第七章

第七章

そうか、もう私が出る幕はないのね、、、。

健ちゃんとあの女性がああして看病してやっている有様を見て、由紀子は、そう思った。もう、水穂さんは、あたしでは、手が出ないんだ、と。

「おい、一寸さ、多分あおむけになったままでは苦しいだろうからさ。なにか寄りかかって眠れるものはないだろうかな?」

「ああ、それなら、ビーズのクッションがあるわ。」

二人は、押し入れを開けて、クッションを一つ取り出した。あの、派手な化粧の女性が、甲斐甲斐しく水穂さんの背中にクッションをあてがってやっている。なんでそういうことができてしまうのだろうか。あたしは、全くそれを思いつかなかった。

「ついでに、かけ布団を増やしてやってよ。これでは今日は寒いよ。」

「オッケー。」

彼女は、健ちゃんに言われて、布団をもう一枚かけてやった。

「じゃあ、とりあえず退散するが、また、時間がたったら、ようすを見に来ような。また苦しむようなそぶりを見せ始めたら、すぐに手当てしてやらないとだめだぜ。」

「任しておいて。まあ、いいわよね。あたしたちは、学校で勉強したことが、すぐにこうして実践できるんだから。それであたしたちは、ほかの子より、」

「何てことをいうの!点数を稼ぐために人を利用しないでもらえないかしら!」

由紀子は、思わず怒ってしまった。もし今の人なら、ここで変なことをいうな!と、由紀子にくってかかるはずなのだが、その女性は、そうしなかった。

「ええ、わかっていますよ。由紀子さん。あたしたちは、点数のために生きているわけじゃないって、知ってますから。ただ、あたしたちは、学校で看護を学んでいるだけであって、それを、実践しているだけの事です。それは気にしないでください。」

「そういうところが、点数稼ぎだというのよ!あなたたち、どうせ点数を得るために、水穂さんを利用しようとしているだけでしょう?どうせ、看護学校の宿題にしようとか、そういう気持ちなんでしょう!それはやめてほしいといっているの!わかるでしょ!」

由紀子がそういうと、健ちゃんが言った。

「俺たちは、そういうつもりで看護を学んでいる訳ではありません。たしかに、看護というのは、今需要が多いから、すぐに働きたい人が、はたらける職業ではありますが、俺たちは、そういう気持ちじゃありません。俺は、先日ばあちゃんを亡くしたのですが、その担当の看護師が、とてもきつい人で、ばあちゃん、とても悲しそうな顔で入院していました。それで急に悪くなって、なくなったんですけどね。俺は、あの病院にさえ入院していなかったら、もっと長生きできたはずなのにと思って、看護の仕事をしようと思ったんです。由紀子さん、俺は決して、すぐに働ける場所であって、容易く働けるとか、そういう気持ちで選んでいるわけでは、有りませんから。それは、わかっていただけないでしょうか。」

「あたしだって、そういうことですよ。まあ、同じ話を繰り返すというのも、嫌でしょうからしないけど。あたしは、決して、軽い気持ちで、看護師になりたいと思ったわけじゃないわ。ま、確かにこんな格好だから、変な奴に見られちゃうけどさ。でも、変な奴でないと、友達ができないんです。だから仕方なくやっている。」

彼女も、そう言っている。それは事実だろう。彼女の目を見れば、それは分かる。

「だったら、そのむさくるしい格好はやめて。あなたの良さまで誤解されるわ。せっかくそういう気持ちがあるんだったら、それを貫き通せばいいじゃない。そんな友だち何て、一瞬の事よ。社会に出てしまえば、大したことはないわ。」

由紀子は社会人として、そう彼女に言ったが、

「そうなんですけど、由紀子さん。私も独りぼっちが怖いんです。一人ぼっちで生きるのは、どうしてもできないから、周りの子たちに会わせて、こうしているしかないんですよ。ほかの子に会わせないで独りぼっちでいるのは、本当につらいんです。」

と、彼女は言った。

「由紀子さん、由紀子さんも思うでしょう。水穂さんを亡くして、独りぼっちになってしまうのは怖いから、そう言って泣くんでしょう?」

あの健ちゃんに言われて、由紀子は、黙り込んでしまう。

「だったら、俺たちに任せてください。俺たちは、一生懸命看病しますから、由紀子さんは、しずかに仕事を続けて下さい。」

健ちゃんがそういう。

「由紀子さん。そういう訳ですから、今日は帰ってくれて結構ですよ。俺たちは、ちゃんとやりますんで。」

こんなにちゃらちゃらしている様に見える人たちが、こんなことを平気で発言できる何て、由紀子は、おどろくというか、敗北感ばかりだった。

「由紀子さん。もういいですから。」

じゃあ、私の想いはどこに、、、。

由紀子は、その気持ちを、口にしたかったが、それは言えなかった。

「ごめんなさい。帰るわ。」

由紀子はしぶしぶ立ち上がる。

「また来てくださいね。水穂さんにとっては、由紀子さんは、大事な人材であることは、間違いありませんから。それは、俺たちも認めます。」

と、健ちゃんが言ってくれたが、

「いいのよ。あたしは、もう必要ないんだもの。あなたたちに任せてくれば、水穂さんも楽になれるわ。」

由紀子は、しずかに答えた。

それでは、と、玄関先にむかって帰っていくが、由紀子はもう追い出されてしまったような気がして、後を振り向く気にはなれなかった。

ざーっと雨が降ってきた。それでも由紀子は急いで帰っていく気にもなれなかった。ただ、雨の中、とぼとぼと、歩いていくしかできなかった。

あたしはもうあの人に必要とされていないのか。それでは、もう終わってしまうのか。あたしは、これだけ水穂さんのことを好きなのに!もうこれでは、終わりなのだろうか。

せめて、メールだけもさせてくれればと思ったが、そうか、それも、スマートフォンがなくなれば、できなくなってしまうだろう。

それでは、本当に自分の役目は全部なくなってしまうという事になる。

由紀子は、ワイパーを動かすこともせずに車に乗って、自宅へ帰った。何だかワイパーを動かしたとしても、窓は、そのままぬれていた。

由紀子は自宅に帰ると、まず着ていた服を脱いで、急いで洗面台で洗い、簡素なルームウェアに着替える。

でも、雨でぬれた、髪を拭く気にはならなかった。

それでは、とすぐに気持ちを切り替える気にもならない。其れよりも、水穂さんへの思いは、さらに募っていく。

本当は、この思いを誰かに話せたらいいのに。それでは、行けないのだろうか。そういうように、外へは、雷が鳴り始めた。由紀子は、停電を起こしてはならないと、急いでテレビのコンセントを抜いて、電気を消した。

すごい雷であった。まるで、映画の戦闘シーンで使えそうなほど、すごい雷だった。ああ、水穂さん、こんな雷で困っていないだろうか。と由紀子は思ってしまう。其れではいけないのだけれど、水穂さんへの想いは募っていく。

不意に、ピピピと、彼女のスマートフォンが鳴った。だれだろうと思って急いでみてみると、あの先日電話した会社、シロツメクサだった。こんな雷の中でも、電話をかけてくれるなんて、なんて親切だろうと思った。

「こんばんは。その後いかがですか。あの時、中途半端で終わってしまった様な気がしたから、気になって、かけてみたのよ。」

あの代表の城田さんだ。

「ごめんなさいね。本当は、クライエントさんを心配するのは、いけないことかと思ったけれど、どうしても心配だったから。」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」

由紀子は、そういって、わざわざかけてくれたのに申しわけないと思ったが、其れでは何だか足りないような気がしてしまう。

「そのいい方から見ると、たいへんだったみたいね。」

そういわれて、由紀子は、思わず涙を流して、泣き出してしまった。

図星かと言われることはなくて、本当によかったと思う。

「その口調からしてみると、たいへんになっちゃったのかな。」

年上の人に、そういわれると、時には若い奴をばかにしているのかと、ムッとしてしまうこともある。だけど、今日はそんな気持ちにはならなかった。寧ろ、自分の気持ちをくみとってもらって、うれしく感じたのだった。

「そんなに悪いの?その人。」

「はい、もう、あとは看護関係に詳しい人に何とかしてもらうべきで、あたしが出るところは、もうないんです。もうあたしは、水穂さんにとって、必要ないって、はっきり言われてしまっている様な気がして。あたしのこの思いはどこに表したらいいのかなって。」

「由紀子さん。多分きっと、その人はね、もう安心していけるようにすべきだと思うの。あなたが、ここでああだこうだと騒いでいると、その人は、心残りができてしまう。それでは、いけないでしょ。残された人にできることは、其れだけなのよ。」

そういわれて、由紀子は声を上げて泣き出してしまった。

「由紀子さん、きっとつらいと思うけど、こういうときは騒いではいけないのよ。今は、その専門的な人たちに任せておいて。また必要な時が来るから。必ずそうなるって思っていれば、その時はかならずやってくるから。」

内容が確かに抽象的であるが、その言葉は由紀子を安心させた。由紀子は、具体的にこうしろああしろと言われるよりも、こうして抽象的なことをいわれる方が、いい時もあるんだという事を知った。

「今はそういう専門的なことが必要だったら、その人たちに任せて、自分の出番を待つという時だと思っておくといいわ。そうすれば、気持ちが楽になるから。そして、あなたが必要になった時に、うんと活躍してくれればそれでいいのよ。人間は、それぞれ得意分野があってね、それをどこで披露するかは一人一人違うのよ。それは、人間社会円滑に進むためにそうなってるのよ。その人たちには、できなくて、あなたにはできる事もきっとあるはずだから、今はその時が来るのを信じて、待っていることよ。」

由紀子はやっとわかって貰えて、具体的な対策を作ってくれてうれしく思った。

「ありがとうございます。」

「いいのよ。あたしが勝手に、呼び出しただけなんだから。心配してかけたから、今日は料金はいただかないわ。」

いつの間にか雷は止んでいた。雨も静かになっていたのだった。


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