夜道の椅子

椅子は歩いていた。夜道をたった一つ、街頭に照らされて家路についていた。椅子は本来歩くものではない。だから、四つの脚に挟まれてその天板は軋みをあげていた。その音は泣き声にも似ていた。それでも椅子は歩く。その椅子は単品であり、静かな家で待つテーブルも兄弟椅子もなかったが、家は恋しい。


道すがらソファと擦れ違った。酔い潰れた女を乗せて帰路についたところらしい。椅子は軽く頭を下げた。あるいは、うつむいて視線を逸らした。それは高級家具に対する敬意であったか、嫉妬か、あるいはソファでさえも夜道を歩くことへの失望だったかも知れない。椅子自身も深く考えることはしなかった。


ようやく家のドアへ辿り着くと、椅子に付けられたタグが読み取られ、通用戸が開く。暗い玄関の一角で椅子は立ち止まった。脚が拭かれるまで、居間には帰れないのだ。軋む天板を労るように脚を少し動かすと、椅子は動かなくなった。椅子は眠ることがない。しかしやはり椅子は本来歩くものではないのだ。

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椅子 @akira404

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