花散歌

 男の隣は花屋だった。隣家に店があるせいか、男は時折詳しくもない花をよく買う癖がある。

 ありきたりな形容だが、正しく花のような笑みを浮かべると評判の女性だった。

 誰が彼女をそう表現し始めたのかは定かではない。

 

 ただ、花屋の女店主には奇妙な噂が付いて回っていた。男もまた、その不思議な噂を耳にしていた。

 あの花屋の店主にして看板娘とも言える女性は、夜な夜な人を祟り殺すと言う。

 それは独り身らしき女性が男をかどわかすような、いかがわしい類の邪推が猟奇的なものへといつしかすり替わったのだろうか。

 

 全く失礼な話だと、最初に噂をどこからか聞いた時には男も少し困惑したものである。

 あるいはあの花屋にはほかに店員が全くいないことから来る興味本位のものかもしれない。

 素人考えだが、花屋は重労働と聞く。なのに彼女はいつも平然としていた。たったひとりで店を切り盛りしているのに苦労しているようにも見えなかった。

 

 そこが謎多き女店主と言われれば、それ自体は否定もできない。

 

 かと言ってまるで人食い鬼のような噂にまで発展しているのはさすがに無責任ではないだろうか。

 そう呆れながらも男はその日もまた、花を買いに隣へと足を運ぶ。

 

 しかし、その日男は帰り際に聞こえた気がした。呻くようなかすれる声を。

 

 噂がもたらす先入観から来る錯覚だと思いつつも、男は――夜になって、そっと花屋を覗きに忍び入る。

 

 犯罪だ。

 

 そう、思いつつも――足は止まらない。

 運良く――と、言っていいのか。裏口の鍵は開いていた。


(興味本位で入っていいものでは……)


 しかし、入っていくが――途端に気圧される。

 通路には一面に花があった。

 花屋の裏口と言うものに入ったことは無い。しかし――ここまで、そこいらに花が飾られているものだろうか。

 無論花の存在自体はおかしくはない。バックヤードに花を置いてあること自体は変ではない。


 だが、商売道具と言うモノを扱うのならば、もう少し事務的に置いてあるのが道理というものだ。

 確かに手入れのための用品やらも傍に置いてある。機能性は感じるが――

 不気味なほど、何かを誇示するかのように――飾り立てられている。花屋なのに。いや花屋だからこそ、それはどこか奇妙だ。


 そして――先程から聞こえる、怪音。

 そっと音をたどって店につながるであろう通路を通ると。人影がふたつ。


「あら。いけない人――」

 そこには。こちらに微笑みながら――うめく誰かの首をへし折る、店主の姿があった。

「ひっ、ひとご……!!!」

 恐怖に男が叫びそうになると。花屋の店主は――花を持ってこちらを向いた。人影など最初から無かったのように。

 不安から見えた幻覚かと、男が狼狽していると。


「いえ、違いますよ」

 女は掌を滑らかに震わせた。いつの間にやら変わっていたそれは、肉のもたらす質感ではない。肌の色が、やや淡い緑と茶をベースとしたものに変貌していく。

「植物……」

 ただひたすら非現実的な光景に呆然としながら、男の口からはただ女に対する第一印象だけが出た。


 その無意味に近い単語に、女――店主はにこやかに首肯した。

「はい。植物生命体という存在です」

 思わず食虫植物という言葉が男の頭をよぎった。

 生き血をすすり、人を喰らう草木。

「人など殺したことはありません。私が摘むのはいつも……花だけ」

 店主はそう言って、手に持った花を弄んでいる。青いバラだった。品種改良でしかあり得ない青いバラだった。


「これね、実は天然物なんですよ。私と同じような存在から、少しね。文字通り手折る感じで――」

 微笑みながら、思い出を語るように。


「だから私は、殺人鬼ではなく殺華鬼とでも言うべき女なんです」


 人ならざる者が人を殺すのではなく同族殺しであるとの言葉に、男は息をのんだ。

「植物が植物を殺す、なんてことは異常ではないんですよ。ツタは樹によりかかるが、勢い余れば絞め殺す。共生しバランスを保っているようでいて奪い合いでもありますから」


 成程、動物とて動物を食い殺す。遊んで殺すと言う事実すらも――人の専売特許では、決してない。

 それを人特有のおぞましさだと思う方が、ある種の傲慢なのかもしれなかった。

 女は穏やかな口調のまま――昼間の花屋としての表情のまま、慈しむように花を見て言う。


「美しいですよね。花」


 特に否定の余地はない。

 綺麗だからと花を摘む娘。それだけなら、何も特別なことを言ってすらいない。

「本当の殺人鬼は理由すらなくただやりたいからやるんだと言う人も居ますが、私はそうは思わないんです。だって理由もなく衝動的って、それは本当はありふれたものだと思うんです」

 あって当然のこと。だから、それでは鬼とは言えない。


「むしろ美意識だとか。人生だとか。そんな理屈をうだうだ言ったり思索を巡らせながら殺すことが、人が人を殺す鬼と呼ばれる理由だと思うんです」

 無意味とも思えるロジックや拘りがあるから、鬼足りえる。

 その理屈を掲げ、人ならざる植物の女は――

「だから私は……綺麗だから花を摘む、花。手折る植物。だから鬼なんですよ、私は」


 自らを、殺しの鬼と定義した。


「……そっちの方が、ありふれた心だと思うんだけど」

「人ならね」

 店主はにこりと笑った。

 姿は違えど、変わらず花のような笑みを浮かべる快活な女性だった。

 

 そこに嘘はない。花屋としての彼女はなんら変わらない。

 なのに、底冷えして見えた。美しい花の一輪一輪が、なにやら恐ろしく見えた。

 花とは。古来より死人に手向けるものだが、それ自体が生の象徴であり、死せる屍そのものなのだ。当たり前の事実だった。


 それでも全ては美しいままだった。

 花も、彼女も。

 なにも変わらず。


 結局、興味本位で入った男は何事もなく逃がされた。もういけませんよと。その後トラブルの類も起こってはいない。

 花が花を摘むことを禁ずる倫理は人界には無く、男は女を責めることはできない。

 しかし――男は、もはや花屋を別の物としてしか見れなかった。


 男が窓に目をやると、隣家の花屋が今も見える。

 花はそのまま美しく――しかし、違った顔を彼に見せていた。

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大葉区陸・短編集 大葉区陸 @CU-CO-HCU-HCO-F

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