2-3 「キモい」

王宮の衛士に取り次ぎを頼むと、いつもの通りすぐに謁見の手配が整った。エリスの公的身分は親衛隊長であり、その管轄は諜報部。宰相直属の情報統括官である以上、あらゆる人物よりも会見の優先順位が高いのは当然だった。


謁見室で魔王の代わりに待っていたのは、その王子フリードリヒである。二十を少し過ぎたくらいの青年は、今は敵となった兄とは違い細身だった。武芸を学ぶこともなく、兵学を修めるでもなく、戦いのことには疎い穏やかな王子として知られていた。


年長であり、しかも今は名目上は国王の位にありながら、威厳も保とうとせずに笑いながらエリスに席を勧めた。人なつっこい笑顔は家臣を畏怖させることはないが、邪心や陰謀とはかけ離れた、清廉な印象で人を安心させた。


「やぁやぁ、エリス。しばらくぶりだなぁ」


だが、エリスはこの王子が好きではなかった。憎い、というわけではない。嫌いでもない。適切な表現としては、ウザい、だった。


二年ほど前、十三歳だったエリスがアルベルトの臣下となり、都へ連れてこられたときに二人は初めて顔を合わせた。孫のようなエリスを王子に紹介したときの、フリードリヒの言葉は忘れようがない。エリスでなくても忘れない。


「父上、そういうご趣味がございましたか」


二十を過ぎた王子様が、父親にげんこつを食らわせられる場面など、エリスでも見覚えがなかった。変わり者を好くアルベルトの傾向は、この青年にも伝わっていたようだ。諜報部長として活躍し、魔女の異名を与えられたエリスのことをいたく気に入っていた。


一度などはエリスを妃に迎えたいと言い出した。冷めた目で見下されながら、王子は弁解した。


「いや、僕にそういうシュミがあるというわけではなくてだね、つまり、ほら、僕もそろそろそういう話がうるさくなるわけで、そろそろというかだいぶ前からなんだけど、だいたい皆どっかの貴族のお姫様でさ、一言で言うと、そういうの合わないんだよ」


アルベルトの三人の王子は、それぞれに得意分野が分かれていた。軍事に才能を発揮したアルフレッド。病弱故に神殿に預けられ、世継ぎからは外された第二王子ヴィルヘルムは、宗教権力と帝国の橋渡し役を務めている。そしてフリードリヒは帝国の政治状況を把握し、アルベルトの政治思想上の後継者と目されていた。


政治を領分とする王子でありながら、貴族のお嬢様とは気が合わないという。エリスはただ一言「キモい」とだけ答えて、求婚を拒絶した。以来その話は出ていないが、どうやらフリードリヒはまだあきらめてはいないようだ。


「アルステイルには、エリスをこちらに向かわせるように頼んでおいたんだ。さすが、あいつは話が分かるなぁ」


参謀は別に王子の依頼に応えて、エリスを回したわけではない。


「悪いんだけどさ、おーじさま。そういうのどうでもいいんで、話進めてもいい?」

「あ、はい」

「おーさまから、ゼクス牢獄のアルフォンソを脱獄させて、反乱を起こさせろって言われてさ、今うちの間者達がレオンの残党と接触を図ってる。で、アルフォンソを脱獄させるのはいいけど、そのときに牢獄の所長が責任を取らされて殺されちゃうって言うから、別な人間に変えておきたいわけよ」

「やさしいなぁ。エリスはいい子だなぁ」


王子の茶々はすべて聞き流して、説明だけ続ける。


「この前ランカプールで捕まえてきた警備隊長に恩赦を与え、牢獄の所長と交代させたいの。今の所長は別なところに行ってもらって。あと、現在のゼクス牢獄の警備状況を知りたいのと、できればアルフォンソの警備は軽い方がありがたいんだけど、なんとかなる?」

「できるんじゃないかな」

「大丈夫? 王国内だからうちらが正式に調査に入ることはできるけど、それをしてしまうと、その後すぐにアルフォンソの脱獄という形になって、第三親衛隊の関与が疑われるから、それじゃ困るんだけど」


このあたりの配慮は、もちろん参謀の受け売りだ。


「それに、所長から現在の警備状況を聞くにしても、本当はアルフォンソが兵士に剣の稽古を付けてるだなんて、お偉いさんには知られたくないことだろうから、本当のことは教えてくれないでしょ」

「アルステイルは気が回るなぁ」


王子も、エリス自身がそこまで考えているとは思っていない。


「そうそう。私はそんなこと全く考えないもんね」


皮肉に皮肉で返したわけではない。これはエリスの正直な感想だ。フリードリヒはすぐに考えをまとめ、こう提案した。


「では、ゼクス市の市長に所長を呼び出させよう。そして、現在までのアルフォンソの処遇を評価させ、昇進を申し渡す。名目は、そうだな、内乱の危機に際し、ペンロッドの貴族達が蜂起しないのは、かつての君主の王子が投獄されていながらも人道的な扱いを受けているおかげだ、とかはどうだろう。これならば、所長は実際の状況を正直に教えてくれるだろうし、その体制を維持してくれるだろう」


ゼクス牢獄でのアルフォンソの扱いが正当なものであったとお墨付きを与えれば、所長は上役の顔色を窺って嘘をつく必要がなくなる。しかもそれが賞賛されて、以後もその扱いを続けるように言われれば、アルフォンソの警備は軽いままとなる。所長の異動の理由にもなり、警備隊長を滑り込ませる隙間ができる。


牢獄内部の情報収集と、アルフォンソの警備の弱体化、所長のすげ替え、三つが全部いっぺんに可能となる。腹黒紳士達の、この手の悪知恵にはエリスも素直に感心した。


「ほんっと、あんた達親子は悪巧み大好きだよね」

「いやいや、そんな照れるなぁ。父上ほどじゃないよ」


きっとこの王子も、陰謀を企てていないと死んでしまう体質なんだろう。そんなことを思いながら、もう一つ気になっていることを確認する。


「警備隊長を釈放して、所長にすることもできる?」

「もちろん。兄上の謀反を明らかにした功績を認め、警備隊長という経歴を評価して、後任不在の牢獄の所長に任じると言えば、喜んで飛びつくさ」


参謀と同じ人種。嘘をつき、死なせるために人を動かすことに、何の感傷も持たない。多少いやな気持ちを感じるというだけで、結局それが最善だと納得した自分との間に、どれだけの違いがあるのだろうかとエリスは悩む。


優しげな風貌で貴族の女子達のあこがれの的でもあり、臣下の信頼も厚い王子の裏の顔を知っている者はそう多くはない。見た目とは裏腹に権謀術策を領分としながら、なぜ政略結婚をよしとしないのかには疑問が残る。エリスからすればお似合いなのだが。


「じゃ、手配よろしく。あとでうちの隊員がゼクス市長のところにお邪魔するから、相手してもらえるようにお願いしといてね」

「市長には、南側の警備を少し緩めるように頼んでおこうか?」

「南側?」

「レオンの残党が動くとなれば、侵入も脱出も、南側を使うのが自然だろう。適当に、当日だけ南側の兵士の一部を別な任務に当てておくとか」

「まぁ、そういうことができるなら、準備しといてもらえるとありがたいけど」

「お安いご用さ」

「もう、おーじさまが私の代わりやったら?」

「いやいや、僕では潜入作戦はこなせないからね」

「あ、そ」


エリスが背を向けると、王子は「またいつでも顔を見せに来てくれ」と声をかける。無言のまま立ち去った。


エリスが王宮を出て、城門へと歩いてくと、一人の子供に声をかけられた。


「女だ! 女がいるぞ!」


横を見ると、エリスより五つは下だろう子供が指さしている。髪色は黒く、柔らかに癖がついている。ロムリア人の特徴だ。身につけた衣服は、派手さはないが仕立てのよいものであり、きっとどこかの貴族の連れなのだろうと思わせる。


「女のくせに女中の装束をまとわぬとは、無礼だぞ」


エリスの格好は平民と変わらない。将軍が身につけるものとはとうてい思われない、簡素な短衣と長衣だ。お坊ちゃんが勘違いするのも無理はない。


エリスは立ち止まり、子供に向き直る。


「これはお貴族様の、ご子息の方ですか?」


子供は胸を張り、ありもしない威厳を振りまこうとした。


「そうだ。俺はイルルス王国の・・・」


大仰に名乗りを上げようとしたのを制し、エリスが先に答えた。


「そうそう、先に名乗るのが礼儀でしたね。私はエリスと申します。以後お見知りおきくださいませ」


エリスの方が背が高い。膝を曲げ、背丈を合わせるような気遣いも見せず、首すら曲げず、ただ視線だけを下に向けた。表情は微笑んでいるが、冷たく見下すような視線は子供に再考を求めた。


慇懃無礼を隠そうともしない相手に、いつもとは違う何かを感じ取った少年は、じっと目を合わせながら思案した。エリス。金髪碧眼だからロンダリア系の人種。自分よりいくつか上くらいのお姉さんで、王宮に出入りしそうな。ふと、この条件に合致する有名人のことが思い当たり、おそるおそる聞いてみた。


「あの、所属は・・・?」

「第三親衛隊に勤めております」


少年はそれ以上言葉もなく、ただ黙ってエリスと見つめ合った。エリスの方も、子供相手に本気になるほど大人げないわけではない。優しく、ただし脅しの利いたまなざしで笑いかけているだけだ。その子は三度呼吸をすると、両目に涙を蓄え始めた。


「私の顔、覚えておいてくださいネ?」


独特の調子で語りかけたエリスに、子供は頷いた。


「返事は」

「はい!」


高鳴った心臓を落ち着かせながら背中を見送った男の子は、父王に宛てた手紙に記した。噂に聞いた魔女は、思った以上に恐ろしく、でも、そんなに怖くなかった、と。

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