第235話 偉大なる父

◇ ◇ ◇


「俺はあの男が大嫌いだ。ローズを誑かし、危険な道に進ませたばかりかナトリー、お前の心の中に未だに居座り続けるあの男が本当に大嫌いだ」


 激しい鍔迫り合いの最中、マクダフがシグナトリーに向けそう声をかけた。

 その声は言葉とは裏腹に、酷く明るく、こみ上げる何かを抑え込みながら話しているようにシグナトリーには感じられた。


「一人の親として、君の夫として、ローズの父として俺はあの男の事が嫌いだが、一人の男としては………あの男程胸を熱くさせられた男はいない。やつもきっと俺のことが嫌いだろう。それなのに、ナトリーを止めるのは自分ではない。自分であるべきではないとあの男は言ったのだ。そればかりか、頭を下げるつもりで向かった俺に、あの男は頭を下げたのだ。ナトリーとの絆を取り戻すのは自分ではなく、俺の仕事だと、そう言ったのだ。これに答えなくては同じ男として俺はあいつに顔向けが………ましてや憎まれ口の一つだって叩くことが出来なくなってしまう。申し訳ない事ばかりだがな、俺は今君が身篭った時より、ローズがこの世に生まれ落ちた時と比べても、一番あの男に感謝をしている」


 かみ殺す様な笑いを浮かべるマクダフに対し、シグナトリーはかつて見た彼女の仲間、師匠であり憧れであった大塚悠里の隣に立っていた者たちが浮かべていた表情と、目の前の一介の英雄が浮かべる笑みを重ねてしまった。


「………最低の父親ですね。娘が出来たことよりも、私のような女を自分の手で取り戻せるかもしれないなんて可能性の話に感謝するなんて―――家族の縁も、師弟の縁も今ここで切り裂いて、私は私の目的を成し遂げます………あなたの言葉は私に、一層の覚悟を与えてくれました。それだけは感謝します」


 マクダフの大剣をはねのけ、鋭い中段突きを放つも、逆の手に持たれた大剣がその間に滑り込み、角度を付けられた大剣の側面を滑るようにしてその一撃は防御された。


「はっはっは。あぁ、そうだな。俺は最低の父親だ。だからこそ、だからこそなんだよナトリー。最高の父親に一歩を踏み出させてくれたあの男に、お前とローズを再び愛する機会をくれたあの男に感謝せざるを得ないのだ。俺もあの男に感謝するなど本意ではないのが本音だ………それにな、ナトリー。可能性ではないのだ。可能性ではなく、これは確定事項だ。俺はお前を取り戻すまで決して死なないし、倒れることはない。だから俺が戦うと決めた時点で、あの男が俺に託した時点で、もう勝負はついているんだ」


 振るった大剣を、加護を集中させた拳で跳ねのけ、即座に懐に飛び込んだシグナトリーは、手に持った槍を穂先付近まで短く持ち、踏み込みと腰の回転を利用してゼロ距離に近いその状態からは考えられないような威力を秘めた一撃をマクダフに叩き込む。 

 辛うじてマクダフも今の攻撃に防御を間に合わせるも、足の踏ん張りまで気を遣う事が出来ず、そのまま背中で地面をえぐりながら大きく吹き飛ばされた。


「それならば私も同じこと。私だって目的を、宿願を果たすまで死にませんし倒れません。それに、さっきも言いましたがあなたが私に勝てたことなど一度たりともなかったではないですか。本当にあなたの理論は穴だらけなんですよ」


 しかし、そんなところがどうにも、大好きだった師匠にかぶるのだ。どうしよもなくバカなところが、無理なことを口にして、気合と努力だけでそれを真実にしてしまうところが、どうしようもなくあの日憧れた男にかぶってしまうのだ。

 だからこそあのクラン以外に興味がなかったシグナトリーが興味を持ってしまったのだ。

 知れば知るほど、あの師匠とは異なる魅力を持つ目の前の男に惹かれていった。はじめはいなくなってしまった師匠の陰を追いかけていたのかもしれない。だが、それも最初だけだった。

 シグナトリーはマクダフという男と時間を共にすることによって、彼だけの魅力に次第に惹かれ、そして本当の意味で恋をしたのだ。

 だからこそ、大塚悠里が帰ってきた今、その顔を向けられるのは、希望以外のなにも見ていないようなあの顔を向けられるのはシグナトリーにとって巨大な安心と、そして想像を絶する苦痛でもあったのだ。


「―――そうだな。今まで1000回くらい戦って、一度もお前に勝てなかった。だが、それが何だ? 1000回負けたからと言って、次も負けるなんて誰が決めた。それが俺の負ける理由になるのか? ………いいや、ならない。そんなくだらない理由で俺は戦う前から負けたりはしない。それにこれだけ負けたのなら、そろそろ奇跡が起こるはずだ」


 そう言ったマクダフの全身には今までに見たこともないような加護があふれ出していた。

 シグナトリーは過去の経験からこの現象を知っている。英雄や勇者がごくまれに引き起こす、世界の理を一瞬だけだが超越し、膨大な力を得る瞬間―――覚醒。


「なに、安心してくれ。こう見えてパパは“持ってる”方なんだ。じゃなけりゃ生き遅れの俺の元に君のような女性が来ることなんかあり得ない訳だしな」

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