TIME VANISH

孔雀 凌

世界から時間という概念が消失した時、何が起きるのか。


「姉ちゃん! 何で起こしてくれなかったの。学校、遅刻すんじゃん」

「時計がないのに、どう起こせばいいのよ」

大急ぎで飛び起きて身支度にかかろうとする僕は、二歳年上の姉の言葉で我に返る。

「そ、そうだった……」

「変な感じよねえ。昨日までは時間が存在したのに。お蔭で毎朝楽しみにしていた、テレビの星占いランキングもなくなっちゃったし」






昨日、この世界から『時間という概念』が消失した。

詳しい事は高校生の僕には分からないのだけれど、法律の改訂とやら、大人の事情だそうだ。

各家庭や組織から、時計と称する調速機の全ては政府によって回収された。

いつもは朝八時半から始まる学校も、今日からは違う。

先生は、こう言ったんだ。

『とりあえず、普段通りに登校して来なさい。何となく皆が揃ったところで、ショートホームルームを始めるとしよう』

でも、ちょっと待てよ。

考え様によっては都合の良い世界じゃないか?

時間が存在しないのだから、遅刻をしても減点扱いにならない、などと言った誤魔化しも通用するかも知れない。

僕は、自分の頬が緩むのを実感した。

「急がないと、間に合わないんじゃないの? 私は女子高、休むからいいけど」

姉は悠長に構えている。

「姉ちゃん。これからの未来に遅刻なんて言葉は相応しくないよ」






焼き上がったトーストに冷蔵庫から取り出したディジョンマスタードを匙で掬い、たっぷりと塗る。

これが、とにかく美味なんだ。

朝食を堪能した後、僕は学校へ向かう。

教室へ入ると殆どの生徒が席に着いていて、僕は最後の一人らしかった。

「忍成君、やっと来たか。皆揃ったから、授業を始めます。教科書を開いて」

古典の授業だ。

この先生は完璧主義者だ。

律儀に僕が来るのを待っていてくれたのだろう。

昨日まで黒板上にあった掛け時計も勿論、存在しない。

今は何時位なのだろう。

暫くすると、周囲が慌ただしく賑わい始めた。

皆、想い想いにどこかへ向かっている様だ。






「忍成君。購買のパン、買いに行かないの? もう、売り切れちゃうよ」

女生徒に声を掛けられ、廊下に飛び出した僕は一目散に購買部を目指す。

そうだ、お昼ご飯だ!

はやく行かないと、特製ボロネーゼソース盛り高級パスタ風味パンが他の奴等に食われてしまう!

ああ、こんな時に限って何故、時間が存在しないんだ。

予鈴が鳴らないんだ!

いつもは真っ先に駆け付けるのに。






昼時の購買部ってのは、どうしてああも戦闘状態なんだ。

敗北のメロンパンを片手に戻って来た僕は、妙な疲労感に襲われ始めていた。

昼食後の授業はやけに長く感じる。

時間が分からないからそう想うのか、窓際から得る事の出来る陽の傾き具合だけが唯一の大体の時刻を知る判断材料だった。

「なあ。何で時間も分からないのに、皆、昼メシ行けたんだ?」

僕は前座席の男子生徒に小声で話しかける。

「単に空腹を感じたからじゃね。先生も頃合いを見て、弁当食いに職員室戻ってたみたいだしね」






担任教諭が終わりのショートホームルームで明日の連絡事項を伝える頃には、陽はとうに沈んでいた。

というか、真っ暗だ。

盛夏だというのに有り得ない。

「今日は遅くなりましたね。全体的に授業の開始が遅れたのが原因だと想われます。法律の定めにより、時間は失われましたが、皆さん。そこはかとなく、規則正しい授業の流れを察して、守る様に努力をして下さい」

全ての授業を長引かせてしまった禍の要因、まさか、この僕が。

「忍成君。君が一番良く理解しているはずですね。君にはこの後、教室の清掃を一人で担当してもらいます」

担任教諭は、清々しい笑顔で最後の言葉を締めた。

何だか、色々な意味で疲れを感じる日だ。






「お帰り」

家路を辿り、自宅の玄関扉を開けると両親が僕を出迎えた。

「ただいま。母さん、父さん」

変だな。妙な違和感を覚える。

共働きの両親は帰宅が深夜になるなど、決まって遅いのだけど。

とりあえず、気分転換にDSでゲームでも始めるとするか。

自室に向かいゲーム機を探すも見当たらない。

忘れていたが、期限付きで姉に貸していたのだった。

「姉ちゃん。DS返してくれよ」

「えー? 何の事。期限付きって言ってたけど、時間がない世界になったんだから、無期限ってことで借りてていいわよね」

「何、無茶苦茶な事言ってんだよ」

畜生、時間のなさを逆手に取られるなんて想定外だ。

姉はゲーム機を返してくれる気など初めから更々ないのだ。

「姉弟喧嘩なんて、微笑ましいわね」

母が嬉しそうに笑う。

「父さんの職場は、従業員の集中力が上がって、いつもよりはやく仕事が片付いた気がするよ」

「あなたも? 私の会社もよ。時間が分からない方が逆に仕事に専念出来るのよね」

どうやら、両親にとっては差し当たり良い展開らしい。

こっちの気も知らないで。

「時間が存在しないってのも結構良い物だな。なあ、お前達?」

「全然、良くない!」

僕は涙目で力いっぱい、叫んだ。









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