第200話 それぞれの再スタート
「———放せ小僧」
底冷えするような低い声がストラスから放たれる。普段の彼女を知っている統制協会の構成員たちや、元クイーンは彼女のあまりの変容具合に心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えてしまった。
今までの彼女の人懐っこくオチャラケた様子からは一切想像ができないその姿は、彼女とここ最近知り合ったはずの神崎の体でさえ震え上がらせるほどの迫力を秘めていた。
「———い、嫌です! それに……ストラスさん一人で撤去してたって……」
「……よい。もう放さんでもよい。その代わり―――我の邪魔をしたことを後悔しながら死ね」
ストラスの全身から紫色の禍々しい炎が噴き出すと同時に、彼女の姿が瞬く間に人間的なそれから異形の姿に変化を遂げる。
美しかった四肢には鱗がびっしりと張り付き、背中からは薄紫の皮膜を持つ翼が現れ、臀部からは長い尾が体の周囲をとぐろを巻くように伸び出した。
「我の……我等の
「か、カルブロさんが何か凄い機械を持ってきてくれたんですっ! なんでもマキナ発の救助用アンドロイドだとかで……」
「―――ふぁっ!?」
ぷしゅーっと音を立てながらストラスの体の変化が収まり、それどころか龍化していた場所全てが瞬く間に元の人間の姿に戻っていった。
「な、なんじゃい。そうならそうと早く言わぬかっ!」
「い、いや言おうとしたらいきなり……」
その後急にブリブリし始めたストラスは頬を若干赤くしながらその場から離れ、一度背後の瓦礫の山を視界に収めると誰に聞かせる訳でもなく小さな声で「必ず、今度こそ必ず助けて見せるからの……」と残し、仮設テントの中に戻ると充電が切れたかのように倒れ込み、深い眠りについた。
「……これでこっちはまあ何とかなるかもしれないけど、それよりも“彼女”の方が心配だな……」
神崎はその場に佇み、あの日以来毎日のように虚ろな目で同じ食材を同じ時間に買い出し行く奴隷のことを思い浮かべた。
統制協会の一室を貸し与えられているカリラは主人との約束を守るためにあの日以来夕食時になると必ず同じ食材を買い出し、それで同じメニューを作っていた。最初こそ坂下や須鴨と言った家事のできる者達に教えを乞うていたが、彼女の秘めているポテンシャルの高さは並みの物ではなく、二人の現代人からもたらされる技術や情報をスポンジのように吸収し、今では二人を遥かに凌ぐほどカレーを作るのが上手になっていた。
しかし、それでも満足した様子は一切なく、いつも一人で二人分の皿に食事を用意し、それを無表情で平らげていた。
日中依頼をこなし、金を稼ぎながら隙あらばカレーを出している店にその味を盗みに出かけ、さらには自身独自のアレンジさえ加え始めていた。
心配になった神崎が声をかけても帰ってくるのは無機質な返事だけで、話しをちゃんと聞いている様子さえない。
須鴨達女性陣が当時は付きっ切りでメンタルのケアに当たっていたが、それも目に見えた効果を見せたことは今までなかった。
そして、あのひょうきんな男がいなくなってから三ヵ月。カリラの口調が綺麗な敬語になってから二ヶ月。ストラスアイラが悪夢にうなされる様になって二ヶ月と少し。そして神崎があの男の背中を追う事を、その役目を担う事を決意して一ヵ月の時が流れた。
既に周囲はカリラのことを精神に異常をきたしてしまっていると判断し、今はそっとしておくのがいだろうと、誰もカリラに接触することがなくなり、豪商と騎士団長の夫婦が通常業務に戻り、勇者達もランバージャック本国から要請を受け、ついにこの街を去ることになり、そして……大塚悠里の救助が打ち切られる日の当日。
如何な魔法を持っていたとしてもこの状況で三ヵ月もの時間を生きられるはずがなく、死体を発見することさえ困難を極めるというのが統制協会とマキナの判断であった。
主人を待ち続ける奴隷はその事を告げられようと表情を変えることなくただ頷くと「そうなんですね。かしこまりました」とだけ言ってその場を去って行ってしまった。
それを見た神崎は自身の胸が引き裂かれるような痛みに襲われてしまう。
自分にもっと力があれば、もっと経験があれば、あの傲慢な時代に今くらいの自覚を持ってトレーニングに打ち込めていたら、様々なことが脳内を巡り、その友人である宮本も同じようなことを頭の中で考えていた。
「刀矢、少し話がる」
「……うん」
宮本は自身の背に背負われている武器の柄を強く握りしめ、心を落ち着ける様にしながらその話を切り出した。
「俺さ、お前のパーティーから抜けようと思う……」
「……そう言うと思ってた。それに、俺もこれからは“一人”で動こうと思っていたんだ……アイツが見た世界を、アイツが守りたいと思った世界を俺もあいつと同じ立場で、同じ状況で見てみたい………何て言ったらまた力があるやつは余裕があっていいなぁとか言われちゃいそうだけどね」
宮本は神崎に憧れていた。何をしても一番で、圧倒的で、自分のような生半可な人間がどうあがいても勝てない男だと思っていた。
しかし、それは間違っていたのだと“あの男”に知らしめられた。
―――力が無くても、加護なんかなくても、寵愛なんか受けていなくても、それでも強い奴はいる。むしろその男に比べれば、ただ“力が強いだけ”なんて物になんの意味もないのではないかとさえ思えてしまった。
だからこそ、憧れる男の隣に立ち続けるためにも、あの非力な男のようにならなくてはいけないと宮本自身の脳内で既に理解していたのだ。
勇者としてようやく歩み始めた神崎と、その男の隣に立ちたいと願う男の、“ホンモノ”になるためのスタートがこの時切られたのだった。
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