私が死んだあと
空岸なし
私が死んだあと
私は死んだあと、すべての人に忘れ去られるとして。
だからなに?という感じだ。
私が死んだらそれまでで、そのあとどうなろうが、私はこの世にいないわけで。
私がみんなに忘れ去られても、特に問題はない。
お母さんとお父さんには弟がいるし、部活のみんなもただの部員が一人減るくらいで困らないだろう。塾の先生は一人分の授業料が減って困るかな。でも大丈夫だろう。
あ、別にいま死ぬわけじゃないか。
親は先に死んじゃうだろうし、部活も引退するし、塾も辞めてるだろうし。
でも私がいま死んだら、悲しんでくれるのかな。
親は悲しむだろうな。弟も、きっと。あとは部活のみんなも気にかけてくれそう。塾の先生はやっぱり収入が減っちゃうからな。
じゃあ死んだあと忘れ去られたら、だれも悲しまずに済むってことか。
それはそれでいいのかもしれない。
私がいてもいなくても、みんなたいして困るわけじゃないんだから。
そうして私は、死ぬことなく生きて、大切なものがたくさんできた。
結婚した。私がいないことになったら、夫は孤独になるのだろうか。
娘ができた。私がいないことになったら、この子は片親の子になるのだろうか。
父親が床に臥した。もしもお父さんがいないことになったら、今までの思い出も、思いも全部なかったことになるんだろうか。
例え私が死んでも、誰も困らないと思っていた。
私はたくさんいる人々のうちの一人でしかなくて、埋め合わせはできるものだと思っていた。
会社にとっては多くの従業員のうちの一人だし、友達にとって私はそのうちの一人だし、親にとっては二人いる子供のうちの一人だ。
でも今は、夫にとってはたった一人の妻で、娘にとってはたった一人の母親だった。
でもずっと前から私は、たった一人の存在だったのかもしれない。
私は一人しかいない。私の代わりはもしかしていないんじゃないかって。
それに気づくのに、何十年もかかってしまった。
だってそれを信じることは、とても難しいことだから。
私が誰かにとって、たった一人の存在だと信じるのなんて、あまりにも傲慢で恐ろしいことだったから。
簡単なことじゃなかった。
でも私は、今まで出会ってきた大切な人たちそれぞれが別々に大切だし、彼らは決して有象無象なんかじゃない。
だったら、私が私自身をただの有象無象だと決めつけるのは、どこかおかしいんだと思った。
私が誰かを思うように、きっと家族や友達も私のことをたった一人の私として思ってくれている。
自分に自信を持つのは怖いし簡単じゃないけれど、大切にしたい人たちがいるのなら、彼らの信頼を受け入れる努力をしようって。
そう信じることが、大切な人たちに向けてできる最大の愛情表現なんじゃないのかなって。
私は死ぬ間際に思うのだった。
みんな、私のことを忘れちゃうのかな。
私が死んだらきっと悲しむんだろうな。
だったらやっぱり、忘れてほしいだなんて思うけれど。
やっぱり忘れてほしくないな。
私が怖がりなばっかりに、みんなの好意をあまり受け入れられなくてごめんね。
本当はみんなのこと信じてたよ。
それをもっともっと伝えたかった。
愛してもらえていたんだって、気づくことができて、信じることができて、私は幸せでした。
私も覚えているから、どうかよければ、私のこと覚えていてほしいな。
今までありがとう。これからもよろしく。
私が死んだあと 空岸なし @sorakishi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
車道にて/空岸なし
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 3話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます