第189話 悪意無き害意
「行ってくれたみたいだね……」
たった一人馬車に乗らずその場にとどまった神崎の手のひらの中には、ぐしゃぐしゃに丸められたメモの切れ端のような物が握られていた。
「ほんっと、酷な事をさせるよね……それに、俺にだけ気が付けるようにこれを置いていくなんて一体どういうつもりなんだろ……って思うんだけどどうしてだろうな……」
仲間を裏切るような行動をとった神崎はどうしてかこみ上げてくる笑みを我慢することが出来ず、破顔してしまった。
ずっとずっと遠いところにいる男に、自分が歩む道の遥か彼方で戦い続ける男にようやく頼られたこの喜び、この充足感は他の者に言ったところで一切伝わらないであろうことは容易に想像できている。だが、それでも彼は笑ってしまったのだ。
自分なんかの助けが必要に思えない程巨大な背中を見せる男に必要とされた事実に。
「さて、俺も行こうかな」
神崎は自分だけが乗るためにレンタルした龍馬にまたがると即座に鞭を入れた。
相手は馬が引く馬車、それも大型のものだ。速度で言えば圧倒的に神崎の方が早い。それだけではなく、目的地もオークの集落ではない。だからこそ追い付かれる心配はない。
目的地はエルフの里とオークの集落の丁度中間に位置する遺跡。
そこは古くからエルフが管理しているという話は神崎でも耳にしたことがある。それほどまでに重要な地であり、かつては何かの儀式に使われていたであろう神聖な場所だ。
どうしてその場所なのかは考えたこともない。ただ神崎はあの男に頼られたことに喜びと、最大限の尊敬を胸に抱き、余計なことを聞くよりもただ望まれた働きを持って彼に恩返しと罪滅ぼしをしようと考えていた。
なぜ自分なのか、そう聞きたい気持ちがないわけではない。だが、あのふざけた男がまともに答えるとは到底思えない。だからこそ、そんな無駄なことに時間は割かない。
自身に道を示した二人の男達の思いを胸に一層過酷な修行にも泣き言を言わず、ただ強くあろうと修行を重ねた。
それは必ずしも力だけではなく、心もそうだった。あの出来事が、力を突然持ってしまっただけの高校生だった神崎を、勇者として歩み始めた今の神崎へ昇華させているのは言うまでもないことだが、その覚悟を持って挑んだ戦いで、彼の心はもう一度砕かれかけた。
絶対に勝てない。絶対に及ばない。そう思った鈍色の巨人。だが、最後まで勇者であろうと彼は立ち上がり、最後の力を振り絞った。
結果としてそれは届かなかった。虫でも払うかの如く簡単に打ち破られてしまった。
如何に心も成長したと言っても、まだまだ年季も自覚も足りていないのも事実だった。
だから本来であれば、普通であれば、正常であれば、あの時神崎の心はもう一度砕け散っていてもおかしくなかったのだ。
だが、認められた。肯定された。かっこ悪くないと言ってもらえた。
しかもそれが自分が敵対し苦しめた相手から。一時の感情に任せて踏みにじってしまった男に。
心が震えた。空っぽになった心が一瞬で満たされた。押し寄せる強烈な倦怠感も、魔力の使い過ぎで下がってきてしまう瞼も、全てをねじ伏せ、その男の背中に釘付けになってしまった。
憧れたのだろう。尊敬したのだろう。そして、いつかその場所に自分が立ちたい、そう思ってもらえるくらいの男になりたい……彼と対等に、隣に立って戦いたい。そう思ってしまったのだ。
龍馬の上で自身の手に視線を落とした神崎は開かれていた手を強く握りしめ、感情の高ぶりと共に掌に灯っていた黄金色の輝きを握りつぶした。
「お前が俺を選んでくれた理由。必ず聞き出すから、それまで死なないでくれよ」
横に伸びる景色を見送りながら、神崎はユーリがこれから対峙するであろう強大な敵のことを頭に思い浮かべ、自身であればどうするかを、自分に与えられた役目を必死に模索していた。
自分が呼ばれた意味、それを彼は教えはしないが、それでも何かしらの理由が存在し、それは他者に教えることができないような内容なのだろうと予想が付く。
このままのペースで行けば日が昇る頃には目的地に到着することができる。それまで皆が自分がいないことに気が付かなければいいんだが。そんな不可能に近い事を能天気にも考えながら龍馬にもう一度鞭を入れた。
一方その頃、カリラがいなくなったことに驚愕を浮かべていた一同は馬車の前に堂々と佇むローブを目深にかぶった者に肝を煮やしていた。
「もし。どいてくださります? 私たち、少し急いでいますの。もし邪魔をしようと言うのでしたら………首を撥ねますわ」
先ほどのカリラの勝手な行動で既に怒り心頭のローズが代表して馬車の前に佇むローブの者に声をかけた。
既に臨戦態勢と言って過言ではない状況で、剣に手をかけながら魔力を練り上げている状況で声をかけられれば、普通の盗賊であれば戦う事を諦め惨めに逃走するであろう状況だが、目の前のローブはそうではなかった。
「ふーん。アンタまぁまぁね。だけど後ろのは駄目。ぜんっぜん使い物にならないわ」
背筋を撫であげられるような悪寒がローズと、馬車の中にいて様子をうかがっていた勇者達に駆け抜ける。
戦闘経験もそれなりに積んでいたローズは即座に剣を抜き放ったが、経験値がお世辞にも高いと言えない勇者一行は馬車から出て何事かとローブの者に視線を向けるだけだった。
「ん? 比較的まともなのが一匹混ざってるわね」
ローブがそう言った瞬間、視界に変化はないが、何かが高速で風を切るような音がその場に響いた。
「対物障壁、バージョンランスでござるッ!!!」
風切り音を放っていたのはデーブの放った対物障壁。その形状を鋭い槍のように変形させたものだった。
迫る不可視の大槍は一般的には英雄であろうと初見で回避することは難しい程の速度を持っている。不可視でありながらこれだけの速度を出せるというだけで既に脅威なのだが、目の前のフードは一度クスリとローブから覗く口元を歪ませると、デコピンでもするかのように中指を折り曲げ、それを不可視のはずの槍に向けて弾いた。
「爆ぜなさい」
ただそれだけで槍は空中で爆破し、その爆風が逆に味方であるはずのローズに襲い掛かてしまった。
「評価は少しだけ上方修正が必要なようね。まあだけど、それでもまだまだなことに変わりはないんだけど」
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