十五.守護獣との再戦[中]
いっさいの危険から保護することが幸せに
もう、無理だった。
泣きやまぬ少女に胸を貸すのも、保護者に
「ルティちゃん」
腕を解き、立ち上がる。そばに立つリトが
「ルベルは行きます。ルティちゃんは、ここから弓で援護してください」
「……え?」
怯えたように瞳を揺らす、狐の少女。彼女があのグリフォンをこれだけ怖がるのには、きっと何か理由があるのだろう。
それでも迷う間に現実はここまで追いつき、今まさに最愛の人を奪おうとしている。
それを黙って見ている、理由が解らなかった。
「ルベルちゃん、危険ですよ」
「解ってます、セロアさん。でも、このままじゃパパが死んじゃう」
不安を口にした途端、泣き出したいほどの恐怖が
傍らに立つ黒い
「心配ないだろう。ロッシェは強いようだし」
違う、と思う。
彼にそう思わせたのは父自身だとはいえ、自分は気づいてしまったからもう、黙っていることなんてできない。
「パパが鍵を預かったのは、自信があるからじゃなく、
驚いたように目を
父親の愛を疑ったことなど一度もない。ロッシェが自分を愛し大切に想っていることは、痛いほどに解っている。
でも、想いだけでは現実に届かないから。
鋭い
「パパっ。ルベルが加勢するから、そのひとの弱点を教えてください!」
「ルベル、駄目だッ」
思わぬ声掛けに驚いたのだろう、ロッシェが目を
金羽の獣と力比べをしながら返された答えに、さらに怒りが込み上げた。剣を砕かれ身体を押さえ込まれ、これ以上どうやってみんなを守るつもりなのだろう。
「ルベルは、怒ってるんです」
ふわりと身体を満たす魔力が、赤い燐光に変じて舞い散った。
「ルベルはパパに
あの時、四日前。待ち合わせの場所で時間を過ぎてもロッシェは現れなかった。
心配よりもショックが先立ったのは事実で、もう二度と返ってこないかもしれないという想像に傷ついたのも真実だ。
セロアが、何か事件に巻き込まれたのかも知れない、と言ってくれたけど、すぐに捜しに行く気にはなれなかった。それでも、もう一度迎えに行く決意ができたのは、奪われる怖さが確かめる怖さを
守られるだけの子どもでいるつもりはない。
奪われないために選んで得た魔法という力は、まだまだ未熟で、現実には丈が届いていないけれど。
「一緒に戦います!」
独りで頑張るわけじゃない。力を合わせれば、
「
ルベルの術具でもあるスピアの穂先に雷光がまとい、そこから電撃が
不意打ちの攻撃に獣は弾かれたように頭を上げ、視界にルベルを認めると一気に跳躍した。大きな前足が小さな身体をとらえて地面に叩きつけ、鋭い爪が食い込む痛みに小さく悲鳴をあげる。
「ルベル! ッ、畜生」
唐突に解放されたロッシェは、立ち上がろうとして腕の痛みに
『娘、
きんいろの目が怒りに燃えて少女を睨む。
それをまっすぐ睨み返し、ルベルは言った。
「
途端、強烈な真白い輝きがルベルから発される。それに
「リトくんっ、パパを治癒してください!」
『
至近で閃光を直視したため目が
避けきれず腕をかすめた爪の痛みに悲鳴をあげつつも、ルベルは再び槍を掲げて息を吸い込んだ。
「
少女の姿がゆらり揺らめき、かき消える。視界から目標を見失いグリフォンは周囲を見回すが、鷲の嗅覚で
『おのれ、どこへ隠れた』
恨みがましく
視認できないのは同じだが、剣士である彼にはルベルの位置がなんとなく解った。その気配が、少しずつ自分へと向かっていることをも。
今声を上げれば獣の注意を引いてしまう。娘が全力で作ってくれたわずかな余裕をどう生かせばいいだろう。
骨に達する程まで
「
ふいに耳もとで響いた娘の声に、ロッシェははっと顔を上げてそちらを
いつの間に
心臓がざわりとわななき、痛みによるのではない汗が背中を伝う。
じりじりと歩を進め近づいてくるグリフォンとの、残された距離はわずか数歩。
「ルベル、駄目だっ……逃げてくれ」
すでに
だから、――悔しさと苦しさに細めた両眼から、涙がこぼれた。
「お願いだ、逃げてくれ……!」
オレンジのツインテールが揺れ、ルベルが一瞬だけロッシェを振り返った。その瞳に輝く強い光は、まるで何かを確信しているような。
ざぁと急に
「用意周到な割に情けない結果だな、ロッシェ」
黒衣をまとい、
短く唱えられた
「……情けなくて、すみませんね」
槍を
どうやら、グリフォンはそれに阻まれて立ち
「ルベル、君にとって水は反属性だろうに……なぜ【
リトの興味はロッシェの怪我より、ルベルの召喚した精霊らしい。ロッシェも知っている、このクジラはクラウディアと呼ばれる水の中位精霊で、雲にまぎれて空中を浮遊し時々雨を降らすのだ。
フェリオヴァードと同程度、あるいは上回る水の魔力を持ち合わせているため、獣は近づけずにいるのだろう。
ほぅ、とため息のように深呼吸をし、ルベルが
「
白銀にきらめく風がクジラからリトとロッシェへ、そしてもう一つの筋を描いて広がり、剣を包み込む。
クジラがふわり、くるりと回転し、ロッシェとリトの方へ向き直った。
『ワシゃ娘の呼びぬ応じたン違いのぅ。解っておれルがのぅ』
解っているだろうと言われても、解るはずがない。
ロッシェはクジラには答えずその下をくぐり抜け、フェリオヴァードに討ち掛かる。刃が失せた剣と赤銅色の
その隣に、黒い影が滑り込んだ。
「その
笑うようなリトの声。瞳だけ動かし、傍らにて
「素手よりは、マシでしょう?」
「確かにな」
笑える余裕のある状況ではない。
けれど彼の笑みにどこかで安心感を覚える自分がいるのは、なぜなのか。
新手の参戦にフェリオヴァードの動きが一瞬鈍ったが、リトの技量がそれほどでもないのを察したらしく、すぐに猛然と
甲高い鷲の声と、飛び散る獣毛。
「弱点を!」
跳躍しようと前傾になる獣の前に立ちはだかり、切迫した声でロッシェが叫ぶ。その意味に気づいたリトが、闇魔法【
『
巨躯がロッシェをはね飛ばし、跳躍する。
ついそれを目で追ってしまったリトの眼前に鷲の頭が迫り、胸に衝撃を受けて地面に叩きつけられた。一瞬息が止まりそうになり、ついで、思わず剣を手放してしまったことに気づく。
跳ね起きようとして左の鎖骨辺りに痛みを感じた。反射的に手を触れてみれば、ぬるりとした感触からして流血しているらしい。
痛みはあるが致命傷ではなさそうなので、そのまま気力を尽くし立ち上がる。
『
フェリオヴァードはクラウディアの前に立ち、全身から熱気を発しながら凄んでいた。対峙する雲鯨からの返答はない。クラウディアに
ロッシェが首を押さえながら身を起こし、リトを見る。そして地面に落ちたリトの
「お借りします」
きらきらと散る白銀。首から肩に掛けて深い裂傷が見受けられるが、その痛みはロッシェの妨害にはなっていないようだった。
思い出したように治癒魔法を掛けてみるが、銀光は散ったものの傷がふさがる様子はない。理由はつかめないが魔法が効きにくい体質らしいので、失敗したのだろうと納得づける。
『退かぬなら、貴様が消えろ。水精』
『魔獣がワシに物言イかの?』
吠えるような怒声にのんびり応じる雲鯨。その時ようやく後ろのルベルが身動きし、挑むようにフェリオヴァードを睨みつけて宣言した。
「誰も消させません! 聖地へお帰りくださいっ」
『成るものか』
獣が唸り、翼を浮かせる。同時にロッシェが地を蹴って、クジラとグリフォンの間に割り込んだ。激しく噛み掛かる
「リトくんっ」
ふいにルベルに呼ばれそちらを向くと、勢いよくショートスピアが飛んできた。
誰の攻撃かと驚きつつ避けて確認すれば、見覚えのある宝玉にそれがルベルの術具だと理解する。
「リトくん、パパを助けて!」
悲痛な声が、
押されるように槍を手にすれば、尋常でない魔力の増幅を感じた。これはつまり、魔力を高めてロッシェへの
銀光が再びきらめき、ロッシェの傷がわずかにふさがった。慣れない他人の剣で猛獣と渡り合っている彼がそれに気づいたかは、定かではないが。
「ルベル、翼の付け根を狙え!」
「はいっ」
ロッシェはもう、ルベルに下がれとは言わなかった。
立て続けに放った魔法の数を思えば、そろそろ魔法力が尽きていてもおかしくない。できることなどもう幾らもないだろうに、それでもルベルの真剣な瞳は確信に満ちている。
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