十七.原始の森


 森を住まいとする獣人族ナーウェアのルティリスは、樹上に避難所シェルターを作り出すという特殊魔法を使うことができる。蔓草つるくさを絡めた簡単なものではあるが、五人が身体を休める程度のスペースは確保できるし、何より安全だ。

 怪我の状態が酷いロッシェに手を貸しつつ、皆で順番に中へと入り込む。降雨をやませたクラウディアは、避難所の入り口までついてきてふわんと浮遊していた。


「ルベル、ちょっと傷をみせてご覧」

「大丈夫です、パパ。クジラさんが治してくれました」


 ずっと気になっていた傷の具合を尋ねれば、ルベルはにこりと笑って襟をくつろげた。

 確かに言葉の通り、衣服に破れはあるものの傷の痕は残っていない。それにほぅっと息をつけば、今度はルベルがロッシェの襟をつかんだ。


「パパこそ、ひどい怪我してたですよね? ルベルにみせてください」

「ちょ、ルベル、ここで脱がされても」


 小さな両手が慣れた様子で上着の留め金を外し、内衣のボタンを外していく。

 裂かれ破られた衣服の下、首から肩まで続く生傷に手をかざして、ルベルは大きな両眼を潤ませた。


「痛いですか?」

「大丈夫だよ。ここも、腕も、痛みはあるけど、おまえが助けてくれたから……大丈夫なんだよ」


 答えるロッシェの声も、泣きそうに震える。ルベルはうなずいて、父の服を元に直していった。

 傍らでバックから携帯食と水を取り出し、ルティリスとリトに渡していたセロアがおもむろに口を開く。


「ロッシェさん。全部終わったら、学院へ立ち寄ってルゥイさんに傷を見てもらいましょうね」


 途端、ロッシェがあからさまに嫌そうな顔になった。

 が、何も言わずにうなずいた。


『ワシが治しとろウか?』

 入り口のクラウディアが言った。ロッシェは複雑そうな顔を彼に向ける。


「君は、人型を取れるんだっけ?」

『望みなら成れンこともないのぅ』


 中位か、とロッシェは呟くと、右の袖をまくって腕を剥きだしクジラに差し出して見せた。


「傷が深くて、組織が壊死している気がするんだ。どうだろう、あと三日放置しても大丈夫かな?」

『危険よのぅ。炎精の破壊残滓ざんしは未知数デのぅ』


 ロッシェは瞑目めいもくし、やっぱりか、と呟く。

 ルベルがクラウディアを見上げ、首を傾げた。


「クジラさん、治せますか?」

『光精とマデはいかぬがのぅ。人よりは使うるでのぅ?』


 ルベルは精霊使いエレメンタルマスターだが、まだまだ未熟で中高位の光精霊を喚び出すことはできない。この場で他に光魔法を扱える者がいないことを考えれば、水の中位精霊であるクラウディアは非常にありがたい存在だ。


「それじゃ、ごめん。お願いするよ」


 ロッシェの言葉にこたえるように、薄青色の光が彼を包む。ゆっくりとふさがってゆく傷を確認しながら、ロッシェは思い出したように呟いた。


「そういえば君は、誰に召喚されたんだい」

「何をとぼけている。お前がんだんだろう、ロッシェ」


 ルベルが目を丸くしリトが思わず突っ込む。セロアが吹き出し、ルティリスはきょとんと首を傾げた。

 ロッシェは彼にしては珍しい虚を突かれたような顔で、自分を指さす。


「僕?」

『この場にワシらと属する者、他におるンかのぅ』


 クラウディアにまで突っ込まれ、ロッシェは困惑げに言い返した。


「だって、僕は魔法が苦手なんだ」

『それは知らヌがのぅ』


 どうでもよさそうにこたえ、クラウディアはくるりと空中で回転した。青い光が弱まり、清涼な余韻を残して消滅する。

 指を握ったり開いたりして感覚を確かめてから、ロッシェはようやくほっとしたように笑った。


「ありがとう」

『礼は及ぶまい、そちらのも治しとろウかのぅ?』


 クジラが今度はリトに対象を移したので、リトは思い出したように長衣をはだけて肩を見せる。

 えぐるような爪痕つめあとが痛々しいが、それほど深くはなく血は既に止まっていた。


「自分でも治せるが……頼んでもいいのか?」

『お安いのぅ』


 青い魔力が今度はリトの傷を治癒していき、痛みが失せて身体が楽になる。リトの傷を治し終えると、クラウディアは再びロッシェの方へと向き直った。


『では、ワシは帰るでのぅ』

「そうか。ありがとう、君には助けられたよ」

「クジラさん、ありがとうです」


 礼を言う父娘おやこにクラウディアはゆらゆらとうなずき、余韻を残して消える。

 ロッシェはしばしクジラが消えた場所を眺めていたが、意識を切り替えるように振り向いてリトを見た。


「大丈夫です、出発しましょう」

「少し寝なくていいのか」

「平気です」


 傍目はためからも解るほど顔色は悪かったが、ロッシェは服の袖と襟を直してセロアを見る。賢者は首を傾げて問い掛けた。


「何か胃に入れなくてもいいですか?」

「大丈夫さ。帰りの事を考えれば、そろそろ動いた方が賢明だと思う」


 それは確かにその通りだ。

 聖域にて魔法力を回復してもらえるなら、帰途はリトの転移魔法テレポートを使えばよいだけだが、そうならなかった場合、森で野宿するよりは街へ戻って休める方がずっといいだろう。

 ルベルはうなずいて立ち上がり、他の三人も異論を唱えることなくそれに倣う。


「でも僕多分もう戦えないので……後は頼みましたよ、ご主人様」

「ルティとルベルはともかく、おまえとセロアは自分の身くらい自分ででどうにかしろ」


 本気なのか冗談なのか。そんな軽口を叩き合いながら外に出て地面へ降りる。目的の場所は、ここからそれほど遠くはないはずだ。

 そこに文字通りの扉があるのか、別の何かがあるのかまでは、ロッシェもセロアも知らないが。


「パパ、リトくん。……あれ、世界樹ユグドラシルです」


 不意にルベルが言って、はるか前方を指さした。

 リトもロッシェも目を凝らしてみるが、それらしき物を見る事はできない。セロアとルティリスの目にも、別段変わった何かは見えていないようだ。


「さすが、精霊使いエレメンタルマスターだな」

「ね、僕の娘は凄いでしょう?」

「何度も言うな。娘自慢はよく解ったから」


 やりとりを聞いてセロアが吹き出す。

 ルベルは目を見開いて会話の行方を目で追っていたが、長引くわけではないと悟ると、先ほど指した方角へと先だって歩き始める。

 巨木ばかりが群生する原始の森は時間感覚も方向感覚も曖昧あいまいで、今歩いている道が目的地へと続いているのかも解らない。

 それでも、前を歩く小さな後ろ姿には迷いや疑いは全く感じられなくて、えているのだろうという確信を得させるのだ。


 そうして森の中を進むこと、十数分だろうか。

 先頭を歩いていたルベルが立ち止まり、つられるように皆も足を止めた。道の先、大樹の根元に切り抜かれたような扉を目にして、ロッシェは思わずリトを見る。


「文字通りの、扉なんですね」


 皆の心境を代弁するかのようなセロアの言葉。

 リトは黙って懐から鍵を取り出し、ルティリスを見る。その視線が意味するところを察し、彼女の耳と尻尾が緊張を反映してぴんと立った。


「ルティ」

「はいっ」


 差し出された、小さな銀の鍵。それを両手でそっと受け取り、大切そうに指先でつまみ上げる。

 この鍵を使うために、彼女はここにきたのだ。


 屈み込んで扉を調べると、確かに小さな鍵穴が付いていた。そっと当てて大きさを確かめてから、ルティリスはためらいなくその鍵を差し込んだ。

 するりと飲み込まれるように、鍵は穴に収まる。軽く力を加えて回せば、カチリという音が響いた。

 途端、扉が発光を始め、ルティリスは慌ててその場から跳び退すさる。

 銀と緑が混じったような光が扉の隙間から漏れはじめ、見守る全員の目の前で、ゆっくりと開いてゆく。


 長いような一瞬のあと、その場には扉の形の『ゲート』が出現していた。

 内側に魔法力を内包し虹色に輝くそれは、美しいようで禍々まがまがしい不思議な様相をていしている。

 魔法の心得こころえがないルティリスはどうしていいか解らず、リトを振り返り見た。

 リトは無言でゲートを見つめていたが、やがて意を決したように足を踏み出した。

 黒衣の長身が音もなく魔法の扉に飲み込まれ、消える。その後を追い掛けるように、ルベルが扉の中へと飛び込んでいった。

 セロアがルティリスに瞳を向け、柔らかく笑う。


「行きましょうか。ロッシェさん、ルティちゃん」


 ロッシェがうなずき、ルティリスの手を取った。

 セロア、次いでロッシェとルティリス、全員を飲み込んだ魔法の光はゆるやかに収まっていき、数刻後にはもう何事もなかったようにただの扉へと戻っていた。





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