第三小節 棚曇る暗雲と屋根を駆ける少女


「まさか、連中があのレイラと同じ半妖セーミスだったとはね……どうりで普通の妖魔とは色々な意味で様子が違ったはずだわ」


 気絶させた後に周囲にあるつたを利用して捕縛した妖魔……ではなく半妖のうちの一人を強引に叩き起こし、まず例の山荘に忍び込んだのか否かを尋問したところ、やはり私たちの思った通り、彼らが侵入者であったことに間違いはないようだった。


 しかし彼らが山荘に忍び込んだ理由というのが、私たちの想像が全くつかなかったところにあり、その半妖いわく彼らは皆エスタルトという、フィルモワールから北東に位置する小国のとある町からやって来たとのことだった。


 其処は昔から妖魔の存在に対して理解がある、全国的にも珍しい擁護派の人間たちが暮らす土地であったため、彼らは人間に敵意を持たない純粋な妖魔に混じって、自分たちも周囲に半妖であることを知られた上で穏やかな生活をおくっていたらしかった。


 しかし、今から半年以上前に異界から来訪した御落胤ごらくいんが引き起こした一連の動乱によって、世界各地で野生の獣や息を潜めて暮らしていた妖魔たちが一斉に狂暴化した際、エスタルトに住んでいた妖魔たちもその影響を受けたのか、急に理性を失ったかのように暴れ狂いながら町を破壊し、これまで何事も無く共生していた住人たちにもその牙を剥いたという。


 不可思議なことに半妖であった彼らには全く異変が現れなかったものの、恐怖を感じた国民の反発を受けて町はもちろんのこと国外にまで出ることを余儀なくされた彼らは、その後各地を転々とするも、各々が頭から生えている角や背中の翼、あるいは長い尻尾といった半妖特有の特徴をあからさまに有し、さらにそれを隠す術を持っていなかったために、事態が沈静化した後も彼らの居場所はもはや何処にも無かったとのことだった。


 それからしばらくして、困窮を極める流浪生活の中で、彼らのように住む場所を追われた半妖や、何らかの理由で狂暴化こそしなかったものの事実上の国外退去処分を受けた妖魔たちが密かに集結している隠れ集落があるという噂を聞きつけた彼らは、わらにもすがる思いでその場所を探し、そしてついに彼らが築いたその集落へと辿り着いたのだという。


 其処には、何もしていない自分たちを虐げた人間たちに対する反攻計画を企てている妖魔が数多く身を寄せ合っており、近く彼らは周辺諸国の中で人口が特に集中しているフィルモワールにて、幻獣――異空間に棲むという異形の巨怪を召喚するべく、極めて大規模な陣術ヤントラを展開しようと企図していたようで、さらに其処で色々な話を聞いた件の半妖たちは、これから自分たちには妖魔狩りを行う賞金稼ぎに脅かされる毎日しか待っていないと感じ、その計画に加わることにしたという話だった。


「しかし彼らの話が全て本当だとすれば、とてつもなく恐ろしい話だわ……幻獣の召喚術は、展開領域に予測不可能かつ未曽有みぞうの影響を与える懸念があるとして、現在は全面的に禁術指定が掛かっているものよ。仮にフィルモワール内で使用されれば、国全体がどんな被害を被ることになるか私にも全く予測がつかない」

「とにかく、今すぐフィルモワールに戻って、陛下たちの耳にも入れておかなくてはなりませんね。それに大規模な魔導陣サークルを要するのであれば、都市の何処かに分散型の魔紋ロガエスが施されているはずですから、葉陰黽グレヌイユにも助力を仰がなくては」

「葉陰黽……なるほど、アンリたちの組織ね。とりあえずこの半妖たちはここに縛り付けておいて、目印だけ残したらあとで回収をお願いしましょう。その間に私たちはフィルモワールへ向かうわよ!」


 今日はステラと共にかつての日々に思いを馳せながら、穏やかな一時を心行くまで過ごせると思っていたのに、いつの間にかとんでもない事態に巻き込まれてしまっていた。


 今ある平和は私やステラ、そしてメルたち皆とが一緒になってようやくにも掴み取れた掛け替えのないもの。たとえ相手が何者で、其処に至るまでの背景が如何なるものであろうと、それを奪わせるようなことは決して許してはならない。


 話を聞き出した半妖たちは、曝露したものを妖魔化させる効果をもった煙、ちょうどかの落胤によって各地で見られたような妖霧を、何と豚の膀胱に封入して膨らませたものが彼らがいてきた荷車の中に大量に保管されていて、それらをこの後フィルモワール内にて他の別動隊と共に、今ちょうど催されている謝肉祭カルナヴァルで使う遊び道具として現地の子どもや若者たちに無償配布する予定だったらしく、それにより街中が大混乱に見舞われている隙に乗じて幻獣を召喚する心算のようだった。


 別動隊の展開予定位置や外見上の特徴などに関しては不明であるものの、国家保安総局の中でも諜報活動を主とする組織、アンリが所属する葉陰黽であれば、それほどの時間を要することなく対象を発見出来ると思った。


 それからしばらくしてフィルモワールへと舞い戻った私たちは、すぐさま先の反攻計画に対する行動に移り、陛下を通じて関係各所への通達は速やかに行われ、またこちら側からあからさまな対応を見せると、既に街の何処かに潜伏していると思われる相手側に動きを察知され、計画行動の前倒しが行われる可能性もあったため、事態への対処は速やか且つ密やかに執り行われた。


 そして真っ先に動いた葉陰黽の活動によって、侵入者はフィルモワールの地下にあり、もうすぐ全面撤去が予定されていた旧下水道を通じて国の外部から侵入したことが明らかにされ、其処を通じて地上に出られる地点は片手で数えるほどに限られていたため、私とステラはアンリから思念による遠隔通信を可能にする特殊法具、水晶竜の鱗を受け取り、彼女たちと連携を取りながら相手の捜索を開始した。


「ステラ、半妖たちが放っていた妖気の感触、まだちゃんと覚えているわよね?」

「はい、シャル。極めて独特な反応だったので、ほんの僅かでも判断出来るかと」

「良いわ。今日はちょうど謝肉祭の最終日だから、人通りは特に多い。けれど異質な気配があればかえって際立ったものとして感じられるはずよ。それにあの豚の膀胱……別動隊も街なかで同じものを配ろうとしているかもしれないわ。今から私たち二人で手分けして、辺りの状況に注意しながら彼らを探してみましょう」

「承知しました!」


 ――なるほど、派手に仮装した者も数多く練り歩いているこの謝肉祭の最中さなかであれば、半妖の特徴である角や翼などを隠すこともなく、堂々と幻獣を召喚するための準備が行える……か。


 おまけに彼らが混乱のために利用しようとしていた豚の膀胱を膨らませたものは、子どもたちの間では普通に遊び道具として使われているし、祭の期間中はかつて羽目を外した連中が卵や毛布で包んだ犬猫などの動物を投げるという過激な行動に出たことが多かったことから、昨今ではそれを禁じて花やお菓子、そして空気を入れて膨らませた豚の膀胱を投げ合うように変わってきた。


 故に彼らが今ここでそれを配布していたとしても状況的には全く違和感がないわ。しかし相手がそうした背景も全て計算づくでやっているとしたなら、本当に考えたものね。


「ん……? あの男の子が手に持っているものはもしや……ねぇあなた。ちょっと、いいかしら?」

「うん? なぁにお姉ちゃん」

「今あなたが手に持っているそれは、一体どこで貰ってきたの?」

「うんとね、そこを右に曲がって、がぁって進んでいくとたぶん分かるよ!」

「はは、がぁっと……ね。教えてくれてありがとう。それとこれはね、さっき聞いたんだけど、どうやら中にいつもとは違う空気を入れちゃったみたいで、触っていると後で爆発する危険性があるから、私に渡してもらってもいいかしら?」

「えっ、これ爆発するの? わ、分かった……はい」

「ごめんね。他にも持っている人を見かけたら、近くの交番に届けるようにあなたから教えてあげてもらえると嬉しいわ。それから代わりといっては何だけれど……はい。これで美味しいお菓子でも買って頂戴ね」

「うわぁ、これ金貨だぁ! ありがとう、お姉ちゃん!」

「ふふ、教えてくれたお礼もあるからね。それでは、良い日を」


 フィルモワールでは大小を問わずあらゆる通りに名前がついていて、またそのほぼ全てが碁盤の目のように並んでいることから、その通りの名前さえ判れば、何処からでも迷うことなく目的地に向かうことが叶う。


 今から水晶竜の鱗を使ってステラに連絡すれば、それほど掛からずに合流することが出来そうだった。私たちと同じように相手を捜索している最中のアンリにも声を掛けておこうと思った。


 また妖霧が封入された豚の膀胱は、魔導で物質変化処理を施し、破裂しないように硬化させた上で、裏路地にあったごみ捨て場にひとまず置いておいた。


(これでよしっと……ステラ、アンリ、私の声が聞こえて?)

(あ……はい、シャル。ちゃんと聞こえています)

(こちらアンリ。私も問題なく聞き取れますが……どうしました?)

(例の、膨らませた豚の膀胱を持っていた子どもを近くで見かけて、何処で手に入れたのかを訊ねたら、その入手先が何処なのか大体の見当が付いたの。そこでステラ、あなたも今からこちらに合流して、私と一緒に行動してもらえるかしら? 現在位置はセルヴォラン通り、その中頃にあるアントンという金物屋の前よ)

(なるほど、そういうことでしたか……私は今いる位置から近いみたいですし、すぐにそちらへと向かいます!)

(お願いします、エステールさん。こちら側も組織内に情報を共有した上で、速やかに応援を送ります。また何かありましたら、いつでもご報告を)


 それから間もなくやって来たステラと共に、今いる通りを真っすぐ進んでいった私たちは、やがて荷馬車に積んだ豚の膀胱を無償で配布している人物を発見した。


「あの男たちが、きっとそうね……」

「はい。私は逃げられないように裏手側の方に回ります」

「今回もあくまで対象の無力化が目的ということを忘れないでね。では、よろしくお願いするわ」


 独特な妖気を漂わせる反応の数は全部で三つ。それはこちらから視認出来る数とも一致していて、念のため他に潜んでいる相手が居ないことも確認した私は、膨らませた豚の膀胱を配ろうとしているその三人組に歩み寄り、真正面から相対した。


「おや、これは実にお美しいお嬢さん。まさかこいつをご所望で?」

「これって豚の膀胱、なのよね? 中に入っているのはただの空気なのかしら?」

「そうですよ。こいつに空気を目一杯に入れるとパンパンに膨らんで、子どもたちのいい遊び道具になるんです。それに今日は謝肉祭の最終日ということもあって実に色々なものを投げ合いますが、これなら怪我をすることもありませんからただいま無償でお配りしているのですよ」

「へぇ。無償で……もう既に結構色々な人が貰っていったのかしら?」

「いえ。つい先ほど配り始めたところなので、まだまだたくさんありますよ。というわけでお嬢さんもおひとつ、如何です?」

「そうね。ではこちらにある分を全部、頂こうかしら」

「へ? 全部ってそりゃまた……こんな大量に引き取って、どうするんです?」

「ふ、それはね……こうするのよ!」


 私は荷台に積まれた豚の膀胱の山に左手を勢い良く挿し入れると共に、先ほど男の子が持っていたものに対してやったのと同様に、それら全てを魔導によって一気に硬化させ、容易には破裂することがないように変質させた。


「なっ……! 急に全部が石みたいに固まりやがったぞ⁉」

「ちょ、お嬢さん、これは一体どうい……うっ!」

「動かないで。首が飛ぶわよ」


 私は腰に帯びていたエペ・イリゼを弾指のうちに抜剣し、その切っ先を相手の喉元へと突きつけた。もちろん命を奪うつもりなどは毛頭ないものの、無益な争いを避けるにはこうするのが最良だと判断した。


 もちろん彼らの背後には、万が一に備えて岩貫きトローシェの穂先を彼らに向けているステラの姿がある。


「あなたたち、これからやろうとしている大仕事があるでしょう? 私たちはそれを未然に防ぐために動いているの。こちらの言う通りに従ってくれるのであれば、この後の処遇に関しても多分に配慮させてもらうわ。さぁ、どうする?」

「彼女はこの国でも屈指の剣の使い手。逆らわない方が身のためですよ。もしも命が惜しくないのであれば、話は別ですが。あぁ、それと抵抗するのであれば私も一切の容赦はしませんので、そのつもりで」

「あんたら……一体何者だ……?」

「別に名乗るほどのものでは無くってよ。ただ……そうね。心から平和を愛する者、とでも名乗っておきましょうか」

「あなたたちの言い分は後で必ず聞きます。でもその前に一つ、確かめておかねばなりません。を呼ぼうとあなたたちに呼び掛け、また人混みの中で妖霧を拡散させようと企図した者についての、詳細を」

「……ん、どうやら抵抗する気はないようね。とても賢明な判断だわ。ステラ、念のため彼らに拘束術バインドをお願い」

「承知しました」

「それに、ちょうど彼らも到着したみたいだわ。実に良い頃合いね」


 ステラが彼らを拘束し終えると、アンリからの連絡を受けたであろう葉陰黽の構成員と思しき者たちが現れ、詳しい取り調べを行うために彼らを連行していった。


 そして程なくして、他の半妖たちが居るおおよその位置も判明し、私たちはアンリと密に連絡を取り合いながらそれぞれの地点に移動し、彼らが実際に次の行動を起こす前に、無事半妖たちを捕縛することが叶った。


 今回、豚の膀胱を使って妖霧を散布しようとしていた者たちが全て半妖だったのは、それの拡散後も暴走することなく次の行動に移れるからだったようで、またその実行の指示やフィルモワール内での幻獣召喚を画策していた者の正体は、彼らとは全く出身地が異なる純粋な妖魔であったことが判った。


 その妖魔は、謝肉祭の締め括りに大きな人形ひとがたを都市の各地点で一斉に火刑に処する祭事――本来はこれから国民に降り掛かるはずの厄難をその人形を形代とすることで託し、息災を願いながら焼き払うという行為に目を付けたようだった。


 かつて異端審問において断罪された者たちを実際に火炙りに処する際、炎勢を長く維持するために用いる魔導陣が施されたことから、形代の周りにもその形式だけを踏襲した似非魔導陣が描かれることになっている。


 もし其処に本物の魔紋が紛れ込んでいたとしても気付く者はまずいないだろうということで、件の妖魔はそれら似非魔導陣に幻獣を召喚するための魔紋を施し、分散配置することで大規模な陣術の柱にしようと考えたらしかった。


「しかし謝肉祭の最後に執り行われる大祓の儀式アポトロペイクに乗じるとは……本当に良く考えられているわ。こんなこと、知らされていなければ最後まで気付くことはなかったでしょう」

「でもあの半妖たちが素直に話してくれたおかげで幻獣の召喚は阻止することが叶いそうです。あとは反攻計画の中心とされるその妖魔をどうにかしなくてはなりませんが……アンリさん、相手の居場所は掴めたのでしょうか?」

「はい。これは捕縛した半妖たちから得た情報ですが、相手はヴェルビニオン地区にあるサント=オルリエージュ中央教会堂にて、他の魔導陣に対して一斉に働きかける起動術式の構築を行っているようです。これから大祓の儀式が控えていることで、人がすっかり出払っていることを見越してのことでしょう」

「場所が判っているなら話は早いですね。今すぐに私たちで確保に向かいましょう」

「ええ、現在各通りが非常に混雑している様子なので、家屋の屋根伝いに移動するのが最速の手段だと思われますが、如何されます?」

「人様のお宅を足場代わりにするのは少し気が引けるけれど……この際仕方ないわよね。アンリ、最短経路での案内を頼めるかしら?」

「お安い御用です。では早速参りましょう」


 そして私とステラは、多くの人で犇めき合っている通りを眼下に見やりながら、先導するアンリの後に続くかたちで家屋の屋根をせわしく跳び回り、目的地である中央教会堂を目指した。


 なお、私たちの後方にはアンリの仲間も複数追随していて、もしもの時に備えて教会の外側からも包囲することになっていた。


 ――それにしても、既に辺りが暗くなり始めていて良かったわ。こんな時にいちいち気にするのもどうかと思うけれど、今日は下が短めのスカートだったから、もし明るいと下は無論、後からも丸見えになって随分とはしたなく映るはずだもの。ステラだって私と似たような恰好だから、きっと同じことを思っているんじゃないかしら。


「ん、見えてきましたね……では、そろそろ下に降りましょう。こっちです」

「分かったわ」


 壁を何度か蹴って屋根から教会近くにある広場へと降り立った私たちは、人混みの中に僅かながら生まれた隙間を巧みに素早くすり抜けながら、間もなく教会堂の正面入り口へと達した。


「教会の裏手と側面は仲間に固めてもらいます。あとは私たち三人で対象の無力化および確保に臨みましょう。ただ、相手の出方次第では途中で目的を対象の討滅に切り替えますので、どうぞご了承ください」

「了解よ。戦わずに済むのであればそれに越したことはないけれど……どうやっても話が通じない相手なら、抜くよりほかはないものね」

「私も即応できるよう、武装は最初から顕現させておきます。あとは……こちらの言葉が相手に届くことを祈りましょう」


 そうして教会の内部へと足を踏み入れた私たちが、側廊に立ち並ぶ柱頭に取り付けられた聖光燈に照らし出され、入り口から内陣へと伸びる身廊の先に向かって歩き出すと、程なく至聖所の手前で佇む、線の細い人影があることに気が付いた。

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