私の記憶はポンコツだ。

砂竹洋

ポンコツな私をご紹介します。

 私の記憶はポンコツだ。


 いきなり何を言うんだこのアマ、と思うかもしれないが、事実なのだからしょうがない。

 と言っても、別に記憶喪失だとか精神的な病だとかそういう問題ではないので、心配しないで欲しい。あ、やっぱり心配して。ちょっと深刻だから。


 事の始まりは――これは覚えている限りではという意味だが――小学一年生の頃に遡る。

 当時の私は本当に何も考えて無くて……いや、やっぱりよく考えていたと思う。多分。断言は出来ないけれど、周囲から浮かないように頑張って生きていたと思う。

 でもとにかくその事だけに精一杯で、自分がどういう人間かなんて全く解っていなかった。


 そんな私が、ちょっぴり周囲から浮いてしまう出来事があった。

 そんなに珍しいイベントじゃない。どこの学校のどこのクラスでも普遍的に行われている、いわゆる一つの席替えである。

 周りの皆は「この席がいいー」とか「女子の隣なんて絶対ヤダ!」とか色々な感想を持っていて、私も皆に合わせて「えー」とか「やだー」とか言っていたと思う。多分。


 でもそれは自分自身の感想じゃなくて、単に合わせていただけ。

 そんなのも別に珍しくないと思う。

 問題なのはその後。具体的には次の日の朝の事。

 普段から早くも遅くもない時間に登校していた私は、その日もそこそこ人が来ている教室に足を踏み入れた。


 ここまでの話でなんとなく察している人も多いだろうけど、私は席替えしていたのを忘れて、うっかり前の自分の席(つまりは現在別の人の席)に座ってしまったのだ。


「あれ、つみきちゃん。そこ佐藤君の席だよ?」


 ちなみにつみきちゃんとは、私の下の名前だ。

 指摘してくれたのは幸いにも当時仲良くしていた陽子ちゃんだったので、それ自体は良かった。「あちゃー、まちがっちゃった」で済む話だった。


 でも、よりにもよってそのタイミングで件の佐藤君が教室に入ってきたのだ。

 さて、小学一年生の男子が、自分の席に女子が座っているのを目撃したら、どういう反応をするでしょう?

 答えは、そう。拒絶です。


「お前、何俺の席に座ってんだよ。きもちわりー」


 これが、佐藤君の発言である。

 なんとデリカシーの無い発言だろうか。子供じゃなかったら即刻袋叩きにされてもおかしくないだろう。

 私はショックを受けて泣いてしまった。

 騒ぎはすぐに広がって、クラスメイトの誰かが先生を呼んできた。

 泣きじゃくっている私の代わりに、陽子ちゃんが一部始終を説明してくれて、佐藤君が先生に叱られていた。

 その時私はと言うと、少しスカッとした。


 そりゃあそうでしょう。席を間違えただけでなんで気持ち悪いと言われなきゃならないのだ。先生に小突かれているのを見て、ざまぁみろくらい思ってもいいでしょう。

 それはともかく、その後は何事も無かったかのように授業が始まり(佐藤君は拗ねていたけど)、その日はそれでおしまい。めでたしめでたし。


 と、いかないからこんな話をしているわけで。次の日には更なる問題が待ち受けていた。

 なんとまぁ、私ときたら。そんな事件があっておきながら席替えの事実を再び忘却してしまったのである。


 あり得ない、と思うでしょう? でもそのあり得ない記憶力の無さが私なんです。


 次の日の朝、私はなんとなく考え事をしながら席に着いた。そう、当たり前のように佐藤君の席に。

 しかもタイミング悪く陽子ちゃんは教室に居なくて、これまたタイミング悪く佐藤君が教室に入ってきた。


「おま……なんでまた俺の席に座ってんだよ?」


 佐藤君の声は震えていた。その感情が怒りだったのか驚きだったのか、その両方なのかは分からない。分かるはずない。

 その時の私は自分の行動が説明できずに頭が真っ白になっていて、返答もままならない状態だったからだ。

 数秒の沈黙の後、最初に言葉を発したのは私でも佐藤君でもなく、クラスの別の男子だった。


本郷ほんごう、佐藤の事好きなんじゃねーの?」


 さて、爆弾発言のお出ましである。あ、ちなみに本郷とは私の苗字だ。本郷つみきだ。

 ともかく、その発言はあっという間に教室全体を騒然とさせた。


「えー!? 本郷さん、佐藤君の事好きなんだー!」


 これは女子の発言である。クラスでも目立った子。女子は実に恋愛話が大好きだ。


「ひゅー! 佐藤と本郷ラッブラブー!」


 このムカつく囃し立て方は男子だった。男子は実に人をからかうのが大好きだ。


 からかうネタが存在し、それが恋愛話であった時。女子も男子も関係なく全員で騒ぎ始めるのが小学生と言う生き物だ。まぁ、高校生とかでもあんまり変わらない気がするけど。


「ち、ちがうの! そうじゃないの!」


 私は必死になって弁明した。でも無駄なのだ、小一の私よ。

 一度席を間違えたことが発端で騒ぎになったというのに、その舌の根も乾かぬ次の日にもう一度同じ間違いをする人間が居るなんて、誰も信じてくれない。

 そう、たとえ仲良くしていた友達であっても……。


 うん、そうなのです。

 ざわついている教室に戻って来た陽子ちゃんは、騒ぎの中心が私なのを見てすぐに駆けつけてくれた。でも、周囲の人間の「本郷さんは佐藤君の事が好き」発言に興味津々になり、


「えー! そうだったの!? 言ってよ、つみきちゃん!」


 とまぁ、こんな状態である。

 仲の良い友達にまで裏切られ、いくら否定しても誰も信じてくれない事で、私は少しずつ涙目になっていった。

 ハイ、ここでダメ押し。佐藤君の発言です。


「お前、ふざけんなよ! 俺はお前みたいなブス興味ねーかんな!」


 えー、である。

 昨日の今日でそんな発言をするとは。

 私はそれはもう、滝のように涙を流した。

 そこからは前の日と同じ。先生が来て、事態をなんとか収めてくれた。


 私はこれ以来、しばらく男子が苦手になった。

 後になんとか誤解の解けた陽子ちゃんが慰めてくれたおかげで、人間不信とまではならなかったけれど、なかなかトラウマな出来事でした。


 さて、この出来事。問題はどこにあっただろうか?

 私が口下手で、上手く説明が出来なかったせい?

 佐藤君が意地を張って、女子に興味が無いみたいな態度をとっていたせい?

 二回目にして陽子ちゃんすら味方をしてくれなかった事?


 違う、そうじゃない。

 私の記憶力が、尋常じゃなくポンコツなせいだ。

 多分、大事な事なら覚えていられるんだと思う。

 でも、その「大事な事」カテゴリに入る物が少ないのが私なんだろう。

 この後も、この記憶力のせいで私の人生は大変な目に遭った。

 

 その事件のせいで、小二にしてプチ有名人になった私の「あの子皆の名前全然憶えない」事件。

 冷たい奴だと思われてもまだ仲良くしてくれた陽子ちゃんの「リコーダー借りパク」事件。

 レクリエーションの時間にかくれんぼの鬼になり、全員見つける前に勝利宣言をした「私がルールだ」事件(そんな事は言っていないけど)。


 そんな事が続けば、当然皆からは苛められるわけで。


 ――現在、中一になった私は絶賛ボッチまっしぐらなのであった。

 ちなみに性格も暗ーく暗ーく育った物だから余計に友達なんて出来やしない。


 友達と言えるのは、学校の帰り道に見つけた捨て猫くらいなものだった。


「よしよーし。ニャーコは今日もかわいいねー」


 動物に話しかける痛い奴。そう思われても仕方がないと思う。

 近くのコンビニで買った猫缶をあげながら、唯一の友達と会話する。


 私にとっては、この時間が何よりも大切な時間だったのだ。

 ――本当に、他の事を忘れるくらいに。


 そう。その日の私は、ついにここまで来たかというレベルのポンコツっぷりを発揮していた。


 遡る事四時間前――昼休みの時間の事だ。


 私は同級生の男子に呼び出され、誰も居ない校舎裏に連れ込まれた。

 ああ、どうせまた苛められるんだな、と。

 服を脱がされたりしたら嫌だな、と。

 完全に諦めながらついて行った私に、あろう事かその男子はこう言った。


「好きです! 付き合ってください!」


 ぽかーん、である。

 しかも、しかもだ。

 その男子ってば、ついさっきまで思い出せなかったけど、私をブスと言わしめたあの佐藤君だったのだ。

 

「え、いや。その……はい、わかりました」


 私の反応もなんなんだこれ。

 実際のところは、罰ゲームの告白とかそんなんだろうと思っていたから、断ったらより酷い目に合わされると思っていた。


「え、いいの!? マジで!?」


「はい。その……もういいですか?」


 同級生に終始敬語な私である。

 対する佐藤君ったら、もー喜んじゃって喜んじゃって。

 私は私で「佐藤君もこんな演技しなきゃいけないなんて大変だなぁ」なんて思っていた。


「じゃ、じゃあ早速だけど。今日の放課後一緒に帰ってくれないか?」


「いや、その、はい。いいですけど」


 一体この茶番はいつまで続くんだと思いながらの返事だった。

 だからこそ、だったと思う。


 私にとってこの件は、「大事な事」のカテゴリから完全に外れてしまっていた。

 

 ――そしてニャーコと戯れている現在に戻る。


 すっかりその件を忘却している私にとって、今はニャーコが世界の全てだった。

 ああ、かわいい。なんでこんなかわいいんだろう。なんでこんなモフモフなんだろう。ああ、手を舐めてくれてるかわいい。肉球もプニプニでかわいい。もうなんだろうこの子私を癒すために生まれて来たんじゃないだろうかそうに違いないもっと撫でさせてモフモフさせてモフモフモフモフ――


「お前、猫好きだったんだな」


 急に話しかけられて私の体は跳ねあがった。

 それはもう漫画の様に。

 ビックゥ!って効果音が聞こえるくらい。


 ニャーコもそんな私にびっくりして一緒に飛び上がっていた。

 そんなところまで合わせてくれるなんてかわいい。


 さて、そんな事より私に話しかけてきた男の正体は、やはりというか佐藤君だった。

 

「さ、ささ佐藤君!? どうしたのこんな所に!?」


 あ、これ私ね。

 動揺して変な声出てた。恥ずかしいったらもう。

 ささささとうって誰よ。


「どうしたも何も……あー、やっぱり忘れてたか」


 ハイ、忘れてます。

 ってこの時の私はそんな事言えるわけないんだけど。忘れてるからね。


「忘れてるって……、何の事?」


「一緒に帰ろうって約束しただろ。ま、いいやそんなの」


 佐藤君は本当に気にした様子も無く、ニャーコを撫で始めた。

 ああ、私のニャーコが……とはちょっと思ったけど、それより佐藤君の反応が気になった。


 なんで怒らないんだろう。

 言われて思い出した。確かに交わした約束を、私は破ったのに。

 そもそも、罰ゲームじゃなかったのだろうか。

 あ、そっか。罰ゲームだからこそ私にばれない様にしないとなんだ。

 その時の私はそんな風に解釈して、少し申し訳ない気持ちになった。


「そっか、ごめんね佐藤君」


「だからもういいって。この後は一緒に帰っていいんだよな?」


「うん……、佐藤君も大変だね」


「はぁ? なにがだよ?」


 ちょっと口が悪い所は昔から変わってない。

 けど、偽物だとしてもその優しさが嬉しくて。


「ううん、なんでもない」


 その嘘に騙されてあげる事にした。

 こんな風にまともに人と話すのも久しぶりで、なんだか楽しかったから。


 その後も普通にお話しながら下校して(家の前まで送ってくれた)、次の日も、また次の日も同じように放課後は一緒に帰った。

 私が忘れない様に下校直前にちゃんと声をかけてくれて、歩幅も帰る方向も私に合わせて一緒に帰ってくれた。

 いつ現実を突きつけられるか内心ビクビクしながら、それでも私は彼の嘘に騙され続けた。


 ――そうして一か月が過ぎたある日の事。

 今度は私が佐藤君を呼び出した。

 あの時告白された校舎裏に。今度は私から佐藤君を誘った。

 でも、決して内容はロマンチックなそれじゃない。


「佐藤君、もういいんじゃないかな?」


「いいって、なにが?」


 まだ知らない振りをしてくれてるけど、私はもう罪悪感には耐え切れなかった。

 もういいよ、もう――終わりにしてよ。


「罰ゲーム、なんでしょ? 私の事なんて好きになるはずないし、私みたいなのと一緒に居て楽しいわけない。なのに佐藤君はずっと優しいし、もう――」


「本郷? お前、何言ってるんだよ? 罰ゲーム?」


「もういいよ! もう疲れたの! そうやって私を騙してからかってたんでしょ!? やめてよそういうの! 長すぎるよ! すぐにネタばらししてくれると思ってたのに……こんなの、酷いよ……」


 そう言って、私は泣き崩れてしまった。

 ああ、佐藤君の前で泣くのは三度目になるのか、なんて考える余裕も無かったけど。

 その場で泣き崩れた私に――佐藤君はそっと近づいて、私を抱きしめた。


「そっか。そんな風に思ってたんだな。ごめんな」


 謝りながら、抱きしめながら、私の頭を撫でてくれた。

 ――そういえばあの時、陽子ちゃんもこんな風に撫でてくれたっけ。

 そんな事を考えながら、彼の腕の中で泣き続けた。


「罰ゲームじゃない。本当に俺は本郷の事が好きなんだ」


「うそ……だよぉ……。だって私の事……ブスって言っでたぁ……」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら反論する。

 実際、お前のせいで私は男子が苦手になったんだぞ、と軽く恨みを込めながら。


「あの時はお前、照れ隠しだよ。悪かったと思ってる。」

 

「信じられないよ……」


 この辺りで、私は少し落ち着いてきた。

 抱きしめられてるのも恥ずかしくなって、自分から離れる。

 無理やり離れた私に、嫌な顔をするわけでもなく、佐藤君は真っ直ぐこっちを見つめてこう言った。


「じゃあ、わかった。お前が信じてくれるまで、ずっと傍にいてやる。周りからからかわれても構わない。出来る限りずっとだ。だから、ゆっくりでいいからさ。時間をかけて俺の事を信じてくれればいい。あの時の告白の返事は保留にしよう。それで、俺の事を信じてもいいと思えたら、その時は――ちゃんと返事を聞かせてくれ」


 正直な話をすると、その言葉だけで十分だった。

 一か月一緒に居て、なんとなく佐藤君の優しさは嘘じゃないって分かってた。

 でも、苛められ続けた私はやっぱりどこか信じられなくて、信じたい気持ちと信じたくない気持ちが絡まって。


「うん。じゃあ、私から離れないでね。ずっと、一緒に居てね。そうしたら、昔の事も水に流す。そうしたら――信じてあげる」


 そんな意地の悪い返事を返してしまった。


 不器用な私でも、ポンコツな私でも。

 本当に愛想を尽かさず傍に居てくれるなら。



 その日から、佐藤君は私の「大事な事」の一部になった。


 私の記憶はポンコツだけど。


 この人の事はもう――忘れない。




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