらうやり方でもかまわない、というところだろう。


アンリ達には、第一中隊が礼を失しないように張り付いて監視し、夜半に第二中隊と交代する。第三第四中隊は王宮内の各所で目を光らせ、貴族や将軍は言うに及ばず、侍女、召使い達の接触も監視させた。第五第六中隊には王宮周辺の町並みを捜索させ、密偵が好みそうな潜伏場所が、最近利用された形跡がないかを調べさせた。


第三親衛隊本部から統率するのは時間の無駄が大きかったため、この日は王宮の一室に作戦本部を設けた。フリードリヒが挨拶に訪れるが、早々に追い返された。


エリスは慣れない仕事にいくぶん疲れているようだ。作戦の立案は参謀がこなしてくれるが、直接の命令伝達は各中隊長に対してエリスが行わなければならない。何しろ第二親衛隊の隊員は名家の生まれだ。魔女の名で恐れられる将軍エリスの命令は謹んで拝領するが、お付きの事務官に指図されるのでは気分が悪いこともあるだろう、という参謀の配慮だった。


「お貴族様と話すのって、どうしてこんなに疲れるんだろう」


ぼやきながらも、王宮の監視体制は整っていった。アンリ達にも大きな動きはなく、翌日の会談は無事に開かれた。


王宮は帝国で最大規模の石造りの城だが、中でも最も神聖な、かつては神殿として神を祀った建造物が皇帝の謁見の間だった。何代も前の皇帝が、失われていく権威を憂い、地方貴族への対抗心を燃やして接収した。


多神教であるロムリア帝国では、神殿にはいくつもの神の像が建ち並び、その中央には一段高い座に、玉座が据えられていた。座っているのは神官の衣をまとい、節度ある体型を維持した御年四十歳となる皇帝、ガイウス・コルネリウスだった。


御前には文武百官が並び、一方の列には宰相フリードリヒを先頭に、現政権の有力者が立ち、向かいには西部軍司令官代理のアンリが十名の騎士を控えさせていた。


皇帝の号令により御前会議が開始され、口火を切ったのはアンリの方だった。アンリはまず、皇帝を始め、フリードリヒ側に立つ重臣達に現状を正確に伝えようとした。どれだけ帝国が危機に瀕しているか、内乱が全土に及び、貴族も平民も困窮の度を増し、せっかく先王アルベルトによって樹立された秩序が崩壊しようとしていること。主観を交えず、淡々と事実だけを提示した。


これはアンリ達の攻撃材料の一つだった。皇帝の臨席を求めたのもアンリだ。フリードリヒは一度、不要として断った。だが、ことは帝国の将来に及ぶものであり、帝の照覧は必須であると主張された。宰相が独断で国事を決定しているという悪評は、今は避けた方が無難な時期であるため、要求に応じることとなった。


だが、この件に関しては、アンリ達の攻撃は空振りに終わる。アルベルトも、その暫定後継者であるフリードリヒも、皇帝に対して検閲を行っていない。誤魔化しもしないし、情報の制限もしていない。アンリが語った国情が、すでに聞いていた内容と変わらなかったことは、かえって宰相の誠実さを証明した。


次に、アンリは国内の経営事情を議題に挙げ、アルベルト以来、ブランデルン王家が帝国の資産を私的に流用し、それによって国軍を私兵として用いていることを非難した。フリードリヒは、「指揮をブランデルン王家が担っていることは事実だが、それによって帝国全土の治安は保たれている。帝国軍の統率者としての責務は果たしている」と退ける。


しかしながら、内乱の勃発により、新規軍の編成も必要となり、領内は荒れ果てて交易もままならず、以後の経済状況が悪化の一途を辿るという指摘には反論の余地はなかった。早期に内乱を終結させる必要性については、宰相も同意せざるを得ない。


しかしその具体的手段については、両者の主張が異なった。フリードリヒはあくまでも魔王の後継者として現状を維持し、不当な要求を掲げる反乱軍を鎮圧することで達成すると述べ、アンリは帝国に対して譲歩を迫った。


西部軍が提示した内容は、三つの要求と、二つの提案からなっていた。


1,十分の一税を廃止し、各地方での徴税額は、管轄する王に決定権を委ねる

2,私塾を開くために資格を必要とし、その資格は神官によって与えられる

3,アルフレッドを西部軍司令官に留任させる


4,フリードリヒがブランデルン王位を継承することを承認する

5,フリードリヒを帝国宰相として承認し、以後忠誠を誓う


フリードリヒは口を固く結んで黙り込んだままだったが、神殿はざわめきに支配された。


決して、無理難題というような条件ではなかった。王に決定権を与えるということは、王が十分の一税を再布告しようと思えば可能である。もちろん、貴族達はそれを許しはしない。王が貴族連合の盟主程度の力しか持たない今なら、妥協にこぎ着ける自信はある。


まして、帝国の実権は頭でっかちの頑固者が握っているが、王はもっと平凡だ。様々な形での相互協力の図式を作り出せば、いくらでも籠絡できる。税率の決定権を帝国から奪うことさえできれば、あとはどうとでもなる。


だがそれは、貴族達の目論見であって、提示案に書かれていることではない。貴族達がどう考えていようと、帝国が王権を支えることに成功すれば、実害はないのではないか。そんな甘い考え方も湧いて出てくる。


また、私塾を開くための資格付与権を神官に与えるという、宗教権力に恩を売る配慮が含まれている。神殿を支持母体とする貴族達もいるわけで、彼らにしてみればスポンサーに媚びるいい機会だ。


アルフレッドの司令官留任は、協定が守られなかったときには実力行使に出るという保険であり、また、王位をフリードリヒに譲る代わりの身分の保障ということになる。そのくらいは当然の要求と思われた。


たったこれだけで内乱が即時終結し、ブランデルンの王位継承戦争も決着がつくのなら、これは悪い条件ではないのではないか。文官も武官も、フリードリヒの回答を期待した。常識的な、落ち着きのある為政者としての回答を。


残念ながら、フリードリヒではこの要求をはねのけることはできなかった。ここで我を通し、国家を、臣下を無謀な戦いに引き連れていけるほど、王子には名声がない。それを可能にするのは能力でも地位でもなく、名声だ。人々の熱情だけが、越えることをためらう一線を飛び越えさせられる。


さいは投げられた」


たった一言で、一瞬にして場を凍り付かせたのは、いつの間にか姿を現した魔王だった。出入り口の警備に当たっていたエリスの前を通り過ぎ、皇帝の足下で膝をついて臣下の礼を取った。


「陛下。この度は逆臣共を討ち果たすためとは申せ、帝国を混乱に陥れ、陛下を欺き、職務を離れましたことを、謹んで深くお詫び申し上げ奉りまする」


皇帝は一度頷くと、落ち着いた柔らかい声で功をねぎらった。


「よくぞ戻った」


魔王が立ち上がり、アンリに向き直る。アンリは深く頭を下げ、主君への挨拶を述べる。


「お久しゅうございます、陛下」


特別、驚いた様子はない。背後の騎士達には戸惑いが見られるが、アンリもアルベルトに抜擢された人物だ。首級が上がらなかったと聞いた時点で、可能性は考えていた。


「アルフはどうだ」

「アルフレッド陛下は、王者の風格がございます」

「儂は?」

「言うに及ばず」


魔王は満足げに頷くと、もう一度皇帝に一礼した。


「陛下。宰相として執りたい国事がございます」

「ブランデルン王子、アルベルトを再び我が丞相に任じたいと思うが、異論はないか」


フリードリヒも深く頭を下げ、「御意」と答える。


「さればこれよりアルベルトを丞相とする。よきに計らえ」

「では」


と、アルベルトは諸侯が立ち並ぶ中央に出て、アンリに向けて宣言した。


「謀反人の要求には応じぬ。これより帝国は全力をあげて反乱を鎮圧する」


アンリもあきらめ、宰相に一礼し、交渉の決裂を受け入れた。


「大義であった」と一言を残し、皇帝が退出。文武百官も、銘々に複雑な思いを抱きながら神殿をあとにする。


残されたアンリが、魔王に話しかけた。


「陛下は、なぜにそうも急ぎますか」

「急ぐとは?」

「貴族達を締め付けずとも、帝国の内情が回復すれば、自然と土地は肥え、人も物も流通し、豊かになります。さすれば土着の治安維持一家など、いずれ地元の鼻つまみとなり、自滅するか豪商に鞍替えするか。陛下の改革は五十年は急ぎすぎておられます。アルフレッド陛下のご子息の代まで待たれるのがよろしかろうと存じますが」

「そんなに待ってられるか」

「この騒乱、帝国の回復を百年は遅らせますぞ」


それだけ言って、使者達も帰途についた。

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