第六小節 百の炎と氷と雷と


「嘘、でしょ……あ、あれは何なの、エセル!」

「分からない……でもきっとあの魔晶石マナシストは、あれを永く閉じ込めていた封印、だったんだ。おそらくはそれが経年劣化か何かの影響がもとで、まともに働かなくなったんだろう。その結果、あれが現れたんだよ」

「けど、あんなの一体、どうしろって――」

「危ない、レティ!」

「きゃっ!」


 百以上はあろうかと思われる竜頭から放たれた雷鞭がコレットの居た位置に飛来し、その軌道を予測したエフェスが咄嗟にコレットの身体に覆い被さり、事なきを得たようだった。一方、その脇を掠めて行った雷撃は近くの木に直撃し、その幹が間もなく木っ端微塵に砕け散った。


「今の何でもないような雷撃……途轍もなく高密度の魔素、のようなものが込められていた。直撃すれば間違いなく無事では済まないはず」

「ど、どうしようエセル。幾ら私たちでもあんな化け物の相手なんて……」

「せめて、あの逃げ遅れている子たちが避難出来るように時間を稼ごう。もうすぐ先生たちだって来てくれるさ」

「わ、私も協力するよ!」

「無理はしないでね、レティ。とにかく、やれるだけのことはやろう!」


 異形の巨獣は竜巻のような水流をあちこちに巻き上げながら、次第にこちら側へと迫ってくるようだった。もしあんなものが上陸したら、きっとこの周辺はおろか町の方にまで甚大な被害が出るに違いない。


 さっきの一撃はボクたちのような術士にとってもきっと致命的で、仮に普通の人が受ければ即、死に至るほどの威力がある。あの化け物はそれをは休み無くあちこちへと撒き散らしている上に、中には炎を纏った弾まで飛んでくる。その流れ弾が森林部に落ちようものなら、大規模な火災の火種ともなり得る。


「エフェス、ボクはなるべくあいつの注意を引いて見せるから、隙を見てあの頭に大きな攻撃を加えていって。コレットはその間にあの子たちを!」

「了解! 思い切りいくよ!」

「こっちも任せて。けど二人とも、くれぐれも気を付けて!」

「ありがとう。きっと上手くやってみせるさ。それじゃエセル、行くよ!」


 空気中の魔素を瞬間的に固化させることで、それを足場代わりに宙を不規則に移動する。その中で相手との最適な間合いを慎重に探りつつ、敵が攻撃を繰り出す予備動作と傷害範囲、さらには相手が見せる動きの何処かに、付け入る隙が無いかどうかを見定めようと努めた。無論、誘発した相手の攻撃を全て回避しながら。


「それだけたくさん頭があっても、このボクを捉えられないとはね。これだけ注意を引き付ければ……エフェス!」

「ふふ、言わなくても分かってるよエセル。突き抜けろ、耀霊の征矢サジッタ・アステリス!」


 ボクの声に呼応したエフェスが大きな光の矢を放ち、それは宙を穿ちながら間もなく夥しい竜頭が犇めく中へと殺到し、閃光の腕を八方へと伸ばした。


「当たった! ……けど、思ったよりこたえてない感じ?」

「……効き目はあった、かな。想像以上に強固な防御を持っているみたいだ。やはりボクも攻撃を加えていかなくては」

「エセル! 私、魔導陣も使って威力の底上げをするよ! レティ、みんなの避難が終わったら、私の正面に厚めの防御障壁を展開してくれるとありがたいかも!」

「分かった! もう少し、待っていて!」


 エフェスは自らの足元に魔導陣を展開して、術威力の強化を行う様子だった。陣の内側に居る間はその恩恵を受けられる反面、外側に出た途端に陣は支柱を失って消滅し、その効果も同時に途絶える。


 従って術者は陣の中に留まり続ける必要があり、その間の防御面が疎かになってしまうため、発動に時間を要する術を放つ場合は誰かの介助を得ることが望ましく、エフェスはその役をコレットに求めたようだった。


「なるほど、エフェスは……っと! 今度は炎の息か。軌道が不規則なのは厄介だから、ここはまとめて冷やしてあげるよ! 出でよ、氷蝕の白魔プロケッラ・アルゴーリス!」


 不安定化させた自身の生体魔素を周囲に高速で伝播させ、触れるもの全てが持つ熱素フェブリスと結合させた上で連鎖的な崩壊へと導く。こうすることで熱は熱として体を成すことが出来なくなり、猛き炎でさえ瞬時に氷へと転じる。


「そしてこれはおまけだよ! 犀利の氷柱アクリス・スティーリア!」


 そして広範囲に伝播させていた魔素を鋭利な氷刃へと変現させ、相手に向けて一気に吹き付ける。対象の図体が規格外なだけあり、特に狙いを定める必要も無く、そのほぼ全てが漏れなく相手へと降り注ぐ。


 しかし、相手の大蛇のようにうねる首はあまりにも数が多く、ボクが損害を与えられたのはそのうちのほんの一部にしか過ぎない。より多くに有効な打撃を加えるには、やはり大規模な魔現を直撃させるしかないようだった。


 そうこうしているうちに、ボクが注意を引ききれなかったところから、無差別的な攻撃が次々と繰り出され始めた。地に落ちた炎弾はあちこちに小規模な火災を引き起こし、水上にあるコテージは雷撃などを受けて多くが半壊、中には既に全壊状態にあるものも幾つか見受けられた。


「エフェスは……もう少しかかりそうか。でもこの数はやはり厄介だ。全ての頭が自立して動いているせいか、注意を引ききれない。これ以上広くに被害が及ぶのは……ん、そうだ」


 相手の頭があちこちの方向を向いているのなら、その首を強引に束ねてでもこちらに向かせればいい。これまではあまり使わなかった拘束術の一つが、ここにきて役に立つかもしれないと思った。


ってじれて絡まって、何処までも執拗にまとわりつくがいい……纏繞の糸絡フィーラ・ノードルム!」


 自らの生体魔素を無数の細い糸のように変現させて相手の首へと絡ませ、さらに糸から糸を複雑に張り巡らし、その首と首同士を束ねて密集させることで相手の誤射も誘う。頭と頭が重なりあっては下手に攻撃することも出来ないはず。


「ははっ、頭の多さが仇になったんじゃない? せいぜいそうしてお互いに絡まりあっていればいいさ。ただあまり長くは持たないな。エフェスは……」


 魔導陣の中に立ち、両手を大きく広げた格好で念じている様子のエフェスからは、遠くからでもはっきりと感じ取れるほど、その身体から極めて高密度の生体魔素が迸っているのが判った。


 そしてやがて術の発動に必要な量が充填出来たのか、エフェスはその顔をおもむろに上げると、にやりとした表情を浮かべながらボクに大きな声で呼び掛けてきた。


「……ふふ、待たせたねエセル! じゃあ、とびきりでっかいやつ、いくよ! レティは私が合図したら、正面の防御障壁をすぐに解いて!」

「うん! 任せて!」

「あっちも準備完了のようだ。あとはお手並み拝見、だね」


 間もなくエフェスは、極限まで凝縮したと思われる生体魔素を変現した様子で、彼女の正面に一際巨大な光球がその姿を現し、彼女の合図を受けて前方の防御障壁をコレットが解くと、エフェスはその光球を勢い良く撃ち放った。


「いっけえぇぇ!」

「ん、大きな光球が……エフェスはあれをそのままぶつけるつもりなのかな」


 現状では相手の弱点というか、致命的な部位が判然としない。それ故に単純な集束流や光球を直接ぶつけるよりも、可能な限り密度を高めた奔流を広範囲に拡散させた方が、あの夥しい数の頭と首とにより大きな損害を与えられると思った。


「まぁそれでも、ある程度は巻き込めるか……ん?」

「エセル、もうちょっと離れて! これから光を一気に拡げるから!」

「光を拡げる……? とにかく、言われた通りにしてみよう」


 するとそのまま相手に衝突するかと思われた光球は、途中でその軌道を急に転向、そのまま化け物の頭上へと沖天の勢いで上昇し、ちょうど対象の中心を捉えるような位置に達した直後、急に激しい閃光を放って、周囲に大きな輪を描いた。


「……悪しきを滅し、善きを導く聖なる光の子らよ。今こそ我の願いに応え、彼方へと降り来たれ! 暁光の白雨ルーミニス・プルーウィア!」


 光球の周囲に描かれた輪は、数多の魔紋を宙空に刻みながら其処に大きな魔導陣を展開し、程なくあの異形な化け物の頭上から、神々こうごうしい光焔の雨を降らせた。


 百ある竜頭が悉く光の渦へと呑み込まれる中で、数多の光耀の泡がぜ、激しい光の波はうねり狂い、さらに化け物の咆哮ほうこうと思しき大音声だいおんじょうが空をけたたましく震わせる、実に異様な光景が広がっていた。


「これは実に、見事な術だね……やるじゃないか、エフェス。それにしても大規模な魔導陣の遠隔発生だなんて。ああ見えて、きっと日頃から勉強していたんだな。それにどうも言霊ことだままで使って、効力のさらなる向上を図っていたみたいだった」


 何にせよ、相手に有効な打撃を与えられたことに間違いはないようだった。あとはこのまま攻めの手を休めずにボクが追撃を加えれば、当初の予測に反して、こちら側が優勢に立てるかもしれない。


「ふ、こちらも負けてはいられないな。次はこのボクが……ん?」


 灼然と煌く光の海の中で、ボクは何かが大きく蠢き、脈動のような流れが不規則に伝播してくるのを全身に感じた。その妙な感覚は刻々と鮮明になってゆき、未だ激しく揺らめく眩耀の渦中から、大きな黒い影が急に姿を現した。


「あ、あいつ……まさか、あの攻撃を受けて応えていないとでも? いやでも、確かに手応えはあったはずだ。なのにこの異様な波動の高まりは一体……」


 大きな損害を被ったはずの化け物が持つ異様な気配は、弱まるどころかさっきよりもずっとその勢力を増しているようで、ボクは全身の血液に氷水を流し込まれたような、強い震えが走ったのを感じた。


「これは……いけない! エフェス、今すぐ其処から離れて!」

「エセル? あんなに慌ててどうしたんだろう。私の魔現は抜群に効いて――」


 その時、周囲に広がっていた光を喰らうかのように広がった三つの巨大な影が、天を摩するかのように高く伸びたかと思うと、それぞれの先端に途轍もない力が集約されていき、紫電を帯びたどす黒い奔流を浜辺がある方向に向かって、容赦なく叩き付けるように浴びせかけた。


「……っ!」


 あの黒い流れに一度ひとたび呑まれれば、傍らにいるコレットともども、エフェスは今ある輪郭の全てを、その影もろとも失ってしまうに違いない。

 そう直感したボクは、ただひたすらに無我夢中で強く念じた。あの脅威に抗し、退けるだけの力が必要だと。たとえ自分自身のを、引き換えにしても。


「……あ、あれ。何とも、ない? 確かにあの流れに呑まれたはず、だったのに」

「う……私たち、一体どうなって……え?」

「はぁ、はぁ……辛うじて間に合った、みたいで……良かった、よ」

「その声は、エセル……? でも、その姿は……」


 ボクが力を欲した次の瞬間、自分自身の力がどう作用したのかは判らないものの、気が付けばボクはエフェスとコレットの正面に立っていて、どうやらあの黒い奔流から二人を守り抜けたようだった。


「ど、どういうこと……これがエセル、なの?」

「わ、私も何が起きているのかワケ分かんないけど、この声と魔素は間違いなくエセルのもので……でも、エセルの胸、そんなに大きくなかったよ⁉」

「……は? 胸? ……って、えっ?」


 ボクがエセルにそう言われて自身の身体に目を向けると、そこには明らかにボクであってボクではない長身の体躯があり、このボクの意思で以て動いていた。


 また纏っていた水着も独りでに物質変化トランスミュートを起こしたのか、原形を所々に留めながら、その表面に強固な魔導障壁バリアーを展開していると思われる、特殊な装身具へと変貌していた。


「これはまさか……身体が、大きくなっている……?」

「ず、ずるいよエセル! 私を置いて一気にそんな立派になっちゃうなんて! 背だってずっと高くなってるし、それにその服か水着かよく分かんない格好は――」

「ボ、ボクだって知らない……! でも、二人を何とかして助けなくちゃって思った途端に、勝手にこうなっちゃって」

「これってもしや、強化術インハンスの極致って言われている転身術トランシェンド、なのかな……? こんなことまで出来ちゃうなんて。でも本当、一気に何というかこう、すごく大人っぽくなった、よね……」

「と、とにかく……! 今はボクの見た目より、あれを何とかしないと」


 ボクたち三人の前に迫り来るものは、まるで一つの街がそのまま動いているのかと錯覚するほどの、途轍もない大きさを誇る怪異。


 百はあったはずの頭はいつの間にか、極めて巨大な三つの頭に変容していて、それぞれの頭から先ほどとは比較にならないほど強力な炎弾と氷柱と雷撃とを方々に射出し、刻々とその被害を拡大させている。


 そんな化け物を目の当たりにしても、まだ何処か心に余裕があるのはきっと、隣にエフェスやコレットが居ることに加え、身体の奥底から無尽蔵に力が湧出してくるような、この不思議な感覚があるからこそに違いない。


 とはいえ、今のこの状態はきっと長くは持続しないはず。ボクがこの姿で動けるうちに、何とかして相手に致命的な一撃を加えるか、あるいは力だけに頼らないもっと別の方法を以て、あの脅威を退けるほかない。


「よし、とにかく三人で協力してあいつを……」

「……そこのあなたたち、大丈夫⁉ って……エフェスとコレット? なるほど、ここで戦っていたのは、あなたたちだったのね! ん、そちらの方は……」

「ボクですよ、オデット先生」

「その声と魔素は……あなた、ひょっとしてエセルなの?」

「はい。どういうわけか判りませんが、こうなってしまって……いや、ボクのことはどうでも良いんです。先生、何かあの化け物に対する有効な手立てをご存知であれば、どうかボクたちにご教示願えませんか?」

「ええ、もちろんよ。ただ状況が状況だから、今分かっている範囲で手短に説明するわね。まずは――」


 先生の話によると、あの化け物はどうやら百頭竜テュポーンという古の獣で、永く眉唾まゆつばものとして扱われていた伝承によれば、遥かな昔に存在した召喚術士たちが意図せず呼び出してしまった、異界の怪異であるらしかった。


 百頭竜は周囲にある魔素や死者の魂魄こんぱくまでをも喰らって、刻々と進化を繰り返していくようで、先ほどまで犇めいていた多くの頭が瞬く間に三つに同化し、より大きな力を発揮するようになったのも、どうやらそういった理由からだった。


 加えて、先にボクたちが見た魔晶石は、やはりボクの推察通りあの化け物を封じるための要の石であった様子で、そのうちの一つに綻びが生じたことで封印が解けてしまい、その百鬼竜という怪異は永い眠りから目覚めることになったのだろう。


 しかし不幸中の幸いか、相手はまだ目覚めたばかりで本来の力には程遠く、オデット先生の言葉を信じるならば、まだ打てる手はあるとのことだった。その手とは件の獣が本来の力を完全に取り戻す前に、この地に再び封印してしまうこと。


 現状、こちらにきた応援はオデット先生のみで、他の先生たちは校舎などの外周に広大な防御障壁を展開し、生徒たちや島民が其処へ避難出来るように今も誘導を行っている様子だった。


 もともと今回の遠征合宿に訪れている人間は、ボクたちと同じ学年の生徒と学級ごとに存在する担任だけのため、あの獣に対抗できる戦力はごく限られている。


「でも封印するって、一体どうやってあんなのを……ん? それって……」

「あの先生、もしかしてその手に持っていらっしゃる魔石は……?」

「これは、あの洞窟内で破損していた魔晶石の欠片を集めて再結晶化した――水皇石ラピス・アズレウスよ。こちらで一時的な復元と新たな魔紋の追加処置を施したの。もはやこれをもとの台座に戻したところであれを封じることは叶わないけれど……」

「……でもやはりそれが、再封印の鍵になるんですね」

「ええ、お察しの通りよ、エセル。この石の深奥に刻まれた古の魔紋は、火をともしてやればきっとすぐに息を吹き返すことでしょう。ただしこれを使って再封印を行うには、相手の体内にある魔核ヌクレウスという、私たちにとっての心臓のような場所に直接それを撃ち込まないといけない。そう、誰かが直接あの化け物の懐に飛び込んで……ね」

「魔核……だって……?」


 先生の言葉をそこまで聞いたボクは、二重の意味で吃驚した。一つはもちろん、その再封印を成すために、誰かがあの怪異の懐中へと、おそらくは捨て身で以て飛び込まなければならないということ。


 そしてもう一つは、あの獣の中に、このボクやエフェスと同じ心臓――魔核があるということに他ならなかった。事実、周囲の魔素を取り込んで己の生命力へと転換する能力自体は、ボクたちの持つそれと何ら変わりはないように思える。


 もっとも、このボクの中にある魔核モノは不良品……だったけれど。


「けど先生、あの魔物は私たちの魔現からも魔素を吸収して、さらに変化しちゃうんでしょ? だとしたら攻撃しても意味が無いってこと?」

「それなんだけれど、どうやら複合魔素に対してだけはその相が複雑なせいか、あいつにも上手く利用することが出来ないようなのよ。だからきっとあの洞窟では、異なる相を持つ魔晶石を使って、百頭竜が持つ魔核の活動を阻害し、さらにそれらの石が作り出した亜空間結界の中にその巨躯を封じ込めていたみたいね」

「複合魔素……つまり、ボクたちの魔現をほぼ同時に打ち込むか、あるいは最初から魔現同士を融合させれば相手にも損害を与えられると?」

「ええ、おそらくは。ともあれ、実際に試してみるまで効果のほどは判らないわ」

「分かりました……とにかく、相手の懐に入り込むためには、ある程度の打撃を与えて少し怯ませないと、辿り着く前にやられてしまいますから……エフェス、コレット、皆で協力してあの化け物を封印しよう!」

「もちろん!」

「私も、頑張るよ!」

「……あなたたちだけを危険に晒すわけにはいかない。この私も全力で協力するわ」


 こうしてボクたちはあの獣――百頭竜の再封印に臨むことになった。本来、ボクが転移法を使えばすぐにその懐中へと到達することが出来るものの、自身に施した封紋ジベルによって魔核に過度な負担がかかる術法を制限している今は、皆と協力して封印を無事成功へと導きたい。


 他の場所により大きな被害が出てしまう、その前に。

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