十四.守護獣との再戦[前]
一昨夜から、何度も繰り返しシミュレーションした。
負けるつもりはないが、勝てる気もしない。自分は人族と戦う術を教え込まれはしたけれど、猛獣や幻獣と戦ったことはほとんどないのだ。
上着の裏ポケットに入れておいた鍵を思い直して取り出し、鎖を通して首に掛ける。こうしておけば、たとえ衣服や身体を引き裂かれても、首を噛みきられない限り奪われずに済むだろう。
ここユヴィラの森には『聖域』がある。その影響により危険な野獣や魔物が少ないらしい、というのは学者たちの仮説だが、村の伝承からロッシェが連想したのは植物の精霊王ユグドラシルの存在だった。
その点についてはセロアも同意見らしい。
一般には知られていないが、ユグドラシルは、生者が住まう地上と魂が眠る地奥とをつなぐ〝
そしてもう一つ伝承で
ラヴェールは〝奇跡〟をつかさどる精霊であり、それには当然
これほど高位の精霊が
問題はここの先、結界で閉ざされた森の最深部に入る時だ。聖域へと到る道は恐らく【
結界へと踏み込む際にも効力を表すアイテムならば、その瞬間に守護獣は鍵の存在を知覚することになるはずだ。
「おそらく、この先でしょうね」
手元の地図に目を落とし、セロアがつぶやく。彼は諸国漫遊がライフワークなのか、こんな辺境の地図までしっかり持っていたりするから驚きだ。
きっと一生の間に大陸全土を回り尽くしてしまうに違いない、と関係のないことが頭に浮かぶのは、この先待ち受ける恐怖を
「大丈夫ですか? ロッシェさん」
振り向いたセロアが、静かに問うた。おそらく自分は今ひどい顔をしていて、
けれど、結局、他に方法を見出すことはできなかった。
「ああ、大丈夫さ。先生こそ、ルベルを頼むよ」
「
こんなところで死ぬつもりはない。けれど。
どんな行動を選択すれば最善の結果が得られるのか、解らないまま、ここに
セロア、ルベル、ルティリス、リトの順で境界を越える。足元に敷き詰められているのは湿った落ち葉のみ、目に見える
意を決し、踏み越えた、その瞬間。
胸元にじわりとした熱を感じ、思わず服の上から鍵を押さえる。布越しでさえ解る淡い発光は、鍵が確かにその効果を現している証明だ。
「……来る」
数歩進み出て
「守護獣か?」
確かめるようなリトの声。
ロッシェがうなずくと、彼はルティリスを
「先生、ルベルを連れて隠れてくれるかな」
声が震えていたかもしれない。娘に気づかれないことを祈りつつ、セロアがうなずくのを視界の片隅で確認する。
茂みをかき分けるように、赤金の獣が姿を現した。金に輝く鷲の頭と、緋い獅子の身体。左翼を切り落とされ右だけになった金翼を持ち上げて、怒りに燃える両眼でこちらを睨み据える、炎の守護獣・フェリオヴァード。
『やはり
腹に響くような声が脳裏へと直接届く。途端、リトの後ろに
「ルティ?」
「ルティちゃん!」
リトとルベル、同時に駆け寄るが、ルティリスは両眼に涙を溜めて嫌々するように頭を振っている。ルベルがぎゅっと抱きしめたが、すぐに泣きやむのは無理そうだ。
予想しなかった訳ではないが非常に不味い。獣の瞳が後方へ向くのを阻むため、ロッシェはさらに一歩進み出、親指で自分の胸元を指し示して言った。
「あんたの探し物は、これだろう?」
『
不穏な宣言と、鷲の喉から漏れ出る唸り声に、ともすればもたげそうな恐怖心を精神力でねじ伏せる。
守護獣が
「ああ、やってみたまえよ。不格好な片翼で空も飛べない癖に」
『貴様!』
使い古された挑発でも、効果があったようだ。
獣が身を低くし攻撃態勢になったのを確認し、ロッシェは身を
少しでも障害物のある所を。
やはり素早い。
結局、逃げ回ったところで獣の足には
『地上を
じりじりと間合いを詰めつつ獣が言い、そして跳んだ。かわしきれない勢いを察し
キィンと派手な音が響き、震動で腕が
獣の前足が持ち上がる。マズイ、と思った次の瞬間振り下ろされた獅子の爪が肩を引き裂き、思わず悲鳴をかみ殺すが、隙を与えてしまった。
「う、っぐぅ」
胸を
思わず喉を
そういえば、と不意に思い出した。鷲はかぎ爪で獲物を捕らえ、押さえつけながら
であれば今、獣は、ロッシェを食おうとしたのだ。
『口程にもないな』
死ぬつもりなどない。
それでも、この状況をひっくり返すだけの有効策をまだ、見つけられない。
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