第375話

「お願いおいていかないで! このままだったら私おかしくなっちゃう!」


「安心しろすでにお前はこれ以上ないほどにおかしい!!!」


 必死にユーリの脚にすがりつく闇の精霊を蹴り飛ばし、茶室の中に押し戻したユーリ。

 しかし闇の精霊はそれだけでは諦めず再びユーリにすがりつく。


「何でもする、いい子になるからお願い! 私を捨てないで!」


 涙ながらの懇願に、さすがのユーリも情にほだされたのか、闇の精霊と視線を合わせるように膝を突き、今までにないほど優しい声色で話しかけた。


「大丈夫だよ、必ず迎えに来るよ……えっと、ヘラ子」


「クランベリーよ」


「そうかヘラ子、お前の言いたいことはわかった。だけど、俺もこれから行かないといけないところがあるんだ」


「だからクランベリーよ!」


「良い子だから言うことを聞いてくれるねヘラ子」


「だから!!! クランベリーだっげっファ!?!?」


 急に叫び始めた闇の精霊に前蹴りを入れ、ユーリは逃げるように部屋を出た。

 捨て台詞のように「ちゃんと治療しないとマジで粗大ごみの日に捨てるからな」と言い残して。


「大塚お前ってやつは……」


「俺は真の男女平等主義者なんだよ。イカレ野郎は男だろうが女だろうが蹴り飛ばしてやるのさ」

  

 キメ顔でそんな事を言いながらユーリたちは王城から外に出た。

 外に出るとすでに魔物襲来の知らせがあったのか街中が騒然としており、人々がパニックになっているのがわかる。


『ローズ』


『準備できてますわ』


 短いやり取りを終え、ユーリは王都を囲む壁に向かい走り出す。

 当然隣には神崎もおり、これから起こるであろう壮絶な戦いに思いを馳せていた。


「こっちですわ!」


 外壁門の近くにはすでにスタンバイを終えたローズと、そしてハーシュがいた。

 ハーシュはこれだけの魔物の総攻撃を前に緊張か恐怖からか全身が震えており、顔も普段の破棄はなく土気色になってしまっていた。


「サンキュー助かったぜ」


「大塚、あの人ってハーシュ・リザーブじゃないの!?」


「あぁ、そうだ。これから後世に歌姫として名を残すうちのハーシュたんだ」


 自信満々にそう言うとユーリは立てられた“ライブステージ”の壇上に上がる。

 その真中で未だにマイクを両手で握りしめながら震えるハーシュの前まで行くと、徐に彼女の頭に手を置いた。


「小せえな。天下の歌姫様はこんなにも小せえのか」


 どこか見下すような、それでいて諭すような声色に、ハーシュはどう答えたら良いのかわからず、目を右往左往させ、うまく返答をひねり出せないでいた。


「言ったよな、歌うことしかできないって。歌じゃ世界を救えないって。だけどよ、お前の歌でこの状況覆せたら、歌しかできないじゃなく、歌だけで国を救った本当の歌姫だぜお前」


 頭においた手で今度はぐしゃぐしゃとハーシュの頭を撫でるユーリ。

 頭を撫でられるなんて思っていなかったのか、先程とは違った意味で驚き目を見開いてユーリを見つめた。


「俺はな、お前と違って戦うこともまともにできねえけど、足掻いてみるよ。お前よりも何もできないやつが先陣切ってあの化け物共と戦ってくるよ。どうだ、かっこいいだろ?」


 こういう時、この男が見せる笑顔は普段とは真逆で、どこまでも純粋で、子供っぽくて、そして―――“男”であった。


「お前には、お前にしかできないことがある。前のステージの上で見せたあの覚悟、もう1回俺に見せてくれ。そうしたらたぶん、俺も頑張れる」


 ユーリだって内心怖いのだ。

 いや、正確に言えばユーリは常に怯えているのだ。

 この世界にこの男より強い存在など溢れかえりすぎている。

 しかし常に戦場のど真ん中で、第一線で、ユーリは戦い続けてきた。 

 

 普通に考えれば心が壊れている。

 だが、勝ち目がない、不可能だ、ありえない、そういう事を乗り越えたものこそ“勇者”と呼ばれる。

 勇者とはそういう人種なのだ。

 そしてそれは、誰よりも“勇者になりたかった”ユーリだからこそ避けては通れない道なのだ。


 頭に置かれている手が小刻みに震えていることを漸く理解したハーシュは目に一杯の涙をためながら、その手を両手でつかみ、胸まで持っていくと強く握りしめた。


「私も、負けない。だから……あんたも絶対負けないで」


 その言葉と同時にハーシュの瞳から涙が溢れ出し、彼女の震えは収まっていた。


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