第285話
荷物と呼べるようなものは殆ど持っていない。
それもそのはず。自分が死ぬことが分かった時に、それらは荷物ではなく、ただの足かせになってしまった。だから売り払った。
少しでも最後の時に救いがあれと、備えるために。
だからこそ、おおよそ荷造りと呼べるようなことはするまでもなく、旅立つ準備が早々に出来てしまった。
私は、この街を最後の場所に決めた。王都の近くであれば統制協会もすぐに駆け付ける。そう思った。それだけではなく、この街から人を逃がすために様々な仕掛けも施した。
それらも全て水泡に帰したわけだ。
「……」
最後に一目街を見て回ろうと、そんな事を思い私は足を進めた。
往来には子供たちが楽し気に走り回り、路面店では声を張り上げる各店舗の呼子もいる。
昨日まで古代種がここに迫ってきていたなんて誰一人思ってさえいなかっただろう。
住民の殆どを巻き込んでしまう可能性さえあったのだ。なんて迷惑な女なのだろうか。
賑やかであればあるほど、穏やかであればあるほどに自己嫌悪は激しくなり、それに伴って私の足は速く進む。
これ以上彼らの幸せを見ていたら、私はおかしくなってしまうかもしれない。
最後にあのギルドを見に来てみれば、どういう訳か私の目から涙がこぼれ始めた。
あぁ、そう言うことか。私はきっと……
「もう悔いはないですね」
路地裏からかすかに見えるギルドを視界から外し、荷物をまとめたリュックを背負い上げると、さすがの重さに少しだけ背後にバランスが崩れてしまった。
「おっと」
「あ、ありがとうござ……い……」
どうして。
「女の一人旅はあぶねえぞ」
どうしてここにあなたが……
「なん、で……」
「―――よう、占い師。未来の俺はイケメンか?」
どうしてあなたがここに……いるの?
人目に付かないように気を付けていたのに。私自身の未来に、こんな出会いはなかったはずなのに……
「約束、忘れてないよな」
再び開かれた私の未来が、もう一度深い闇に飲み込まれ、自分の未来さえ分からなくなる感覚。
どうしようもなく怖い。今まであって当たり前だった感覚が消え失せる恐怖。これをもう一度味わう事になるなんて。
「……わかるわけ、ありませんよ……あなたみたいに気軽に……運命を変えちゃう人の未来なんて……」
「そいつは残念だ」
持って生まれた五感が、まるで急に一つ奪われたような恐怖を覚えながらも、何故だか、どういう訳かその恐怖がたまらなく……
「おっおい!? おじさんなんかしたか!? なんでお前……泣いてんだ?」
未来なんて、本当は見たくもなかった。
知りたくなかった。だから、目を閉ざしたことさえある。
「……怖いんです……未来が見えないのが……だけど、それなのに、堪らなくあたたかいんです……未来の分からない不安が、未来を知れない恐怖が……狂おしい程私には、あたたかく……感じるんです……」
何かを考えるよりも早く、彼は私を抱き寄せ、優しく頭を撫でつけてくれました。
あの粗野な男がこれほど優しさに溢れることができたなんて、思っても見ませんでした。
「わりぃ。俺のせいだな。俺の未来が見えないから、見えない未来を“知っちまった”から、お前は……」
違う……そうじゃない……そうじゃないのに、言葉は嗚咽に変わり、意図した音色を奏でることはなく、無様に、情けない声をあげることしかできない。
「もう、未来なんか知らなくてもいい。見たくねえ未来なんざ見なくたっていい。否定したい未来なんざ、俺が全部否定してやる。だから、もう泣くなよ」
なんて、狡い人なんだ。
そんなの、受け入れられるわけがないのに。
これから先この人がどれだけの偉業を成し遂げ、どれだけの奇跡を起こすかなんて、この私であっても測ることなんかできない。
それなのに、これから先全ての救われるであろう人間を差し置いて、私だけの為にこの人を縛り付けることなんか、できるはずがない……。
「ほら、これでもう未来は見えないだろ?」
「―――は?」
「え、いや、眼帯。魔ヶ織りで作った特注品だから。個性とか封じ込めてくれるよ? それに小さな穴が開いてるから実はそこから普通に見えるんだよね。いやーこれ作るの大変だったのよ。穴の大きさが大きすぎると魔ヶ織りの効果も無くなっちゃうしさ。だけど何とか完成させました! どう? すげくね? チューしてくれてもいよ?」
途轍もなくむかつく顔で、とてつもなくむかつくことを言って来たので、ついつい手が出たのは仕方が無い事だと思う。
あぁ、未来が見えないって本当に不便ですね!!!!
両目を覆うように巻かれた黒い布。それを通してみれば、確かに未来を見ることが出来なくなっていた。
「今なら特別に3枚セットで特別価格でご提供しているんです! お値段なんとユーリさんと1合体だけ! ほんと先っちょだけだよ! なんてお買い得っ! やっぱりさ、夏場とか汗かくとオイニーが気になると思ファブラッ!?」
―――こんなことなら、未来を見たくないなんて言わなきゃよかった……
そのあまりの滑稽さに、もはや怒りを通り越して遂には笑いさえ溢れ始めてしまった。
不意に正面からの風を受け、被っていたフードが外れてしまった。
狭い脇道と言うこともあり、凝縮された風に、私はつい顔をそらしてしまう。
「―――なんだ、笑った方が可愛いじゃんか」
その声が聞こえ、慌てて顔を上げてみたが、既にそこに彼の姿はなく、私が見ることのできなかった“いつもの街並み”だけが広がっていた。
「―――なんですか、見てもいないくせに……」
どうにも今日は……私の知らない今日という日は、普段より少しだけ沢山笑う日のようだ。
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