第四小節 二度、生まれたもの


「……こんばんは。お祈り中のところ申し訳ありませんが、少しよろしいでしょうか?」

「ん……? あなたたちは……?」


 私の声に応じて後ろに振り返った人影は、私たちよりも少し年上と思しき、見目麗しい女性の容貌を覗かせていて、菫色の長い髪に孔雀緑の輝きを双眸に湛えていた。


 少し前に相手をした半妖たちとは異なり、その女性から妖気のようなものは一切感じられなかったものの、彼女を除いて他に人の気配が感じられない以上、私はとにかく眼前の人物に話を聞く必要があると感じた。


「私たち三人は女王陛下からの命を受けてこちらに参りました。私はシャルレーヌでこちらがエステール、それから彼女はエヴァといいます。失礼ですが、あなたはこちらの教会の方なのでしょうか?」

「いえ、私はただ参拝に訪れただけの者です。こう、騒がしいのはどうにも苦手でして……こちらで祈りを捧げているほうが、ずっと心が落ち着くのです」

「なるほど。今こちらには……他に誰かいらっしゃらないのでしょうか?」

「そのようですわ。皆さん、これから控えている祭事のために出払っているようで。この教会も半ば貸し切り状態といったところでしょうか」

「そうでしたか。ところで……あなたの足元にあるものは、一体何でしょう?」

「えっ、足元……?」


 彼女が私たちの声を受けてこちらに振り向いた際に、足元に見えていた何らかの模様と思しきものを咄嗟にその両足で隠したのを私は見逃さなかった。

 おそらく彼女はここで他の魔導陣サークルを起動するための術式を、祭事によって誰も居なくなったこの教会堂の床面に描いていたに違いない。


「あら……全く気付かなかったけれど、何だか意味ありげな模様のようなものが描いてありますね。でも、これがどういった意味なのかはまるで分かりませんわ」

「それって、指定した魔導陣を遠隔起動するための術式ですよね……? それも見た感ところ、本当についさっき描かれたばかりといった感じがしますが」

「よく分からないけれど、そうなんですか? ひょっとしてこれから外で行われる祭事で使うのかしら……」

「それは……あなたが、描いたものでしょう?」

「えっ、どうして私が……?」

「あなた、身体から滲み出る妖気を巧く隠しているつもりなのでしょうけれど、ほんの僅かに残っているのよ……その、爪先にね。そしてそれはその足元にある術式と微かな同調を示しているように感じられる」

「ふぅん……こんなものに気が付くだなんて。あなたたち、ただの綺麗なお嬢さんというわけじゃなさそうね」


 相手が纏っている気配の質が明らかに変化した。どうやらもう自身の正体を隠すつもりはないように思える。無益な戦闘は極力避けたいところながら、相手の出方次第ではどう転ぶか判らない。


「単刀直入に訊ねるわ。このフィルモワールで幻獣を召喚しようと計画し、半妖たちを使って色々と工作していたのはあなたね?」

「一体何のことかしら……と言いたいところだけれど、三人とも事情は全て知っていますって顔ね。いかにも、私が幻獣の召喚を企図した者よ」

「随分と素直だこと。それから先に断っておくけれど、あなたがあの半妖たちに命じて形代の周りに施した分散式の魔紋も、今頃は私たちの仲間が既に無効化しているはずだからもう機能はしない。故にあなたはこのまま大人しく投降したほうが身のためよ。無駄な抵抗は何の得もならないわ」

「そう……私の居場所が割れていた時点で覚悟はしていたけれど、やはりそうだったのね。皆悉くしくじった上に易々と吐いたってところかしら。これだから混ざりものは駄目なのよ」

「あなた、一体何者なの? 純粋な妖魔にしては随分と私たちの文化にも明るいようだし、これまではきっと人に紛れて生きてきたのでしょうけれど、禁術指定がなされた幻獣の召喚術式まで知っているだなんて、普通じゃないわ」

「ふふ……普通じゃない、か。面と向かってそう言われるのは随分と久々のような気がするわ。そうね、私は今でこそ妖魔と同じ身体を持っているけれど、異界から渡って来たってわけじゃないわ」

「本物と、違う……? あなた、一体何を言って――」

「私は、自らの意思で妖魔として転化した……元、人間よ」

「何、ですって……?」


 私には、彼女が事も無げに放った言葉の意味がすぐには理解出来なかった。人間が自らの意思で妖魔に転じた前例は私の知る限りではもちろん絶無で、その手段もこれまでの魔術史の中で、禁術として存在したことすらなかったはずだった。


「私が人間だった頃は、妖魔に関する研究に携わっていたわ。彼らの中には人間社会に深く溶け込んで、普通の人間と変わらない暮らしをしている者もいたようで、私はそんな彼らにとても興味があったの。そしてある時……」


 彼女の話によれば、自身が妖魔に関する研究を続ける中で、ある時に人間と妖魔たちとが一緒になって暮らしている集落があることを風の噂として耳にし、それから様々な人を通じて情報を集めた結果、その場所の特定に至った彼女は単身で問題の集落へと訪れ、其処に住む妖魔たちと交流を持つことになったという。


 そして集落に住んでいた妖魔たちと次第に親交を深めていった彼女は、やがてその中の一人と恋仲になり、ついには人間と妖魔、両方の側面を受け継いだ新たなる命を産み落とした。


 しかし当時のフィルモワールでは想像上の産物でしかなかった半妖に人権を認める法律など存在しておらず、さらに人外と密通することなどは禁忌のさらに上をいく背神罪として考えられていたため、彼女は両親にも告げずに自らが生まれ育った故郷を棄て、妖魔たちの住む集落へと移り住んだとのことだった。

 

 しかし彼女が移住してからしばらく経ったある日、その集落が謎の集団から大規模な襲撃を受けるという事件が突如発生した。当然ながら攻撃を受けた妖魔たちも必死の抵抗を示したが、相手側の数からしてまさに多勢に無勢といった具合で、集落から逃げようとしたものは、人間も妖魔も例外なく殺害された。


 彼女自身は恋仲にあった妖魔や数多くの仲間に助けられ、何とかその場から落ち延びることは出来たものの、その後の逃奔中に当時まだ生まれて間もなかった彼女の赤子が流行り病を患ってしまい、懸命な看護も空しくその子は息を引き取ってしまった。


 それは本来妖魔ならば罹患りかんすることのない病であり、どうやら人間の血が流れていることが最たる原因であるようだった。


 それから絶望に打ちひしがれながらも、各地の貧民街を転々として生き長らえた彼女は、もはやこの世界に自分の居場所はないと感じ、彼女が愛した妖魔の故郷である異界へと渡る術を求め、危険を承知でフィルモワールへと密入国を試み、かつて自身も研究の傍ら何度も足を運んでいた王立図書館の地下にある資料保管庫の内部へと、下水路を通じて忍び込んだ。


 その水路は奇しくも彼女が以前、防犯上の問題があるとして報告しようとしていた侵入経路だった。


 其処の一角には妖魔に関する禁書や、別所にある王立公文書館でも公開されていない極秘文書などを所蔵している区画があり、貧民街を生き抜く中で学んだ開錠技術を用いて目当ての資料があると思われる一室へと忍び込んだ彼女は、其処で驚くべき発見をすることになった。


 それは彼女の居た件の集落への襲撃に関する記録を収めた文書で、彼女の失踪前からその行動に不審な点があると、同僚からの告発を受けた生命倫理審査会から秘密裏に派遣された調査団によって、彼女と妖魔の関係は時の王政庁や国王陛下の諮問機関しもんきかんである枢密院すうみついんの知るところとなった。


 事態の早急な収拾を迫られた王政庁は、ありとあらゆる問題を処理する受け口となっていた下部組織に、彼女と彼女に関係する者全ての排除を命じたようだった。


 その結果、彼女が移住していた集落にいわゆる『処理班』が送り込まれることとなり、同集落とその周辺とが急襲されるに至った背景が明らかになった。


 その後、異界に渡る術こそは発見できなかったものの、変妖の秘法なるものについて触れた禁書を持ち出した彼女は、それに従い実に長い時間をかけて妖魔と同等の血肉を手に入れた。


 さらに、その道中で知り合った妖魔たちや行き場のない半妖たちを受け容れる集落を人里離れた山奥に自ら築き上げ、自分から全てを奪った人間たちに復讐しようとその時機をずっと窺っていたようで、また、幻獣召喚に関する術式も、その禁書から得たものであるらしかった。


「まさか、そんなことがあったとは……話から察するに、私たちが生まれるよりもずっと前、おそらくは今の陛下から二代ほど前の時代ね。当時のフィルモワールは現在とは大きく違って、同性愛すらも背神罪として厳しく処罰されていた。故に妖魔と通じ、その子を残すというのは死罪に相当するものだったに違いないわ」

「しかし今のフィルモワールはあなたが居た時代とは全く違う……こんな大きな憎しみと血とを伴う方法を使わなくても、現在の女王陛下ならきっとその心情を汲み取ってくださいます。このまま大人しく投降して、これまでの経緯を今私たちに伝えてくれたように話せば、きっと悪いようにはならないはずです」

「確かに……今のこの国の様子を見る限り、あなたたちの言う通りなのかも知れない。でも、積年の想いはそう簡単に割り切れるものではないわ。それに、私に流れる人ではないものの血が、こう訴えてくるのよ……人間は私から全てを奪い去った何よりも忌々しい敵で、その全てを殺し尽くさない限り、今も痛みを伝えるその傷が真に癒えることはないだろう、とね」

「どうしても戦うというのなら……私は、あなたを斬らなくてはいけない。でもどうか思い留まって欲しい。あなたの気持ちは私たちには到底推し量れないものだろうけれど、ここで私たちが命のやり取りをすることには何の意味もないわ。それよりもお互いが話し合って、より良い道を見つけられるように寄り添っていきましょう」

「ありがとう……けど私はもう、後戻り出来ないの。あの人と、約束したからね。もしも自分が死んだら、いつか必ずその仇を取ってくれと……そして私は、その約束を守ってみせる……!」


 その瞬間、眼前の女性から凄まじい量の妖気が噴騰し、その衝撃波が周囲に伝播していくと共に、辺りの空間に奇妙な紋様が幾つも浮かび上がり、それと同時に色という色が悉く失われていった。


「これは……空間結界だわ。私たちを教会堂の外に逃がさないつもりよ」

「きっと足元にあった魔導式を思念か何かによって瞬時に改変し、それを結界の起動術式として利用したのでしょう……」

「お二人とも、こうなってしまった以上もはや手加減は不要です。今すぐ構えてください!」

「私はこんなところで死ぬわけにはいかないの……たとえあなたたちを倒してでも、ここから脱出してみせるわ!」

「……来る!」


 女性はついに完全な妖魔の姿へと転身したのか、全身がたちまち青黒く変容すると共にその髪が著しく長く伸びていき、こちらを睥睨へいげいする両目は恰も大蛇が獲物を捉えたかの如く炯々けいけいとした眼光を湛え、さらに白魚のように繊麗だった指からは何もかもを刺し貫くような鋭利な爪牙がぎらりと閃いていた。


 そして妖魔はふわりと宙に浮かび揚がると、その両腕を左右に大きく広げながら、掌に妖気を集中させ始めたのが見て取れた。


「騒めけ風鎌ふうれん……空轢の狂飆ファルチェ・テンペスタ!」


 妖魔の両手から生み出された苛烈な暴風は、夥しい数の真空の刃となって私たちの方へと殺到し、即応した私に続いてステラやアンリもそれらを見事に回避して見せたものの、堂内に並んでいた長椅子や祭礼品などが木っ端微塵に粉砕させられた。


「何て威力……まともに受ければ無事では済まないわね」


 妖魔の周囲には彼女の身体を護るように幾筋もの旋風が立ち昇っていて、其処からは次々と新たな真空の刃が紡ぎ出され、彼女の妖気によってその軌道を操作されているのか、私たち三人を執拗に追尾するような動きを見せていた。


(シャル、アンリさん、私が槍で突き刺した床面の残骸をあちら側に投げつけて注意を引きますから、その間にあの風の壁を何とかしてください)

(ん……分かったわ、ステラ)

(了解です。注意を引いてもらっている間に、左右から挟み込みましょう)


 水晶竜の鱗を通じてそう連絡してきたステラは、妖術によって蹂躙された床面の一部を愛槍である岩貫きトローシェの穂先で捕らえると共に、その場で素早く回転した上でその残骸を妖魔に向けて何度も投げつけた。


 果たしてステラの思惑は奏功したようで、私とアンリとをつけ狙っていた真空の刃が一時的ながらもステラが居る方へと集中したのが判った。


 僅かに生まれたその隙を私とアンリの二人は見逃さず、足場の空気を魔素で一時的に固定化させながら上方へと駆け上がり、風の防御壁を穿つための一撃を同時に放った。


斬空裂飆穿ディヴィゼ・ロアージュ!」

風牙滅砕衝ふうがめっさいしょう!」


 本物の大規模な旋風ならこの程度の斬撃ではびくともしない。しかしこの風のように見えるものはあくまで妖気流によって構成された変現体に過ぎず、人間が扱う魔現マジックによるものと同様、外側から高濃度の魔素を含んだ一撃を、その旋風の流れを見極めた上で別方向から打ち込むことにより、その全体を一時的ながら極めて不安定な状態へと導くことが出来るはずだった。


 アンリが放った技も手段こそ違えど、おそらくは同じ考えのもとに編み出されたもので、魔導的に不安定な高濃度魔素を帯びた剣圧を近い距離から打ち出し、それを対象に接触させると共に炸裂させることで、その力を奪うものだと推察した。


(想定通り風が大きく弱まったわ……ステラ、アンリ、このまま行くわよ!)

(シャル、お任せを!)

(承知しました!)


 裂開した風の障壁が閉じるよりも先にその内部へと入り込んだ私たちは、この短い間にそれを突破されるとは思っていなかったであろう妖魔に対して、考える時間の余裕を与えさせないよう、すぐさま攻撃態勢へと移行した。


「双竜乱舞!」

 アンリが不規則な体捌きを以て、真っ先に妖魔との距離を詰めると共に、両手にした双剣を巧みに振るいながら躍るようにして斬りかかると、

雹嵐勦滅襲ミストラルグレール!」

 ステラがそれに続いて、さながら雨霰の如き刺突を間断なく浴びせかけた。そしてその穂先は確かに妖魔を捉えたように見えたものの、相手の身体が突如として霞のように消散し、私たちはその姿を完全に見失った。


「き、消えた……?」

「……ステラ、上よ!」

「な――」


 反応が僅かに遅れたステラは、頭上から発せられた凄まじい妖気の渦流を一身に受けてそのまま下方の床面へと強く叩きつけられ、その周辺には彼女が落下した衝撃も相まって白い粉塵が大きく巻き上がった。


「ステラ! くっ……今の動き、まさか転移したとでもいうの?」


 転移法は神理アルケーと言われる領域に位置する最上位の魔術。私が知っているうちで実際に行使出来るものは、義妹であるエセルぐらいしかいない。


 おそらくは例の禁書から得た知識を利用したと思われるものの、まさに変幻自在といったその動きは、非常に厄介であると言わざるを得ない。


「は……シャル、後ろです!」

「ぐっ! ……やはり、思った通りね!」


 相手はこちらが一撃を加えようとした途端に姿を消し、次の瞬間にはこちらの死角から非常に素早い攻撃を仕掛けてくる。


 それは背後であったり頭上であったり、また位置によっては眼下から襲来する可能性もある。しかし全方位を同時に警戒することは不可能であるため、ほんの一瞬の判断の遅れが致命的となる恐れがあった。


(……ステラ、私の声が聞こえて? 怪我は大丈夫?)

(は、はい。私なら大事ありません。すみません、判断が遅れてしまって)

(あなたが無事ならそれでいいの。それより、相手は転移法を使うようだわ)

(転移……前にエセルが言っていましたが、短距離でも物凄い集中力を要するようで、あまり長く連発は出来ないはずなのですが)

(そこは妖魔に転じたからこその力もあるのでしょう。しかし――)


 すると私たちの念話を断ち切るように、おそらく妖気を物質化したものと思われる暗紫色に染まった剣が私たちの方に複数襲来し、私がそれを打ち払おうと剣で構えると、眼前にまで迫ってきていたそれは、忽然と視界から消え失せてしまった。

 

「……ん、危ない!」

「えっ……?」


 咄嗟に反応したステラが、私の後方に迫って来ていた複数の剣を打ち払い、それらは間もなく粉々に砕け散った。それが意味するところは、妖魔が妖気を物質化したであろう剣を途中で転移させると共に、私の後方から出現させたという事実。


(なるほど、転移させられるのは自分自身だけじゃないってことね……全く、素敵な話だわ。しかも私と同じ物質化と思しき能力まで持っているとは。でも、そのおかげで良いことを思いついたわ)

(シャル? 何か良い考えが浮かんだのですか?)

(ええ、ステラ。あまり長くは続けられない手段だけれど、試してみる価値はあるはずよ。それと、あなたたちには私の援護をお願いしてもいいかしら?)

 

 それから私はかつてメルと戦った時にも見せた、自らの物質化能力を最大限に利用した幻影術、幻宴ミラージュ・フェイトを以て、相手の目を欺きつつ反撃の機会を窺うという考えを二人に伝えた。


 同術は魔素の消耗こそ激しいものの、実体を持った幻影を複数展開するという特性上、転移法を行使して奇襲を仕掛けてくる相手には特に有効な手段だと考えた。


(……それじゃあ、いくわよ! それと、アンリ)

(ん、何でしょう?)

(あなたにお願いしたいことがあるのだけれど、頼まれてくれるかしら?)

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