2-2 「じゃあまず、参謀君の方から全体的な方針の説明があるから」

帝都の親衛隊本部。エリスの私室で会議が開かれた。出席者は四名。エリスと参謀、そしてペンロッドの動向に詳しい密偵二人。


親衛隊長の個室とは思えないほど、エリスの部屋は閑散としていた。報告書を書いたり、本を読んだりする事務机と寝台、壁には夜用のランプが掛けられているが、その程度だ。水差しは事務机の上、衣類は余りの椅子にかぶせられ、貴族といえば誰もが思い浮かべる銀の燭台も食器もない。


正確には、エリスには領地が与えられていないため、貴族ではない。だが格式としては、元帥エルンストと親衛隊長ヒルダに次ぐ地位にいる。部隊規模が小さいために忘れられがちだが、エリスは高位の将軍位を与えられていた。


自室に名画の一つも飾るのが普通である。時には王を迎えることもある部屋なのだから、儀礼的な意味でも、装飾を施すのが当然だろう。だがエリスの身の回りには、いわゆる貴族的な物は全くなかった。


それが第三親衛隊がまとまった理由でもある。ならず者の親分としては、貴族的な振る舞いを避けた方がうまくいくのは事実だ。最初の配下は、お高くとまった人種を毛嫌いする者達だったのだから。


統率のためにエリスが贅沢を我慢している、というわけではない。意図して遠ざけているのは間違いないが、それは自制心によるものではなかった。


給金は十分に払われているはずだが、何に使っているのかは不明。室内に貯蓄しているかもしれない。時折、隊員の半数に酒会を許したりしている。本部で開くわけではなく、銘々好き好きに酒を飲みに行き、請求だけ自分のところに回させるというわけだ。


元無法者達からの評判はよかったが、しきたりに慣れているもっとまともな出自の配下達には心配されている。命を惜しまぬ剛胆さ、贅沢品への執着のなさは、現世に未練を残していないことに起因するのではないか。戦場に身を置く者としては美徳だが、幼いと言ってもいいほどの女子としては達観しすぎのように思われた。全く似合わないはずの形容なのに、儚げな少女に見えることがある。


「じゃあまず、参謀君の方から全体的な方針の説明があるから」


エリスの合図で作戦会議が始まる。事務机を囲むように置かれた椅子に腰を下ろしたまま、打ち合わせは進行した。


「本作戦は、アルベルト陛下からの内密の指令であり、目的はアルフォンソ・レオンの脱獄を成功させ、レオン家の残党と合流させることと位置づけます」


魔王の生存は、第三親衛隊全体には知らされていない。アルステイルは言われなくても気づいていたし、密偵達としても、あのご主君ならばそういうこともあるだろうという程度で、特に驚きもしなかった。


「そのためには、まずレオン家の残党と接触し、アルフォンソの受け入れ体制を整えさせる必要があります。つきましては、レオン家の動向に詳しい方からの情報提供をお願いしたい」


密偵の一人、髭の白い老いた男が答える。


「レオン家の残党と言いましても、レオンの血筋の生き残りはアルフォンソ以外には確認されておりません。残党の内情は、レオン家に仕え、権勢をほしいままにしていた重臣と、その御用商人達でございます」

「レオン家の没落に伴い既得権益を失った者達が、再起の機会を窺っている集団、程度の意味で捉えてかまいませんか?」

「左様でございます」

「その残党達の戦力規模、所在、現在までの境遇はご存じでしょうか」

「ペンロッド王カルロスが陛下に背き、アルフォンソ以外の一族ごと抹殺された後、ペンロッド王国は一時的にアルベルト陛下を王に戴き、同君連合となりました。その後、王位を忠実だったポルティシア公に与えられたわけですが、新王は腐敗の温床だったレオン家の統治体制を根底から覆すべく、旧臣への弾圧を強めました」


勝利者となったブランデルン王国の後押しもあり、旧権力に巣くっていた貴族達の多くが領土を剥奪され、新王国の中枢から排除されていった。


それでも、改易を免れた地方領主の下にやっかいになりながら食いつないでいたが、十分の一税の布告により、贅沢好きな貴族達が暮らすには厳しくなっていく。一時は山賊に身をやつし、大山賊として暴れ回ったが、帝国軍の介入によって離散。


かつての人脈を頼りに都市に入り込み、その後は密猟を主な生業として利益を上げ、裏社会で一勢力を築いている。


「密猟というと?」

「神域として、殺生を禁じられた山林の支配権を持つ神殿がございますが、そこの神官達と取引し、動物を狩っておるのです」

「どの神殿かはご存じですか?」

「はい」


そこまで聞いて、参謀はしばし思案した。


「念のため尋ねておきますが、残党達のねぐらまでは突き止めてませんよね?」

「残念ながらそこまでは。どこの都市にどの程度の勢力がいそうかまでは把握しておりますが」

「戦力はどの程度ですか」

「多く見積もって三千というところでしょう。ただここ数年、彼らの情報収集の必要性が低下しているため、最新の情報を元にしているわけではございません」

「レオン家の王子が解放されれば、迎え入れると思われますか?」

「はい。今はまだ当時の無念を抱いた男達の世代ですので、レオン家の王子を旗印として、もう一度兵を挙げたい気持ちがございましょう。まして、このご時世なれば」


エリスはただ黙って聞いている。どうしてさっさと、ゼクス牢獄への侵入方法や、アルフォンソ救出方法の話をしないのかすら理解できていない。こういう話は、丸投げするに限った。


「では次に、ゼクス牢獄にいるアルフォンソについてですが、何かご存じのことはありませんか?」

「特には何も。アルフォンソが収監されてから三十六年が過ぎましたが、一貫して気の強さを維持しているということくらいしか」


アルフォンソの父、カルロス王は首をはねられ、一族郎党、血のつながりのある者達が皆殺しにされる中、王子だけは生き延びた。理由は単純。アルフォンソだけが魔王に臣従しなかったからだ。


帝国に重職を得たばかりの若きアルベルトに対し、ペンロッド王国が宣戦を布告した。その戦いを逆転で制したアルベルトに、ペンロッドは同盟を提案。アルベルトの宰相就任を認め、以後は帝国宰相に忠誠を誓うことが約束された。


それを反故にし、再び戦いを起こしたカルロス達一族は根絶やしにされたわけだが、ただ一人、終始アルベルトへの敵意を無くさない者がいた。それだけに牢から出されることもなく、カルロスの離反とも明らかに無関係であるため、とがを逃れた。


「囚人としての態度や扱いはどうですか? 変わったことは?」

「ご存じの通り、ゼクス牢獄は今はもう政治犯を収容する場ではございません。町の無法者を集め、少しばかり痛めつけて懲らしめ、法に背くことが損になることを広めるための牢獄になっております。小物ばかりの中、魔王の旧敵にして生き残りというのは、さぞかし存在感のある御仁でしょう」


牢獄の所長としても扱いに困る男だった。敗れ、投獄されてもなお帰順しない強い意志と、頑強な・・・長い牢獄暮らしでやつれはしたが、戦士としての面影をもつ。反抗すれば痛めつけようもあるが、刑務官の職務にはおとなしく従った。


ほかの囚人達の間でも話題は尽きない。アルフォンソは一番奥の独房住まいだったが、誰もがその威厳には一目を置いた。世間の跳ねっ返りどもばかりが集まる場で、いつも一定の敬意を払われて過ごした。囚人達の間での呼び名は、殿下。牢獄の衛兵達ですら、殿下と呼ぶ者が出る始末。


「数日に一度は敷地内を散策し、木製の剣を振り回し、兵士達にも稽古を付けているとか」

「ずいぶん変わっているように思えますが」

「とはいえ、もう三十年以上もその調子ですので」

「珍しいお方ですな。ペンロッドも、王がカルロスではなくアルフォンソであったならば、また別な形もあったのかもしれませんが」

「陛下も嘆いておいででした。あの男ならば、一度交わした約束を違えることはなかった、と」


牢獄の囚人としては最重要人物でありながら、その警戒は弱いようだ。脱獄させるのは比較的簡単かもしれない。もっとも、アルベルトが没したことになっている今、同じように過ごしている保証はないが。


「では、私に時間をください」


といって、参謀は腕を組んで考え始めた。とつとつ、と、右手の人差し指が左腕をたたく。体が前後に揺れ、首をひねったり、額をつついてみたり、人が思考しているときはこうも動きがあるものなのかと気づかされる。


木製のカップに水を注ぎ、エリスは隊員達に配る。


「は。隊長殿、申し訳ございません」


エリスの身の回り、本部の雑用のために侍女を送ると言われたことはあるが、エリスはそれも断った。「お貴族様じゃあるまいし」というのがその理由だ。


新しい部類の隊員達としては、侍女に水汲みをしてもらった方がありがたいだろう。将軍の手を煩わせるのは気が引ける。これが無法者達だと、「わりーな、姉御」の一言ですむのだが。


ちびちびと口を付けながら、参謀の考えがまとまるのを待つ。


「さて」


アルステイルは顔を上げた。


「牢獄への侵入方法や、アルフォンソを脱出させる具体的な手順は、実際に牢獄の状況を確認してから改めて考えてみましょう。これまで通りなら、数十人の戦力でも強引に脱獄させられそうですが、警備や敷地の状況に左右されるかもしれません。ひとまず、レオンの残党達と接触を図り、アルフォンソ救出作戦に参加させられそうかどうか、どこまでならば迎えに来られそうかなど、確認する必要があります」

「では、我々が神殿を通し、残党達と接触してみます」

「お気を付けて。隊長も、この方針でよろしいですか」


難しい話には参加する気のないエリスだが、一つ気になったことを聞いてみた。


「あのさ。アルフォンソを脱獄させたとして、その責任はどこに行くの? 私たちは身分を隠して動くわけだし、牢獄の所長が怒られることになるの?」

「そうでしょうね。脱獄が王の意向であったことを隠すためにも、所長殿には重い責任を負って頂いて、まぁ斬首というところでしょうか」


後に反乱を起こすであろう、レオンの王子を逃がしたとなれば、そのくらいの処分は免れない。


「あと、レオンの残党を救出作戦に参加させるとなった場合、本当の戦いになるでしょ。牢獄の衛兵達は味方なわけだし、あんまり犠牲者を出したくないんだけど」

「なるほど。言われてみれば、そういう問題もありますね。できるだけ、兵士に被害の出ない方法を考えることにいたします。ただ、何をどうあがいても、アルフォンソは脱獄しますので、所長の責までは配慮できないかと」


今度はエリスが考え込んだ。魔女ならば悩まないことだ。参謀も隊員も、世間で噂されている悪名が、作られたものであることは気づいている。魔王と同類の、殺人を楽しむ者。処刑のあとには、ドクロを杯に酒を飲む。罪人を生きたまま燃やし、かがり火の代わりに吊しておく。キ印部隊の隊長は、実際はそのような魔物ではなかった。


エリスがその手で命を奪った数は両手では足りないが、だからといって、死なせる必要のない者まで平気で殺せるわけではない。


「なんとかならない? 所長の責任外の地点で襲撃するとか」

「難しいと思います。陛下にお手伝い頂ければ、護送の手続きを取り、護送中を襲うことはできますが、いずれにせよ誰かが責任を負います」


エリスが額に手を当てる。アルステイルが、一つ思いついた。


「では隊長殿、あの警備隊長を使いましょう。いかに伯爵の命令があったとは言え、謀反に組して帝国軍を妨害したのは事実です。どのみちあの男は処刑されます。証人として使うため、今はまだ投獄されていますが、長い命ではありません。ゼクス牢獄の所長を異動させ、警備隊長を後任に据え、責任を取って死んで頂きましょう」


一つの命が、新型チェスの駒のように打ったり取られたり、盤上の都合で使い捨てられる。指し手を務める青年の言葉には、戸惑いもためらいもない。


冷たい言葉にわずかな違和感を覚えながらも、エリスはそれを受け入れた。一番ましな、自分の中で納得のいく方法だと。


「それでは、レオン残党方面へは密偵を送り、警備隊長には恩赦の知らせと、牢獄の所長就任の指令を。現在の所長殿には異動命令を手配いたします。警備隊長の件につきましては、王宮の手続きが必要になりますので、隊長殿の方からフリードリヒ殿下へご連絡ください」


会議の結論は出た。参謀は密偵達に、「必要な人員を使ってかまいません。費用についても事後報告でどうぞ」と伝え、出席者達は退席していった。

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