十七.原始の森
森を住まいとする
怪我の状態が酷いロッシェに手を貸しつつ、皆で順番に中へと入り込む。降雨をやませたクラウディアは、避難所の入り口までついてきてふわんと浮遊していた。
「ルベル、ちょっと傷をみせてご覧」
「大丈夫です、パパ。クジラさんが治してくれました」
ずっと気になっていた傷の具合を尋ねれば、ルベルはにこりと笑って襟を
確かに言葉の通り、衣服に破れはあるものの傷の痕は残っていない。それにほぅっと息をつけば、今度はルベルがロッシェの襟をつかんだ。
「パパこそ、ひどい怪我してたですよね? ルベルにみせてください」
「ちょ、ルベル、ここで脱がされても」
小さな両手が慣れた様子で上着の留め金を外し、内衣のボタンを外していく。
裂かれ破られた衣服の下、首から肩まで続く生傷に手をかざして、ルベルは大きな両眼を潤ませた。
「痛いですか?」
「大丈夫だよ。ここも、腕も、痛みはあるけど、おまえが助けてくれたから……大丈夫なんだよ」
答えるロッシェの声も、泣きそうに震える。ルベルはうなずいて、父の服を元に直していった。
傍らでバックから携帯食と水を取り出し、ルティリスとリトに渡していたセロアがおもむろに口を開く。
「ロッシェさん。全部終わったら、学院へ立ち寄ってルゥイさんに傷を見てもらいましょうね」
途端、ロッシェがあからさまに嫌そうな顔になった。
が、何も言わずにうなずいた。
『ワシが治しとろウか?』
入り口のクラウディアが言った。ロッシェは複雑そうな顔を彼に向ける。
「君は、人型を取れるんだっけ?」
『望みなら成れンこともないのぅ』
中位か、とロッシェは呟くと、右の袖をまくって腕を剥きだしクジラに差し出して見せた。
「傷が深くて、組織が壊死している気がするんだ。どうだろう、あと三日放置しても大丈夫かな?」
『危険よのぅ。炎精の破壊
ロッシェは
ルベルがクラウディアを見上げ、首を傾げた。
「クジラさん、治せますか?」
『光精とマデはいかぬがのぅ。人よりは使うるでのぅ?』
ルベルは
「それじゃ、ご
ロッシェの言葉に
「そういえば君は、誰に召喚されたんだい」
「何を
ルベルが目を丸くしリトが思わず突っ込む。セロアが吹き出し、ルティリスはきょとんと首を傾げた。
ロッシェは彼にしては珍しい虚を突かれたような顔で、自分を指さす。
「僕?」
『この場にワシらと属する者、他におるンかのぅ』
クラウディアにまで突っ込まれ、ロッシェは困惑げに言い返した。
「だって、僕は魔法が苦手なんだ」
『それは知らヌがのぅ』
どうでもよさそうに
指を握ったり開いたりして感覚を確かめてから、ロッシェはようやくほっとしたように笑った。
「ありがとう」
『礼は及ぶまい、そちらのも治しとろウかのぅ?』
クジラが今度はリトに対象を移したので、リトは思い出したように長衣をはだけて肩を見せる。
「自分でも治せるが……頼んでもいいのか?」
『お安いのぅ』
青い魔力が今度はリトの傷を治癒していき、痛みが失せて身体が楽になる。リトの傷を治し終えると、クラウディアは再びロッシェの方へと向き直った。
『では、ワシは帰るでのぅ』
「そうか。ありがとう、君には助けられたよ」
「クジラさん、ありがとうです」
礼を言う
ロッシェはしばしクジラが消えた場所を眺めていたが、意識を切り替えるように振り向いてリトを見た。
「大丈夫です、出発しましょう」
「少し寝なくていいのか」
「平気です」
「何か胃に入れなくてもいいですか?」
「大丈夫さ。帰りの事を考えれば、そろそろ動いた方が賢明だと思う」
それは確かにその通りだ。
聖域にて魔法力を回復してもらえるなら、帰途はリトの
ルベルはうなずいて立ち上がり、他の三人も異論を唱えることなくそれに倣う。
「でも僕多分もう戦えないので……後は頼みましたよ、ご主人様」
「ルティとルベルはともかく、おまえとセロアは自分の身くらい自分ででどうにかしろ」
本気なのか冗談なのか。そんな軽口を叩き合いながら外に出て地面へ降りる。目的の場所は、ここからそれほど遠くはないはずだ。
そこに文字通りの扉があるのか、別の何かがあるのかまでは、ロッシェもセロアも知らないが。
「パパ、リトくん。……あれ、
不意にルベルが言って、はるか前方を指さした。
リトもロッシェも目を凝らしてみるが、それらしき物を見る事はできない。セロアとルティリスの目にも、別段変わった何かは見えていないようだ。
「さすが、
「ね、僕の娘は凄いでしょう?」
「何度も言うな。娘自慢はよく解ったから」
やりとりを聞いてセロアが吹き出す。
ルベルは目を見開いて会話の行方を目で追っていたが、長引くわけではないと悟ると、先ほど指した方角へと先だって歩き始める。
巨木ばかりが群生する原始の森は時間感覚も方向感覚も
それでも、前を歩く小さな後ろ姿には迷いや疑いは全く感じられなくて、
そうして森の中を進むこと、十数分だろうか。
先頭を歩いていたルベルが立ち止まり、つられるように皆も足を止めた。道の先、大樹の根元に切り抜かれたような扉を目にして、ロッシェは思わずリトを見る。
「文字通りの、扉なんですね」
皆の心境を代弁するかのようなセロアの言葉。
リトは黙って懐から鍵を取り出し、ルティリスを見る。その視線が意味するところを察し、彼女の耳と尻尾が緊張を反映してぴんと立った。
「ルティ」
「はいっ」
差し出された、小さな銀の鍵。それを両手でそっと受け取り、大切そうに指先で
この鍵を使うために、彼女はここにきたのだ。
屈み込んで扉を調べると、確かに小さな鍵穴が付いていた。そっと当てて大きさを確かめてから、ルティリスはためらいなくその鍵を差し込んだ。
するりと飲み込まれるように、鍵は穴に収まる。軽く力を加えて回せば、カチリという音が響いた。
途端、扉が発光を始め、ルティリスは慌ててその場から跳び
銀と緑が混じったような光が扉の隙間から漏れはじめ、見守る全員の目の前で、ゆっくりと開いてゆく。
長いような一瞬のあと、その場には扉の形の『
内側に魔法力を内包し虹色に輝くそれは、美しいようで
魔法の
リトは無言で
黒衣の長身が音もなく魔法の扉に飲み込まれ、消える。その後を追い掛けるように、ルベルが扉の中へと飛び込んでいった。
セロアがルティリスに瞳を向け、柔らかく笑う。
「行きましょうか。ロッシェさん、ルティちゃん」
ロッシェがうなずき、ルティリスの手を取った。
セロア、次いでロッシェとルティリス、全員を飲み込んだ魔法の光は
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