十三.星樹の森へ[後]


 旅の醍醐味だいごみなるものを味わえるのは楽観主義な幸運体質人の専売特許と思っていたが、存外そうでもないようだ。

 真昼の街道は日差しが強く色味もはっきり鮮やかで、新鮮な驚きに気分も高揚する。スキップでもしそうに楽しげなルティリスや、数歩ごとに道端の植物を調べ始めるセロアを見ていると、徒歩の旅も悪くないと思う自分がいるから不思議だ。


 子どもの歩調に合わせていたのもあり、予定よりは遅めにしかし夕方にはならずに、予定の街へたどり着く。

 ここはルティリスとリトが初めて会った場所であり、ユヴィラの森へ向かうための宿場町でもある。宿を見つけるのは造作もなかった。

 ただ大部屋の空きがなく、二部屋を借りることになった。身の安全を考慮し少女二人はロッシェと同じ部屋に、リトはセロアと一緒の部屋に泊まることにする。


 一階が酒場兼食堂、二階が宿泊部屋という典型的な宿なので、階下で夕食を済ませれば、あとはめいめいの部屋で休むだけだ。

 朝は早いしすることもないので、リトは早々にベッドを整え寝る準備を始めた。セロアはベッドに腰を掛け、手帳に何か書き込んでいる。

 こうして改めて観察すると、不思議な雰囲気の人間フェルヴァーだ。彼から感じる穏和さはつかみ所のなさと同義だし、口調は柔らかだが結構はっきり物を言う。ロッシェがずいぶんとこの男に入れ込んでいる様子なのは、二人のやりとりを見ていると解る。

 そこまで考えてふと、自分がロッシェについてほとんど何も知らないことに気がついた。


「セロア、少し聞いてもいいか?」


 声を掛けるとセロアは、手帳から目を上げてリトを見、首を傾げた。


「ええ、構いませんよ」

「お前はロッシェと親しいんだろう? あいつは、どんな人間やつなんだ」


 この男の目から見た彼の人物像を知りたい、と思ったのだが、だいぶ不躾ぶしつけな質問になってしまった。それでもセロアは気分を害した様子はなく、少し困ったように笑って答える。


「どうなんでしょう。私も、まだ彼とは付き合いが浅いので、よく知らないんですよ」


 静かに笑うセロアをいささかかの驚きを込めてリトは見返す。


「ずいぶんと親しげに見えるが」

「そうですね。私がルベルちゃんと一緒に、彼を迎えに行ったからかもしれません」


 何のことか意味がつかめず、リトが黙って眉をひそめると、セロアは思い出すようにゆっくり言葉を続けた。


「ロッシェさんは五年の間、ルベルちゃんと離れて暮らしていたんです。それはやむを得ない事情だったんですが、ルベルちゃんも寂しかったんでしょう。家出同然に後見人の元を飛び出して、ロッシェさんを強引に連れ帰ってしまったんですよ」


 淡々と語られる話の裏にどれほどの困難が伴ったのかをうかがい知ることはできない。ただ、思い出すのは初見のルベルの強引さと、会わせて欲しいと言ったロッシェの困惑げな表情だった。


「……ルベルの母親は?」


 そう言えば話に出たことがない、と思い浮かんだままに尋ねれば、セロアは優しく笑って首を傾げる。


「どうして、本人に聞いてあげないんですか?」

「どうして、と言われてもね」


 痛い所を指摘され、答えにきゅうして黙り込むしかなかった。元々、彼を連れ帰ったのは成り行きだし、守護獣と渡り合える剣技が役立つと思っただけで彼自身に興味はなかったのだ。が、それをそのまま伝えるのははばかられた。

 セロアはしばらく黙って答えを待っていたが、やがてぽつりと言った。


「もう、亡くなられているそうです」


 やはり、と言うべき答えに、複雑な感情が胸中でわだかまる。

 聞かなかったのは自分だが、ロッシェが自分から話してくれていれば少しは彼に同情できただろうか。今となっては意味のない自問ではあるけれど。


「俺の勝手な都合で、おまえたちの旅を妨害してしまった訳か」


 自嘲気味の言葉が思わず口をつく。が、セロアはにこりと笑って首を振った。


「いいえ。そもそも初めに首を突っ込んだのはロッシェさんですし、こうやってなんとか合流できましたし。目的ある旅ではないので、妨害と言うことはありませんよ」


 セロアの表情は慰めや励まし――というより本気で楽しそうだ。それをいぶかしく思いつつ、リトはずっと気になっていたことを聞いてみた。


「目的が無いとはいえ、こんな身にならないことに付き合ってくれるのはなぜなんだ? 俺は今さらロッシェを拘束しておくつもりはないし、ルベルだって早く戻りたいと思ってるんじゃないのか」

「私はただの好奇心です。高位精霊ラヴェールをこの目で見られるかもしれないと言う、またとない機会ですよ。みすみす逃すなんて勿体もったいないじゃないですか」


 楽しそうに見えたのは気のせいではなかったらしい。この人間フェルヴァーは、骨のずいまで学者気質なのだとつくづく思う。


「ルベルとロッシェには、本人に聞けばいい……そう言うんだろう?」


 言いたいことは解っていた。恐らく、自分がロッシェに対して行った仕打ちについて本人もルベルも、自分が思うほどには恨みを抱いていないのだろうというのも。

 セロアはうなずき、瞳をなごませて言い加える。


「ロッシェさんの考えは私にも解りかねますが、ルベルちゃんは、父親と一緒にいられるならそれがどんな状況でも構わないと思いますよ」


 そんなものなのだろうか。付き合いがまだ深くない自分にはいまいちよく解らない感覚ではあるけれど。


「ルベルは度胸があるんだな」


 思い浮かんだままに口にしたら、セロアはくすりと笑って、そうですね、とつぶやいた。




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