碁盤の目の街あやかしの街

@bikki_bouco

第1話 コーヒーと水の薫り

『流れる水には魔法がある』

そう記されたのはシートン動物記、

野ウサギの生態を記した1章だった

確かあの時の意味は「流れる水を渡れば追跡する者を遮ることができる」という意味で使われていたように覚えている


山下ナオも追跡する街の大通りの喧騒とアルバイトの疲れから自分を遮り逃れるように創成川公園のほとりに来ていた


 リラ冷え、札幌市の花ライラックが咲く時にぐっと気温が下がることをそう呼ぶのだと知ったのは地元から出てきて札幌に住みつき大学にはいって6月になるすぐの週末だった

 ナオは遅番のバイトの後、コンビニの温かいコーヒーを手にして曇るメガネを気にしながら川沿いに腰を下ろした

 ーー今日も疲れたなあ

 遠くで笑い合うカップルの笑い声を気にしながら川面の側まで降りたあと芝生に座り、カバンから円筒状のスピーカーを出し、好きな音楽リストを選ぶ

街の中心部にも関わらず自然を残し整地された川沿いは草と水の青い香りを放ち、豆から曳かれたコーヒーの香りとは混じり合うことなく鼻腔にすっと入ってくる

 スタンダードなジャズナンバーを流し始めたスピーカーのLEDが左目の端に映る街のテレビ塔のライトアップと同じグラデーションになった時ふと何かが川面を過ぎり


「ねぇそれなんて曲?」と若い男の声がした

 川面に目をやると白くて平たくまるい柔らかそうなものが目に入りその下の男の顔と目が会った瞬間

 ナオの頭は思考を止めた


 男はひょい、と川から身軽に抜け出し細身の体で月の下にゆらりと立つ

「こないだミックスされてかけられてるのをきいて惚れ込んだんだけどなんて曲かわかんなくてさ、でもラップとか入ってないアレンジが聞いてみたくて、ずっと探してたら今聞こえてきたんだ、そしたら今あなたが流してるじゃん?ちょっとこのまま顔を出すのはダメだってわかってたんだけどきいちゃうじゃない?あ、他意はないんだ、ホントだよ

 で、それなんて曲なの?」

 矢継ぎ早に質問を飛ばしながら男は歩いてくる。

 この川は遊水公園みたいなもので人が泳げるような深さはあったっけ?

 それにしてもこの人なんなんだろう、普通の遊んでる人に見えるけど、でも頭の平たいぷよぷよしたものはなんなんだろう?


 そしてなんで濡れてないのかな?変な人だよな、近くに人もいるはずだし

 そう、叫ばないと、誰か呼ばなくちゃ

 だってここは大きな街で悪い人が沢山いるってじいちゃんも言ってたんだし


 叫ばなくちゃ


 だが、ナオの身体は矢継ぎ早に巡る脳内とは別に

 右手のコーヒーをぐびっと一口飲み

「...スパルタカス愛のテーマ」とか細い声で言うのであった


へぇー、と男は感心したようにいう

年齢はナオより上20代の半ばくらい、全体的に着崩した服をまといナオよりもこの街には相応しいように思える

頭の異物と川の中からでてきたという異質さをのぞけば札幌駅にいてもおかしくはない


呆気にとられたままのナオを後目に男はスマートフォンを出し何やら入力し始める

ああ、とナオの頭はようやく動いた


ーー今どきは河童も人に化けてスマホを使うのか


頭のプヨプヨしてそうな平たい皿、川の中からにゅうとのびた痩せた身体の後ろには亀と言うよりは大きなトカゲの鱗を剥いでつけたような甲羅。

文献やメディアで見聞きしたものよりは大分人間にそっくりだけどよく見ればスマートフォンを慣れた手つきで操る指の間にはライトが透ける薄い水かきもある


あ、と言うと男はスマートフォンを満足げにながめた

希望した検索結果が出たようだ

「ありがとうね、これでいつでも聞ける

それにしてもいい曲だよね」と言いながら向けた背中に硬そうな甲羅を見た時

やっとナオの口が思うように動いた

「…かっカッパですか??」

おや、と変わったものを見るように男の表情がこちらを向いたあと、一瞬黙り込むと納得したように動いた

「そうか、君はまだ『こども』なのか」


ーーさらに一瞬の沈黙のあと、冷えて固まっていたナオの頭は常温を超えて加熱した

『こども』『こども』とは常に言われていることであるがナオは立派な大学生、常日頃『子供扱い』されるのには慣れる反面大いに不満もあった

「おじいちゃん子」として育ち、童顔な見た目や低身長にぱっとしないメガネ、冒険するのが何となく嫌で選んでいる地味な服装のせいでどこでも「地味な子供」扱いされるのには自分でも驚く程大きいコンプレックスがあったのだった

言い返そうと強く拳を握ると大きく口を開く

「こ、こどもなんかじゃ!ないです!」

思うより上ずった声が響き、ナオは赤面した


それに対して男はそれほど済まなそうにもせずいやいや違うよ、と手を振った

「君が『年齢通りに子供』な訳ではなくて夜や色んな『もの』に対してまだ新しい感性を持ってるってことだよ」

男はひょうひょうとして続ける

「だいたいこの辺りにいてぐったりまったりしてるヤツらは異性や夜のライトや何より酒に酔ってるから、おれに出会っても違和感をもたないんだ

だから話しかけても驚かれないし『カッパですか?』なんて聞きもしない

ただ、ひと目で正体を見破られてしまったからには」

突然男の声がぐうっと低くなり、さっきまで聞こえていた男女の声が全く聞こえないことにナオはぞくり、とした


月を背中にしてナオよりずいぶん上背のあるカッパの表情は窺えない

ーー…ああ、これはしまった

私はどうなるのかな、引きずり込まれるとか、オーソドックスに尻子玉とかかな

脊髄から冷たい思考が流れてきてヒートアップした脳が冷えていく中、ナオは全てを後悔した

バイトが終わってここに来たこと、音楽を流したことからコイツに声をかけたこと

ーー実家のおじいちゃん、泣くだろうなあ

ーー立派になれよ、って送り出してくれたのに

ーーいや、まだだ、じいちゃんにまた会うまではー

死ねるものか、ともう一度涙の溜まった目の前に出されたのは2つの切子のグラスだった


「おれたち河童ってのはひとめで見破られてしまったら『友達』にならなきゃいけないんだ」

あいかわらずひょうひょうとした声で男はいや、『河童』はこちらに伝えてきたのだった


切子のグラスは川面の月の光を反射し、中の透明な液体もキラキラと光っている

まるで川を切り取ったようだ


「乾杯ってことだ。大人が『友達』になるには必要だろ?」

『こども』扱いされてカッとなったナオを揶揄うように河童は笑ってさらにグラスを差し出してくる

「人間て自分が選べないとおれたちがまた『化かす』って思ってるらしくて」

「だから好きな方を選べってこと…ですか」


びくびくしながら確認すると

そうそう、とカッパはもっと相好をくずす

こうして見ると頭や甲羅、所々に見える異形以外はびっくりするほど大学やアルバイト先の男の子達と変わらなく見える

なのに、高齢の教授や街の中で会うお得意さんのように年齢を重ねて謎をお腹に抱えているようにも見えて何を考えてるかはわからない。だけど。

慣れつつある大学やアルバイトよりも余計なことに干渉しない都市の文化よりもこれって面白いのかもしれないし、これ以上変な出来事ってもうないだろう

ナオは心を決めて右のグラスを手にした

胸元に持ってくると涼やかな水と瓜のようなにおいがつよく薫った


ーー流れる水には魔法がある

そのとおりだが、この街においてはその魔法は幼い日シートンの本にあった一説より「文字どおり」の直接的な魔法として生きているようだ


カッパが差し出してくるグラスの端に、きん、と手の中のグラスを合わせるとナオは「なるようになれ」半分以上を流し込んだ

冷たい水のように見えたそれは意外と強い酒でまだ酒慣れしていないナオの口内と喉をヒリヒリとしみながら胃の中でとぐろを巻くと体内に駆け巡っていく


びょう、と風が吹いてライラックの匂いを何処かから運んできた。2人の後ろをゆったり創成川と音楽はながれていった


続く




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