第192話 従者の決意。主人の決断。

「………一人でどこに行きやがるつもりだってんですか」


 遺跡の中に一人入ろうとしたその男に声を開けたのは、メイド服を身に纏った紫色の髪をした女。

 その女は全身がびっしょりと濡れており、息も絶え絶えなことから個性の連続使用と、一度も休憩を挟むことなくここまでやって来たことが理解できる。


「なんでお前がここに……」


「“なんで”じゃねえんですよ。私はテメエの奴隷だ。主人の横にいることの何がおかしいってんですか。それにテメエが何と言おうがこれは私が決めたことだってんですよ。私の決定にテメエがつべこべ文句垂れてんじゃねえです」


 そう言った女は一度大きく息を吐き出し、いつものように胸を張って佇まいを直すと同時に視線を普段を数倍鋭くして言った。


「テメエに居なくなられると、次の職場を探さねえといけねえんだって何回言わせるつもりだってんですか。次はぜってえ許さねえんで覚悟してやがれってんです」


 そう言ってカリラは自身がいつもいるユーリの斜め後ろに陣取ろうとしたが、その足は予想外なことにユーリ本人によって止められてしまった。


「……帰れ」


 ―――本気の殺気。それを感じ取ったカリラは自身に突きつけられた刃を素手でつかみ取ると、強引にそれを自身の喉元に持っていった。


「働きてえ場所も今は特にねえですし、生きてることに意味も見いだせやしねえ。だったら、テメエが生かした命だ。テメエが摘み取れってんです」


 突きつけさせた刃がかすかに首の皮を突き破り、カリラの首からは一筋の血液が流れだした。

 それでもカリラの瞳はより一層の強い輝きと意志を持ってユーリを貫いた。


「……頼む……今回だけはわがまま言わないで帰ってくれ……」



 ユーリはついに目も合わせられない程に俯き、剣を持つ手さえも側から分かる程に震え出してしまった。

 とっくに奴隷紋を解除している事は思い出している。だが今この場でその話を持ち出すほどユーリはバカではないし、人生経験が浅いわけではない。


 だからこそ、彼女が本気でそれを言っていることも既に理解しているからこそ、こうなってしまえばもう頼みこむ意外に方法がないのだ。

 実力行使をしてもいいが、それだとこの先に待っているであろう奴に手の内を晒すことに繋がる。これ以上あらかじめカードを見せるのはユーリにとって死活問題だった。


「テメエが何と言おうが、私は引き下がらねえですよ。テメエみてえな糞雑魚1人じゃ不安でしょうがねえんです。どうせあの後輩とか言うのも助けるつもりなんでしょ。だったら、そのバカ連れて逃げる人手があった方がいいじゃねえですか」


「だから、なんでお前がそこまでするのかって聞いてんだよッ!!! 今までは、今までの連中はそうじゃなかった! こういう時は俺の顔に一発入れて背中を蹴飛ばしてくれるような連中ばかりだった! それなのにどうしてお前は、“お前だけ”はそうじゃねえんだよ!」


 過去に絶対的な窮地に、絶対的逆境に、絶対的強者に立ち向かう彼の隣には必ずと言っていい程“ヒロイン”と呼ばれる存在がいた。

 キャメロンブリッジで言えば、古代種に匹敵する程の強力な力を持つ龍脈の守護者。ストラスアイラで言えば龍達の中で最も恐れられ、悪意の象徴と呼ばれた邪龍と、その邪龍が呼び覚ました古代種。マッカランで言えば言わずと知れた戦の神モンテロッサ。そしてあのキルキスで言えば……



 だが、そのヒロインたちは皆ユーリが死地に赴く際に、涙を堪えながら彼の頬にきつい一撃を見舞った後、悲しみを押し殺した笑みを向けながら別れを告げていた。

 それが彼女たちなりのけじめのつけ方だったのだ。これから死地に赴くであろう男の帰る場所を守るために身を引いた結果だったのだ。

 少しでも彼の背負い過ぎた背中を楽にしようとした結果だったのだ。

 少しでも彼に縋り付く足枷を減らそうとした結果だったのだ。

 だが、今目の前にいる女はそうじゃない。ヒロインでさえない。ただの奴隷で、ただの主従で、ただ、不幸だった女だ。

 それがどうしてここまでしようとするのかユーリには理解が出来なかった。


「———んなもん……好きだからに決まってるじゃねえですか」


「……はっ!? お前が!? 俺をッ!?」


「は? テメエの脳みそにゃ蛆でも沸いてんじゃねえんですか? 依頼の取り分がしっかり貰えて、自由時間が多くて人権が尊重されて主人ぶん殴ろうと無碍に扱われねえこの都合のいい職場がですよ」


「……あ、はい。そうっすよね……ってか少しは反省して!? 許されてること自覚しながらやってたのならもう少し手加減して!?」


「バカじゃねえですか? あ、バカは死なねえと治らねえんでしたっけ」


 先ほどまでの張り詰める様な雰囲気は嘘のように緩和され、今まで通りの、普段と何も変わらない従者と主人の、普通の従者と主人ではないけれど、確かな信頼関係を築いた二人だからこそ許される、二人だけの特別な関係に戻っていた。


「はぁ……もうどうなっても知らねえからな?」


「テメエこそどうなろうと知らねえですよ。あ、あと腹減ったんでなんか食い物出せってんです」


 再び大きなため息を吐き出したユーリが収納袋に収められている弁当を五つほどカリラに手渡すと、カリラはワイルドにそれを一瞬でかきこむ様にして平らげ、食後に小さなゲップを放った。


「はい」


「よくわかってるじゃねえですか」


 食後には爪楊枝。カリラがいつも要求してくるものだから今回もついつい持ってきてしまっていたものだ。それをカリラに手渡せば、カリラは満足げにそれを咥えながら首の骨をぼきっと鳴らした。


「私もやられた借り返さねえと気が済まねえんです」


「はぁ。ほんと強かな女だよお前……」


 呆れるように肩を落としたユーリの背後で、いつものどこか冷めた表情でありながら、僅かに口角が上がったカリラが控えていた。



「―――テメエはそっちの方が似合ってんですよ」


「おん? なんか言った?」


「さっさと歩かねえと脳みそ引きずり出すぞって言ってんですよ」


「相変わらずバイオレンスな奴隷だな……」



 この時のユーリは、カリラの収納袋に大量の食糧が入っていることも、自分の持ってきた爪楊枝を使わなかったことも、その真意も何も知る由はなかった。

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