第二小節 告解のとき


「はい、到着! ここがボルゲンシャイト大聖堂だよ。この辺りでは最も大きい建築物だから、遠くからみてもすっごく目立つよね」


 目の前で悠然とした佇まいを見せる大聖堂は、凡そ人がその手で造り出したものとは思えないほど豪壮な建築で、その上部には幾つもの尖塔が天に向かってその腕を伸ばすように聳立しょうりつしていて 、さらに聖堂の外側にはその全体を横から支えているように多数のはりが配されていた。

 リンデ曰くそれは飛梁とびばりと言われるもので、それによって堂内の身廊における天井の位置をより高くとる構造の実現が可能となり、本来なら強度維持のために塞がれてしまう身廊上部にもステンドグラスなどの装飾を用いることが出来るのだという。


「でもこうして間近に立っていると、何だか圧倒されてしまいそう……」

「ふふっ、それじゃあレイちゃんが完全に圧倒されちゃう前に、ささっと中に入っちゃおっか?」

「あっ、リンデ……」

「ほら、こっちこっち!」


 私はリンデに手を引かれるかたちで大聖堂の玄関口にある大きな扉へと向かい、そのまま堂内の拝廊へと足を踏み入れた。その中は極めて静謐せいひつで、まさに別世界に迷い込んだのではないかと錯覚するほど、極めて荘厳な気配で満たされていた。また、側廊側には非常に繊細緻密に象られた聖者と思しき者たちの彫像が立ち並んでいて、そのおごそかな雰囲気をさらに濃密なものにしているようだった。


「今日は参拝に訪れている人が少ないみたい。ほぼ貸し切りみたいだよね」

「私、人がいっぱいなのはちょっと苦手だから……ちょうど良いかも」

「あはは、それは私も同じだよ、レイちゃん。せっかくだから、ずっと前の方の席に座って、お祈りしていこう?」


 祭壇へと導く身廊を進んでいく中で、私は側廊から至聖所がある内陣までを包み込むように幾つも配された、極めて壮麗なステンドグラスに瞳を奪われた。それらは実に鮮やかな色で彩られた装飾と紋様とが施された縦長の高窓で、外界から訪れた光が其処を透過していくことで、まるで私たちが入って来た拝廊から祭壇全体までを一つの画布として、玉虫色の光彩を其処に描き出しているように感じられた。


「あれが……リンデの言ってたステンドグラスなんだね。すごく神々こうごうしいっていうか、本当に神様が描き出したみたいに綺麗だよ」

「ね、とっても素敵でしょ? 外から入って来た光たちはみんな、あの窓をして七色に煌くんだ。あの光を見ていると、何だか心が洗われるような気がするよ」

「うん……まるで虹の中に居るみたい」

「ふふ、本当にそうなのかもしれないよ。……それじゃあレイちゃん、この辺りに座ろっか?」


 そうして最前列の席に並んで座った私とリンデは、お互いに両手を組んだあとに目を閉じ、厳かに流れてゆく時の中で、ただ静かにお祈りを捧げた。その後、二人して黙したまま、方々で耀かがようステンドグラスやその輝きに照らされた祭壇背部にある神像をしばらく眺めていると、右隣りに掛けていたリンデがその沈黙を破り、おもむろに言葉を紡ぎ出した。


「……神様の前では本来、人も妖魔も半妖も、皆同じはずなんだよ。それをいつかの誰かが、妖魔は神の創造物にあらず、人に害をなす忌むべき異界の来訪者だっていう恣意しい的な解釈を広めて、今では大陸の至るところでその考えが定着しているわ。妖魔は確かに人に深刻な被害を与えたこともあったけれど、その多くは昔から彼らが隠れ住んでいた領域を人間たちが一方的に侵したことが原因のはずなんだ。けど、人間側にとって都合の悪い記録書の類は悉く禁書指定にされたり焼かれたりしたんだよね」

「やっぱり人って和を大事にする生き物だから、明らかに異質なものにはみんな恐怖を感じるんじゃないかな。全部が白の世界で、急に一つだけ黒い点がぽつりと出てきたら、それはやっぱり怖いんだと思う。その黒が何かをきっかけにどんどん増えていって、いつか白を全て塗り替えてしまうんじゃないかって。そしてもちろん黒と交わった白……灰色の存在にも、同じようなものを感じるんだと思う」


 灰色の存在。それは妖魔と人間の間に生まれた、どちらでもありどちらでもない、この私、そのものだった。それ故に自分で自分のことを客観的に言い表しているようで、実に複雑な気分になる。


「レイちゃん……ふ、おかしいよね。妖魔たちだって望んでこっちに来たわけじゃないかもしれないし、本当は私たち人間が怖いのかもしれない。なのに、一方的にその全てを害をなすもの――悪だと決めつけて、排除しようとする。人間の中にも人間を平気で騙したり相手の命を奪ったりする人が居るのにね」

「でも、リンデみたいに考えてくれている人もまた確かに居る……それが分かっただけで、人間と妖魔、そのどちらでもあってどちらでもない私みたいな存在は、何だかとても大きな安心感みたいなものを感じることが出来るよ」

「本当? そう言ってもらえると、すごく嬉しいな……こんなこと言うと、普通は変な顔されちゃうからね。私の両親だって、私に気を遣って決して言葉には出さないけれど、心の本音はそれとなく伝わってくるから。かくいう私も、もしメルのような過去があったなら、今とは随分と違っていただろうしね」


 リンデは、人間にとって異質の存在である妖魔や私のような半妖が、一般的にどう捉えられているかについて思いを馳せてはその心を痛めているようだった。彼女自身は純粋な人間でありながら、こちら側の視点に立って同じように考え、そしてまた一緒に悩んでくれる、まるで空のように広い視野と海の如く深い優しさを併せもった心の持ち主だと感じた。


「それと私ね、半妖の人を実際に見るのって、実はレイちゃんが初めてだったんだけれど……言われないと本当に判らないくらい、私たちと同じなんだなって思ったよ。瞳の色も左は黄水晶シトリン、右は水宝玉アクアマリンみたいでとっても綺麗だし、空色をした髪だってこんなにも繊細で、水面に差し込んで揺らめく光のようにきらきらとしていて……あ、断りもなく勝手に髪を触っちゃってごめんね!」

「ううん、全然大丈夫。私は……リンデに自分たちと同じだって言ってもらえて、何だかとても嬉しいよ。前に手紙にも書いたことがあるけれど、私は小さい頃からずっと、自分は一体何なんだろうって、心の何処かで思っていたから」

「……レイちゃんは、レイちゃんだよ。妖魔とか半妖とか、人間だとかそんなのは全部関係なくって。最初から最後までレイちゃんなの。他の人がレイちゃんに対して何て言おうと、その根っこの部分だけは絶対に変わらないと思う。私が今さっき言ったのは見た目のことだけど、その中身だって私たちと同じだっていうことは、レイちゃんを見ていればよぉく分かるから」

「ふふ……ありがとう、リンデ」

「あっ、ねぇレイちゃん。あそこに見えるものは何だか知っている?」

「えっ?」


 唐突にリンデにそう訊かれて、彼女が指し示した方向に視線を移すと、それは内陣の手前から左右に伸びている翼廊と言われる部分の端に設けられた、人一人が入れるほどの空間が三つ連なった不思議な小部屋が目に留まった。


「うぅん……前にも似たようなものを見たことはあるけど、何なのかまでは……」

「あれは告解室って言ってね。神様に自らが犯した罪や過ちを告白して、そのゆるしを乞う空間なんだ。正式にはあの真ん中の部屋にいわゆる司祭様や神父様が入って、その両脇にある部屋に罪の告白をする人たちが入る形式になっているの。まぁ今は友だち同士であそこに入って、気軽に懺悔ざんげごっこをする子たちがいるぐらいだけどね」

「そうなんだ。自分の犯した罪……か」

「もしよかったら、私たちもやってみる? お互いに代わり番こになってさ」

「うん。ちょっと、やってみようかな……」


 そして私はリンデと一緒にその告解室へと移動し、まずは私が罪を告白する側になって、リンデはそれを聞く聴罪者側の部屋へと入った。それから私が中にあった椅子に腰かけると、目の前にあった小さな仕切り窓が開き、リンデの声が聞こえた。


「では……あなた自身が自らの罪として認めることを、神のいつくしみに信頼し、その心を開いて包み隠さず仰ってください」

「私は……甘い言葉に踊らされてよく考えもせずに軽率な行動を取った結果、自らの命を危険に晒しただけに留まらず、そんな私に無償の愛を注ぎ続けてくれた母の最期を、その近くで看取ることが出来ず、たった一人で旅立たせてしまいました」

「……あなたは、自身が犯したその罪から新たに学んだことがきっとあったはずです。そしてまたそこから得られた新たな繋がりも。今あなたがここに在ることを神に感謝すると共に、その時に学んだことを心に刻んで、上天へと昇られたお母様がくださった無償の愛を、あなたの手が届く誰かに注いであげることが、その罪の償いとなることでしょう。さぁ、神の赦しを求め、回心の祈りを捧げてください」

「…………」

「我らが全能の神、慈悲深い父は、罪の赦しのために偉大なる聖霊をつかわされ、我々に大いなる愛を注がれました。神があなたの罪を赦し、そしてあなたのこれからに限りない祝福と安寧とを与えてくださいますように……私は父と子と聖霊の御名みなによって、あなたの罪を赦します」


 私はリンデに、自分の心の中に消えない痕として残っていたものを曝け出したことで、長くこの胸の奥底にあった重みが、すっと軽くなったような気がした。


「どうだった……? レイちゃん」

「うん。何だか今まで心の何処かでずっと抱えていたものが、軽くなった気がする」

「それなら良かった! じゃあ次は……私の告白を聞いてもらっても、いいかな」

「もちろんって言いたいところだけど、私、どうやったらいいのかやり方が……」

「あぁ、それなら私の居た方の部屋に入ればすぐに分かるよ。ちゃんと何を言えば良いかを記した紙が中に貼ってあるから。それに倣うだけで大丈夫!」

「そう、なの? なら、やってみるね」


 そうして私は、先にリンデが入っていた聴罪者側の部屋に入り、彼女が言った紙に目を通して大体の文句と順序を理解した上で、こちらから互いを隔てる仕切り窓を開き、私がリンデに訊かれた時の言葉を模倣して、彼女にその罪の告白を促した。


「私は……人の気持ちも考えず、自分の主張ばかりを優先して、とても多くの人を傷つけてしまいました。私は、神の教えを重んじる学院の中で、その教えに背く考えを自ら広めようとして祖母や両親の顔に泥を塗りました。私は、少し前に世界中の街が妖魔や妖獣に襲われた時、傲慢が過ぎた人間たちに当然の報いが来たのだと心の何処かで思ってしまいました……私、は……」


 リンデは、自らが罪だと認識していることを次々と告白していったものの、その調子は段々と訥々とつとつとしたものに変わっていき、最後の方はほとんど何を言っているのか聞き取れないほど弱々しい声になっていた。

 ただ、聞き取れた内容を整理すると、リンデはどうやら妖魔を擁護するような主張を繰り返して家族に迷惑をかけてしまっている現実と、世界の各都市が妖魔の脅威に晒された際に、人間側に深刻な被害が出たにも関わらず、そのことを因果応報だと少しでも感じてしまったことに複雑な感情を抱いているようだった。


「……リンデ、私はさっきあなたがしてくれたみたいには上手く言えないけど……きっと、人には言えない辛さがずっと胸の中にあったんだよね……妖魔や私たち半妖と同じ気持ちになって考えたい自分と、自分が妖魔たちを擁護することで家族の社会的な立場にも悪影響を与えてしまう現実との狭間で……苦しんでいたんだよね」

「…………」

「でもね、リンデ。私、リンデにはそんな自分を否定せず、自分の信じる道に向かって歩んで行って欲しい……かな。私が軽はずみに言えたことじゃないし、その道を進むリンデ自身はものすごく苦しいかもしれない、けど、いつかそんなあなたの想いが多くの人の心に届く日が必ず来ると思うから……たとえその教えに背いたことで神様が赦してくれなくても……リンデ、この私が、あなたのその想いを一緒になって背負います」

「レイ、ちゃん……」

「ふふ、私は神様でも聖霊でもなく、ただの半妖だから……罪とされることをどうこうする力はないけれど、その想いを共有することは出来るから、これから手伝えることもあると思うんだ。人と妖魔、そのどちらでもない私だからこそ、出来ることがきっとね」

「……ありがとう。他でもないレイちゃんが私の味方で居てくれるのなら、これから何が起きたって絶対大丈夫。私、迷わずに歩いて行けるよ……ずっと」


 そして私が告解室から出ると、次いで外に出て来たリンデが、そっと私に歩み寄り、その右手を私に差し出して来た。彼女の表情には先ほどその声音から伝わって来た暗い気配は全く感じられず、満面に真夏の太陽のように晴れやかさを湛えながら、仄かな朱が差したその頬を大きくたるませていた。


「さ……行こう、レイちゃん。街案内の続きだよ!」

「うん。よろしくね、リンデ」

「あ、ちなみに今日ここでお互いに話したことは私とレイちゃん、二人だけの秘密だから! これは昔からあるロイゲンベルクの教会聖法で定められた、聴罪者の義務だからね。だから、約束だよ?」

「もちろん、約束するよ。私とリンデだけの秘密、だよね」

「ふふ、分かればよろしい! なんちゃって。じゃ、行こっか!」


 その後、リンデに導かれて、私は今ロイゲンベルクで流行っている洋服を多く取り扱っている大きめのお店で二人して色々と試着を重ねながら感想を伝え合ったり、可愛らしい装飾品が数多く並んでいるお店にも一緒に入って、お互いにどんなものが似合うかを実際に身に付けながら確かめ合ったりして、心の底から満ち足りていると感じる時間を過ごすことが出来ていた。


「レイちゃん、このネックレス……本当に私に?」

「うん。それが似合うと思ったから……良かったら今日の記念に、贈らせてほしいんだけど……駄目、かな?」


 私はリンデと一緒に訪れた装飾品のお店で、綺麗な金紋様が施されていて、瑠璃色の砂が入った三日月の上に一匹の猫と星とが飾られている可愛らしいネックレスを見つけて、それを彼女に贈ろうとしていた。


「だ、駄目だなんてそんなこと、全然ないない! けど私、今日はレイちゃんから既に素敵なお洋服までもらっちゃってるから、何だか悪くって……」

「ふふっ。私の気持ちだから、そんなこと全然気にしなくたっていいのに」

「あ! ならこうしましょう。このネックレス、ちょうど色違いがあるから……この銀色の方を私からレイちゃんにも贈るってかたちで、どう?」

「えっ、私にも……? つまりお揃い、ってことだよね?」

「うんうん。そうしたらきっと素敵な思い出にもなると思うの。ね? レイちゃん、そうしようよ!」

「何だかちょっと照れくさいけど……うん、そうしよう」

「決まりね! ふふ、買ったらすぐに付け合いっこしましょ!」


 私とリンデはネックレスを購入した後、その場ですぐにお互いの想いのかたちを渡し合い、その胸に新たな輝きを燈すことになった。リンデは私が贈ったネックレスを何度もその指先で触れながら顔を綻ばせ、大層喜んでいる様子で、彼女からお揃いとなるネックレスを掛けてもらった私自身も、この上なく嬉しい気分だった。私にとって今日のことは、忘れられない素敵な思い出の一つとなるに違いない。


 これまでもフィルモワールで、私とメルとリゼの三人でこうしてお洒落を楽しんだことは何度かあったものの、私自身は心から深く繋がり合っている彼女たちと比べて、いつも二歩か三歩、その外側に居るような感覚があった。私は、彼女たち二人のような関係に、これまで何処か憧れにも似た感情を抱いていたのかもしれない。そしてどこまでいっても私は半妖で、彼女たちは人間。その意識が、いつしか私の心の中で勝手に壁のようなものを作り上げていたところがあったように思える。


「ん……どうしたの、レイちゃん? ひょっとして少し歩き疲れちゃった?」

「ううん、全然。ただその、こうして誰かと二人きりで色々なものをお互いに楽しむってことが、私にとっては初めてのことだから、何だか妙に嬉しくって」


 でも、目の前にいるこのリンデにとっては、妖魔も半妖も人間も、全てが同じ存在で、何の偏見も先入観もなく、変わらない想いを伝えてくれる。私はそんな彼女とこうして一緒の時間を過ごせることがとても嬉しく感じられて、さらに自分の心が独りでに弾んで芯から温かくなるような、不思議な感情を覚えていた。

 ひょっとしたら、前に本を通して目にした『胸がときめく感じ』というのは、ちょうど今の私が感じている、この感覚のことを言っていたのかもしれない。


「私も誰かと一緒に街を見て回るのなんて何年振りかなってくらいだよ。けど、レイちゃんにとって初めて二人きりで過ごす相手がこの私になるだなんて、正直すっごく嬉しいよ。それで、このあとは私たちが通ってた学院にレイちゃんを案内しようかなって思ってたんだけれど、どうかな?」

「リンデたちの通ってた学院っていうと、ローゼン・アルカディアンだったっけ。この前行ったときは修繕中みたいだったけど、今はもうすっかり元通りになったの?」

「あぁ、うん! 前以上にぴかぴかになったところまであるよ。私、今は学院で幻廊書庫……まぁ平たくいえば図書室だね。其処の第二書庫長を務めているんだ」

「へぇ、そうなんだ。書庫長ってすごいなぁ……私、ああいう本に囲まれた匂いっていうのかな、あの独特な雰囲気って何だかとても落ち着く感じがして好きだよ。よければ其処まで案内して欲しいな」

「本当? ふふっ、任せて! じゃあ近くの駅まで少しだけ歩こっか?」


 それから最寄りの駅であるオイゲンホルストから魔導列車に乗り込んだ私たちは自由席に二人して並んで座り、学院があるキルヒェンシュヴァイクの駅を目指して、小気味良い音と共に流れていく風景を眺めながら、しばし揺られることになった。

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