第九小節 真実の爪痕
「これで良しっと。じゃあコレット、魔導陣の中に入ってくれるかな」
「あ、うん。これでいい?」
「そうそう。しばらくそんな感じでじっとしていてね。それじゃ、行くよ」
午後の授業を終えた後コテージに戻ったボクたちは、コレットの了承も得て、彼女の身体に突如として起こる体調の急変……その原因を探るために魔導陣を要する古い分析術をコレットに施すことにした。これによって何かの手掛かりが得られれば、彼女にとって今後の生活がきっとより良いものとなっていくはず。
「其に刻まれし
目を閉じれば、この瞼の裏側に彼女の身体に刻まれた様々な記憶が色鮮やかに描き出されていく。それは瞳を通して得た光景などではなく、コレットがその身を通して得た生の感覚が転じたもの。そしてその感覚のさらに深奥へと手を伸ばせば、それを齎した根源の姿を捉えることが叶う。
「う……うぅ……ん、んん……はぁっ、くっ……!」
「だ、大丈夫なのエセル? 何だかすごく苦しそうだけど……」
「そうだよエセル、私のために無理なんてしないで――」
「い、いいんだ……どうかボクのことは気にせず、このまま続けさせて」
身体に刻まれた記憶を遡り、その深部を探るということは、いわばコレット本人が過去に得た感覚をボク自身が追体験するということでもある。それは、彼女がこれまでに経験した苦痛もまた
そうして長く分析を行う中で、ボクはコレットが急に体調を大きく崩すきっかけというか、その原因を齎しているものの正体が凡そ掴めた。それは彼女がもともと持っていた体質的な要因や悪気の影響によるものではなく、おそらくは外界から訪れてその肉体に害を与える物質――
「ふぅ……とりあえず、元凶の正体は大方掴めたと思う……コレット、もう陣から出てもらって大丈夫、だよ」
「お疲れさま、エセル。私のために何だか辛い思いをさせてしまってごめんね。額にそんな汗までかかせちゃって……今、私のハンカチで綺麗に拭いてあげる」
「あぁ、気にしないで。ボクなら大丈夫だし、そんなに心配は要らないよ」
「良かった。それで、レティの体調を悪くしてる原因っていうのが、エセルは何なのか判った感じなの?」
「……まぁ、そんなところ。ねぇ、コレット。念のために訊くけど、これまで特定の食べ物を口にしたあと、急に気分が悪くなったってことはない?」
ボクが本を通じて得た知識の中に、
それは俗に『死神の接吻』などと呼ばれるもので、人間が特定の食物を摂取、もしくは触れることで、呼吸困難など生命を脅かすほどの劇的な全身症状が突然現れ、しかもその原因物質は人によって異なる場合が多々あり、普通の人には何でもないものが別のある人にとっては死毒にさえ成り得る、実に厄介なものだった。
「うぅんと……食後に気分が悪くなった経験自体はあるけど、そういう時はもともと体調が悪い状態に限ってのことだったから、何か特定の食べ物が原因でってことは特に無かったかな」
「そっか。なら、もう一つ訊きたいんだけれど、コレットの体調が悪化する時って、療養先に居る時よりもフィルモワールに居た頃の方が多くなかった?」
「えっと、きっとそうかも。療養先に居る間に体調が良くなって、街に戻ってきてしばらくしたらまた急に調子が悪くなるってこと、かなりあったよ」
「……やっぱり。ちなみにその療養先には、誰かがたまにお見舞いに来ることはあったのかな? 例えばコレットの家族や友人とかが、さ」
「お見舞い……あぁ、それならお姉さまたちがたまに顔を見せに来てくれたかな。普段はこの私のこと蔑んでいたけど、その時だけはやけに優しくって……二人で、お料理まで作ってくれたことすらあったよ」
「えっ、そうだったの? 前に聞いた話からすると何だか意外だなぁ。まぁ、レティのお姉ちゃんたちにも、少しは良いところがあったってことかな?」
「…………」
コレットの話を聞けば聞くほど、ボクの中に渦巻いた黒い疑念がその濃さを増していく。それは彼女の二人いる姉たちが、これまで彼女の食事などに対して、すぐには効果が現れない遅効毒のようなものを混入させたのではないか、というもの。
そしてその理由はおそらく、本当のところはコレットの方が、魔術の才能においてその姉たちよりもずっと優れていたからだろう。実際、彼女の持つ能力の非凡さは一緒に戦ってみてよく判った。まだきっと本調子ではなかったにも関わらず。
コレットは、その継戦力や深い魔術の知識に加え、本領を発揮した際の集束技術はもとより、複数の変現資質までをも持っている辺り、他の同年代の子たちよりも遥かに多才で有望であるように感じられる。
「……その、コレット。確か君の体調が急に悪くなりだしたのって、学院に通うようになってしばらくしてから、だったよね?」
「うん。院に入る時に精密な適性検査を受けた結果、この特別学級の一員になることが決まって。それでお姉さまたちに恥をかかせないよう、これから精一杯頑張ろうって思った矢先、急に体調が酷くなって学院も休むようになったんだ。で、途中からは家族の勧めで、遠地での療養生活もするようにもなったの」
「なるほど……ねぇ、コレット。今からボク、自分の憶測も踏まえた上でちょっと嫌な話をするけど、どうか気を悪くしないで聞いて欲しいんだ」
「え? う、うん……分かった」
そして意を決したボクは、ボクがコレットに施した分析術で得られた情報や、彼女自身から聞いた話を色々と考慮した上で、確信に近付きつつあった
コレットはボクの話を静かに聞いていたものの、その表情は次第に曇り始め、やがて彼女自身もこれまで妙に感じていたことに何かしら合点がいくことがあったのか、時折その首を細かく横に振りながらも小さく頷いたり、顎先に手を宛がってしばらく沈思するような素振りを見せたりしていた。
「……ボクからの意見は以上だよ。もちろん確たる証拠は何もないけれど、コレットの身体が伝えて来た声に、君自身から聞いた話を加味した上での考えだ。だからそれをどう受け止めるかはコレット、君に委ねるよ」
「エセル……ちょっとだけ、一人にしてもらっても良い、かな……?」
「分かった。エフェス、ここはちょっと外して、街の方にでも出ていようか」
「あ……うん。レティ、私たち街の方で何か美味しそうな果物でも買ってくるから、それをまたあとで一緒に食べよう。ね?」
「ありがとう、二人とも。心配をかけてごめんね……」
それからボクとエフェスは、自分たちの居た砂浜とはちょうど反対方向にある街の方へ下りて、しばらく辺りをぶらぶらと見て回ることにした。しかしエフェスはやはりコレットのことが特に気がかりな様子で、どこか心ここに在らずといった表情を浮かべていた。
「エフェス。やっぱりコレットのことが心配なんだね?」
「うん。私たち、まだ会ってそんなに経ってないけど、ああやって一致団結して、もうすっかり友だちになれたと思うし、他人事のようには思えなくって。何より、自分の家族がそんな酷いことをって考えたら、頭がどうにかなっちゃいそうだもん」
「……そうだね。本当のところは判らないけれど、おそらく事実は概ねボクの予想通りだと思う。コレットの身体に残されていた記憶を最奥まで探ってみて、彼女の身体を蝕んでいた毒素に、彼女のものに似た生体魔素の残滓を微かに捉えたから」
それは先の分析術を通して得た情報を、ボクの中で何度か反芻しているうちに感じたもので、それはおそらく血縁的にコレットと近い存在、おそらくは彼女の姉たちが、その毒を混入させた張本人であることを示唆しているようだった。
「エセルが術を通してそう感じたのなら、きっと本当にそうなんだろうね。あぁあ、エセルの魔術がへたっぴだったら、すぐに嘘だって疑えたのになぁ……」
「でも、コレットの姉たちが本当に彼女に毒を盛っていたとしたなら、そのきっかけっていうのは多分、実に人間的なものなんじゃないかな」
「ん……っていうと?」
「今、エフェスが言ったじゃないか。ボクの魔術が下手だったら良かったのにって。コレットの姉たちを動かした始まりもきっと、そういう気持ちからだったんだ」
これは書物や実体験を以て感じたボク個人の考えであるものの、どうやら人間という生き物は、知的であるが故に、自らより優れた存在に対して憧れや怖れといった複雑な感情をよく抱くものらしい。
特に、兄弟同士で実績を常に比較されるような家庭環境であれば、その羨望は嫉妬に、あるいは自らの存在を脅かし得る恐怖にさえ変貌するようで、そういった感覚を強く覚えた側はその対象と並び、そして越えるために更なる努力を自らに課すか、時には想像も付かないような手段で以てそれを排除すらしようとする。
それは、近代における人間の歴史だけを少し紐解いてみても、幾度となく繰り返されてきた様子で、たとえ血の繋がりがある者同士であっても、己の富や権力のために平気で殺し合った実例を、ボクは文献の中に数多く見ることが出来た。
事実、この人間ですらないボクでさえ、かつてエフェスに対して妙な感覚を覚えた経験がある。今思えばあれはおそらく、自分と違って完全な魔核を持つ彼女のことを羨んで……あるいは妬んでさえいたのだと思う。
それに、コレットの家は長く続いている由緒正しき魔術士の家系で、フィルモワールではその家督を女性が引き継ぐことも決して少なくないと聞く。であればその後継者に位置する者の中で、最年少ながら本来最も力があるであろうコレットが、いずれは姉たちよりも上に立ち、その家名を背負っていくのだと思う。
きっとコレット自身はまだ、そんなことには何の興味も無いに違いないものの、彼女より知恵付いている姉たちはそうではないはずで、やがて遺産などの取り分においてコレットよりも享受出来る量が大幅に減るとなれば、何とかして自分たちにとって都合の良い未来が訪れるように結託していても、全く不思議ではない。
「はぁ……何でこうもっと、単純に仲良く出来ないのかな。足りないところはお互いに協力して助け合えばいいだけなのに。どうして、同じ家族なのに傷つけたり酷いことをしようとするんだろう」
「人間というのは思いのほか複雑な生き物なのかもね。ボクも最近になってようやく、人の考えだとか感情ってものが解ってくるようになったくらいだから。その点、ボクとエフェスは本当に恵まれているんだと思うよ。ボクたちは家族と呼べる人と血の繋がりすらもないのに、こんなにも大事にしてもらっているから……」
「そうだよね。あぁ、もういっそのこと、みんなが私みたいに考えられるようになったら、もっと簡単になるはずなのになぁ」
「いや、それはそれで困るよ。その、色々な意味で」
「何でそこだけ即否定なの……全く、エセルったらいつもそうなんだから。……ん? あれ、果物屋さんだ。お野菜もあるみたい。ちょっと入ってみようよ」
街の中で青果店を見つけたエフェスは、フィルモワールではまず見かけない珍しい果物類に目が強く惹き付けられたようで、さっきまでやや暗く沈み込んでいた表情も随分と明るくなって見え、ボクを置いて店内をあちこち歩き回っていた。
「ねぇこれ見てよ、エセル。虹みたいな色で綺麗じゃない? ほら!」
「ん、どれ? ……へぇ、こんなのがあるんだ。名前は、フェアリーフルーツ? ここに書いてあるけど、中には白くて甘い果肉とつぶつぶした食感の黒い種があって、そのまま種ごと食べられるみたいだね」
「お、本当だ。しかもこれ……カリーの具材にも使えますって書いてあるよ?」
「えっ? カリーって、あの?」
「うんうん、もちろんあれだよ。ちょっと前にもリゼお姉ちゃんとレイラが二人で作ってくれたやつを食べたけど、あれ超おいしかったなぁ。こう、色んな香辛料とかを入れたらしくってさ。私もその時に色々と教えてもらったんだよね」
「ボクもカリーがどんな料理かは知っているけど……具材に果物を入れたカリーだなんて聞いたことがないな。でもこの辺じゃよく食べるのかも?」
「あ……そうだ!」
「……何? ひょっとしてまた何か思いついちゃった、とか?」
エフェスが何かを閃いたと言う時には、大方ろくな考えじゃないことが多い。それはこれまでの経験からもよく解っている、歴然たる真実。
「ねぇ、私たちでこの果物を具材にしたカリーを作って、レティに食べさせてあげようよ! 確か校舎の方に自炊用の調理室があったし、お米もあるはずだからさ」
「何を言い出すかと思えばやっぱり、ね……大体普通のカリーですらも怪しいだろうに、そんないきなり凝ったやつを作ろうだなんて、無謀じゃないの?」
「大丈夫だって。私、お料理はリゼお姉ちゃんから色々と教わってきたし、お家じゃたまに夜ごはんの当番をすることだってあるんだから!」
「へぇ、それはかなり意外だなぁ。ボク、てっきりエフェスは食べる方の専門だとばかり思っていたよ」
「んもう、またそうやって馬鹿にしてぇ。いいよ、私の腕前、エセルにも見せてあげるんだから! ここならお野菜だって揃ってるみたいだし、あとはお店の人にちょっと話を聞いたら、この果物を使ったカリーだって絶対おいしく作れちゃうもんね。さて、そうと決まれば早速話を聞いてこないと! 善は急ぎ回れ!」
「いやそれ、何だか違う言葉が混ざって……って、エフェス! 本当に作るつもりな……あぁ、こうなったらもう手遅れ、か」
――ボクとしたことが、かえってエフェスを
***
そうしてボクたちは、フェアリーフルーツを具材にしたカリーを作ることになり、お肉やその他の野菜などの食材を購入した後、自炊をする生徒のために設けられた調理室に向かって、エフェスと役割を分担した上で下拵えをし始めた。
調理室には各種調味料や香辛料はもとより、魔導技術を利用した最新の
「それじゃエセルはこれを使ってお野菜の皮を剥いて、終わったらお米を
「ルウ……? あぁ、確かカリーの素っていわれてるやつだっけ」
「そうそう。まぁレイラはもっとたくさんの香辛料を使ってたけど、ここにあるものだけでもそれっぽくなるはずだから。さ、二人でおいしく作っちゃおう!」
――料理なんて全く経験がないけれど、専用の器具を使って野菜の皮を剥いたり、お米を研ぐくらいならボクでも手伝えることだから良かった。それに、ボクたちの他にもちらほら調理している子たちの姿が見えるのは、結構意外だったかも。
「ふふ。ね、エセル。こうやって自分で作っていると、お料理を食べる時に、作ってくれた人たちにもありがとう、って気持ちになってこない?」
「それは……うん、そうだね。料理を作ってくれている人は、ボクたちのためにこんな手間のかかることを、わざわざやってくれているんだものね」
「でしょでしょ? あ、そうだ。エセルもこのお野菜ちょっとだけ切ってみなよ。サラダ用の分も必要だしね。包丁の使い方なら、私が教えてあげるからさ」
「えぇ……でもボクが下手にやったら、そこだけ切った形が歪になって、全体的な見栄えが悪くなっちゃうんじゃ?」
「それでも、全然いいの。だって、気持ちが込められているから。前にリゼお姉ちゃんも言ってたんだ。人を想う気持ちこそが、一番大事なことなんだってさ」
――人の感情をほとんど知らなかったボクが人を想う、か。けど、今ならエフェスが言っていることが何となく分かるような気がする。そしてきっとその想いも、この料理を通してあのコレットに届くんじゃないかって。
「……そっか。ならちょっと、頑張ってみようかな」
「授業料なら今度また、私に甘いものでも驕ってくれればいいから!」
「えっ、授業料なんて取るの? 全く、ちゃっかりしているんだから……ま、そのくらいならいいか。それじゃ、どうかよろしく頼むよ。エフェス先生」
「ふっふぅん、このエフェス先生に任せなさいってね! 泥船に乗ったつもりで居てくれればいいよ」
「いや泥船ってそれ、沈んじゃうからね……?」
それからボクはエフェスに教わりながら、これまで戦ったことのない相手に悪戦苦闘しつつも、何とか無事に自分の役割を終えて、あとは鍋の中に投入した具材をしばらく煮込んで、完成を待つのみとなった。
「ふっふっふ……私、このお鍋を私たちのコテージがある桟橋まで持って行って、ごはん前のみんなのところに、カリーの匂いを送り込んでみたいな」
「まぁたそんな変なことを考えて……匂いにつられて人が集まってきたら厄介だし、後片付けのこともあるから却下ね」
「んもう、冗談だってばぁ。とりあえずカリーはこれで完成だし、時間的にもちょうど良い頃合いだから、エセルはレティを呼んできてもらってもいい? 私はその間にここで色々と他の準備をしておくからさ」
「あぁ、それはもちろん良いよ。じゃ、ちょっと行ってくるね」
今のコレットの心境は、きっと複雑なものであるに違いない。ボクの確信に近い推測が事実であれば、その衝撃たるや察するに余りがあるというもの。
ただ、皆で一緒に食卓を囲んで話をすれば、きっとそういった気持ちも幾分か和らいでくれるのではないかなと思う。あとは、エフェスやこのボクの想いも入れてみたカリーが、おいしく出来上がっていることを祈るばかりだった。
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