第280話

 空中をまるで操り人形のように不自然な動きで移動しながら、存在を認識することさえ困難な程バカげた力を持つ化け物相手に見事な立ち回りを見せている。


 空中にある半透明の立方体の上で呼吸を整え、何かを口に含んだ彼は再び不規則に空中を動き回りながら、何か小さな石のような物をばらまいていく。


 離れたところに男性が二人と、女性が一人、その戦いを固唾を飲んでみていることに気が付いて、そちらに駆け寄ってみれば、彼らは私が近づいてきたというのに、戦いから片時も目を離すことなく、彼をじっと見つめ、まるで祈る様に手を合わせていた。


「―――すみません!」


 何度か声をかけても反応がなかったので、個性的な髪形の人の耳元で大きな声を出せば、これだけ強そうな人がまるで私に気が付かなかったかのような反応を見せた。


「のわっ!? な、何事かと思っちまったじゃねえか…」


「いえほんとうに、何事なんですかこれは!」


 その人からも尋常ではない何かを感じる。その隣にいる男女に関しては私であろうと、その力の強さをある程度理解できてしまう位に化け物じみた強さと加護を秘めていることが分かるのに、何故この人達はあの人の助けに行かないのだろうか。


「どうして、どうしてあの人一人で戦ってるんですか! あなた達二人はどう見ても英雄でしょう! それにあなただって相当な修羅場をくぐってきたことくらい私でもわかります! それなのにどうして―――」


「足手まといになっちまうからだよ」


 そう言って来たのは、おそらくこの中のリーダーであろう個性的な髪形の人。その人が口の端から血を垂らしながら、本当に悔しそうに視線を彼に送った。


「あのレベルの戦いに、俺達みてえな“不確定要素”が入っちまったら、あの人の計算が全部狂っちまう…それはすなわち、俺達、ひいてはこの国の消滅にだってつながる問題だ」


 その人は、この“街”ではなくこの“国”と言った。それほどまでの脅威だという事は理解している。だからこそ、戦力は少しでも多い方がいいのではないか。

 そんな考えが頭の中を過るが、それと同時に先ほどの悔しそうな表情がちらついた。


「討伐ランク80以上の怪物、凡そ300匹をあの人は数秒で蹴散らして、そして今そのボスと既に2時間以上戦っている…俺とそこの2人でさえ10分と持たなかった化け物相手に、だ。なぁ嬢ちゃん。これがどれだけバカげたことかわかるか?」


 冗談を言っている様には見えなかった。だけど、討伐ランク80の化け物を300ともなれば、大国の軍部が大隊を編成するか、統制協会くらいしかどうしようもできないレベルの脅威だ。


 そんな異常事態を、あの人一人でどうにかできるなんてとても思えない。


 なんせ、あの人には―――魔力も加護も、そして寵愛だってないのだから。


「―――さっきの一撃を打ち込むために、兄ちゃんは30分近くかけた。今まではそれなりのペースで攻撃を当てられていたんだがよ、あのバケモンが砂の鎧を纏ってからペースがガタ落ちしちまったんだ。それに相手も相当に賢い。同じ手は一度だって通用しやしねえ。そんな中、二時間以上だ。それがどれだけ常軌を逸してるか、分からねえわけじゃねえだろ?」


 戦闘開始から、既にそんなに時間がたっていたなんて思いもしなかった。感覚としては数分後に死が訪れてもおかしくない、そう思っていたからこそ私は最後の時を満喫しようとした。

 だけど、いつまでたってもその時はやってこなくて、それと同時に、あの人の最後に見せた―――始めて見せた真剣な表情が頭から離れなかった。


 そんな馬鹿なことをしている間に、この人は―――たった一人こんな怪物と殺し合い続けていたのか。


 どこか諦めていたのは事実だ。今までもそうだった。強大な脅威の前に、私を守ると言った人は消え失せる。そんな事よくあった。だけど、どういう訳か私は死ぬことはなかった。

 いつもそうだった。私の周囲には不幸が降りかかる。時にダンジョンのモンスターが地上に溢れ出したり、時に強力な魔物の変異種が現れたり、そういう時にいつも私に「大丈夫だ」「俺が守る」そう言った人たちは皆死んでいった。死ぬ運命があると教えても、そんな運命は超えて見せると、彼らはいつも口をそろえて言うのだ。

 だが、今回はどうだっただろうか。私のことを憐れむわけでも、同情するわけでもなく、彼はどこまでも自分の為に、自分の将来の奥さんを占わせるなんてふざけた理由の為に戦いに行くと言った。

 それがどうしたという話だが、それだけは他の死んでいった人たちと違うところだった。


 彼は決して“それ”を人のせいにしなかった。どこまでも自分の為だと、自分のせいだと言って、そして戦いに赴いた。


 私から見たって、彼は弱い。力比べで私でも勝ててしまうのではないかと思う程に。

 その彼が、本当なら街の人達と一緒に避難していてもおかしくない彼が、これほどの恐怖を前に、これほどの理不尽を相手に、全てを背負い込んで、たった一人戦っているんだ。


「―――しまっ!?」


 そう思った時、半透明の立方体の上にいた彼が、そこから足を滑らせ、体勢を大きく崩した。


 これだけの緊張感の中、これだけの激闘の中、今までそうならなかったことがおかしいのだ。

 

 ―――集中力の欠如。それが今彼を襲ったのだと、私は即座に理解した。

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