第240話 家族の絆

 ◇ ◇ ◇


「はあぁっぁあ!!!」


 気合一閃。豪快に振るわれた大剣が周囲の空気を絡めとりながらシグナトリーに迫るが、この程度の一撃で焦るような生半可な英雄ではない彼女は、その剣の届かないぎりぎりの所、距離にして一歩半ほど下がった場所で腰を落とした。


 鼻先ぎりぎりを通り過ぎる斬撃を見送りながら、彼女はジャブを打つ。

 牽制の意味を込めた槍での突きは鮮やかすぎる程綺麗にマクダフの攻撃直後の隙にハマった。


 だがしかし、覚醒した英雄と言うのは常人では考えられないような事を可能にする。

 今しがた通り過ぎたはずの斬撃が、フォロースルーもなく軌道を正反対に反転させ、再び彼女の体に迫ってきたのだ。


「ふっ………」


 しかし、だからこそのジャブ。命の取り合いになれている彼女だからこそ今の攻撃が陽動だと気が付いていた。

 普段よりも浅い踏み込み、しかし相手から見れば全身全霊を掛けた一撃のように感じてしまうぎりぎりの手加減。それを彼女はこの500年で手に入れていた。


 再び空を切った大剣の壁を掻い潜り、今度こそ懐に飛び込んだシグナトリーは低い姿勢から柄ではなく、槍自体を握りしめ、物理的に間合いを狭くしていた。

 平時に彼女の振るう槍ではこのインファイトは圧倒的に不利であるが、しかしかつて大塚悠里という卑怯者の元訓練を受けた彼女は彼が行った“常軌を逸する武器の使い方”を正確にトレースしていたのだ。

 大塚悠里の場合は刀身を素手で握り、間合いを狭くした。その弟子であるシグナトリーはそれを槍で行ったに過ぎない。

 大塚悠里のように相手に動揺を与えるために行うのであれば専用の訓練など必要ではない技術だが、生真面目なシグナトリーにとっては、間合いという領域を自由に操作することのできる魅力あふれる技術に映っていた。

 だから必死に鍛錬した。この技術を我がものとし、実戦で使えるようにと。


 そこで、大塚悠里とシグナトリーの差が最も大きく出た。大塚悠里に加護はない。だからこそ彼は手から出血を起こしながらも剣を振るっていた。

 しかし、シグナトリーにはそれがある。溢れんばかりの加護を持つ彼女からすれば、加護を集中させた手で一時的に鋭利な刃物を素手で握りしめることなど容易い事だった。


「これでどうですか!」


 繰り出された一撃は獲物の差こそあれど、マクダフの放った一撃を遥かに凌ぐ威力を秘めていた。

 だが、それでもマクダフは不敵な笑みを絶やさない。


「ふんぬっ!」


 突き出された一撃を、マクダフは拳でかちあげて見せたのだ。大剣を捨てることを躊躇うことなく、振り抜かれた勢いでブーメランさながらの勢いで飛んでいく大剣を見やることさえなく、マクダフはその一撃を防ぐことに全力を尽くす。


 遥か後方に吹き飛んだ大剣は5メートルほどの巨大な岩を容易く粉砕し、勢いを止めた。

 しかし、それを成したマクダフの勢いは止まることはない。逆の手に握っていたはずの大剣さえも手放し、拳による連打をシグナトリーの全身に叩き込んだ。

 肉体の動きではこの連打を捌くのは不可能と判断したシグナトリーは即座に体の前面に加護を集中させ、簡易的な加護の鎧を展開するも、覚醒を起こし、膨大な加護を纏うマクダフの拳を完全に無力化することはできなかった。

 正確に言えば、大塚悠里によって加護の循環不良を引き起こされていなければこの戦いはここまで僅差の戦いにはなっていなかった。

 今のシグナトリーは個性を使う事さえできない程に体内の加護を乱されている状況である。かつて京独綾子が古代種との戦いの後に陥った症状に酷似した状況に彼女は今なっていた。

 普段の出力を発揮することも、個性を発現することもできないが、しかしそれでも世界最強のクランと謳われたメンバーたちに比肩しうる最上位の英雄。その程度のことで一介の英雄には遅れは取らない………はずだった。


「ごふっ………」


 シグナトリーはこみ上げる吐血につい膝を折ってしまった。如何に覚醒をしたといっても、これほどの威力が出せるものなのか。

 それだけではない。ただ強くなっただけではないのだ。

 一撃一撃が途方もなく重い。受けとめる手が小刻みに震えだすほどに、支える足が麻痺しかけるくらい、マクダフの一撃は威力以上の“重さ”を感じさせていた。


「まさか俺がこうしてナトリーを見下ろす日が来るとは」


「何をふざけたことを………まだ勝負は決していません!」


 弾かれるように飛び起き、爆発的な加速を持って振るわれた腕だったが、しかし、帰ってきたのは敵の肉を叩く感触でも、骨を砕いた感触でもなく、ただただ鮮烈な痛み。


 マクダフの拳と、加速を持って打ち出したはずのシグナトリーの拳がかちあい、勢いを拮抗させていたのだ。


「どう………して………」


 驚愕に顔を歪めるシグナトリー。その視線の先には、両者の拳が砕け、ひしゃげた手が血を吹き出している光景が映った。

 この手はもう使い物にならない。そう思ったはずなのに、マクダフ・バングの笑みは未だに消えていない。彼の瞳の火はまだ衰えていなかった。


「この程度の痛み、耐えられる。だがな、俺にはどうも、ナトリーを失う痛みは耐えられないらしい」


 ひしゃげた手が、再び拳となって引き絞られる。

 指が砕けているのか、いささか不恰好に形成されたその鉄拳に再び加護が溢れ出す。

 

「―――刮目しろ! これが父の拳だ。覚悟を持った男の一撃だッ!」


 その拳は暖かく、どこか懐かしささえ孕んでいた。

 昔、師匠である大塚悠里と大喧嘩して彼の元を飛び出したことがあった。

 その際に魔物に襲われ、シグナトリーは成す術無くその場に蹲ってしまった。

 しかし、魔物の振り上げた一撃がシグナトリーに降りかかることはなかった。

 無能で、自身よりも貧弱な男が身を挺して彼女を守ったからだ。


 無事その魔物は師によって討伐され、その後シグナトリーの頭に拳骨が降り注いだ。

 痛かった。殴られた所よりも、酷い言葉を浴びせた相手が、自身よりも圧倒的に深手を負った男が、優しく拳骨を振り下ろした場所を撫でてくれることが、心底ホッとしたような表情で自分の身を案じてきたことが、彼女にとって何よりも痛かったのだ。


 その痛みを、もう二度と経験したくないと思った。

 それなのに……シグナトリーは胸中を渦巻くほろ苦い記憶と共に、視界に映った最愛の男の笑みを見ながら意識を手放した。


「―――帰って、謝ろう。俺も一緒に怒られる。ローズはお前に似て怒ると怖いが、話せばきっとわかってくれるさ」


 そう言って最高の笑みを浮かべた男も、全ての力を使い果たしたのか、満ち足りた表情のままその場に倒れ込んだ。

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