終章
終章
その日。由紀子は岳南鉄道へ、働きに行く日だった。本当は、どうしても立ち会いたいと思っていたのだが、今日は近隣の神社で春祭りが開催されるため、岳南鉄道は、臨時列車を運転しなければならず、由紀子もどうしても出勤しなければならなかった。
周りの人たちは、春祭りを見に行くんだと言って、みんな可愛い浴衣を着て、可愛い髪形をして駅ににやってくる。中には、男性も浴衣を着た浴衣のカップルもいる。それがうらやましかった。自分はこうして駅員の業務をしている中で、お客さんたちは、こんな可愛い恰好をして、お祭り見物に行くのかあと。その落差が本当に悲しいのだった。其れでだけではなく、お客さんたちが、互いに好きな人同士で、仲良く遊んでいると言うのが、どうしても、受け入れられないことであった。
由紀子は、いつも通り、駅員の業務をしていたが、周りのお客さんたちは、この駅員さん、馬鹿につんつんしているな、何て言いあっていた。自分ではそんなつもりはないのに、思っていることが全部態度に出てしまうなんて、やっぱりあたしはこの仕事は向かなあいなあと、由紀子は思ってしまうのである。
そのころ、製鉄所では。
「皆さん集まってくれてありがとうございます。とりあえず、本人が目を覚ましたら、ペースメーカーをつけるかどうかを、確認してみましょう。」
と、沖田先生が言った。水穂の布団の周りには、杉三とジョチが、二人で並んで座っている。本当は、由紀子もそこに座りたかったのだ。でも、悲しいかな、春祭りと重なってしまった。本当は、春祭りなんてなければいいなと思う。でも、大多数の富士市民はお祭りを楽しみにしているだろうし。それが、たった一人の言い分で、中止になることは、先ずないだろう。逆をいえば、杉三もジョチも、春祭りがあるという事はすっかり忘れている。大きなイベントは、中止にすることはできないのだった。
「先生、起こして本人の意思を聞けばいいのでは?」
と、杉三がそういったが、沖田先生は、薬が回っていない時のほうが、良いのではないかと言った。そのほうが、正確な意思を掴めるという事だろう。薬を飲んでも、聞く時間は、二時間から四時間であるので、少なくとも後小一時間すれば、めを覚ます、と沖田先生が解説する。
「まあ、その通りならいいんだけどね。目が覚めた後、咳き込んだり倒れたりしないだろうかね。」
杉三が言う通り、そこは本人の気力に任せるしかない。と、誰もが思った。でも、薬がまわっていないのは、目が覚めている時だけだから、と訂正され、其れもまた事実だった。
水穂さんの目が動いた。
「あ、目が覚めたかな。」
杉三が声をかけると、水穂は、弱弱しく目を開けた。
「水穂さん、こちらを見ることはできますかね。ちょっと僕たち、聞きたいことがありましてね。あなたの答え、聞きたいんですよ。ペースメーカーを体に埋め込むかどうか。」
ジョチさんにそういわれて、水穂はしずかに、目をそちらの方へ向けた。
「こういうときは、やっぱり本人の意思を聞くのが一番でしょうからね。強制的にさせられては、やっても意味がありません。本人の意思が一番大切ですから。」
こういう時、由紀子がいてくれたら、それはよかったかもしれなかった。是非やろうとか、そういうことをいって、意思を強めてくれるかもしれなかった。
「少し考える時間をあげましょう。ゆっくり考えてみて下さい。ただ、この決断は、あなたの人生を左右してしまうと思いますから、其れだけは頭に入れておいてくださいね。」
沖田先生が、そう静かに言った。暫く、五分ほど、沈黙が続く。
この時誰も、答えが出ないことを、責める者は誰もなかった。其れだけの大きな決断だったからだ。
「お断り、します。」
酷くしわがれた声が聞こえてきた。
「断るって、そんな、」
この答えにはジョチもびっくりしたようだ。さすがに予想していなかった様で、それではと、一瞬天井を見つめて、ため息をつく。
「そうですけど、こういう時には、それではいけないのではないですか?もし、電化製品に対して恐怖心が生じてしまうようなら、安全な製品を制作している会社でも探して、そこから買い占めても構いませんよ。」
「そんなものありません。そんなものを付けたら、ほとんどの物が使えなくなって、」
ジョチさんがそういうと、水穂はそういった。全く、そんな馬鹿なこと言って、と、皆ため息をつく。
「水穂さん、お前さんちょっとおかしいよ。どうして何とかして生きようという気にはならないのか?使えなくなったら、使える奴に変えればそれでいいのさ。そのどこがおかしいというんだね。」
杉三がそう口を挟む。
「杉ちゃん、ありがとう。でも、ほとんどの人は、僕みたいな人を嫌な人だと思う。電車の中で、スマートフォンの電源を切れとたとえ車掌さんが言ってくれたとしても、それを理解してくれる人は果たしていいるかどうか。其れより、嫌な顔をして、文句を言うのが、当たり前じゃないですか。そうなったらより、惨めになるだけだ。それは、僕も周りも嫌ですもの。其れなら、逝った方がいいと思うんです。」
水穂の話は、ある意味、人間ならだれでもあり得る感情を表していて、皆、そうだなと思われる節があった。だけど、それが通じないものも少なからずいるという、顔をしている者がいた。
「水穂さんよ、お前さんが逝きたい気持ちは分からないわけではないよ。ずっと、天才を演じているのに、疲れてしまって、もう逝きたいというんだろ。辛いのでそれも一理あるが、もうちょっと、由紀子さんの気持ちも考えてやってくれないだろうか。由紀子さん、お前さんのために、スマートフォンを捨てようと思っているらしい。僕、バカだからさ、文字は書けないが、人がどうしようかという事だけはよくわかるんだよ。由紀子さん、間違いなくそうするつもりだ。そうなったらどうするつもり?それでは、ものすごい不便な生活を強いられるだろう。でも、由紀子さんは、其れでもいいと言っている。どうだ、ここまでして、お前さんのことを愛してくれるやつがいるんだよ。今の発言を由紀子さんに聞かせてみな、お前さんに見捨てられたとなって、由紀子さん、お前さんより先に逝ってしまうかもしれんぞ。」
杉三が、そう言い出したのである。
「杉ちゃん、よくそんなことが言えますね。誰でも、言えることじゃないですよ。水穂さん、実をいえば僕も、同じ気持ちなんですよ。もし、それを実現したら、たいへん不便な生活になってしまう。そうなってもいいという事は、相当な覚悟という物があると思いますよ。僕たちも、そんな彼女に協力しようかと思っているんです。もし、電波が悪影響を及ぼすという事になれば、僕は先ほども言いましたとおり、すぐに安全な電化製品を製造している会社を調べることも、可能ですよ。きっと、何処かにそういう会社もあると思います。そうでなければ、ペースメーカーを埋め込んだ人が、普通の人並みに長生きをしているという事実もないでしょう。」
杉三の発言に、ジョチもそう同意した。しまいには沖田先生まで、
「そうですよ、いくら、重病の患者さんを沢山見ていると言って、慣れているとは言いますが、やはり天寿を全うされるのと、自ら望んで逝かれるのとでは、悲しみの度合いが違いますよ。医者の私でさえそうなんですから、ここにいる皆さんは、もっと、悲しいでしょう。」
と、言い出す羽目になった。
「水穂さんどうですか。これだけの人がそういっているんですから、わかってやってくれますか?」
ジョチさんにそういわれて、水穂さん、目が宙を向く。
もしこの場面を由紀子さんが見ていたら、それはそれは飛び上がって喜んだに違いない。でも由紀子さんは、その現場を見ていないから、誰かに聞かない限り、この話を聞くことはできない。鳥のように空を飛んでいけば、すぐにこっちへ来ることはできるけど、それはできるはずもない。もしかして、鳥は、こういう感情を持つことはないかもしれない。中には、共食いをする鳥もいるし、ほかの鳥の育児の邪魔をして、生きていく鳥もいる。でも、人間は、そうはならない。それは鳥の様に飛べないからなのかもしれない。鳥のように、鳥のように、鳥のように、、、。
でも、水穂さんは、返答を返そうとして、また咳き込んでしまったのである。
「これでは、もう遅い、気が付くのが遅すぎたかもしれないですね。」
ジョチさんが、沖田先生のほうを見た。
「そうかもしれませんな。」
沖田先生が、半分あきらめたような顔をして、しずかにため息をつく。
「馬鹿は一体誰だろう。」
杉ちゃんに言われて、水穂は恥ずかしそうな顔をする。いや、したかった。でも、それは、咳き込んで叶わなかった。
「すごい皮肉だな。由紀子さんに見せないでよかったかもしれんなあ。」
製鉄所の屋根に鳥が止まっていた。鳥は、しずかに飛び立っていった。そう、人間にできない事を鳥は持っている。
鳥のように Like a bird 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます