第377話
しかし、如何にサクラと言えど、最初の一歩を踏み出せないだけで、先程の演説に感化されていた連中がその声に続いた。
何故か「そ、ソゥ! ソゥ!」と叫びながら外壁門に集結したのかは後世に語り継がれるであろう謎なのだが。
外壁門に到着した者たちはギルドの者や、家族を守るためにと武器とも言えない物を持って駆け出した街の男たち、そして予てよりこの時の戦力としてハーシュに心酔させていた新王派と旧王派の戦士たちだった。
彼らは外壁門にたどり着くと、視線のはるか先より立ち上る土煙に気がついた。
中途半端な量の魔物ではそこまでの土煙は登らない。
そんなことはこの場に集った誰もが理解していた。
しかし、そんな絶望などよりもっと、圧倒的に、そして強烈に視線を奪われたのだ。
―――たった一人、肩に剣を乗せながら悠々と土煙のする方向に歩いている黒衣の男に。
彼から感じる力など、ちょっと強い兵士と何も変わらない程度しかない。
それにも関わらず彼は、これだけの大人数になって漸く勇気を出すことができた者たちとは異なり、一人ということがさも当然とでも言いたげに、その足取りになんの不安も迷いもなく歩み続けている。
次第にその姿を見た者たちの中からとある名前が聞こえ始めた。
「……千器だ」
「千器様だ……」
「千器………」
その声はまたたく間に伝播し、最初は耳を澄ませないと聞こえない程に小さな声だったにも関わらず、1分もしないうちに耳をふさぎたくなるような大きな物へと変貌を遂げていた。
「千器に続け!!!!!!」
「おおおぉぉぉぉぉおおっ!!!!」
圧倒的な逆境にも屈する事無く、大胆不敵に歩みを進めるその姿に人々は恐怖を忘れ、雄叫びを上げながら駆け出していく。
しかし、そんな中で、ハーシュ・リザーブただ一人だけは先程の出来事で彼の内心を理解してしまい、震える手でマイクを強く握り締めた。
手が震えていたのだ。異常な汗をかいていたのだ。声がかすれてしまうほど緊張していたのだ。
だがそのことを気が付かせないように平静を装い、あまつさえ自分を心配してみせたのだ。
これこそが彼が英雄でも勇者でもなく、“救世主”と呼ばれる所以なのだろうと、彼女は悟っていた。
千器の物語は当然ハーシュも知っている。
恐怖を物ともせず、逆境を跳ね除け、不条理を打ち砕く。
物語の中に登場する彼は正しく英雄であり勇者であった。
しかし、現実はどうだろうか。
恐怖に震え、絶望に怯え、緊張に苛まれるただの“人”ではないか。
そんなただの“人”でしかないはずのあの男が、どうして先頭を歩いているのか。
背後から続く者たちに不安を与えないように今も盛大な“強がり”を行い続けていられるのか。
その答えに、ハーシュはすでにたどり着いていた。
心が桁外れに強いのだ。
英雄や勇者のように恐怖に慣れ、いつしか恐怖を感じなくなるのではなく、常に恐怖と戦い続けてきたからこそ、彼からすれば震えるほどの恐怖も、膝を屈してしまいそうになる絶望も、全てを投げ出したくなるほどの不条理も、全てが“いつものこと”だと割り切っていつまでも強がってカッコつけられるのだ。
不意に、そんな事を考えていれば、ハーシュは自分の口角が上がっていることに気がついた。
あぁ、物語の中で彼の背中を見送った女たちはきっと……皆こんな気持だったんだろう。
そう思うとハーシュは胸の内からこみ上げる自身でも理解の出来ない暖かな感情をすんなりと認識する事ができた。
自身の手を胸に当てようと、温かさを感じることはないが、しかし、その手には確かに“希望”が宿っていた。
ハーシュは胸に当てた手にマイクを持ち替えると、今までのステージで見せた笑顔の中でもとびきりの笑顔を浮かべながら叫んだ。
『私の声に答えてくれた皆、本当にありがとう!!! 私も、ここで歌い続けるから、だから……絶対諦めないで!!!』
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