第159話 大富豪で言うところのスペードの3

 バカな男だ……。

 英雄でも勇者でもないこの男の体にそんなことをすればどうなるかわかっているだろうに。

 それに加速は諸刃の剣だ。これだけの怪我を負った状態で行えば、その怪我の腐敗が瞬く間に進行する。

 それでも、どうせこの男は曲げないのだろうけどな。


「さんきゅ。んじゃちょっくら行って来るわ」


 超加速を施した瞬間、目の前に迫っていたあの手が粉々に吹き飛んだ。

 全く見えなかった。全く感じ取ることもできなかった。これが最強を悉くひれ伏せさせた彼の技か。


「―――よっ」


 一瞬で復活した腕の攻撃をまるで気体のように柔らかな動きで回避し、すれ違いざまに斬り付ければ、斬られた場所がぼこぼこと沸騰したように沸き上がり、爆破する。

 触れた者の加護を爆発的に増やし、内側から爆破させる神剣。たとえ1しかない加護であろうと、その加護が肉体の限界を遥かに超えるまで増幅されてしまう程の、異常な増加率。だからこそあの剣の攻撃は古代種であろうと例外なく通用する。

 そもそも、それが攻撃なのかさえ定かではない。


 30秒が経った。たった30秒だ。その間に彼が浴びせた剣戟の数は、83回。そのどれもが剣を押し当てるだけのような柔らかな一撃であったにも関わらず、あの古代種が明らかに弱り始めているのが見て取れる。

 何も持たない男が、たった一つ、素早さを持っただけでここまで圧倒的になってしまうのかとも考えたが、この男は何も持っていなかろうと、元々圧倒的だったのだ。

 圧倒的なモノに対して圧倒的な強さを発揮する男。反則のような相手に対して反則なまでに強い男。神と称され、肉弾戦最強と謳われ、史上最強だった魔王と、数百人の英雄クラスの人間が手も足も出せないまま封印するほかなかった相手。それをたった一人でうち滅ぼした切り札殺しの最弱。


「ほら、止めだ」


 それこそが、千器。私の師匠にして、500年前本当の意味で世界を救い続けた男の二つ名。


 私は突き立てられた神剣から、何かがうごめくようにして封印の中に入っていくのを見て、全身の震えが止まらなかった。


 死んだのだ。あの古代種が。


 77ある腕のうち、たったの1本で私を幾度も殺したあの古代種が。


「会長、あんたが封印を維持してくれてたおかげで何も苦労せずに倒せたよ。マジで助かったわ」


 “何も苦労せず”……か。

 君の中では全身の筋肉がずたずたに引き裂かれ、筋はおろか腱、そして骨まで砕ける様な怪我は“苦労した内に入らない”のか。砕けた体を動かす為に“体の中に”糸を張り巡らせ、体を強引に動かしていたのに、それらは苦労でさえないのか。


 その言葉が、今までの古代種との戦いが如何に苛烈な物だったかを物語っている。

 今彼が動けているのも筋肉を動かしているからではない。彼が個性で体を、そして体の中の糸を“マニュアル操作”しているからに他ならない。

 とうに限界は超えているのだ。とうに許容できないレベルなのだ。とうにボロボロなのだ。

 そんな中でも生き抜くために動かなくてはならない彼が編み出した体を個性と意思だけで動かす外法の技。そんな物を使ってもなお、これは苦労のうちに入らないというのか。


 そこまで私が考えを巡らせた時、彼の体中から血が噴き出し、その場に倒れてしまった。超加速に肉体の内側が耐えられなかったのと同じく、彼の外皮を突き破った血液がそこら中に噴き出してしまったのだろう。


 私は残された力で彼を可能な限り治癒したのだが、腕だけはどうにもならず、そのままにするほかなかった。

 こんな呪いを一体どこで受けたというのだろうか。そんな考えを頭の端に追いやりながら、私は彼を担ぎ上げ、遺跡の外に向かい、階段を上がり始めた。


 最強の名を欲しいままにした女が負けを認めた相手。最強の名を奪い取った女が屈した相手。古今東西の最強の中心に居た最弱の男。そんな彼の弟子だったことが、弟子と呼ぶには些かおこがましい程短い期間だったが、それでも私はそのことを誇りに思えている。


 殆どの者は彼の本当の戦いを知らない。だが私は知っている。全て“見てきた”のだ。

 この戦いもきっとこの男は他人には言わないだろう。誰も知らない私と彼だけの秘密。私と彼しか知らない彼の雄姿。それを独り占めにできたのだから、何度も死んだ甲斐があったという物だ。


 勝手に吊り上がってくる表情筋と格闘しながら遺跡から出てみれば、そこには統制協会所属の勇者であるストラス・アイラがそこにいた。


 彼女は私の背中で寝息を立てる彼を一目見るや、ほっと胸をなでおろしたようにため息を吐き出し、そして私の元に歩み寄ってきた。


「その男を生きたまま連れ帰ってくれた事、感謝する」


「あぁ、だが彼の腕はもう……」


 そう、彼の、千器の伝説はここで終わる。

 どの戦いでも彼は様々な武器を使いこなし、様々な逆境を乗り越えてきた。 

 しかし、メインウエポンとなる神剣を装備してしまえば、彼の多種多様な戦い方の殆どが封じられてしまうことになる。


「それなのじゃが、こやつは自分が生き残った場合には“マッカラン”を頼れと言っておったのじゃ。あやつの力であれば確かにこやつの腕も回復するのではないじゃろうか」


 そうか……そこまで考えて……

 いや、そんなことはないな。彼はいつだって必死なんだ。目の前の逆境を超えるのに精いっぱいなのだ。その次のことを考える様な男でもないしな。


「では私が迷宮を攻略しよう」


「その必要はない。ビターバレー支部でこやつと作った抜け道を封印してある。そこを通れば二日とかからぬよ」

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