第249話 甲斐性なし

◇ ◇ ◇


 苦しかった。体中を蝕み始めるこの空間の空気そのものが。 

 辛かった。音さえ全くしない空間に一人投げ込まれて。

 寂しかった。温度さえ感じないこの空間にいるのが。


 ――― だけど、絶対に誰もこれないはずの所にあの人が来た。

 


 初めて見た時に、不思議な人だなぁと思った。

 殺意は感じるのに、何故かどこか暖かいなんて、変な印象の人。 

 その人が言っていることは凄く重かった。加護も寵愛も“全く感じない”人間なんて見たことがなかったけど、目の前にいる人はそのどちらも全く感じなかった。

 だからなのかな、不思議とその人から目が離せなかった。言葉とは裏腹に優しさを孕むその瞳に吸い込まれてしまいそうになった。

 ついつい、頼ってしまいそうになった。

 私の背負った運命に、巻き込んでしまいそうになった。


 もし、私の背負った運命がもっと軽い物なら、王なんて飛びぬけた超常じゃなければ即座に彼に助けを求めてしまいそうだった。


 だけど、私の抱える物はそれをするには些か重すぎた。だから堪えた。喉まで出かかった“助けて”を強引に飲みこんでしまった。


 それなのに、だというのに、彼は来てくれた。


 この寂しい世界に。

 この辛い世界に。

 この苦しい世界に。


 絶対にたどり着けないはずの世界に、彼は土足で踏み入ってきた。 

 見るからにボロボロで、今にも倒れてしまいそうなくせに、強がって笑いながら、手を差し伸べてくれた。


 どうやってきたのか、何があったのかなんかわからない。

 だけど、その人の顔を見た瞬間、どうしようもなく“救われた”気持ちになってしまった。


 ―――だからこそ、反発してしまった。

 救われるはずがない。相手は王だ。人間が、ましてや加護や寵愛さえも持たない人間がどう逆立ちしたって勝てないような怪物が相手なんだ。

 それが分かってしまうからこそ、これ以上希望を見せないで欲しかった。

 これ以上その“全部終わった”ような顔を向けないで欲しかった。


 何も終わってはいないはずなのに。

 何も解決できるはずがないのに。

 何一つ自由な事なんてないのに。


 それなのに、どうして私の足は勝手に立ち上がって、彼の残した扉に向かっていってしまうのだろうか。

 このまま外に出れば森王に捕まって、森王をこの場にとどめる楔の役割を果たせなくなる。

 本能でそれを理解しているのに、それでも足が外に向かうのが止まらない。

 まるでそこに“救い”があるかのように。

 まるでそこに“幸せ”が待っているかのように。


 光に群がる蛾のように醜く足を進めていく私に、そこから見えた景色はあまりにも………美しすぎたのだ。



「そんな………っ」


 駄目なら急いで戻ればそれでいい。そう思った。

 そう思って扉から顔を出してみて、気が付いた。


 今までは封印の中に残された森王の力で分からなかったが、外に出てようやく理解した。


「―――っ! ………ぅ、あぁぁぁぁああああっ!!!」


 それは慟哭だったのだろう。

 離れた場所で、肩を貸されながら歩き去るその男に届かせるように、私は声をあげた。 

 もはや声でさえなかったかもしれない。

 ただの叫び声。ただの悲鳴。だけど、これは決して悲しいものではない。


 ―――森王はもう二度と復活しない。


 その言葉が脳裏を過る。

 復活なんかするはずがない。封印されたわけではないのだから。


 消えたのだ。あれ程の力を秘めていた強大な存在が。

 殺したのだ。あの無力な男が。


 どんなトリックを使ったのかわからないが、それでも残された森王の微かな思念から読み取れるのは………“無能”に対する深い絶望と、怒り。


 昔に、確か今よりも500年も昔に、たった一人の女の為に王の中で強力と言われる龍王を討った男がいたという話を聞いたことがある。

 なんでもその男は龍王の巫女の為に世界の最悪と呼ばれるような力を保有する化け物を打ち倒し、見事巫女を解放したという。


 もう500年も前のおとぎ話のはず。それなのに、心のどこかでそんな絵物語にしか出てこないような“勇者”の登場を心待ちにしていたのも事実だった。



「来て………くれてたんですね………私の………勇者サマ………」


 視界が涙で歪み、その場に膝を突いてしまった。

 それと同時に足元に置かれたそれらに気が付いた。


 確かあの人は言ってた。

 『お前のために宝物まで差し出してさ』と。つまり、あの勇者は、これほどの偉業を成し遂げるような男は、こんな海辺で拾っただけのガラス玉一つの為に、世界の最悪を打ち倒し、助けた相手に暴言を吐かれても何も言わず、感謝さえもされないのに、それなのにあんなにボロボロになったというのか。


 コツンと、手が何かに当たり、倒れる音が聞こえた。


 それは真っ黒な液体の入った小さな小瓶だった。


 そして、その下に置かれていた紙にはこう書かれていた。


『一滴で万病を癒し、二滴で若返り、三滴で全ての異常を払う神代の秘薬だ。ちゃんとした鑑定士に売りつければ、まあお前ら二人くらいがそれなりの生活をできるくらいの金は入るだろうよ』


「なにが………それくらいの甲斐性はあるですか………こんなに色々されたんじゃ、どうやってお返ししたらいいかわからないじゃないですか………そこまで責任取ってくださいよ………甲斐性なしのお兄さん………」


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