第五小節 忍び寄る不穏


「あっ、失敗した! もうちょっとだったのに……」

「やっぱり寝不足が原因かな。いつもならエフェスがこんなので失敗するわけがないからね」

「いや、それでもエフェスはすごいよ……だって三十個目標があるうちの、二十七個をちゃんと撃ち抜いたんだから」


 午後から始まった、魔現の実技修練。ボクたちが寝泊まりをしているコテージとは別の方向にある砂浜の方で、放出系の魔現における制御と命中精度に関する課題が幾つか出されていた。


 なお誤射や暴走などで周囲の環境に悪影響が及ばないよう、魔現に利用した魔素を一定領域内に留まらせる目的で、広域に渡って特殊な空間結界が展開されていた。


「いやぁ、今日はここまでエセルに負けっぱなしなのが悔しいよ」

「まぁボクも本調子ではないけれど、この程度なら撃ち漏らすことはないかな」

「二人とも、一体どんなに優秀なの……? はぁ、自信を失くしちゃいそう」


 コレットは療養生活が長かったせいか、制御の練度に甘いところがあり、対象が遠くなればなるほど、その練度不足が如実に結果として表れているようだった。


「レティは病み上がりなんだから、仕方ないよ。それにその点を差し引いても、他の健康な子たちより全然上手いんだし、もっと自分に自信を持つべきだって」

「エフェスの言う通りだよ。これから徐々に体質が改善していって、練習を多く積めるようになれば、きっとあっという間に向上するんじゃないかな」

「二人とも、ありがとう。優しいんだね……こんなの、仮にお姉様たちが見ていたら、何て言われていたか分からないもの」

「そんなの気にしないで……なんて、私が気軽に言っちゃ駄目、だよね。でも、私はそれでレティが同じ家族から非難されるのは、やっぱ絶対に納得出来ないよ」

「エフェス……」

「だってそうじゃん。レティのお家は厳しいのかもしれないけど、その身体が丈夫じゃない分、人の倍以上努力してきたはずだもん。だから、たまにはそういうとこも褒めてくれたっていいじゃない……ねぇ、レティ?」

「ふふ……うん。もしそうだったら、私も嬉しかったかな」


 そう言ったコレットは何処か遠い目をして、何とも言えない表情を浮かべていた。彼女とは会ってまだ間もないながら、こうして一緒の時間を過ごす中で感じた柔らかな雰囲気から、彼女が持つ人の良さのようなものが伝わってくる気がしていた。


 今はこの島の環境が良いように作用しているのか、病弱だというコレットの体調が悪いようには見えず、むしろ健康そのもののように思える。


 彼女のその体質にはまだ不明なところが多い一方、ボクの知る術で彼女の身体を細かく分析すれば、より良い改善点が見つかるかもしれない。


 ボクが今の彼女のために力になれる、具体的な手があるとすれば、きっとその辺りにあるのではないかと感じた。こうして一緒の組になったのもきっと何かの縁なのだから、ボクやエフェスの存在が彼女にとって、これから前を向いて歩くための何かきっかけになればいいなと、そう思った。


「ええっと、次の課題は……放出系魔現の集束、だってさ」

「ふむ……どうやら魔導抵抗値が極めて高い物質で作った特殊板を、一発でどれだけ多く撃ち抜けるかで評価がなされるみたいだよ。出力は試射の様子を見て一定範囲内に制限するみたいだから、条件的には皆大体同じだと言えるね」

「ん? これって確か前にリゼお姉ちゃんが似たようなことやってたよ。素手でだったけど、一気に何十枚も叩き割ってたのを覚えてる。あれすごかったなぁ」

「いや、それはまた主旨が違うものだと思うよ……多分」

「集束、か……」

「あれ、どうしたのレティ。ひょっとして、苦手な感じ?」

「う、ううん。でも、ちょっと……ね」

「とにかく、やってみるしかないな。さ、ボクたちの番が回ってくるまで、撃つ時の感覚を頭の中に描き出していようか。もちろん、エフェスには負けないよ」

「あ、言ったね? じゃ私が勝ったら、今度何かおごってもらうよ!」


 今ボクの身体には、魔核への負担を考慮して、一度に放てる魔現の出力を制限する封紋が施されている。故に本来の威力であれば、エフェスの方に分がある。

 しかし今回は空間結界内での実技ということもあって、魔現の出力は制限されているため、単純な火力以外の感覚や技巧を各々で凝らす必要がある。


 そんなことを考えているうちに、あっという間にボクたちの順番が回ってきて、まずはエフェスから実技を披露することになった。


「それじゃ、いっくよぉ! はあぁぁぁ……」


 正面に突き出した両手にエフェスの生体魔素が集束していき、凝縮された力はしばらくの間をおいて一気に解放された。


「飛んでけぇ!」


 エフェスの放った集束流は等間隔で並んでいた特殊板を次々と貫き、合計二十五枚を数えたところでようやく留まった。他の生徒の平均が十枚いくかいかないかの辺りであることを考えると、その倍以上ということになる。


「結構いったんじゃない? ふふぅん、ほら! 次はエセルの番だからね」

「ま、やれるだけやってみるか」


 限られた出力の中で貫通力を伸ばすには、やはり形成した力場の中で集束密度を高めることと、射出速度を出来るだけ上げることに専心することが大切。


 圧縮した魔素を力場から解放する時機を見計らうことも肝心で、遅すぎれば速度が低下し、早すぎれば密度にその分だけの不足が生じる。故にその頃合いの見極めが、勝敗の決め手となるに違いない。


「すぅ……はぁ……んんっ……」


 呼吸を落ち着けながら、周囲から伝わってくる余計な刺激を極力遮断し、自分の中で最適な解放時機を見定めることに集中する。高まる魔素、伝播する空振、そして力場内に蓄えられていく圧力を感じ取る中で、やがてその時は訪れた。


「今だ……! 撃てぇええぇ!」


 ボクから解き放たれた光は、薄葉に針を通したように特殊板を貫いてゆき、その光が完全に見えなくなる頃には、計三十枚を数えていたようだった。


「うっそぉ……! いやいや、いくら何でも抜き過ぎでしょ? ねぇねぇ、あれって本当に同じ板なの? 何かズルしてない?」

「まぁ、集中力の差ってところかな。エフェスはせっかちだから」

「ぶぅ。どうせ私はせっかちですよぉだ。でもまた負けだよ、悔しいなぁ……」

「ふ、機会ならまたあるさ。じゃ、次はコレットの番だね」

「う、うん……」

「……ん?」


 どうにもこの課題になってから、コレットの様子が少しおかしい気がした。本人は否定していたものの、集束が苦手なのかもしれない。それでもボクたちの足をひっぱるまいとして、何でもないように振る舞っている可能性もある。


「頑張って、レティ! 何なら、エセルの記録も抜いちゃっていいから!」

「大丈夫だよ、コレット。変に気張ったりせずに肩の力を抜いて、あとは深呼吸もしながら落ち着いてやれば、必ず上手くいくから」

「あ、ありがとう。う、うん。もう大丈夫なはず……きっと」

「……もう、大丈夫? 何のことだろ、エセル」

「さぁ……?」


 しかしボクの懸念に反して、射撃位置に立ったコレットは悠然とした面持ちで集束を開始し、彼女の手元に凄まじい速度で魔素が凝縮されていくのを感じた。


「あれ? ねぇエセル、レティの集束速度、めちゃくちゃ速くない?」

「うん。本来あんな高速で集束したら、力場が不安定になって最悪崩壊してしまうけれど、彼女のそれは安定して見えるね。何だ……得意なんじゃないか、コレット」


 そして力場が限界を迎え、いざ射出かと思ったその時、力場から魔素が急速に飛散し、直後に撃ち出された集束流も当初持っていた威力を大きく失ったようで、特殊版を十枚ほど貫いたところで一気に減衰し、そのまま消滅した。


「……やっぱり、駄目だったか」

「うぅん……レティ、ちょっと欲張り過ぎちゃって一番の頃合いを逃したのかな? けど基準は満たしたから大丈夫! ほらほら、気落ちしないで」

「今のは……」


 ボクにはコレットが射出する直前、意図的に力を逃して集束密度を抑えた感じがした。本来、最適の時機で力場を解放していれば、ボクと同等かそれ以上の威力があったのではと思える。


「コレット、ちょっといいかな?」

「えっ? あ、うん」

「あれ、どうしたの二人とも? 私も行くよ!」


 コレットの様子が気になったボクは、集束の件に関して彼女に直接訊いてみることにした。すると彼女は言い淀みながらも、やがてボクたちに話をしてくれた。


 話に聞けばコレットはもともと集束がかなり得意だったらしく、その技術だけであれば、常日頃から下に見られている例の姉たちよりもずっと上手く出来る自信があったという。


 しかしある時、コレットの両親たちも参観に訪れていた場でそれを披露することになり、緊張のあまり制御を誤った彼女は、空間結界を貫くほどの一撃を放ち、近くにあった施設を大破させてしまったことがあるとのことだった。


 その一件によってコレットは衆目の前で両親に恥をかかせ、家名に泥を塗るかたちになってしまったことを酷く気に病んでしまったようで、それ以降、集束流を放つとなると、どうしても気持ちが萎縮してしまうらしかった。


「そっかぁ……そんなことがあったんだね。私さっきは何も知らずに煽っちゃってたみたいで、ごめんね、レティ」

「ううん、そんなの全然気にしないで? エフェスは何も知らなかったんだし、私がいつまでも過去のことをうじうじと考えているのが悪いだけだから」

「きっと、簡単じゃないんだよね、人の心の中に残り続ける傷跡を消すのって……」


 ボクは正確には人ではないから、コレットの感じているであろう痛みを真に理解することは出来ないかもしれないけれど、今は彼女とのやり取りを通して、人というものをもう少し知ることが出来ればと思っている。


 それから残りの課題を滞りなく終えることが出来たボクたちは自由時間を迎え、昨夜からの寝不足が後を引いていたこともあって、ひとまずはコテージで潮風を浴びながら一休みすることにした。


「ふぅ、今日は結構疲れたね」

「だね。やっぱり、ちゃんと眠れていなかったのが響いているかな」

「そういえばあの魔晶石があったところ、一体どうなったんだろうね?」

「あぁ、そういえば。でも先生たちが調査してくれているはずだから、きっと変なことにはならないはずだよ」

「そうだと良いけどね。さて、ボクはひと眠りしようかな」

「じゃあ私もちょっとお昼寝しようかな。レティはどうする?」

「うん。私もさっきので疲れちゃったし、少し休もうかなって」


 そんなわけでボクたち三人は一旦昼寝をして、午前中からずっと付きまとっていた睡魔に身を委ねることにした。外はまだ陽が高く、少し暑く感じるので、寝台だけは別々にして。



 ***



「ん……んんっ、ふわぁ……あぁ、よく寝た。やっぱりひと眠りするだけで、身体が随分と楽になるもんだなぁ」


 ふと目が醒めると、何時間かが経過してしまった様子だったものの、外はまだ随分と明るく、町の方に出てお店を回ったり、あるいは海の方に出て遊んだり出来る余裕が十分にあるように感じられた。


「あれ……エフェスは?」


 コレットはまだ眠っている一方で、ボクの上段にある寝台で眠っていたエフェスの姿は部屋の中にはないようだった。どうやらボクよりも一足先に目覚めて、何処かに行ったらしい。


「もしかして、一人で何処かに出掛けたのかな? それならせめて書き置きぐらい残せば……って、ん?」


 ボクが何となく窓辺に出て辺りの海を眺めていると、浮具のようなものの上で、ぷかぷかと漂っている誰かの姿が見えた。


「あれは……何だ、あそこにいたのか。ボクも眠っている間に結構汗をかいちゃったし、少し中に入ってさっぱりしようかな。一応、書き置きだけはしておこう」


 そうしてボクたちの位置がすぐ判るように紙に記したあと、少し着けるのが恥ずかしいあの水着に着替えたボクは、エセルの居る辺りにまでそっと泳いでいった。


「おぉい、エフェス」

「ん……あれ、エセル。起きたんだ?」

「もう、勝手に一人で行動して。ああいう時は自分が何処に行ったのか、ちゃんと書いて残しておかないと」

「ごめんごめん。何だか身体がべたべたってしてたから、ちょっと水浴びをしたいなって思ってさ」

「まぁそれは解るけど。これからはちゃんとそうしなよ?」

「はぁい。エセル先生」

「またそんな風に茶化して。ところで、この浮具は?」

「ああ、浜の方にこういうのがたくさん置いてあるの。他の子たちに教えてもらったんだ。何ならエセルも乗ってみる? こうして浮いていると気持ちいいよ」

「ボ、ボクは別に、いいけど」

「そう? 他にも輪っかみたいな形のがあって面白かったから、あとでエセルたちにもって思って、一応コテージの前に置いておいたんだけど」

「持ってきたんだ……? なら、使わないと勿体ないね。ちょっと行ってくるよ」


 エフェスの厚意を無下にするのもはばかられたので、一旦コテージの方まで戻ったボクは彼女が持ってきたという輪っか状の浮具をとりあえず使うことにした。


「ふむ……思ったより悪くないね」

「でしょ? 泳ぐのもいいけど、こうしているのも落ち着いていい感じ。ところでコレットは?」

「まだ眠っているよ。流石に起こすのは悪いから」

「そっか。あ、そうだエセル。私ね、メルお姉ちゃんが錬金術で作った新しい花火棒を持ってきたんだけど、今日の夜は皆で――」


 その時、ボクは何か異様な波動の伝播を全身に感じた。それはこれまで感じたことのないような実に奇妙な感覚で、思わず身震いをしてしまった。浅瀬には他の子たちの姿も見えるものの、異変を察知しているような様子は見受けられない。


「えっ? 今の、何……?」

「エフェスも感じた? 今一瞬、変な感覚が走ったけれど、何だろう」

「波動みたいなのが伝わってきたのは、あっちの方だったけれど……」

「……この辺りは何とも、ないか。けど何とも妙な感じだったね」

「まぁいいや、それよりエセル。あとでレティも起きたら、また浜辺の方であの球を使って遊ぼうか? お土産屋さんとかを見に行くのは明日でいいよね?」

「うん。あ、噂をしたらコレットが目覚めたみたいだよ。ほら」


 ふとボクが自分たちが寝泊まりしているコテージに目を向けると、窓辺にはボクたちの姿に気が付いた様子のコレットが見えた。


「あ、ほんとだ。じゃあ二人で一旦コテージまで戻ろっか?」

「そうだね。コレットの体調がどんな感じかも確かめておこう」


 そしてボクたちがコレットの居るコテージの方まで戻ると、途中で一度姿が見えなくなった彼女が、水着を纏った状態で再び顔を出した。


「あっレティも着替えて来たんだ。体調はいい感じ?」

「うん。こっちに来てからは不思議と身体が楽だよ」

「それは何より。ボクたち、陽が暮れる頃まで海や浜の方で過ごそうかなって思っているんだけれど、コレットも一緒にどうかな」

「もちろん。じゃあ私もまず海に入ろうかな。あ、その浮具みたいなものはどこかで借りて来たの?」

「うん。レティの分も入り口の方に置いてあるから取ってくるといいよ!」

「そうなんだ? ふふ、それじゃちょっと取ってくるね」


 程なくして合流したコレットと共に、ボクたちはそれぞれの浮具に乗りながら穏やかな海面をゆらりゆらりと漂い、まったりとした時間を過ごすことにした。


「あ、そういえば……二人とも、さっきちょっと変な感じがしなかった? 私、それではっきりと目が覚めちゃって」

「あれ、レティも感じてたの? ね、エセル。やっぱり何か変だよ」

「きっとコレットも、ボクたちと似た波動識を持っているんだ。実はさっきボクたちも妙な波動を感じてね。正体は判らないのが余計に気味が悪くって」

「二人もあの変な流れを感じてたんだ。一体何なんだろう……ん?」


 その瞬間、先ほど感じたあの奇妙な波動の伝播をボクは再び感知した。しかもその流れは、さっきのそれよりもずっと強く明確に伝わってきた。


「まただ……しかもさっきよりずっと、はっきり感じた」

「やっぱり反応はあっちの方からだ。ね、向こうの方にも浜があるんだっけ?」

「そうみたい。確かあっちにはもう一つの学級の子たちが寝泊まりしてる、ここと同じようなコテージがあるらしいよ」

「そうなんだ。ねぇエセル、念のために皆で様子を見に行ってみる? 昨日のこともあるし、何だか嫌な予感がするんだよね」


 そうしてボクたちは、別の学級の子たちが宿泊しているコテージがある砂浜の方へと移動を開始した。そしてその道中、目指しているもう一つの浜の方から、青ざめた面持ちで走ってくる子たちの姿があった。


「これは……ねぇ、ちょっと君。一体どうしたの?」

「と、突然の海の中に大きな渦が巻いて、そこから何か変な化け物が……! 浜にはまだ他の子たちがたくさんいて、とにかく大変なの!」

「化け物だって……? 話は分かった。今はなるべく落ち着いて、先生たちにそのことを知らせてきて」

「う、うん! それじゃ!」

「エセル……」

「あぁ、きっとその化け物ってやつの気配だったんだ。あっちにはまだ他の子達も居るようだから、とにかく急ごう、エフェス。コレットも、行けるね?」

「もちろん。力になれるか分からないけど……頑張る」


 ボクたちは、こちらに向かって逃げてくる子たちと次々にすれ違いながら、次第に強さを増してゆく例の波動の根源を追って、林道をひた走った。それからややあって、ようやく問題の浜へと辿り着いたボクは、その先に広がっていた光景を目の当たりにして、思わず自分の眼を疑った。


「あれは……何、だ?」


 其処には、優に百はあるかと思われる、大蛇のように長い首と竜の如く厳めしい頭を持った異形の妖獣が四方八方に炎と氷と雷とを撒き散らし、周囲に立ち込めた暗雲の下、咆哮ほうこうを上げて蜿蜒えんえんうごめきながら荒れ狂っている奇景が繰り広げられていた。

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