憤怒

「おいッ! あそこにいたぞ!」

 と、呼び掛け合う野太い声がする。そして、大人数が騒々しく草木を踏み荒らす音がした。ぱきんと小枝が折れた。

 葦丸は振り返った。こちらへ走って来る男達が見えた。ぐっと細められた目に嫌悪の色が浮かぶ。

「何しに来たんだ? てめぇら」

 葦丸が低く唸った。

幾人もの男達が棒立ちしている。手には箒や熊手やらを持っている。血走った目で葦丸を見詰める様は、何か言いたげだった。口をもごもごさせている。

「何って、おめぇ……」

言い淀む男達の群れから一人、上背のある男が歩み出た。肩で風切るような、立派な体躯の男である。葦丸は下から睨みつけた。

「そりゃぁ、もう悪事を働くのは辞めろってんだ」

 男は腕を捲った。隆々とした筋肉が顕わになる。後ろに控える男達がいっせいに、手に持つ‟武器‟を鳴らしてみせた。

脅しのつもりだろうか、葦丸は鼻で笑った。

「てめぇら、あの大火のあと、焼け出されたからって、しょうもねぇモン売って、ぼってくってるそうじゃねぇか」

 全くの嘘では無かった。大火のあと、店主らは品物が焼けたとして、米、衣、蓑を高値で売った。それらは生活必需品である。買うことのできない、貧しい者はますます困窮した。

「もう許しちゃおけねぇ! 大吉さぁん、コイツに痛い目合わしたれぇ」

 男達はいきり立つ。今朝の魚屋の主人も罵詈を飛ばした。自分達の商売を詰られたのも癪に障る。

「いっつも汚ねぇ傷を見せやがって! おめぇなんて火事で死んじまえば良かったんだッ」

石を投げた。

顔をかばう腕に痛みが雨のように降りかる。葦丸は鼠みたく身を低め耐えた。そんな卑しい姿に、

「葦丸、もう辞めたらどうだ。仏んなったおめぇの親も悲しむぞ?」

 主立った男の目に憐れみが浮上した。その瞬間、激しい怒りが葦丸を刺し貫いた。

「俺のおとうとおかあは死んでねぇ!」

 しゃがれ声で歯を剥き出し、男に突っかかった。唇から見え隠れする犬歯は野犬と相違ない。

男達は慌てて葦丸を取り囲む円を広くした。噛まれればあんな醜い姿になるのでは……迷信じみた恐怖がひろがる。主立つ男は舌打ちすると拳を振り上げた。こんな餓鬼一匹に何怖がってんだ。

骨と骨とがぶつかる音がして、葦丸の鼻先へ拳がめり込む。大きく葦丸の体が傾いだ。

男達の恐怖はすぐさま攻勢に取って変わった。歯を食いしばる葦丸目掛けて、男達が拳を、足を、振り下ろす。

「おめぇなんてこうだ!」

「自業自得だッ」

 頬をぶつ甲高い音、腹を殴る鈍い音。蹴り上げられた痛みで、葦丸は力なく腹を晒した。

そこにも足が降ってきて砂利が腹と擦れた。やすりを掛けられたみたいだ。痛い。

 一つ一つの音に男達は興奮した。よくも脅しやがって、よくも物を盗みやがって――それだけではない。男達は、日々の生活で溜まった鬱憤を全て、葦丸ただ一人にぶつけていた。

急所を守ろうと、葦丸は体を丸めたり伸び上がったりした。さながら、芋虫のようであった。芋虫は踏み潰すと茶色の液を出す。葦丸からは赤い血が流れた。血が砂利の上に線をひくのを、もはや動くことすらできない葦丸は見ていた。

最初、殴られるたび、蹴られるたび、感じた痛みも徐々に体から遠のいていった。――もう駄目かもしれない、葦丸がぎゅっと目を閉じた。

その時、どこからともなく‟謡い„が聞こえてきた。艶のある男の声が、小気味いい撥の音とともに、野を、原を、都の通りを駆け抜ける。

朗々と響く何者かの声に、葦丸を殴る手が止まった。男達は何だ、何だとばかりに辺りを見回した。

「移りゆく世のぅ、たびごとにぃ」

 声が坂を下って、土手に降りた。底の方で掠れた男の声には独特の感傷があった。擦り切れた人の心を素手でなぞるような、そういう繊細な節回しだった。

「身罷る人のぅ、別れごとにぃ」

葦原がからから揺れた。‟謡い„が近づいてくる。葦丸たちを包み込むように声は響いた。


 眩む視界の中で、おとうとおかあの姿が瞼の奥に浮かんだ。もう二人の顔は朧げになっていたが、自分へ笑い掛けてくれたような気がした。葦丸は意識を手放した。

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語り、語れ 木の根っこ @shosetu_kine

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