第二章 帝国動乱

2-1 「悪巧みしてないと死んじゃう体なの?」

内乱は、一日にしてその姿を変えた。


宰相を討ち、貴族の力を回復させるための戦いから、ブランデルン王位の継承者を決めるための相続戦争へと。第一王子であるアルフレッドが王位請求権を行使し、同志であったランカプール公達がそれを支持する。


一方王都、およびブランデルン国内の将軍、官吏達は第三王子フリードリヒに忠誠を誓い、戴冠を求めた。


茶番である。


確かにアルフレッドは第一位の王位継承権者だった。だが内乱を画策して兵を率い、父王を殺しておきながら正当な王太子であれるはずがない。実際に手を下したのは地方貴族であり、アルフレッドは彼らとは無関係だと主張した。もちろん、アルベルトの臣下は誰も信用しない。信じてもらえるとも思わないし、信じてもらう必要もない。


実際に帝国に背き、宰相に離反した勢力はごくわずかであり、すでに表向きはアルフレッドによって鎮圧されたものとして発表された。内乱は終わったのである。書類の上では。


残ったのはブランデルン王家の問題であり、帝国とは無関係だ。それ故に、帝国各地の勢力はこの問題に対して関与する必要はなく、静観していてくれてかまわない。あくまでも、アルフレッドとフリードリヒの一騎打ちに持ち込むための方便でしかなかった。


だが、この詭弁にフリードリヒが乗った。帝国対反乱軍の図式を放棄し、あえてブランデルン王家のお家騒動という形式で迎え撃った。もちろん、フリードリヒの意思ではない。作戦の立案者は、魔王アルベルト自身だった。


アルフレッドの謀反を逆手に取り、自らの死を利用して、反抗的な貴族達を一網打尽にするための計画だった。貴族達が魔王に敵愾心てきがいしんを抱いていることは明らかである。魔王の政策に対してもことごとく反対を表明し、中央集権を阻害してきた。隙あらば反旗を翻そうとしていることも疑いようがない。


ならば、反乱を起こさせてやろうではないか。


面従腹背めんじゅうふくはいでいる者を討伐するのは、さすがに対外的な影響が強すぎる。叛意を持たない者達まで刺激しかねない。だが、背いた者を根絶やしにしたところで、だれが文句を言うだろうか。


もちろんこれは、危険な綱渡りになる。反乱の規模が想定を大きく超えれば、本当に帝国が大混乱に陥り、再び荒廃の一途を辿るだろう。


だから当然、準備は慎重になされた。エリス達が王子の謀反を暴いてから二月以上、出陣に時間がかかったのはそのためだった。


まず、各地の王の忠誠を確認した。アルベルトとしても、王の離反は避けたいものだった。王は強くあらねばならない。地方貴族の跋扈ばっこを許さないための総督として、王の権力には手を付けていない。


むしろ、王にとっての貴族というのは、悩ましい存在だった。本来ならば、その地方の最高権力者は王であり、地方はその指揮下に入っていた。それが、地元を守っているという実績を引き下げて、王に対して統治権の委譲を要求するようになった。受け入れれば王権が弱まり、拒絶すれば地元自警団の頭目が山賊に早変わりする。統治の都合上、臣下としての義務を果たすことを条件に、貴族として懐柔するほかはなかった。


中央集権を目指すアルベルトの政治は、王にとってはそう悪いものではなかったのだ。そのため、四人の王との会談はうまくまとまり、協力、もしくは好意的中立の確保に成功した。


さらに、すでに十分の一税が実行力を持ち、中央政府からの布告を実施している貴族達とも交渉が持たれた。アルベルトの統治を受け入れている貴族まで敵に回しても仕方がない。できれば、すでに従っている貴族にはそのままでいてもらいたい。


帝国に危機が迫っていることを告げ、国内が混乱した場合でも、アルベルトとフリードリヒに従うことを要求した。当然、内心どう思っているかはともかく、全員が承諾する。


これらはすべてアルベルト存命中の話し合いであり、アルベルトが宰相であり続けることが暗黙の了解だった。魔王の死が報じられた今、どれだけの拘束力があるかは不明だった。


今まで積み重ねてきた不満を爆発させた貴族達に同調し、離反しない保証はない。アルベルトにもその規模は計りかね、多少の不安はあった。が、見事に予想が大外れする。


いざ魔王の死が広まり、王位継承戦争が勃発しても、反乱のハの字も起きなかったのだ。


王や、従属的な貴族はおろか、明らかに謀反を起こしたがっているだろう貴族達ですら、一ヶ月もの間微動だにしなかった。反乱の計画を準備することもなく、仲間を募ることもせず、千載一遇の機会に何もせず様子を窺うだけだった。


魔王としても、アルフレッドとしても、これは予想外の展開だった。もっと積極的に各地で兵が挙がるつもりでいた。だからこそ第一王子としては、持久戦の構えを取った。ランカプールとその付近程度の支持母体しか持たないアルフレッドとしては、ブランデルン全土を支配下に置くフリードリヒを相手に、持久戦をしても勝ち目はない。


フリードリヒは暫定的に宰相に就任している。帝都にいるアルベルトの王子がフリードリヒだけだからだ。そのため、フリードリヒは反乱が起きれば対処する責任があった。反乱が頻発すればフリードリヒの戦力は削減され、アルフレッドが帝都を掌握できる。


ところが反乱が起きない。アルフレッドは次の一手を打ちかねていた。


アルベルトにしても、まさかあの反抗的な貴族どもが、自分の死に舞い上がらないとは考えていなかった。それもこれも、自分がどうして恐れられているのか、どのくらい恐ろしいのかを自覚していないことが問題だった。


確かにアルベルトの死の報は流れた。そこまでは計画通りだ。しかし、死体は見つかっていない。首級が挙がったわけではない。当然だ。親衛隊の鎧を身につけ、親衛隊員に混ざって砦を脱出し、そのまま都まで帰ってきたのだから。


アルベルトの生存を知っているのは第一親衛隊とエリス、側近のごく数名、そしてフリードリヒだけだった。


魔王が本当に死んだのなら、貴族達はこぞって兵を挙げただろう。反乱を起こしたい貴族はいくらでもいた。だが、生きているかもしれない、という恐怖が自制を促した。裏切り者を許さないのがアルベルトだ。敵は許しても、味方は許さない。帝国の臣である貴族が、帝国宰相に背けば、あまたの犠牲者と同じ末路を迎えるのは当然だ。


このまま何ヶ月も、あるいは何年も死んだふりを続けるわけにはいかない。政治的空白期間が長引きすぎる。魔王は、反乱を引き起こすために一つの計略を思いついた。そこで、今はブランデルン王都に引きこもっているアルベルトの下まで、エリスが呼び出された。


呼び出しとあっては仕方なく、ものすごく嫌々ながら参上した。不機嫌そうな表情に仕草、王に目も合わせようとしない姿は無礼にもほどがあるが、ヒルダもそれには触れなかった。


非常事態のため、王の護衛を離れることはできないと、ヒルダも同席することになった。いつもならばエリスを叱責し、主君に対する礼をわきまえろと小言を言わずにはいられないのだが、このときばかりは黙っていた。


「よく来たな。まぁ、ほれ、茶でもどうだ」


魔王も、エリスの不機嫌の理由をよく分かっている。まずは気分をなだめることから始めた。


返事もせずに、口を付けるエリス。


「で?」


頬杖をつき、横を向いたままのエリスが、茶を飲み終えるまで待つ。茶は高価な輸入品であり、東の海を渡って持ち込まれている。ブランデルン王国の主要な貿易品だった。


魔王の顔色を窺う者は数え切れないが、魔王が顔色を窺う相手は、今はエリスただ一人ではないだろうか。さすがにやり過ぎたと、反省したらしい。


死んだふりをして都に帰り着いたとき、ヒルダとフリードリヒも交えて今後の話し合いを持った。状況の変化について行けないエリスが、説明を求めた。王は何を求め、何をしようとしているのか。


アルベルトは真意を語った。反乱を起こさせるためだと。エリスは立ち上がり、ヒルダが制するのも聞かずに不満をぶちまける。


「何考えてんの! 頭おかしいんじゃないの!」


反乱が起きないように、国を、魔王を守るために任務を遂行しているのに、何でわざわざ自分から起こそうとするのかと。


年齢からは想像がつかないほど、エリスは落ち着きのある人物だった。潜入中に危機に直面しても身を竦ませることもなく、最善の対応を探した。配下の失敗によって隊が混乱しても感情を乱さず、罵倒もせずに解決策を求める。魔王に屈し、その臣となったときでも、自分の置かれた立場と力関係を正確に把握し、その中でなお我を通した。


十代半ばにして、剛胆さと冷静さ、忠義と反骨心を併せ持っていた。この年代ならば、いや、年齢にかかわらず、剛胆は短慮とともに現れやすく、冷静さは臆病の裏返しでありやすい。魔王に対して礼は欠くが、仕事ぶりは忠勤そのものだった。


能力が及ばず、時に回り道をすることはあるが、常に落ち着き、起きうる様々な予定外の出来事に心を乱さない。そんなエリスが珍しくも、頭に血を上らせ、赤みを帯びた顔で座っていることもできずにいる。


魔王はその姿を見て、内心楽しんでいた。


「内乱によって滅ぶ国は多い。幾多もの王がそうして討たれていった。なぜだと思う?」

「謎かけはいいから、答えを教えて」

「負けたからだ。国軍が、反乱軍に負けた。だから滅んだ」

「当たり前のことはいいの。もっと大事なことは?」

「その当たり前のことが大事なんだ。理屈というのは、当たり前の積み重ねだからな。なぜ負けるかといえば、王が弱かったからだ。だが、こうも言える。敵が強かったからだ」

「そんなの言い方次第でしょ。それで何で反乱を起こしたがるの」

「反乱とは、鬱積うっせきした不満の放出だ。たまりにたまった恨みが、ある線を越えたときに噴き出す。では、その不満をため込ませなければどうだ? 不満を感じさせないことは不可能だが、定期的にその不満を、というより、その不満の持ち主を取り除いてやったらどうなる?」


真面目なエリスは魔王の言葉にも耳を傾けた。呼吸も落ち着き、椅子に座り、額に手を当てて考え込んだ。しばらく目を泳がせると、一応納得したようだ。


「じゃぁ、反乱を起こさせないことはあきらめて、起きたときの規模を小さくするために、わざと今起こさせるってこと?」

「そういうことになる」


本当にそれが理屈として通用するものなのかどうか、エリスは参謀に確認するつもりでいた。エリスはもう一つ尋ねる。


「なんで、私に事前に計画が知らされてなかったの?」


これへの答えが悪かった。諜報部の責任者が、そんな大きな陰謀を知らされていないのはおかしい。当然、第三親衛隊も計画を遂行する側になるはずだ。エリスの感覚は間違っていなかった。


「それは・・・」


魔王は口元をゆがませ、含み笑いをもらした。人をからかって楽しむとき特有の、たとえば、チェスの新ルールを受け入れたエリスが突っ伏して悔しがる時にみせたような、無邪気な、子供じみた笑い顔。まだ少し赤らんでいる顔を見ながら、表情が崩れていくのを抑えきれない。


その瞬間、エリスはテーブルに手のひらをたたきつけ、椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がり、退席した。


あっという間の出来事に魔王もかける言葉がなく、髭をもしゃもしゃとさすって呟いた。


「・・・怒らせてしまったかな・・・」


ヒルダの方を振り向けば首を横に振っており、フリードリヒを見れば視線をそらされた。


「陛下をもっと厳しく躾けておくべきでした」


魔王には自分の楽しみのために、他者を人形のように扱う面があった。姉代わりであったヒルダは、もっと小さい内に直させておけばよかったと悔いた。


今こうして、エリスが茶を飲み終えるのを待たねばならないのも、直接の原因は王自身にあり、間接的には自分のせいでもあったため、礼儀作法にうるさいヒルダも口を挟めなかったというわけだ。


「どうせ、またろくでもないことなんでしょ」


ふぅと、温まった口から息を吐く。魔王は苦笑いをし、頷いた。


「あぁ。おぬしにはそう思われるだろうな」

「もう慣れたから、どうぞなんなりと」


エリスは耳を前に向けて、話を聞いた。


「ゼクスの牢獄に、アルフォンソという男が捕らえられている。これを解放し、野に放ってもらいたい」


エリスの記憶によれば、ゼクスはブランデルンの王都より南、ペンロッド王国との境に位置する町だった。


「ゼクスってブランデルン国内じゃないの?」

「そうだ」

「だったら、おーさまの支配下にあるんだから、釈放させればいいでしょ」

「それができるなら、おぬしを呼び出してはおらんよ」


かつてアルベルトはペンロッド王国と雌雄を決する大決戦を行った。帝国でも屈指の大国であったペンロッドは腐敗が進んでおり、その隙を突く形で勝利を収めた。その際に多くの要人を捕縛し、収容のために新たに建設されたのがゼクス牢獄だった。


最初の収容者達はもうほとんど残っていない。多くの捕虜は許され、解放された。後に魔王に背いた者達は、もうこの世にない。重要人物をとどめておく施設としての性格は失われ、城の牢獄に入れるほどでもない、軽微な罪を犯した者達に対する見せしめの牢獄として使われるようになっていた。


「アルフォンソはペンロッドの元王子でな、数少ないレオン朝の生き残りだ」


きな臭くなってきた。予想していたことだが、またエリスの常識に反する指令のようだ。


「その人を解放すると、何かいいことがあるの?」

「あぁ。あやつならきっと反乱を起こしてくれる」


エリスがまた一つ、ため息をつく。


「くれぐれも、身分を悟られてはならんぞ。儂が意図的に解放したと知られては、怖じ気づいてしまうからな。あくまでも、レオン一家の手の者として遂行しろ」

「そこまでいくともう病気だよね。悪巧みしてないと死んじゃう体なの?」

「分かってるではないか。そうそう、だからあきらめろ」


病気が理由なら何でも許されるというわけではないが、エリスもそれ以上何も言わなかった。


「ま、やれといわれればやるけどさ。ゼクス牢獄の見取り図ってある? あと、レオン家の資料とか」

「王宮の資料室を探すといい。ロムリアの宮殿にも収められているだろう」

「全部探すのめんどくさいからさ、その辺の事情に詳しそうな人教えて。聞いた方が早い」

「古くからの文官なら、ある程度のことは把握しているだろう。だが、レオン朝が倒れてずいぶん経つからな。残党が今どこでどうしているかを一番よく知っているのは、現場で調べていた密偵達ではないか」


それならば、全員エリスの配下になっている。


「あ、そ。じゃあ聞いてみる。もういい?」


アルベルトが頷くと、エリスは部屋を出て資料室を探しに行った。


魔王もため息をつき、冷めた茶をすする。


「口は、利いてくださいましたな」


ずっと黙っていたヒルダが感想を述べる。


「あぁ。だがまだお冠だのう。なんとか、機嫌を直してくれんものか」

「実の孫よりかわいいご様子ですな」


ヒルダの皮肉には、笑みで答えた。

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