第三楽章 太陽と月のワルツ
第一小節 運命を受け容れた少女、エセル
「ほら、見てよエセル! あれがエリュ・メヌエ島なんだって! 話に聞いてた通り、島の中央にすっごく大きな山が見えるね!」
「あ、本当だ」
「あ、本当だ……って、それだけ? もっと何かこう、うわぁとか、わくわくするなぁだとか、そういう上がる感じの感想は無いの? でもほんと船の上で本ばっかり読んで、よく気持ち悪くならないよね」
「そんなこと言われても……困るよ。まぁあの島に『ヴェルメリアの真珠』っていう異名が付いているのは、この眺めを見て納得出来るけどね」
「あぁあ、やっぱりエセルは冷めてるなぁ、乾いてるなぁ。まぁ、この遠征合宿が終わるまでには何かが変わってるかもしれないけどね!」
エセル・ド・ボワモルティエ。
妹が欲しいと懇願していたシャルに半ば強引に押し切られ、フィルモワールでも実に名高い侯爵家――ボワモルティエの家に、並外れた
ほんの少し前までボクは、感情と呼べるような感情を持たず、ただ自らを生み出した者たちの言う通りにしか動けない、操り人形同然の存在だった。
そして彼らの命令に応える対価として、己が生き永らえるための秘薬――アンブロシアを受け取っていた。それが無ければ、いずれは止まるという宿命をこの身に背負わされて。
しかしどういう運命の悪戯か、同じようにして生み出されたエフェスの抹殺を遂行しようとした際に、自らの身を挺してまで彼女を守ろうとするメルたちの姿を目の当たりにして、ボクは自分の中で何かが大きく変わったことに気がつき、結局その後、ボクは生みの親たちと決別する道を選び、止まる運命を受け容れることにした。
すると今度は驚いたことに、かつて自分の受けた命令を阻む邪魔者として殺そうとまでしたメルたちに、何故かボクが色々と助けられることになって、現に今もこうして生かされていることが、とにかく不思議で仕方ない。
正直、メルたちに出会うまで人間というものは、皆それぞれが感情なる厄介なものを心のうちに持っていて、時には他人のために自分の命を投げ出したりする、実に理解し難い、奇妙な生き物だと思っていた。
しかし彼女たちが誰に言われるでもなく、自分の意思に従って生きる姿を近くで見ていて、最近はほんの少しだけ人というものが解ったような、そんな気がしている。
そしてまた、いつ止まるかもしれないこのボクを生かすために、メルたちは最近発見された古代遺構で得た知識をもとにあのアンブロシアを再現しようと、その原料集めの旅に出て、この今も各地を飛び回っている。身も蓋も無い言い方をすれば、ただの作り物……それも実際は粗悪な複製品でしかなかった、こんなボクのために。
一体何がメルたちをそうさせているのか、それは今もよく判らない。ただひょっとしたら、このまま彼女たちと共に日々の何気ない時間を過ごしていく中で、その答えに辿り着ける日が来るのかもしれない。
そう思った時、止まることを受け容れたはずのボクは、初めてこう思った。
せめてあともう少しだけ長く、生きてみたい、と。
「……それにしてもこの島って、とっても不思議な見た目だよね。えっと、この冊子によるとね……真ん中にあるのが本島で、その周辺をぐるっと囲ってる陸地が、珊瑚で出来た
「へぇ、この島の周りにある陸地って、珊瑚礁で出来ているんだ。そういえばついこの間、エフェスがボクのドーナツを盗み食いしてたけど、あれってちょうどそれとよく似た形になってるんじゃないかな」
「ぬ、盗み食いって、一口だけ食べてすぐに返したんだから……そんなに大したことじゃないでしょ!」
「一口でも二口でも同じことだよ。それにもしボクが呼びかけていなかったら、たぶんあのドーナツ、そのまま影も形も無くなっていたんじゃないかな?」
「それは……もう! 今はそんなことどうだっていいの!」
このボクとほぼ同一の存在であるはずのエフェスは、相も変わらず、自分が初めて見たもの、触れたもの、そして味わったものについて実に多くの刺激を受けているようで、いつもその目をきらきらと輝かせている。
ボクはそんな彼女の姿を見ていて、時々妙な気分になることがある。それを何と表現したらいいのか、未だによくは判らないものの、ボクがこれまで持っていなかった確かな感情なるものが、ひょっとするとその芽を出し始めたのかも知れない。
「わぁ、海鳥があんなにいっぱい……気持ち良さそうに風に乗って歌ってる!」
「ちょっとエフェスちゃん、そんなに身を乗り出したら危ないよぉ?」
「へいきへいき! ほら、エセルもこっちに来てこうしてごらんよ。風がとっても気持ちいいから!」
「ふ、本当に楽しそうだね……エフェスは」
自分の心臓――
ただ、同じ学級の子たちは実に賑やかで、いつもよく集まっては何かをぺちゃくちゃとお喋りしていて、個人的には少し苦手。
そんなボクとは対照的に、自分からあの子たちの中に溶け込んで、もうすっかり馴染んでいる様子のエフェスは、そんな学院で過ごす毎日をとても楽しんでいるように見えた。
エフェスの瞳には今、自分を取り巻く人というものが一体どんな風に描かれていて、そしてその視線の先にどんな未来の姿を映し出しているのか、ボクに興味が無いと言えばそれは嘘になりそうだった。
「ふぅ、やっと島に着いたね。早速行くよ、エセル!」
「わ、分かったから。服を引っ張らないでってば……」
ボクはエフェスに服の袖を引っ張られながら下船し、同じ学級の子たちと一緒に引率役である先生のあとに並ぶかたちで、宿舎がある場所まで徒歩で移動した。
ちなみにこの島にはもともと住んでいる人たちが今も昔ながらの生活を送っているらしく、フィルモワールでは全く見かけない、
「ねぇねぇエセル、私たちも合宿中はああいう感じのとこに泊まるのかな?」
「うぅん……ボクたちが泊まる宿舎は多分、外からの見た目的には島の景観に馴染むような感じでいて、内部は割と現代的っていうか、そんな感じになっているんじゃないかな?」
「そうなのかなぁ? ね、あっちなんて水の上にお家がずらっと並んでるよ」
「あれは水上の住居……なのかな? んと……この冊子によると、あの辺りに見えているのは観光客用の宿泊施設みたいだね。水上コテージって言うんだって」
「へぇ、いいなぁ……私、あっちに泊まりたかったかも」
「なら今度、メルやシャル姉さまたちに頼んでみればいいんじゃないかな? エフェスがここに遊びに行きたいってお願いしたら、きっと次の連休の時にでも連れてきてくれるよ」
「うん。その時はもちろん、エセルも一緒に来てくれるよね?」
「ん……まぁ、別に断る理由はないかな」
「ふふっ、エセルって本当に素直じゃないんだから!」
その次という機会が、このボクに巡って来るかどうかは判らないけれど、こちらを気にかけてくれるエフェスの想いを無下にするほど、ボクも冷めてはいない。故にもしその時が来たなら、皆に同行して再訪するのも悪くはないなと思った。
それからしばらくボクたちが島の奥に向けて進んでいくと、やがて一際大きな建物が目に入って来て、ボクはきっとそれが学級の皆と滞在することになる宿舎だろうと思った。
建物は実に広々とした中庭を持つ、コの字型をした平屋建てになっていて、その外観はボクが予測した通り、先ほど見かけた集落にあった民家などとよく似た佇まいを見せていた。また、少し奥の方にはさらに大きな四角形の建物も見える。
「うん、さっき見えた村にあったお家と似てて良い感じ! 本当、エセルの言ってた通りだったね」
「それにこの辺りって、ちょっとした高台になっているみたいだから海もよく見えるし、結構良い眺めなんじゃないかな」
程なく引率の先生に導かれて宿舎と思しき建物に入ると、その内装も大半が椰子や竹などの自然素材を中心とした建材から造られているようで、フィルモワールにおけるそれとは違った色の雰囲気を放っているようだった。これが出発前にシャル姉さまが言っていた、異国情緒というものなのかもしれない。
そして体育館のような場所に集められたボクたちは、そこで先生方から滞在中における活動の概要と、施設の利用などに関する諸注意を受けることとなった。
「ふぅん、ここってあくまで魔現の授業とご飯を食べるために使うところなんだ。おまけに大浴場まであるみたいだけど、私たちが寝泊まりをするところだけは別にあるみたい。でもさっき聞いた話からすると、合宿期間中は何人かで一組になって過ごす感じ……なのかな?」
「う……やっぱり、そう来たか」
ボクが学院に来て以降、最も苦手だと感じたのは、誰かと二人組や三人組を作った上で、その皆で一緒になって何々をしましょうというもので、これまで常に一人で行動してきた自分にとっては、よく知りもしない誰かと協力して事にあたるということに一体どれだけの利点があるのか、やや理解に苦しむところがあった。
学級の子たちは、こんなボクにも興味を持って接してくれるものの、ボクはそれに対してどう反応すれば良いのか分からず、よくこのエフェスが困っているボクを見かけては、さり気なくその間に入って上手く場を取り成してくれていた。
しかし合宿の間、他の子たちと一緒に寝起きを過ごすとなれば、また話が変わってくる。特にその組み合わせが不規則に選ばれる形式だったりすると、エフェスの助力を得ることもかなり難しくなるはず。ひょっとするとこれは、ボクが思っていた以上に面倒な合宿になるかもしれない。
「ん? 具体的な組み合わせはもうこっちの紙に出てるみたい。ええっと、私の名前……私の名前はっと……あっ、あった」
「ボクは……」
既に組み合わせが決められているとなると、こちらはただ結果を確かめるしかない。願わくばエフェスと一緒になりたいところながら、ボクがこの子と同じ組み合わせになる確率は……かなり、厳しい。
「あれっ? 私の名前のすぐ下にエセルって……ほら、ここ見て!」
「え? エフェス・リーフェンシュタール……本当だ」
正直、助かった。こういうことがあると、この世界の何処かに、人々が古代から信仰している神という超越的な存在が本当に居るのではないかという気持ちになる。あるいは、ボクの気持ちを推し量ったシャル姉さまが、先んじて何らかの配慮をしてくれた結果なのかもしれない。
いずれにせよエフェスと一緒なら、特に気を揉むことはなく、この合宿という時間も苦にはならないだろうと感じた。
「ん? でもエセルの下にもう一人名前があるよ? コレット・ベルリオーズって」
「コレット? そんな名前の子、ボクたちの学級に居たかな? というかこの組み合わせって、三人組になっていたんだ……」
自分の学級に居る子たちは、大体の顔と名前を憶えていたものの、その名前を見て浮かんでくるものが何も無かったことから、一度は目にしたことがあるに違いないながらも、その存在感がかなり希薄な子だったのかもしれない。
「まぁいいや。とりあえずこの三人で集まんなくっちゃね。うぅん、でもコレットちゃんってどんな顔してたかすぐに出て来ないなぁ。こういう時は大きな声で呼んだらすぐ分かるよね? すぅ……おおぉぉい、コレットちゃぁああん!」
「ば……声が大きすぎるよ、エフェス。そんなの呼ばれた方も恥ずかしくて、出てき辛くなるじゃないか」
するとややあって、そのエフェスの大声に無理やり引っ張り出されたのか、私たちの方へとゆっくり歩み寄ってくる人影が目に入った。
「あ、あの……私が、えっと、コレット……です」
自らをコレットと名乗ったその子は、摘みたての野苺のような瞳に、陽光に照り映えた小麦を思わせるような色の長髪をしていて、もう一度思い返してみても、やはり記憶の
「あなたが、コレットちゃんなんだ。うぅんと、初めまして……なのかな?」
「はい。実は私、つい最近までラヴァルツォーネの方で療養しておりまして。こうしてお会いするのは初めてのことだと、思います」
「そうなんだ。あ、私はエフェス。で、こっちがエセルだよ」
「エフェスさんと、エセルさんですか。このたびはご迷惑をお掛けすることになるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あはは、そんなに固くならなくたって大丈夫だって、コレットちゃん。あ、ところでコレットちゃんには愛称とかあるの? もしあるなら教えて欲しいな」
「えっと、両親からはレティと呼ばれていますが……」
「じゃあ私、レティって呼ぶね! あと私たちにさん付けとか要らないし、敬語とか使わなくてもいいから! 気軽に普通の言葉でどんどん話しかけてよ」
「わ、分かった……えっと、エフェス」
「ふふっ、そうそう。これからそんな感じでよろしくね!」
流石はエフェス。出会って間もない初対面の相手をもう愛称で呼び始めている。こうして人との距離を一気に詰める感じのやり方は、ボクにはまず真似しても出来そうにない芸当だと思う。
でもこのコレットという子は、他の子たちと違ってとても落ち着いた雰囲気があって、いつもなら感じる苦手な感触が、不思議と全然しないように感じられた。
「あ、そうだレティ。こっちの、自分のことをボクっていうエセルはね、結構不愛想に見えるかもだけど、別に何かが気に入らないってわけじゃなくって、大体いつもこんな感じだから気にしなくていいよ。それにこう見えて中身はすごく良い子だから、どうか仲良くしてくれると嬉しいな。あ、もちろん私ともね!」
「エフェス……不愛想に見えるのは
「……あ、うん。エセルも、よろしく」
それからボクたち三人は、学級ごとに割り当てられた教室のような部屋に移動したあと、いつもの担任の先生から今後の予定についての細かな点と、自由時間中の行動に関する話を聞き、予め配布されていた冊子を参照しながら色々と確認した。
話によると、学院における通常授業がこの教室でも行われるほか、周囲に影響を及ぼさないよう、特殊な結界で覆われた空間内で魔現などを用いた実技修練もあり、さらには三人組で行う特殊な調練もあるという。
生徒が寝泊まりする場所が別のところにあるのも、魔現の暴走や予期せぬ事故による巻き添えを被ることが無いようにと配慮された結果らしかった。
また、自由時間は決められた範囲内であれば、観光客向けのお店が多く立ち並ぶ街の方に出ても良く、砂浜の方に出て遊ぶことも出来るようだった。
そして種々の説明を受けたあと、ボクたちは各々が寝泊まりする場所があるというところへ案内されることになり、校舎代わりとなるその建物を一旦あとにして、最初にやって来た方とは反対側にある浜の方へと移動した。
「ん? あれって……さっきエセルが、観光客の人たちが泊まる用って言ってたところとそっくりじゃない?」
「あ、確かに全く同じ感じだね」
ボクたちが宿泊することになったのは、先に観光客用に作られたものだとエフェスに説明していた、水上に佇む
「私たちに割り当てられたのは、十五番目だから……一番奥のコテージ、だね」
「ありがと、レティ。ほらほら、鍵は貰ったし早速皆で行ってみようよ!」
「だ、だから服を引っ張らないでってば。エフェスったらもう……」
再びエフェスに引っ張られながら、自分たちに割り当てられたコテージへと移動すると、其処は思った以上に広い造りになっていて、そのまま浅瀬側へと降りられる階段も付いていた。どうやら小舟を使えばそちらからも出入りが出来るらしい。
「うわぁ、良い眺め! これならすぐに皆で海にも出られるね! 潮風も心地いいし、ここから釣りだって出来るんじゃない?」
「この辺りは結構遠浅になっているみたいだから、釣りをするならもう少し沖の方までいかないと難しいんじゃないかな。小魚ぐらいなら居るかもしれないけどね」
「ふふ、本当にずっと向こうまで浅いみたいだし、他にも色々と楽しめそうだね。そういえば、レティは病気で学校を長くお休みしてたって言ってたけど、海には入っても大丈夫なの?」
「あ、うん。それにここの海や潮風には、他の海よりも多くの自然魔素が含まれているらしくて、私の身体には特に良いって話を聞いたんだ」
確かにこの島は他に比べて、土壌や空気、そして海中に至るまで特に高濃度の自然魔素が充溢している環境だそうで、ここが遠征合宿の地として選ばれたのはそういう理由も大きいと聞いた。
実際、こちらに来てからは身体が妙に軽くなったような感覚がしていて、ボクのこの不完全な魔核にも、何か良い効果を齎してくれているのかもしれなかった。
「そっかぁ。それならレティも私たちと一緒に海に出て遊べるね! このあと自由時間になったら一度皆で海に入ってみようよ」
「あ……ボクなら、ここで本でも読んでいるから、ぜひ二人で――」
「エセルも一緒に、ね! せっかくレティも居るんだから、皆で楽しもう!」
「もう、人の顔を急に指で差すなんて危ないじゃないか……まぁ、ちょっとくらいなら付き合うのも、
「ヤブ、サカ? まぁ一緒に遊んでくれるってことだね! ふふん、そうこなくっちゃ。私とエセルとは……海水魚の交わり、みたいなもんなんだから!」
「それ、一文字余計だよ……全く。そんな言葉、何処で覚えて来たんだか」
エフェスの強引な圧に押されるかたちになってしまったものの、たまにはそんな風に皆で時間を過ごすのも悪くはないなと思った。以前のボクならきっと、歯牙にも掛けていなかっただろうに。
しかしこの分だとエフェスが最初に言っていた通り、合宿が終わる頃までには、ボクの中でまた何かが変わっているかもしれない。
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