第210話 後悔なく、未練なく
ババアを部屋からつまみ出し、キッチンで一人鼻歌交じりに料理を始めた彼女に目を向ける。
「見てください! 今日は少し奮発していいお肉を買ったんです! それにこのお野菜も八百屋さんが良い物を見繕ってくださって………」
「おぉ、そうだったのか。そいつは良かったじゃんか」
「はい! それにですね、私の調べではカレーは固い物から入れていくとおいしくなるんです! あとは野菜ジュースとかチョコレートとかコーヒー豆とか……それ以外にも香辛料にだってこだわってですね!」
にこやかな笑みを浮かべながらエプロン姿のカリラが包丁で野菜を切り分けていく。
それをカウンター越しに見ながら、彼女の話しに相槌を打っていく。
駄目だ。共感するな。深入りしすぎるな。冷静に、機械的に言葉を返していけ。
「最初のころは良く自分の指を切っちゃって大変だったんですけど、最近ではもうほとんどありませ―――いたっ………」
「おいおい、何してんだよ……ちょっと見せてみ」
「あはは、大丈夫ですよこれくらい。なんせ私は英雄ですから。このくらいの怪我すぐに……」
俺から手を隠すようにしたカリラの元に歩み寄り、少し強引にその手をつかみ取って回復薬を掛けた。
「すぐに治るからなんだ? 英雄だからなんだよ。怪我したんだったら英雄だろうが心配位するもんだろ」
「あっ……えっと………あ、りがとうございます………」
少し顔を伏せたカリラが小さくつぶやいたのを聞いて、再び俺はカウンターの向こうに戻った。
あぁ、嫌だね。要らんことしちゃったじゃん。
「あ、あはは、なんででしょうか……最近は殆どなかったのに………誰かがいる食卓が嬉しくてまいあがっちゃってるんですかね………」
「そうなのかもな」
俺のそっけない反応を見てまた目を伏せた彼女は一度目をぎゅっと閉じると、再び先ほどまでのあどけなさの少し残る顔に戻り、料理を再開した。
どうにも聞いた話よりも彼女のテンションが高い気がする。
「ほんとは煮込むんですけど、私には“これ《個性》”がありますので」
そう言って鍋に個性を発動したカリラは一度中身の味見をすると、相好を崩し、大きく頷いて見せた。
「完成です!」
綺麗に盛り付けられたライスとルー。刺激的な臭いと共に芳醇な香りが鼻先をくすぐる。
彼女は魔族だ。俺のいたころから魔族は人間に毛嫌いされていた。曰く汚らわしい混ざりものだとか。
だからカリラは今まで料理をほとんどしてこなかったという。俺が料理が出来たってのも理由の一つだけど。
そのカリラがこれほどまでの完成度の料理を作れるようになるには相当な練習が必要だし、根気だって必要なはずだ。
あの手慣れた感じ一つとっても相当な数作ってきたことが分かるし、カレーも市販の物ではなく、スパイスの瓶の中に入っている幾つかをその場で合わせて作っていたのが見えた。
一体どれだけ練習してくれたんだよチクショウ。
「いただきます」
「どうぞどうぞ。私もいただきます」
彼女の作ったカレーを一口食べてみれば、今までに食ったどんなカレーよりもうまく、そして胸が暖かくなるような感覚を覚えてしまった。
それと同時に鼻をすするような声が聞こえ、視線をあげてみれば、そこには………
「あ、あれ……なんで、なんで……せっさくのカレーがしょっぱくなっちゃいますよ………あはは、おかしいですね………どうして私………」
とめどなく涙を流しながらも、空虚な笑みを浮かべ続ける彼女がそこにいた。
わかってたんだ。これが最後なことなど。悔いが残らないようにと。無理に明るく装って、むりに無邪気に振舞って。
今までの一人きりの食事に、既に限界を感じていたんだ。
ババアから話は聞いてる。
毎日毎日俺の分のカレーまで作って、ずっと待っててくれたんだ。
俺があんな馬鹿な事言っちまったばかりに、こいつは………
「旨いな」
「あはは、なんかしょっぱいですけど………おいしいです………今まで食べたどんな料理よりも………」
「あぁ、そうかもな………」
結局そのすすり泣く声は、俺達がカレーを食い終える時まで続いていた。
シンクに使った皿を下げ、彼女の前に腰かけると、彼女の方から俺に話しかけてきた。
「ありがとうございました。付き合ってもらっちゃって」
「………あぁ」
「すっごく楽しかったです」
「そう………か」
「思い残すことはもうありません」
「………」
「最後にですけど………きっと“彼女”は意地っ張りだから絶対に言わないと思いますけど………その………」
少し言いにくそうに彼女は一度テーブルに視線を落とし、足の間に挟んだ手をモジモジとさせながら、下から伺うようにこちらに視線を向けた。
「―――出会ってくれてありがとうございました。短い人生でしたが、最高の人生でした」
俺にはカリラを助ける方法はあっても、目の前の女を助ける力はない。
こう言う時こそ本当に自分の無力を恨む。俺は誰かを助けるために、助けない人も同時に選ばないといけないと言う現実が深く胸に突き刺さった。
そしてそれが彼女の最後の言葉でもあったのだ。
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